第3話 カレーライスと生卵、もしくは「生玉子」
卵(もしくは「玉子」)カレー・・・。
ここでは、生卵をカレーライスにのせるものということで、話を進めさせていただこう。オムレツ風の卵が乗ったカレーや、温泉卵などをのせたものも、この際あえて、除外させていただくこととする。
私が物心ついて最初に出会った「卵カレー」は、よつ葉園の「食堂」だった。
この養護施設では、毎週末の土曜か日曜の夜か昼にカレーが出されていた。
時には、カツカレー。これはたびたびあった。
稀にだけど、エビフライカレーというのもあった。
だけど、卵カレーと称して出されたのは、私の記憶する限り、あの日だけだ。
確か、小学校の2年生か3年生ぐらいのこと。
正確には、1977年か1978年のどちらかだ。
それがいつ頃の季節だったかさえも、記憶がすでにない。週末だったかな、とは思うが、それもいささか、自信がない。
よつ葉園の献立で、カレーが出されるのはその頃はたいてい土曜の夕食だった記憶が強いが、そのときはなぜか、昼だったと思う。
まだホワイトボードが普及していない時代だ。
食堂には黒板があって、その日の献立が、朝昼晩と毎日、白いチョークで書かれていた。その日の昼の献立には、確かに「卵カレー」と、はっきり書かれていた。
黒板に書かれていた文字も、おぼろげながら、今も覚えている。
確かに、「卵カレー」だった。
「玉子カレー」じゃ、なかった。
この献立の「卵カレー」というのは、どうやら、カレーに生卵を入れて食べるものということらしい。ならば、ということで、そうしてみた。カレーのルーのほうに、生卵を割ってそのまま落とし込んだ。卵とカレーのルーをかき混ぜ、さらにライスと混ぜて、食べてみた。卵は確かに、カレーの味をマイルドにする。黄身はマイルドさとともに一種の「コク」ももたらすが、白身は特段コクをもたらすことはなく、ひたすらカレーをマイルドにしてくれる。辛いカレーが苦手な人は、こういう食べ方、いいかもね。
だが、どうも、カレーを食べている感じがしなくなって、今一つだな・・・というのが、当時小学校低学年だった私の、正直な感想。
いくらなんでも小学生だから、そうそう辛いカレーを食べ慣れていたわけではないはずなのだが、それでも、生卵をそのまま入れてしまったら、辛みのないカレーになるな、という印象を持った。外国に出向いて、カルチャーショックを受けたときのような衝撃を、今もなぜか覚えている。大げさな言い方かもしれないが、実際、そうとしか言いようのない、何だか、やり場のないショックを受けたような、そんな感触だった。
悪く言えば、カレーが台無しになってしまうような・・・。
今でこそ、岡山駅前のデパートの地下のカレー屋のカウンターで、最初に「辛口」と注文しているにもかかわらず、中辛を入れられそうになった時、思わず、
「中辛なんか食えるかっ!」
などと言いつつ、辛口を改めて頼んで食べているほどの私だから、まあ、その頃から、辛い物好きになる素地はあったのだろう。
養護施設には、運営の基本となる規模において、「大舎制」「中舎制」「小舎制」の3つのパターンがある。当時のよつ葉園は、「大舎制」という方式で運営されていた。これは、ひとつの大きな建物の中に部屋を区分けして、そこで子どもたちを男女・年齢などを考慮して割振りし、そこで生活させるという方式。担当職員は、部屋ごとにつく。たいていは短期大学を出て間もない女性保母が担当していたが、高校生程度の高年齢の男子児童(年齢を問わず、養護施設で生活する子どもたちのことは法令上「児童」と呼ばれる。ただし、ここではその表現は用いない)などは、男性の児童指導員が担当することも多い。これとは逆に、規模をいくらか小さめに分けて生活させるやり方を、それぞれ「中舎制」や「小舎制」と呼ぶ。特に大舎制の場合は、食事を「食堂」で一斉に食べさせる方式をとるというパターンも多い。中舎制や小舎制になってくると、食堂で一斉にというやり方ではなくそれぞれの「寮」や部屋で食べさせるところも多くなる。
当時のよつ葉園は大舎制の典型的な形で運営されていて、子どもたちの食事は、たいていの場合、L字型に建てられた南寄りの1階にある食堂で、小学生以上の子どもたちは、朝と夜は基本的にほぼ一斉に食事をとっていた。小学生未満の未就学児については、さすがにそういう場所で食べさせるわけにもいかないので、そちらについては、その子たちがいつも暮らす部屋で食事をとらせていた。
さて、卵カレーの日の話に戻ろう。
場所は、よつ葉園の食堂内。
その日、私が座っていたテーブルよりも入口寄りのテーブルには、壁を背にして何人 かの高校生や中学生の男子が座っていた。特に誰がどこと決まっていたのかどうかは、かなり昔の話なので、もう記憶にはない。小学生のそれも低学年と高校生ともなれば、朝や夕方はまだしも、昼食が一緒になる日というのは、ほとんどない。その日は確か日曜か祭日か、ひょっとすると土曜日だったか、あるいは、春休みか夏休みの時期だったかもしれない。
だが、そんな記憶があるぐらいだから、そうそうあるパターンじゃなかったのではないかな、とは思うが、何しろ40年以上も前のことだからね。
ただ、今述べた通り、何人かの年長の男の子が座っていたことは間違いない。
そしてその中に確かに、当時高校2年生か3年生の大松さん、もとい、大松君が座っていた。だけど、他に誰がいたかとか、何君がいたかとか、そういうことは、もう記憶にない。だけど確かに、大松君がいたことは、確かだ。
彼は誰かに、何かを話していた。
ひょっとすると、卵カレーの味の話だったかもしれない。
私にはその日の食堂内の光景がなぜか、ずっと、脳裏に焼き付いていた。
ちなみにその後、よつ葉園で「卵カレー」というメニューが正面切って出されたことはない。
それこそ、当時大人気だったアイドルグループ「キャンディーズ」が解散した前後だった。彼女たちはその「解散の日」以降、揃っての「出演」は一切していないのだが、我ながら、キャンディーズのその後と何だかダブるような表現ではある。
私の記憶に加え、私が小6で「退所」後も大学合格時までいた同級生のZ君や、児童指導員としてその後就職されて30年近く勤められた尾沢氏に聞いても、そんなメニューは記憶にないし、一時期担当していたグループホームでさえも、
「カレーを作ったついでに卵を入れて食べる」
ことをした覚えはない、とさえおっしゃった。
カレーに生卵を入れるなんて発想、今どきの人は、それほどないんじゃないかな?
