第4話 生卵とすきやき
どういうわけなのだか、2019年の統一地方選挙が始まる少し前あたりから、私は、生卵が絡む料理をあちこちで注文する機会が多くなった。
生卵を身体が熱烈に欲していると言えばいいのか、何なのかは、わからないけど。
私は週に何回かのペースで、岡山駅前の居酒屋「くしやわ(仮称)」に行く。
ここに行けば、90分1500円の飲み放題があり、それで生ビールがしこたま飲めるから、というのがその大きな理由だ。
ここは、「炭火串焼き」をウリにした居酒屋なのだが、もちろん、それ以外の料理もいろいろある。数あるメニューの中の小鉢ものとして、時々、その日のメニューで「牛すき煮」というのが出される日がある。これは一言で言って、すき焼きを小鉢にまとめて入れたもの。何と、かき混ぜた生卵につけて食べるという、本格的なもの。小鉢だから、それほど量が多いわけじゃないが、酒のつまみにはちょうどいい塩梅の量だ。その「牛すき煮」を、2回に分けて合計2人前、ビールを飲みながらつまみにする。生卵はというと、1回目はできるだけ使いきらないようにする。野菜や豆腐を食べ終わり、いよいよ牛肉だけが残った頃に、ようやく、黄身を割りばしでといで、肉につけて食べる。これならまだ、もう1人前ぐらい使えるほど卵が残っている状況。そして、2回目の小鉢と生卵が来たら、それまでつけていた生卵の小鉢に、新しく来た生卵を入れ、今度もこれまで同様、卵を食べきってしまわないように、うまく節約しながら、できるだけ白身につけるぐらいの気でちょこちょことつまみつつ、ビールを飲む。
そうこうしているうちに、ビールの大ジョッキが3杯目ぐらいになる。
さすがにそろそろ、締めに何かを、というところになって、何を頼むか?
私はここで、2通りの注文法を考え付いて、実践した。これで、帰りにラーメンを食べたりしなくても、翌日まで空腹にならずに済む。
ひとつは、ご飯の単品を頼み、それに残った生卵を入れ、さらに、牛すき煮のたれをいくらか混ぜ込み、牛すき煮風卵かけご飯にする方法。これで結構、満腹感が得られる。
もう一つは、300円ほど会計の総額が上がるが、「野菜雑炊」を頼むという「作戦」。他にも「鳥雑炊」があるけれども、こういうときこそ野菜を食べようというわけだ。この雑炊、生卵を入れて少し熱の入った状態で、鉄鍋の中に入って出てくる。この上にさらに、牛すき煮を食べて残った生卵をそのまま入れ込んで、かき混ぜる。2個目の生卵がまだ黄身を研いでいない状態であると、なお重畳。これをレンゲでかき混ぜ、濃厚卵の野菜雑炊が出来上がり、という塩梅だ。
というか、これ、「野菜雑炊」というよりむしろ、「野菜煮込み雑炊卵」とでもいうべき料理じゃないかとさえ思えてしまう。
かくして、前者なら2個、後者の「野菜煮込み雑炊卵」作戦で行けば、その日の夕食だけで、卵を3つ食べるという計算になる。しかも、ビールは大ジョッキ3杯だ。
まあ、ビールはともかく、これだけ卵を「大量摂取」していたら、それこそコレステロール値が急上昇じゃないか、などと言われそうだな。
でも、ネットで最近得た情報によれば、卵を食べてコレステロールが上がるということを立証した実験は、なんと、100年ほど前の帝政ロシアで行われた、ウサギを使った実験が根拠になっているとのこと。
その記事によれば、あくまでも草食性のウサギに卵を摂取させたのと同じ状況が、そもそも雑食性のヒトというか、人間様に通用するということ自体がおかしいだろう、なんてことが述べられていた。それと同時に、1日に卵を3つか4つか食べ続けて、114歳ぐらいまで生きた人の話まで、ご丁寧に紹介されていた。
フムフム。
「卵はコレステロール値が高いから、1日1個までにした方がいい」
などとまことしやかに語られていたのは、私が子どものころ。
だけどその根拠たるや、100年前の、それも、草食性でどう考えたってニワトリの卵なんか食べようもないウサギに摂取させて、それでコレステロール値が上がって動脈硬化を起こしたからという。
何だか、いい加減な話だなと思うことしきり。
こんなんだから、医師や栄養士の述べる食生活云々なんて、信用できねえんだよ!
