本嫌いのマシューと古ぼけた本屋
ぽち
第1話 古ぼけた本屋と不思議なすき間
マシューはパラパラと本のページをめくると、あっという間に最後までたどり着き、ぱたんとそれを閉じました。
「つまんないの」
実際のところ、彼はその本の内容にこれっぽっちも目を通してはいませんでしたが、そう言うと、棚の元あった場所に(と言ってもどこから取り出したのか覚えていませんでしたので、テキトーなすき間に)ぐいぐいと本をねじりこみました。本棚にはぎっしりと本がつまっていて、取り出した本はスッと元の通りにはおさまってくれません。(それもそのはず、彼は元の場所には戻していなかったのです。)
マシューはだんだんと腹が立ってきて、なにがなんでもこの本をこのすき間にねじこんでやる!とムキになりました。あまりに力を入れて押し込んだので、本の端がくしゃりと曲がってしまいます。
「こりゃいかん! いかんよ!」
そう声がしたかと思うと、後ろからぬっとしわしわの腕が伸びてきて、マシューが押し込んだ本を取り上げてしまいました。マシューが驚いて振り返ると、そこには帽子をかぶったおじいさんが立っています。おじいさんは取り上げた本の表紙を伸ばし伸ばし、怒った顔で言いました。
「どうしてそう乱暴にするのかね? 本はもっと大切に扱ってやらないと」
「ただの本だ」
マシューは答えます。
「なんじゃと?」
おじいさんのふさふさの眉が、左右ばらばらに動いてしかめられました。
「物はいつか壊れるものだよ」
マシューは胸をそり返して言いました。それは確かに事実でしたが、おじいさんの眉はしかめられたままでした。
「それは、本を大切に扱わなくても良いという理由にはならんぞ」
マシューはムッとして、唇をとがらせます。
「ただの紙でしょ。文字が書いてあるだけ。コーヒーの染みたノートはゴミ箱に捨てる。それと同じさ!」
「本はただの紙じゃない。この本には書いたその人その者が入っておる」
マシューはもう一冊、棚から本を取り出すと、パラパラとページをめくってみせました。
「どこに? 何も挟まってないよ」
そうしてまた手荒な手付きで本を棚に戻します。おじいさんの眉が、また大きく上下にゆがみました。
「どうしてそう、屁理屈をこねるんだ?」
「僕は本が大嫌いなんだ!」
マシューはこのおじいさんの事もあまり好きにはなれませんでした。マシューが何を言っても、こりゃいかん!としか言いませんし、おじいさんはおじいさんの匂いがするからです。分かるでしょう? 古めかしい匂いです。つまり、古い紙の匂いでした。
「なぜ本が嫌いなんだ?」
「絵がないから。文字ばっかりで退屈じゃないか。漫画や映画の方がいいし、見てて面白いよ」
ついでに文字を読まないとマシューのお母さんが怒るからでした。マシューは次の月曜までに本を一冊読んで読書感想文を書かなければならなかったのですが、彼はそれを伸ばし伸ばしにしたために、こうして読みたくもない本を探し回る羽目になっているのです。
「でもそれは"誰かさん"の物語だろう?」
「本だって"誰かさん"のお話じゃないか!」
マシューは腹の虫のいどころが悪かったので、そうおじいさんに食ってかかります。おじいさんはやれやれといった様子で息をはくと、手に持った本を丁寧になでました。
「まったく違うとも。漫画や映画は絵があって分かりやすいかもしれないが、想像の余地がない」
「どこが?」
「絵は見たまま、右手に銃を持っていたら武器はそれだけ。でも文字なら? もしかしたら左手に剣を握っているかもしれん。ひょっとした時の助けになってくれるかもしれんぞ?」
マシューは眉をしかめます。それってズルじゃないの?と思ったからでした。
「そもそもなんで物語なんて必要なの?」
眉をしかめたまま、おじいさんに尋ねます。
「昔の人の教訓を知っておくと、色々と人生の役に立つぞ?」
「学校の授業と何が違う訳?」
「お話にした方が分かりやすいし、納得しやすい。何より、そっちの方が楽しいじゃろ?」
マシューが口の端を下へとひん曲げて肩をすくめてみせると、おじいさんはまた、こりゃいかんと言いました。
「君はまったく子供らしくないな」
「母さんは僕に早く大人になれって言うよ。だからそうしようとしてるんじゃないか」
叱られているような気がして、マシューは怒って言い返しました。おじいさんは眉を少し上げてみせると、今度はなるべく穏やかな口調で言いました。
「もちろん、君のお母さんは君に立派な大人になって欲しいと思っているだろうよ。君が立派な子供になった後にね」
「立派な子供って何さ?」
