第2話 2019年4月2日火曜日 21時過ぎに起きていたこと

 2019年4月10日の朝。


 私はSNSをいくつか使っているが、そのうちのあるSNSを久しぶりに開けると、タイムラインにメッセージが入っていた。私はスマホを持っておらず、そのSNSを使うことはほとんどないのだが、それでも時々、こうしてチェックする。

 そのSNSに、一瞬誰かと思うハンドルネームの方から、メッセージが入っていた。

 日付を見てみると、選挙の投開票日だった7日の夕方。

 発信者は、よつ葉園の元保母の坂上さんという方。

 メッセージの内容を見て分かった。


 私が幼少期を過ごした養護施設(現在の法令では「児童養護施設」)・よつ葉園の卒園生の大松繁さんが亡くなられたという。


 私はこの日も常木事務所での残務整理があるため、昼前に自宅を出て自転車に乗って移動し、常木市議の事務所の近くにあるコンビニまで行き、トイレ休憩を兼ねてコーヒーを飲んだ。春の陽気は心地よく、コーヒーもうまい。特にこのコンビニのドリップコーヒーは。しかし、手放しで心地よさを楽しめる「御身分」なんかではない。

 ますは、コンビニのイートインコーナーから、携帯電話でよつ葉園に問い合わせてみた。電話の応対をした女性職員は、おそらく、事務職員か、たまたま電話前に居合わせた保育士(かつての「保母」に相当)で、十中八九、大松さんや私よりもはるかに若い人だろう。

 彼女もまた、卒園生である大松さんが亡くなられたことを知っていた。彼女いわく、ちょうど1週間ほど前に、「事故」で亡くなられたとのこと。

 それ以上詳しいことを聞く気になれず、電話を切った。


 事故とは、何だろうか?


 通常考えられるのは交通事故だが、あの人は確か、建築現場で監督もされているから、ひょっと、労働災害で、という可能性も考えられないわけじゃない。

 だけど、それがどういう状況下で起こった出来事なのか、事実を確認しない限りは、いくら自分の頭で「分析」してみたところで、何かがわかるわけでもないだろう。気になって仕方ないので、その日は常木事務所のパソコンを借りて、仕事を始める前に、インターネットで検索をかけてみた。地元紙の三備新聞の電子版に、果たしてその事故を報道している記事が見つかった。


 その「事故」は、裁判所の手前の交差点で起きていた。

 2019(平成31)年4月2日の21時過ぎ、会社員大松繁さんの運転するバイクと、私と同じ町内に住む40代の女性が運転する自家用車が衝突。直進するバイクに、右折する自家用車が衝突し、バイクを運転していた大松さんがはねられ、死亡。運転していた40代の女性と同乗していた中学生と小学生の息子2人も、軽いけがをした。


 2019年4月2日。

 確かにこの日、あの場所を、私は通っていた。

 朝と、夜の、2回にわたって・・・

 21時30分過ぎ、私は自転車で南西区の常木事務所を出た。途中にあるスーパー銭湯に入り、体を洗った。その後は特に街中の居酒屋などに寄り道することなく、まっすぐ自宅に向かっていた。