と言いつつ、日々、居酒屋の飲み放題で大酒を飲んでいる私が言うのも難だが、卵をあまり食べるなという「迷信もどき」が、何故本邦で幅を利かせたのであろう?
よくよく考えてみれば、昔は、卵は非常に貴重な食材だったからじゃないか?
ひところのココアのように、健康にいいからと言われてみんなが一斉に飛びついては、供給が追い付かなくなってしまう。それこそ、石油危機時のトイレットペーパーの買付け騒ぎのような事態が卵を通じて起きてしまうわけで、まあ、あまりいい話でもない。大体、今と違って流通網も整備されていなかったし、鶏卵の大量生産なんてできていなかったし。
道理で、新幹線開業前後の東海道本線の電車急行列車に連結されていたビュフェ(立食。なお、この列車で冷房が入っていたのはこのビュフェだけ)の寿司カウンターでは、卵のにぎりは「あなご」などと同額(一貫あたり20円。以下同)だった。当時の「こはだ」、「とり貝」、「たこ」、「いか」(各15円)などよりも高額な設定。ちなみに当時マグロの「赤身」は「たい」「ひらめ」と同じく25円、「トロ」は「赤貝」「みる貝」と同じく30円、一番高価なネタはなんと、「えび」で60円だった(交通公社の時刻表・1964年10月号による)。
今では、マグロの赤身と比べれば卵のにぎりなんて半額以下で、最も安いにぎりの代名詞でさえある。
これはとりもなおさず、かつては卵がいかに高価な食材だったかを物語っているエピソードではないでしょうか? そうこう考えてみたら、確かに、
卵=高コレステロール=食べ過ぎは健康を害する、
という図式も、需要と供給を適正に抑えるという役割を負っていて、しかもそれが、卵の値打ちを上げ止まりさせるという効果もあったというわけだな。大体、急行列車のビュフェで酒飲みが卵のにぎりを何個食べようとそれは金さえ払えば問題ないことだけれど、高価な卵を子どもたちがやれそれと、毎日、「何個も何個も!」食べてくれたら、家計が持たない。そこをさももっともらしく「医学的」に表現して、全国の中流家庭の「家計崩壊」を防いでいたことにもなるだろう。
だけど、時代が下るにつれて、かつて高級品だったバナナがたたき売りの代名詞になっていったように、明治時代には首相経験者が別の首相経験者を見舞うべく差し入れされたほどの高級食材だった卵もまた、スーパーマーケットの安売りの代名詞、「目玉」焼きにしようとすまいと、タイムセールの「目玉」商品へとなったわけである。
そんな変化を象徴するような出来事が、確かに、ある場所で起こっていた。
その場所というのは、岡山市内にある養護施設「よつ葉園」。
1976年(昭和51年)の冬、12月初旬のこと。
よつ葉園では、12月X日を「創立記念日」としていて、この日かその前後の土曜か日曜の夜に、「創立」を祝ってすき焼きを食べる、という行事を行っていた。かなり以前からの行事のようだが、これはまだ、すき焼きとりわけ牛肉が高価な食材だったころに年に一度の御馳走を、ということで作られた行事だと思われる。
このすき焼きは、いつものように食堂で食べるのではなく、各部屋に持ち帰って、七輪に火をおこし、その上に鍋を乗せて、そこですき焼きを煮込んで食べるという次第。しかも、本格的なすき焼きで、生卵につけて食べる。当時小学1年生だった私は、その日のことは特に覚えていないけれども、小1程度であれば、そんな大量に食べることもできなかっただろうし、また、ああいう料理が口に合ったかと言われるとそうでもなかったような気さえする。もちろん今の私なら、大いに食べるけどね。生卵も、2つぐらいは食べるでしょう。
ただ、いくらなんでも、4つも5つも食べようとは思わないけど。
私のことはまあいいとして、この年高校1年生だった大松繁君は、中高生男子が何人かいる自分たちの部屋で、すき焼きを食べていた。
彼のいる部屋の担当職員は、大学を卒業されたばかりの高尾直澄氏。
関西方面出身の方だが、養護施設でぜひ働きたいということで、近隣の府県の養護施設に電話をかけまくって(当時はまだ電電公社の時代。電話代も高かった。特に遠距離の場合は)、大卒の求人がないかどうか問い合わせていたら、何と岡山のよつ葉園が募集をしていることを知り、応募したら採用されたというわけである。
事件は、このすき焼きを食べているときに起こった。
この部屋にいるのは、中高生の男子ばかりで、みんな「食べ盛り」の少年たち。
かくいう高尾さんご自身も、このとき23歳。