「野山を駆け回って泥だらけになって、世の中の不思議な事を一つや二つや三つは経験したりする子の事だ」
「不思議な事って、たとえば?」
おじいさんは目をまん丸に見開き、驚いた顔をしました。
「君は不思議な事が何か分からないのかね? 何かあるだろう。部屋に一人でいる時に妖精を見たり、小人を見たりした事は? ない? 一度も?」
馬鹿にされたような気がしてマシューが顔をしかめると、こりゃいかんとまた言って、おじいさんは頭を抱えました。
「君はまったくもって立派な子供をやっていないじゃないか! そんな事じゃ、立派な大人にはなれんぞ」
「それって、おとぎ話を話せるかって事? つまり、嘘の話だ」
おじいさんは首を振りました。
「君は本当にそういった経験がないらしい。あぁ、実に嘆かわしい!」
おじいさんはそう言うと、奥に引っ込んでしまいます。そうしてすぐ、一冊の本を手に戻ってきました。
「君のような本嫌いの子のお話を知っとる」
そう言って本の表紙をマシューに見せます。表紙にはエプロンの付いたワンピースを着た女の子が描かれていました。
「白うさぎを追いかけて、穴の中に落ちてしまうんだ」
「知ってる!」
マシューは声を上げました。
「そのお話、知ってるよ! 映画で見た!」
マシューはそのお話を最後まで知っていたので、得意になっておじいさんに言いました。
「でもあのお話は、ただの女の子の夢の中のお話だよ。本当にあったお話じゃない。そうでしょ?」
「ほう、誰かにそう聞いたのかね?」
「そうじゃないけど……。でもあんなおかしな事、現実で起こりっこないじゃないか。だから、あれは夢だよ!」
「そう、そこじゃよ!」
おじいさんが指を立ててこちらにつめ寄りました。何が?とマシューはまた眉をしかめます。
「君が本嫌いな理由じゃ。なんでもかんでも話を面白くならないように考える。悪いくせだな」
そう言うとおじいさんは持っている本を開いて、中を読み始めました。
「ある所に本嫌いの少女がいました。少女はお姉さんに本を読み聞かせてもらっていましたが、どうにも面白くありません。うつらうつらと船をこぎ始めます。そうしている間に、木の影から白いうさぎが……おっと、こりゃいかん」
おじいさんはかぶった帽子の上から頭をぼりぼり掻きました。そうしてページをつまんで口端を曲げると、こう言います。
「ネズミにかじられとる。別の本にせにゃ……」
そして、いかんいかん、と言いながら、また奥に引っ込んでしまいます。
マシューはがっくり肩を落としました。面倒な読書はおじいさんに読んでもらっておしまいにしようと思っていたのに、それが失敗したからです。でもやっぱり自分で本を読む方が面倒だったので、そのままおじいさんを待っている事にしました。
おじいさんを待つ間、マシューはぐるぐると本棚の間を回ります。どの本もおじいさんのように古臭い匂いがして、やはり本を好きになれそうにありませんでした。
その内に疲れて、マシューは本棚の間に置かれたスツールに腰掛けました。頬杖を付き、いつの間にかうつらうつらと船をこぎ始めます。
その時、かつん、と音がしました。
ぱちりと目を開け音の方を見ると、床にどんぐりが一つ、落ちています。それを追って、一匹のハツカネズミが本棚の間から降りてきます。
マシューは自分の目をこすりました。そうしてまた、そのハツカネズミを見つめます。
街のど真ん中にある古本屋でハツカネズミを見るなんて。いやそれよりも、もっとおかしな事があったのです。何かって、そのハツカネズミは服を着ていたのです。
犬や猫が服を着ているのは見た事がありましたが、ハツカネズミが服を着ているところなど、マシューは見た事がありませんでした。口をあんぐり開けて、じっとそのハツカネズミを見つめます。
真っ赤なチョッキに小さな腕を通し、長いしっぽを揺らしています。ハツカネズミはどんぐりを拾って口に押し込むと、すばやく床を走り、またするすると本棚を登っていきました。
「ま、待て!」
マシューは急いでそのネズミを追いかけ、本棚に張り付きました。本棚の右から左に向かって、順番に目を走らせていきます。
すると、ある本と本の間にすき間が開いていました。マシューの細い腕一本がかろうじて入るほどのすき間です。そのすき間をのぞくと、さっきのハツカネズミと目が合いました。
そのすき間のへんてこな事といったら。
そこにあったのは、まるで小さな路地でした。
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