第5話 その生卵は、何と衝突したのであろうか?
確かに、卵は食べ物である。しかしながら、食べ物である「卵」を、食べ物以外の用途に使った人もいないわけではない。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」の最後に、坊ちゃんと山嵐が、野だこと「野だいこ」と赤シャツをやっつける話がある。この時坊ちゃんは、たまたま持ち合わせていた卵をいくつか、恨み骨髄の野だの顔に叩きつけた。彼の顔は、卵の黄身と白身に染まった。山嵐先生と赤シャツ教頭の争いは、教育に限らず様々な面においての確執であったが、野だと坊ちゃんの争いは、当時の「江戸っ子」のある面とある面の意地のぶつかり合いのようなもので、その象徴としての「生卵」だったわけである。
普段「食べ物を粗末にするな」と子どもたちに言っている大人でさえも、このエピソードには、思わず苦笑してしまうところじゃないかな。テレビ番組にクソ文句をつける堅物PTAの皆さんも、「夏目漱石」という大権威の前には、何も言えまい。
それはともかく、卵に限らず、食べ物をそのように「粗末」にすることは、しつこいけれど、決して、よいことではない。もっとも世界には、収穫祭的な祭として、例えばトマトやオレンジをたくさん街中に持ち出して、それを参加者で投げ合うのが名物になっている祭もあるが、その手の話は、この際除外しよう。
さて、岡山には、何と、裁判所のそれも法廷で、卵を投げつけた人がいる。
東京出身でT大学大学院を修了し、英語教師として赴任してきた「S教官(仮名)」という人物である。
S教官は、大学院修了後の1968年にO大学に講師として赴任され、間もなく、「大学闘争(大学紛争?)」に身を投じることになった。大学からは結局「解雇」され、裁判闘争を繰り返しつつ、当時のO大学にあった学生自治組織である学遊会(仮称)に「嘱託」として20年以上「勤務」していた。
だがやがて、大学側の「学遊会潰し」に遭って「解雇」され、これまた裁判闘争を長期にわたって展開しつつ、大学外に長年「学遊会臨時事務室(仮称)」を設置し、そこを拠点として表現活動を長年にわたって継続して来られた。
このS教官、1970年代半ばの「大学闘争」中のある裁判で、裁判官に向かって生卵を投げつけたという。他大学の「同志」にあたる人の裁判の途上で、証人として出廷していた折のことだった。卵は裁判官には当たらず、彼の座っている裁判官席の後ろの壁にぶつかり、割れた。もちろんS教官は、裁判所から「過料」の制裁を受け、そのことは当時の新聞にも小記事ながら掲載された。
この話は、当時はもとより少し後の大学生たちの間にも伝わっていった。かくいう私自身も、サークルの先輩から、こんなふうに聞かされたことを覚えている。
「S教官は、裁判所で卵を投げたことがあるで」
はあ、そんなことをする人がいるのか、まるで夏目漱石の坊ちゃんみたいな人だな、と、そのときは思った。坊ちゃんもS教官も、東京生まれの東京育ち。坊ちゃんは松山、S教官は岡山で、前者は生卵を天敵に打ち付け、後者は生卵を裁判官に向けて投げつけた。
どっちも「江戸っ子」だ。
S教官は今も、「裁判所で生卵を投げた」とは言わない。
教官曰「卵衝突法廷」。 ~ 教官曰く、「卵法廷に「衝突」す」、と。
「法廷で卵を投げる」
「卵を人にぶつける」
食べ物を粗末にすることは、いいことではない。
卵は、「食べ物」であり、たった一つでほとんどの栄養素を摂取できる貴重な「食材」であり、ネットの記事によっては、「完全食品」だと絶賛している人さえいるようだ。
今でこそスーパーマーケットの定番安売セールの代名詞のようになっているが、かつて卵は、貴重な食材であり、単価も高価だった。そんな時代、卵をふんだんに買って、好きなだけ調理してたくさん食べることができたのは、よほどの金持ちか、さもなければ飲食店で卵をたくさん使う人たちと、その家族あたりまでだったろう。
この数十年来にわたり、鶏卵もまた他の食材同様、大量生産が可能となり、それを消費し切ることができる流通網もまた、著しく発達した。
駅まで運んで貨物列車の貨車に搭載し、それをあちこちで降ろし、そこからさらに卸売業者、そして小売業者へと運ばれていたのは、つい半世紀前までの日常の光景だった。野菜や家畜だけでなく、卵もまた、そのような流通網に乗っていた。
高度成長は、石油危機などをきっかけに止まり、低成長の時代、そしてバブルの後にはこれまでに経験したことのない慢性的な不況も経験した。
しかし、社会全体で見れば、目先の景気の動向にかかわらず、社会はじわじわとこれまでの「不便」や「不都合」を塗り替え、ボディーブローのようにじわじわと、私たちの生活を豊かにしてきた。
かつて陸上輸送の王者だった鉄道、とりわけ貨物輸送はコンテナと一部の特殊車両を除き、線路上から消えて久しい。
ほとんどの輸送はトラックに切りかえられ、かつて国鉄のコンテナに書かれていた「戸口から戸口へ」をほぼ完全に実現してしまった。荷物輸送に至っては、1986年の国鉄最後のダイヤ改正で、郵便車ともども消滅してしまった。
