第4話 森の動物たちとかけっこ勝負

 マシューはやわらかい地面を踏みました。

 最初はまた、あの赤い絨毯の部屋の床を踏んだのじゃないかと思いましたが、目を開けてみると、そこは木漏れ日の差し込む森の入り口でした。上を見上げると、細い木々がアーチを作り、森の入り口の門を形作っています。枝の先にはグミの実が生っていました。

 森は奥へと向かって一本道が敷かれ、その周りには木々が生い茂っています。どれも背の低いものばかりで、太陽の光がさんさんと入ってきているのが見てとれました。

 後ろを振り返ると、ただただ広い原っぱが広がっているだけです。

 マシューはまた前へと向き直り、木々の間をきょろきょろとうかがうと(何か恐ろしい生き物が潜んでいたら大変ですから)、森の奥へと進んでいきました。


 そこは不思議な森でした。

 生い茂った葉っぱは確かにみずみずしい緑色でしたが、地面に敷き詰められた枯れ葉は薄い金属のようで、踏んだ途端にカシャンカシャンと崩れて散っていきます。細い幹や枝も金属のようにピカピカで、生っている真っ赤なグミの実はまるで宝石のルビーのようでした。

 あの実をママに持って帰ったら喜ぶかもしれない、とマシューは思いつき、手近に生るグミの実の一つに手を伸ばします。

 するとその時、ふいに誰かのささやき声が聞こえました。こしょこしょ、ぼそぼそ、声がします。


「誰?」


 マシューは声を上げますが、ささやき声はきゃらきゃらという笑い声と共に離れていってしまいました。そうしてまた別の場所から、こしょこしょ、ぼそぼそ、声がします。

 マシューがよおく耳を澄ますと、ようやくそれらの言葉のいくつかを聞き取る事が出来ました。


「人間だ」

「すごく大きい」

「いや、思っていたよりも小さいぞ」

「いやいや、あれはまだ子どもだよ」

「乱暴しないかな?」

「気をつけろ」


 それを聞いて、マシューは声を上げます。


「乱暴なんてしないよ! 僕はハツカネズミを探してるんだ!」


 するとひそひそ声がぴたりとやみます。そうしてそのまま待っていると、森の奥から誰かがこちらに歩いてくるのが見えました。向かってくる誰かは、真っ赤なチョッキを着て、長いしっぽをゆらゆらと揺らしています。

 マシューとのハツカネズミが、二本足で立ち上がり、マシューを見つめ返すとこう言いました。


「はふはおはへ」


 ハツカネズミの頬はぱんぱんでした。あちらも言ってから気付いたようで、ハツカネズミは短く小さな手で、自分の両頬を挟んで口の中のどんぐりをむりむりと吐き出します。


「なんだお前」


 ハツカネズミは、マシューの腕でさえひと抱えほどもあるどんぐりを手にしながら言いました。対してマシューは、自分の頬には何もつまってはいませんでしたが、口をもごもごさせながら応えます。


「僕、僕は、そんなに大きなハツカネズミは探してないよ」

「いいや、お前だ。さっきからずーっとおいらを追いかけ回してた」


 不機嫌そうに、ハツカネズミの長いしっぽがゆらゆらと揺れます。


「分かってるぞ。お前はこのどんぐりを俺から奪うつもりだろう?」

「ち、違うよ!」

「じゃあなんだっておいらを追いかけ回してたのさ!」

「それは君が、あまりに、変なかっこうをしてたものだから……」

「変なかっこうだって!?」


 ハツカネズミは上下の、前歯しかない歯をむいて怒りました。真っ赤なチョッキのえりをつかんで広げてみせます。


「変なもんか! おいらのいっちょうらだぞ! お前こそ変なかっこうだ!」

「ど、どこが変だって言うのさ!?」


 マシューがむっとして言い返すと、ハツカネズミは自分の頭のてっぺんの毛をつかんでおちゃらけてみせました。


「お前はずいぶんとおかしな毛色じゃないか」


 それを聞いてマシューはおどろきます。マシューの髪はお母さんゆずりのきれいなブロンドヘアーでした。今まで周りの人たちにほめられこそすれ、ちゃかされたことなど一度もなかったからです。

