第6話 たいくつな英雄と黒いドラゴン

「先週に比べて2.5の増加。ここからさらに3割引いて4乗すれば、今週の目標値に到達するぞ!」

「あのぅ……」


 ひげもじゃの男は、5段あるデスクの引き出しを上から順に開けては閉め、開けては閉めをくり返しています。


「先月の売り上げ表はどこだ? 来月の営業成績は? そこから円周率を引いて、ルートを出せれば……!」

「もし、すみません」


 マシューの呼びかけに、男はさっぱり気付いていないようでした。デスクの上の光る箱のボタンをぽちぽちと押して、また何やらぶつぶつとひとり言を言い始めます。


「あぁ、何てことだ、世界平均がこんなにも下回って。まったくなげかわしい! あの無能な指導者め! ……おっと、いかんいかん忘れるところだった」


 ヒゲの男は3段目の引き出しを開けると、中から2つの石ころを取り出し、1段目の引き出しにそれをしまいました。これでよし、と男はまた光る箱に目をやると、手でバンとデスクを叩きます。


「見ろ! 10も増えたぞ!」

「それが何だって言うの?」


 マシューがそう言うと、男はようやくデスクの前に立った男の子に気付いたようでした。白いデスクに手をついて、光る箱の向こうから、ぬっと身を乗りだしてこちらをのぞき込んできます。


「なんだ、何の用だ? 俺は忙しいんだ。子どもはあっちへ行け」

「あなたにお聞きしたいことがあるんですが」


 マシューはとても丁寧にお願いしました。でもひげの男は手を振ってそれを拒否します。


「ダメだ、ダメだ。そんなひまはない! 俺は計算するのに忙しいんだ!」

「何の計算をしているんですか?」


 そう聞くと、男はふふんと鼻をならして光る箱をこちらに向けました。光る箱の画面には、1132という数字が映しだされています。


「この数字に決まっているだろう!」

「その数字に、一体なんの意味があるんですか? 何の数字なの?」


 そうたずねると、男はしたり顔でこう言います。


「私の成したことだとも!」

「何を成したの?」

「そんなの決まっているだろう! この数字を増やした!」


 マシューはぽかんと口を開けました。マシューにはこの男のすごさがこれっぽっちも理解できないからでした。

 男が腕時計を見るそぶりをすると、またいかんいかんと言って、1段目にある2つの石ころを取り出し、3段目の引き出しにそれをしまいます。


「何をしているんですか?」

「決まっているだろう。石を動かしている。秒針の針が3週するたびに石ころを動かさなきゃならん」

「でも、それはなぜですか?」

「それが私の仕事だからだ」


 マシューは首をひねります。


「でも、あなたはさっき、その石をデスクの3段目から取り出しましたよ? さっきと何が変わったの?」

「そんな事はどうでもいい。仕事は正しくするのが決まりだ」

「でも、でも、何かが変わったようには見えませんよ?」

「変える必要なんかないんだ。これで完璧なんだから! あぁ、忙しい! 忙しい!」


 マシューはさらに首をひねります。

 どうしてこの男は、訳の分からない数字の計算をしたり、意味がない仕事をくり返したり、やる意味のない事で予定をいっぱいにして忙しい!忙しい!と言うのか、やはりまったくもって理解できませんでした。


「だから言ったろう? 変な奴だって」


 肩の上にのったハツカネズミが、そうマシューの耳にささやきます。マシューは君の言うとおりだったね、とここに来た事を後悔しました。


「ぼくは、あなたみたいな大人にはなりたくないな……」


 マシューがぼそっとつぶやくと、失敬な!とひげの男がまた身をのりだしてきます。


「私だって、昔は立派な子どもだったんだぞ! 不思議な事をたくさん経験したとも。ドラゴンだってやっつけた!」


 男がそう言うや、マシューは前のめりになってたずねます。


「じゃあ本当に、おじさんはドラゴンをやっつけた英雄なの?」

「そうとも、そうとも!」


 ようやく少しは面白い話が聞けそうだ、とマシューが目を輝かせます。それを見るや、男は上機嫌になってうなずきました。


「あれは私が17の時だった。勇敢な青年だった私は、一振りの剣を手にお山の頂上まですたこらと登っていった。そうしてお山の頂上には、岩肌に張り付くようにしてドラゴンがいたのだ。奴は火を吹いてこちらを威嚇し、太い尾で岩を砕き、大きな牙とあごで私を食い殺そうと襲いかかってきた!」