今なお一部の路線では、旅客列車に新聞を積んで輸送するところもあるようだが、かつてのようにわざわざ列車を組んでダイヤに乗せて走らせるほどの必然性ももはやない。新聞輸送の陰の主役は、夜行列車、それもブルートレインの電源車の一区画に設けられた荷物車だったが、そのブルートレインも、すでに廃止になって久しい。
その傾向は、今なお留まることを知らない。いくら「世知辛い世の中になった」と「古き良き」昭和を懐かしんでみても、「寂しい話だ」と郷愁的な言葉を使ってみても、そんなものが世の中の動きを変えることなどない。
そんなことを言う人間は、若い世代から「ロートル」と陰に陽に揶揄され、内心「とっとと失せろ(くたばれ?)」
となじられるがオチ。
そんな一部の旧世代の人たちの発する言葉の力を今まで以上に無力化しているのは、インターネットで日々飛び交い、パソコンやスマホ、タブレットに飛び込んでくる、様々な「情報」である。
その情報を得る(売る?)のに、金もさることながら、手間も時間もそうかかることはない。中には「ガセ」もあれば「デマ」もある。だが、そんなものは昔からあったわけで、何も昨日の今日に始まったことではない。
卵という食材を用いた料理に関する情報もまた、インターネットの普及とともに、これまで以上に大量に出回っている。卵を使った料理を提供する店の情報にしても、またしかり。
そればかりか、これまで以上にかつての健康法の(それに限った話ではないけど)「ウソ」はどんどん暴かれ、それを説いてきた者たちの権威は、地に落ちつつある。
「卵はコレステロール値を高めるから1日1個までに・・・」
その根拠となった実験は、100年以上前のあまりにもお粗末な実験のもとで出された結果から述べられたものだった。昭和の終り頃なら、仮にそれがわかっていたとしても、一部の学術論文か健康法の本に書かれたぐらいで、運よく(悪く?)マスコミに取り上げられでもしない限り、おおっぴらに広まることなどなかった。
しかし、平成の30年間で、世の中は劇的に変わった。
すでに昭和末期からその兆候は表れていたが、かつて高級食材だった卵は、大量生産を可能とし、これまで以上に出回るようになった。
量だけの問題ではない。質の面においても、生産者を特定して、こういう「こだわりの」卵です、という宣伝が大いになされ、それがその卵のブランドを高め、コアな消費者のもとへと届けられていく。
今日もまた、卵は世界のあちこちで作られ、運ばれ、売られ、調理されている。
そうして作られた「料理」を、今日もまた、たくさんの人たちが食べている。
つい先ほど、ネット上に、食費の節約を目指して、約半年にわたり卵かけご飯を1日3杯か4杯食べ続けた人物の書いた記事を見つけた。彼は「偏食」の傾向があって、同じものを何日にもわたって食べ続けることが苦にならない体質だとのこと。
彼はコレステロール値の急上昇で、ついに動脈硬化になったのだろうか?
そうでなくても、体調を崩してしまったのだろうか?
言うまでもなく、彼はウサギではない。あくまでも! 人間様である。
壮大な実験?
の結果、体調は良くなり、なんと、ある病気の症状が改善したそうだ。
だが、生卵よりもゆで卵のほうが白身の悪影響を抑えられると知って、今度は、ゆで卵を1日何個か食べるようにしたそうな。
その後どうなったかはわからないが・・・。
いずれにせよ、すき焼きを食べるときの生卵は、2個でも3個でも、体に悪いなんてことはまずないってことだけは(卵アレルギーの人は除きます)、確かだ。
私の人生、生卵がちょくちょく「衝突」してくる傾向にあるようだ。
昨日は朝にゆで卵を1個、夕方に目玉焼きで2個、卵を食べた。そう言えば朝には玉子焼きも少し食べたから、合わせて4個ほどを食べたことになる。今朝は、宿泊先の神戸サウナの朝食で、生卵2個を使って卵かけご飯にして、しじみの味噌汁をすすりながら、腹ごしらえをした。
そういうわけで、今、生卵が2個、私の胃袋と衝突している。
いや、激突しているといった方が実態に合っているかもしれない。
少し食べすぎたかな? 腹が重い。
しばらく休んで、ひと風呂浴びて、岡山の自宅に戻ることにしよう。
サウナの休憩室で休みつつ、ふと、思った。
なぜ、あの日のあの時間、あの選挙事務所に「卵カレー」が出現したのだろうか?
なぜ、卵カレーの日の記憶だけが、はっきりと残っていたのだろうか?
なぜ、私はそのどちらもの場所に、居合わせたのだろうか・・・?
高校生の大松繁君は、あの日、よつ葉園の食堂で、
「卵入れたら、カレーの味がせんなぁ」
なんて言っていたのかもしれない。
60歳を前にした会社員の大松繁さんが裁判所前の交差点で事故に遭った丁度その日のズバリその時間、常木三蔵選挙事務所でカレーを食べていた中藤明代さんのように・・・。
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