 さらにハツカネズミは続けます。


「おまけにしっぽも短くて見えやしない」

「そんなのあたり前じゃないか! しっぽなんてないよ!」

「しっぽがないだって!?」


 ハツカネズミは腹を抱えて笑い転げます。どうやら彼にとって、マシューにしっぽが生えていないことがおかしくてたまらないようです。

 マシューはそんな相手の様子に、だんだんと腹が立ってきました。


「人の見た目を笑うなんて最低だぞ! やめろよ!」

「お前が先に言ってきたんだ!」


 一人と一匹はお互いににらみ合い、もうどちらもにっちもさっちも行かない様子でした。

 するとまた、周りからこしょこしょ、ぼそぼそ、ささやく声が聞こえてきます。


「ケンカはダメだぞ」

「仲たがいは命取りだ」

「いいぞ、もっとやれ!」

「どちらもおかしなかっこうじゃないか」

「似たり寄ったりだ」

「どっちも変だ」


 それを聞いて、ハツカネズミはなんだと!と宙に向かって声を荒げます。


「誰のためにどんぐりを取りに行ってやったと思ってる!? おいらへの感謝の気持ちはないのか!?」

「確かにそれは一理ある」

「無事に戻ってきて何よりだ」

「その件については感謝しよう」

「どうもありがとう、ねずみさん」


 そして森のあちこちから、ありがとうありがとう、とこしょこしょ声の感謝が投げられます。

 ふいに、ハツカネズミの足元に転がされていたどんぐりが、もぞもぞと動きだしました。どんぐりには穴が空いていて、その間から黄緑色の何かがのぞいています。

 芋虫でも中にいたのでしょうか? ひと抱えほどもあるどんぐりの中にいる芋虫です。マシューは自分の手のひらくらいの大きさの芋虫を想像しました。

 しかしどんぐりの穴から出てきたのは、手足のない芋虫ではありませんでした。黄緑色の体に、細長い手足、青色の羽を持った小さな妖精が姿をあらわしたのです。

 途端、森のあちこちから同じような妖精たちが飛んできて、その妖精を取り囲みました。何やらこしょこしょこしょこしょと騒ぎあっていますが、彼らの話を聞くのは骨がおれました。なぜって、彼らの声はとてつもなく小さいからです。

 あまりに声が小さいので、マシューは頭を寄せ、耳を澄まして、しっかりと口をつぐんでいないといけませんでした。


「おかえり! おかえり!」

「無事で何より!」

「森の外はどうだった?」

「みやげ話を聞かせておくれ!」


 聞き取れたのはそれだけでした。あとはお互いがお互いにひっきりなしにしゃべるので、しゃわしゃわと羽音のようなさざめきが聞こえるだけです。


 その時、ぱしゃんと水の跳ねる音がしました。マシューが音のした方に目を向けると、森の中に小さな池があるのに気付きました。水面がゆったりと揺れています。

 ふいに、水面に虹色に光るウロコが見えました。虹色のウロコは半円を描いて水に沈むと、最後にはひらひらとした尾があらわれ、また水面へと消えていきます。

 そしてまた、ぱしゃんと音がしました。


「私にも面白い話を聞かせておくれよ」


 声をたよりに目を向けると、水べりでお姉さんが手招きしているのが見えます。ゆるりと長い金髪をもった、きれいなお姉さんでした。

 その声を聞くや、ハツカネズミや妖精たちが池の方へと歩いていくのについて、マシューもそちらに向かいます。

するとびっくり、お姉さんには足がありませんでした。その代わりに、魚の尾ひれが付いているのです。青や緑やピンクに光るウロコが付いたそれで、ぱしゃんぱしゃんと水面を叩いています。

 一体どうやって息をしているのだろう。不思議に思って、マシューはお姉さんの長い髪をたくし上げようと手を伸ばします。(えらがあるのか確かめたかったのです。)しかしお姉さんにはたき落されてしまい、それは分からずじまいでした。


「退屈ね、何か面白い話をしてちょうだい」


 言われ、マシューは困ってしまいます。こういう時に話せるお話なんて、マシューは知らないのです。


「なら、かけっこ勝負だ!」


 ハツカネズミが言いました。それを聞くと、人魚のお姉さんは顔をゆがめて怒ります。


「私は参加できないじゃない!」


 そう言って、魚の尾ひれで水面を叩きます。


「なら審判をやればいい!」


 そう言われ、ようやく納得したようにうなずきました。


「おい、お前! 勝負だぞ!」


 ハツカネズミは小さな指でこちらを指差します。その態度にまたムッとして、マシューはハツカネズミの方を振り向くと、胸をそり返しました。


「望むところだ!」


 答えた途端、周りにいた妖精たちがわっとさわぎだします。


「いいぞいいぞ、勝負だ勝負!」

「どっちが速いか真剣勝負!」

「勝負には賭けるものが必要だ」

「負けた方は何をする?」


 しゃわしゃわとさわぎ立つ音の中、マシューはある妖精がこう言っているのを聞き取りました。


「負けた方は、ドラゴンのエサにしてしまえ」

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