と思ったけど、どうも、そうでもないようだ。ネット情報では・・・(苦笑)。
よつ葉園でこそ「卵カレー」に出会うことはその後なかったわけだが、大学生になった頃、時々行っていた喫茶店でカレーを頼めば、間違いなく「生卵」をつけてくるところがあった。
別に「玉子カレー」とも、「卵カレー」とも、メニューには書かれていなかった。
その店のカレーは、それほど辛いわけでもなかった。
「卵はいいから550円のところを50円負けてくれませんか」
と言ったけど、マスターいわく、勘弁してや、とのこと。
かくなるうえは、いたしかたなかろう・・・
「元を取ろう」なんてさもしい考えで、というわけじゃないけど、しょうがないから、できるだけカレーの味を損なわないように生卵も食べるにはどうしたらいいか、一計を案じてみた。
生卵をすするという手もあろうが、それはちょっと、今一つだ。
ルーに入れてはカレーの味を損ねる。
それなら、ライスのほうに入れればいいのではないか?
そこで私は、ライスのほうにまずは卵を入れて、その上にソースをまぶし、卵かけご飯とカレーライスという感じで食べるようにしてみた。
カレーの味もそれなりに楽しめて、これはいけそうだな、という感触を得られた。これなら、卵かけご飯とカレーライスとを一度に楽しめ、3つぐらいの味が楽しめる。
ソースで卵かけご飯も、意外と洋風で、乙なものだ。
最近あるSNSで、戦前の大阪の阪急デパートのレストランで、ライスだけ頼んでソースをかけて食べていた若い学生やサラリーマンがいたという話をある作家が紹介されていたが、なるほど、それもありだな、と思った次第。
もちろん、そんなことを積極的にしたいと思っていたわけじゃない。
ただし、卵をライス(ごはん)にかけてかき混ぜて食べる、いわゆる「卵かけご飯」なら、子どもの頃、よつ葉園では毎週金曜日の朝に出されていたこともあって、食べ慣れていた。今でも牛丼チェーン店の朝食などで食べることはままある。
最近岡山市内にできた香川県発祥の朝から営業しているラーメン店(「讃岐ラーメン」というだけあって、うどんの出汁と割によく似た味で、煮干しラーメンがウリ。 これは病みつきになる。
昼からの中華そばは、鶏がらの出汁もいくらか入れるようになって、これまた、うまい)の卵かけご飯は、なかなかの絶品だ。この十数年来、卵かけご飯が全国的に人気になって知名度も上がっているけど、私自身は先ほど述べた通り子どもの頃から食べ慣れているから、特段すごい食べ方だとは思わない。
けれども、何だか、卵をご飯にかけて食べるのは、今でも、ぜいたくな気持ちに(もちろん、いい意味ではあるが)なるのは、なぜなのだろうか?
20代前半の頃、一度だけ、「戦略的に」「卵カレー」を食べたことがあった。
とあるカレーチェーン店の、1300グラムカレーを20分以内に食べたら無料というのにチャレンジしたときのこと。1300グラムともなれば、もはや普通のカレーの4杯分以上のシロモノだ。この企画、1300グラム以上ならいくらの量でもよく、トッピングもし放題。ただし、20分以内に食べきれなければ通常通りの代金発生、というわけ。
さすがに揚げ物などのトッピングは、食べきるのが厳しくなるだけだからパス。
だが、カレーだ。いささか熱い状態で提供される。それでは時間がかかってしまう。そこで、カレーのトッピングとして、生卵を1個だけ入れることにした。これで、冷めた部分を早い段階で作り出し、そこから食べていけばいいとの考えだ。
この「戦略」、見事にはまった。結果的には、13分で完食できた。
途中でトイレに行ったりひとたび食べたものを吐いたりしたら失格だが、記念写真を撮られ、店を出るまでは何とか持ちこたえた。その後、そのカレー店から少し離れた裏通りの公園近くで、少しばかり吐いたけどね。
この日は1食分の食費が浮かせられたことが、何よりうれしかった。
ところで、カレーに生卵を入れることのどこが「戦略」なのだろうか。
今思えば、あれは「生活費を節約する」ために、リスクはあるものの「1300グラムカレーに挑戦する」という戦略を選択し、その戦術として、20分以内に食べきるべく、いち早く口に入れられるようにするために「カレーに生卵を入れた」=そうすることで少しでも早く冷まして食べられるように、というのが、正確なところかも知れないね。
それからは、生卵をカレーに入れるなんて、25年以上考えも思いもしなかった。
そんな食べ方も、あの日のよつ葉園の光景も、時々思い出すことはあったが、さして気にも留めなかったし、人に話したってそもそも仕方ないし・・・。
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