第3話 見えない誰かさんとしゃべる壁

 マシューはレンガの建物が立ち並ぶ、石畳の道を進んでいきます。

 道すがら、カラフルな出窓の奥に目を凝らしますが、どの窓のカーテンも閉められていて、中をのぞけません。しかし確かに、そこここに誰かがいるのだという事は分かりました。

 なぜ分かったかというと、マシューがぐるぐると辺りに視線を巡らせていると、たまにカーテンが揺れているのを見たからです。マシューが右を向いていれば左の窓のカーテンが、左を向いていれば右の窓のカーテンが揺れています。でも決して、カーテンの向こうからこちらをのぞいていた誰かさんの姿は見えないのです。

 ですが道を進んでいくにつれ、だんだんとのぞき見している者達がどんな姿をしているのか、マシューは分かってしまいました。

 カーテンを閉めた時に見えた細長いかぎ爪の付いた指、のぞいていたビー玉みたいな三つの目玉、閉めそこなったすき間から見える黒い角……。


 マシューはその場で、ぴたりと足を止めました。今はもう、きょろきょろと辺りを見回す事も恐ろしくなってしまい、背中を丸め、ぎゅっと身を縮めて小さくなります。


「ねぇ! まだハツカネズミのいる所には着かないの!?」


 そう尋ねると、また道の向こうから大風が吹いてきて、野太い声が言いました。


「まだだよ。もっと先まで進んでごらん」


 マシューは怖くなって、でも今来た道を引き返すのはもっと恐ろしくて(だってもう、カーテンの向こう側にいる者達がどんな姿をしているのか分かってしまったのですから)、ゆっくりと、石畳の道を進んでいきました。


 ふと、後ろから足音が近付いている事にマシューは気付きます。マシューは少しだけ足を速めて石畳の道を進みました。足音もまだ、付いてきます。

 後ろから聞こえる足音は、靴をはいた二本足の足音ではありませんでした。

 ずるずる、ばたばた、べちゃべちゃ。

 とても振り返る気など起こらないような音が聞こえてきます。

 しかもそれは道を進めば進むほど、だんだんと多くなっていくようでした。時折視界のすみに黒い影が映ったような気がしましたが、マシューは自分の頭に言い聞かせ、決してそちらを振り向いたりはしませんでした。

 細い路地や、薄く開いた窓や扉のすき間から出てくる"あれ"は、一体何なのでしょう。


「大丈夫、本物じゃないんだ……! 偽物なんだから……!」


 マシューは口に出して言いながら、また足を速めて、少し走るくらいの勢いで石畳の道を進んでいきます。しかしだんだんと足音が近付いて、背後からは荒々しい息遣いまでが聞こえてくるではありませんか。

 たまらず、マシューは走りだしました。すると背後の足音も、同じようにマシューの後を追いかけてきます。


「マシュー、おいで! こっちだ!」


 通りの向こうから、大風と一緒に野太く大きな声がマシューを呼びます。

 マシューはがむしゃらに走りました。

 すると前方に、大きな門が見えました。野太く大きな声に従って、マシューは急いでその門を通り抜けます。そのまま突っ切り、開けっ放しにされていた建物の扉も一気に走り抜けます。

 マシューが建物に入った途端、ばたんと扉が閉じました。次いで、ばたばた、べちゃべちゃと何かが扉にぶつかる音がして、低い獣の唸り声や、爪で引っ掻く音がしました。

 それでもしばらくすると、外にいる者達は諦めたのか、ずるずると何かを引きずる音を立てながら気配が遠ざかっていくのが分かりました。


 辺りは真っ暗です。でももうおかしな足音も、荒々しい息遣いも聞こえてはきません。

 そこでようやく、マシューはほっと息をつく事ができました。


「今のは危なかったなぁ」


 野太く大きな声が言います。それにしても大きな声です。古ぼけた本屋で聞いていた時よりも大きな声なので、耳の奥がびんびんと鳴っています。


「君がいなかったらまずかった」

「お安い御用さ、街の奴らは野蛮だからね。だが、私は違う」


 だんだんと暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりと赤い毛の絨毯が見えてきます。

 部屋には多くの本と本棚が並んでいました。その部屋だけでなく、隣の部屋もその隣の部屋にも、たくさんの本と本棚があります。

 マシューはうげぇと顔をゆがめました。


「最悪な場所だ」

「ひどいな。素晴らしい場所だろう?」

「僕は本が大嫌いなんだ!」


 そうです。マシューは本が大嫌いなのです。

 一刻も早くここから抜け出したくて、マシューは自分の頭に向かって言いました。


「どうやったら外に出られるんだ? 僕はハツカネズミを捕まえたいんだ」

「どうやって出るかだって? 君はどうやってここに来た? 子供なら足を動かすのはお手の物だろう。移動する方法なんて分かりきっているだろう?」

「分かるもんか」

「もっと頭を使いなさいよ」


 そう言われ、マシューは頬をふくれさせます。君は本当に感じが悪いな!と文句を言いました。


「僕の作った幻のくせに、僕に失礼じゃないか!?」

「失敬な。私は幻なんかじゃないぞ」


 野太く大きな声が響いて、並んだ本棚がミシミシと音を立てます。


「じゃあどこにいるんだよ!? いつまでも姿を隠したままなんて失礼じゃないか!?」

「君の目の前にいるじゃないか」


 どこにいるんだよ!とマシューが文句を言おうとした時でした。ギーギ―と壁がきしんで、マシューはぴたりと口を閉じました。

 見れば部屋の壁のしみが、ずるずると動いています。きれいに真っすぐ並んでいた木目が崩れ、壁一面を覆うほどの、大きな目と、鼻と、口に姿を変えました。


「誰が幻だって?」


 野太く大きな声が聞こえると、目の前の壁の大きな口が開き、ガタガタと本棚を揺らします。


「僕は、ええと……」

「ハツカネズミを捕まえたいんだろう?」


 言われ、マシューはこくこくと首を縦に振りました。余計な事を言って、このしゃべる壁を怒らせない方が良いと思ったからです。


「そう、そうだよ!」

「なら頭と体を働かすんだ。君はここにどうやって来た?」


 マシューはおそるおそる、入ってきた玄関を指差します。途端、壁の染みが怒りの形相に変わり、違う違う!と大きな声を出したので、マシューは本棚の本と一緒に飛び上がりました。


「この家に入る前の話だ! よーく思いだして!」


 マシューは必死に考えます。そうしてようやく思い出しました。

 マシューはすぐさま本棚に飛びつくと、棚の右から左へ、端から順々に目を走らせていきます。でもすぐには見つからなくて、隣の部屋の本棚へ、また隣の部屋の本棚へと飛びつきます。

 そうしてようやく、3つ目の部屋の7つ目の本棚の下から3段目に、ぽっかりとマシューの腕一本分のすき間が空いているのを見つけました。

 マシューが本棚のすき間をのぞき込むと、そこには木漏れ日の差し込む明るい森の入り口が見えました。その入り口から、草木のおいしげっている奥の方へと向かって小人が……いえ、服を着たハツカネズミが長い尾っぽを揺らしながら駆けていくのが見えます。


「いた! いたよ!」


 マシューは思わず叫びました。


「なら急げ! 早くしないと逃げてしまうぞ! やり方は覚えているな?」


 マシューはぎゅっと目をつむり、絨毯の柔らかい床を思いっきり蹴りました。

 目をつむっている間、野太く大きな声が頭の中で響きました。


「気を付けて。森の動物達にはご用心」

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