「それで? それでおじさんはどうしたの?」

「もちろん、奴に強烈な一撃を食らわせてやったとも!」


 そう言うと、ひげもじゃの男は5段目の引き出しを開け、中からキラキラとした黒い宝石を取り出しました。


「見ろ、これが奴のウロコだ。ドラゴンは雄たけびを上げて岩山の間にある自分の巣へと逃げ帰っていった!」

「すごい!」


 ドラゴンのウロコは黒曜石で出来ていました。ちょうどひげ男の手のひらに収まるくらいの大きさです。

 なんて大きなウロコでしょう! おまけにピカピカ。こんなウロコが全身を覆っているのですから、さぞそのドラゴンは大きくて、そして美しいのでしょう。


「でもドラゴンをやっつけるなんて、きっととても危険な事なんだろうな……」

「ハッハッハッ! 危険だとも! 危険だが、英雄の剣を持っていればそれも不可能じゃあないとも」


 男は洞窟の壁にかかった一振りの剣を指さしました。


「あれが奴をやった剣だ」


 剣は大げさなほどに金と宝石で飾られた剣立てにかかっていましたが、剣自体はさびだらけで、茶色く汚れていました。


「どうしてあんなに汚れているの?」

「もう使う事はないからだ。使わないものをピカピカにしておく必要はないだろう」

「じゃあ、良ければ、あの剣をぼくにいただけませんか?」


 マシューはまた丁寧に男にお願いしました。でもそのお願いはにべもなく、


「ダメだ! ダメだ! あれは俺の物だぞ」

「でも、今あなたはもう使わないって言ったじゃないですか」

「いらないとは言ってないだろう」

「そんな!」


 マシューはなんとかしてその剣を手に入れられないかと考えました。だってこれから、危険なドラゴンに会いに行かなくてはならないのですから。

 マシューはどうにかひげ男から剣をもらえないかと色々と言い方を変えてお願いしましたが、ついにはひげ男は怒り出し、マシューを洞窟から追い出してしまうのでした。


「ええい、うるさい! 仕事の邪魔だ! さっさと行け!」






 そのお山は岩肌がむき出しで、ゴツゴツとした山道が続いていました。マシューは手ぶらのまま、小さなハツカネズミを肩にのせ、とぼとぼと岩だらけの山道を登っていきます。


「どうしよう……。剣もないのに、どうやってドラゴンのウロコを取ってこればいいんだ?」

「歯でかじればいいんじゃないか?」


 肩にのったハツカネズミがそう言います。マシューはため息をつきました。


「あの黒いウロコを見ただろう? とても硬そうだった。僕の歯なんかじゃどうにもならないよ」


 そしてマシューはとうとう、お山のてっぺんまで辿りついてしまいました。すぐさま近くの岩かげに隠れ、辺りをきょろきょろとうかがいます。しかしドラゴンの姿は見あたりません。


「一体どこにドラゴンはいるんだろう?」


 ドラゴンが恐ろしいという気持ちと、でもちょっぴり本物のドラゴンを見てみたいという気持ちで、マシューは岩から首をひょこひょこと出しては引っ込めてをくり返します。そうしている間に、マシューは自分の隠れている岩壁がキラキラと光っている事に気付きました。何だろうと思って見てみると、灰色の岩の下には黒曜石がびっしりと付いていて、それが陽の光にあたってきらめいているのでした。


「うわぁ、すごい!」


 マシューは目を輝かせます。もしかしてこの黒曜石を持って帰ったら、ドラゴンのウロコを持って帰る代わりにならないかな、とずるい気持ちがマシューの中でわき起こります。が、次の瞬間にはマシューはその場で石のように固まっていました。

 なぜかって、それは生温かい空気がマシューの首筋に何度も吹きかけられるからです。よくよく見れば、マシューが隠れた岩はゆっくりと呼吸するように上下しているではありませんか。

 マシューは自分の隠れた岩を(正しくは岩だと思っていたものを)おそるおそる、振り返りました。


 そこには体中を黒曜石のウロコでびっしりとおおった、黄色い目玉のドラゴンが、マシューをにらんでいるのでした。

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