第2話 不思議なすき間と見えない誰かさん

「そんな、嘘だ!?」


 マシューはぐりぐりと自分の目をこすります。そうしてまた、本棚のすき間をのぞきこみました。

 そこにはゆるくカーブした石畳の道と、カラフルな張り出し窓のついたレンガの建物が並んでいます。その窓のどれもに、ぴしゃりとカーテンがかかっていました。ひょっとしたらそのカーテンのすき間のどれかから、誰かが顔をのぞかせているかもしれない。そう思い、マシューはあちこちにぐるぐると目をやります。

 そうしてまた通りの向こうに目を向けると、どんぐりでほお袋をいっぱいにしたハツカネズミが、まだそこにいました。しかしこちらにぱちぱちとまばたきを投げてきたかと思うと、ゆらりと長いしっぽを揺らし、通りの向こうへ走っていってしまいます。


「待てっ!!」


 そう言ってみたところで、ハツカネズミは待ってはくれません。あわててマシューは本棚のすき間に手を差し込みますが、ハツカネズミのしっぽの先をかすめただけで、ふさふさと細長いそれは、するりと指の間をすり抜けていってしまいました。

 マシューは本棚に、肩までめいっぱいに腕を突っ込みながら叫びます。


「くそっ!」

「あぁ、口が悪い!」


 ふいに聞こえた野太い声に驚き、マシューは急いですき間から腕を引っこ抜きました。そうして、きょろきょろと辺りをうかがいます。


「誰だ!?」


 さっきの声は古本屋のおじいさんの声ではありませんでした。それよりももっと、低く、大きな声です。


「どこに隠れてるんだ!?」

「隠れてなどいないとも」


 しかし相手の姿は見えません。マシューは不機嫌な声で続けます。


「どこにいるんだよ!?」

「私は"内側"にいるよ」

「……それってどういう意味? どこにもいないじゃないか!」


 マシューは考えます。

 "内側"ってなんだ? もしかして、それは僕の頭の中って意味なのか?


「僕はあのハツカネズミを捕まえたいんだ!」


 マシューは頭上を、つまり自分の頭の方を見ながら言いました。


「なら追いかければいいじゃない」

「出来ないよ!」

「なぜ?」


 マシューは肩をすくめ、指を開いて本棚のすき間を示してみせます。


「見たら分かるだろ? こんなすき間に僕が入りっこない!」

「出たぞ出たぞ! 君の悪いくせだ」


 その言い方はあまりに分かりきっていて、思った通りだというふうで、マシューは思わずムッとしました。


「君はすぐ面白くない方に考えるんだから」

「なんだよ!? 本当の事だ!」


 いや待てよ、とマシューは首をひねります。そうしてゆっくりと、誰かさんに向かって問いかけました。


「……もしかしてこれは、夢?」

「夢と現実の違いとはなんだ?」


 マシューは自分の質問に答えてもらえなかったので、唇をとがらせます。


「そんなの決まってる、嘘か本物かだよ!」

「何が嘘で何が本物か、誰が判断するんだ?」

「それは、それは、僕だよ!」

「ずいぶんと声を荒げるじゃないか」


 誰かさんは笑いをこらえるようにそう言うので、マシューはだんだん、お腹がかゆくなってきました。


「だって、君、感じ悪いよ! イライラする!」

「本当に?」

「ああ! とても腹が立つ!」

「じゃあそれは君の"本物"だな」


 誰かさんの言葉に、マシューは目を丸くします。


「違うよ!」

「違わないさ。君は今、イライラしている」

「違うよ! そうだけど、それは、僕の気持ちだけで……! あぁ、もう!」

「ほらみろ、どうやって偽物だなんて判断できるんだ? 君はきちんと怒ってるじゃないか」


 マシューはがしがしと頭をかいて、また声を張り上げます。


「もうどっちだっていいよ! そんな事より、ハツカネズミを追いかける方法を教えてくれ!」


 誰かさんは野太く大きな声で笑います。それのせいで古い本棚がきしんで、頭の上にホコリが落ちてきました。


「そんなの簡単じゃないか。目をつむって、思いきりジャンプすればいいんだ」

「なんだよそれ!」

「いいから、やってごらん」


 マシューは目を閉じて軽くジャンプします。目を開けると、さっきと同じ本棚のすき間の前に立っていました。

 なんだか恥ずかしくなって、相手に声を上げます。


「なんにも起きないじゃないか!」

「思いきりジャンプしろと言ったろう? 君は今、そうしなかった」

「それに一体なんの意味があるっていうんだよ!?」

「あるとも。君が真面目にやらないからだ」

「君がおかしな事を言って、僕をバカにしようとするからだ!」

「君が言う事を聞かず、私がバカな事を言っていると思い込んでいるからだ」


 誰かさんはまた、野太い声で笑います。


「信じてごらん。バカが二人、バカな事をしようじゃないか」


 その時、ようやくマシューは気付きました。


 さぁ、やってごらん。


 そういったその声は、本棚のすき間から聞こえてくるのです。

 では、彼の言った"内側"とは?


 マシューは少しの間、眉を寄せたまま本棚のすき間を見つめていました。そうしてついに、ぎゅっと目をつむると、ひざを曲げ、その場で思いっきりジャンプしました。


 一瞬体が自由になって、


 着地します。


 しかしおかしな事に、古ぼけた本屋の木の床を踏んだ感触がしませんでした。

 おそるおそる目を開けると、石畳の敷かれた、レンガの建物が並んだ路地に立っていました。驚いて後ろを振り返りますが、そこにはカーブを描いた石畳の道が続いているだけです。


「嘘だ、本物じゃない……」


 しかしそこはまぎれもなく、石畳みの敷かれた路地でした。本棚の細いすき間からのぞいていたはずのレンガの建物は、今やこちらを見下ろしています。

 すると、ごうっと通りの向こうから大風が吹いてきて、マシューは後ろにたたらを踏みました。その大風と一緒に、野太く大きな声がして、マシューの鼓膜を震わせます。


「さぁ、おいで。冒険を始めよう」


 マシューはごくりと唾を飲み込むと、ぎゅっと拳をにぎり、ゆっくりと石畳の道を進んでいきました。

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