その気になれば、彼ら以上に食べることも十分できる年齢。野菜だの肉だの、炊けば炊くほどみんな食べる。
このすき焼き、言うまでもなく、生卵につけて食べる。彼らほど食べる人たちなら、普通に生卵をタレにしているだけで、どんどん「消費」していってしまう。
卵もいくつか余っていたようなので、大松君は構わず、もう1個入れてさらにすき焼きを食べようとした。
ちなみに彼は当時よつ葉園の「ボス格」のような「児童」で、年下の男の子たちのリーダーのような立ち位置にいた少年であり、職員に対しても、物おじなどすることなく堂々と意見を、時には厳しく文句を言うほどの少年だった。
そんな彼に、卵を余分にとるな! などと言ったりする子など、いるはずもなかった。
ここでついに、「事件」が、起こった。
大学を出て1年目、「学卒」で新卒の児童指導員の高尾さんが、高1の大松君に向かって、
「(卵は)1個にしとけ」
と言った。特に叱りつけるような感じではなかったそうである。
これに対して大松君は、高尾指導員に、こう、言い返した。
「大卒やから言うて、威張るんやないで」
事実関係は、そこまでである。
高尾さんも大松さんも、この「事件」のことはよく覚えていて、特に高尾さんは、よつ葉園の50周年の冊子にもこの時のことを記しておられる。
さて、高尾さんはなぜ、そんなことをおっしゃったのか?
高尾さんは1950年代半ば生まれの団塊の世代より少し下の世代の生れ。
子どもの頃は日本経済がまだ成長しきっていなかった。戦後の混乱期は脱していたとはいえ、卵はまだ、高価な食材だった。すき焼きを食べるときは、卵は1個をうまく使って食べるように、子どもの頃から教わっていたという。
それこそ、私の先ほどの例で行けば、「牛すき煮」を食べているときのような感じで食べられていたのではなかろうか。確かに、黄身を早くから使わず、野菜や豆腐などは白身に軽くつけて少し冷ます程度の付け方を繰り返していれば、意外と「長持ち」するものだ。
一方の大松さんの弁によれば、ご自身には「たれ食い」の傾向があって、たれをつけて食べる料理の場合、どうしても「たれ」を消費してしまいがちで、すき焼きの場合も、生卵をどうしても早く「消費」してしまいがちなのだとおっしゃっていた。
「高尾さんにお会いするんだったら伝えてくれ、卵は、「2個」が普通だ、ってな」
と、それから約20年後、大松さんが私におっしゃったことがあった。
私にも実は、大松さんのおっしゃる「たれ食い」の傾向がある。
天つゆでてんぷらを食べるときとか、タルタルソースでカキフライを食べるときなどは、どうしても、そうなってしまいがちなので、よくわかる。
でもおまえ、牛すき煮とやらを食べているときの食べ方は何だ、とおっしゃる向きもあろうから申し上げると、あれはあくまでも、
先を見据えて? 「戦略的」に!
そうしているだけのこと。大体、天つゆを天ぷら以外の料理に応用して食べることなんかまずないし、タルタルソースをカキフライにかけて食べるときだって、基本的にはそうだから、私の食べ方の傾向はやはり、大松さんと同じ傾向があるといってもいいのではなかろうか。「牛すき煮」の食べ方は、あくまでも「例外」だ。
話を戻すと、その「すき焼き事件」、その日はお互い、バツが悪かったそうです。高尾さんは、その後のすき焼き、随分「まずくなった」と、件の冊子に書かれている。
その後高尾さんは、よつ葉園に4年勤めた後、滋賀県内の養護施設である須賀学園に児童指導員として就職され、後に園長も務められた。
大松さんは工業高校卒業後、大手の住宅会社に勤務し、建築現場の監督を長年されていた。
しかし、このお二人とも、結婚についてはよつ葉園が出会いの場であった。高尾さんは保母として勤務されていた方と、大松さんは、中学の同級生でもあって後に栄養士としてよつ葉園に勤務された方と、それぞれ結婚され、子どもさんにも恵まれている。
卵は確かに、食べ物である。
「食べ物の恨みは恐ろしい」ともいう。高尾さんは先ほどの「事件」について、例の冊子でこの言葉を引用されている。それでも、高尾さんと大松君のやり取りは、いろいろな形で社会においても「還元」できるエピソードではある。
「食べ物を粗末にしない」ことや、「好きなものを好きなだけ食べられて、食べ物に困らない社会」がどれだけ尊いものかを子どもたちに伝えるには、格好の教材だろう。
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