 その地を通ったのは、22時30分少し前だった。

 岡山地方裁判所前の交差点。

 大事故でも起こったのか、交差点から西に向かう道路が完全に封鎖されていて、ガラスの破片などもまだ残っていた。

 事故自体は、時折見かけないではない。

 だがこの事故、かなり大きめのものだったように思われた。車両停止自体も、時折見る程度の規模じゃない。上下3車線すべてを止めている。

 事故に遭った車両は、すでに見当たらない。

 おそらくは管轄の警察署へとレッカー移動されたのであろう。

 信号は、物理的には正常に機能している。

 とはいえ、信号の通りに動こうにも、乗用車の人たちは、事故による通行規制をされているため、動きようがない。

 車列は、東側の橋の前まで続いている。とりあえず、信号が赤である以上、いくら乗用車を通行止めにしているからといっても、正面切って進むわけにもいくまい。

 普通通り信号待ちをしていたら、見かねた若い警察官が、(信号は赤だが)どうぞ、渡ってください、と声をかけてきた。

 「ご苦労様です」

 警察官に声をかけ、交差点を渡り、自宅へ戻った。

 食事はすでにいただいていたし、酒の買置きも自宅にあったから、特に買い物をすることもなく、それから数分後には、自宅の自転車置場に到着した。

 この日は、買置きのエビスビールのロング缶を1本あおって、そのまま、寝た。

なんせ選挙期間中だ。自分の仕事をしながらも、合間を見て、常木三蔵選挙事務所に行ってはなにがしかの仕事をしていた。その事故の光景は、頭からすっかり離れていた。

 この選挙が終わるまでは・・・。

 

 時計の針を、改めて、戻させていただこう。

 2019年4月2日。

 

 私はこの日、常木三蔵市議候補の選挙を手伝っていた。朝は候補者カーに乗っての「手振り」と、この度の選挙から配布できるようになった候補者ビラをまいた。昼からは、事務所で作業。常木氏は今回のビラに、切取ることではがきにできるスペースを作っていて、そこに市政に対するいろいろな要望などを書き込めるようにしていたのだが、この際、双方向に意見を言い合えるようにということで、急遽、その欄の下半分にシールを貼ることになった。

 それは、市政や国政にかかわる問題を3点あげ、それについて賛否を示してもらえるようにしたものだった。選挙を通してそれほど多く返ってきたわけではないが、複数回にわたって返信をくださった方もいて、受取った人たちの反応は割に良かった。

 この日はそのアンケートに関わる作業はしなかったが、後日、急遽まとめて常木候補に集約したデータをお見せしたら、早速スポット演説に使われた。しかも、選挙直後に支持者の皆さんにお配りしたリポートには、4ページ中見開き2ページにわたって、私がまとめたアンケートの結果が紹介された。

 そのもととなったビラの「はがき」には、切手を貼ってもらうことにしていた。

もしこれを受取人払などにすると、公職選挙法上の「有権者への寄付行為」に抵触してしまいかねないからだ。

 選挙というのは、どうしても出し抜いて何かしてやろうなんてことを、普段はそんなことをしないような人でさえ、ついやってしまいがちなものだから、どうしても、こういう規制が多くなる。

 選挙事務所に来ればうまい飯を食わしてもらえてしかも酒もふるまってくれるなんて話も昔はあったようだが、当時だって一応は違法だったろうし(でもいちいち通報したりもしないし、選管も警察もいちいち文句を言わなかっただけ。それでも、あの事務所では「うな重」が出ただの「寿司の特上」が出ただの、ソレニヒキカエあそこは何だ、シケタ食い物しか出さねえ・・・なんて話が有権者の間でまことしやかにされていた時代もあったわけだ)、法令遵守が厳しく言われる今どき、選挙期間中に事務所に来てくれた(たかりに来た?)有権者に、例えば「うな重」をホイホイと振舞おうものなら(実際ある選挙を描いた映画で、そんなシーンがあった)、ましてビールや日本酒でも出そうものなら、たちまち「選挙違反!」ということで、運動員やら事務員やら、下手すれば候補者までが御用だ。今は鰻の値段が高騰してうな重も昔に比べて相対的に高価になってはいるのだが、そういう問題ではない。

 申し添えておくが、選挙期間中運動員に対して提供できる食事についても、人数及び金額の制限がきちんと設けられており、これに違反すると、ほぼ間違いなく「公職選挙法違反」に問われる。

 特に金がらみ・飲食がらみの選挙違反は、取締が厳しいですからね。


 さてこの日は19時から1時間の予定で、地元の公民館で個人演説会が実施された。

 私は何人かの年配の後援会関係者の方と一緒に、夕方17時を少し回った頃から個人演説会の会場に先乗りして、看板の取付けなどの準備をし、候補者の到着を待ちつつ、参加者の受付などに従事した。演説会は、地元ということもあって盛況だった。

この手の演説会の常として、20時までの予定を30分オーバーした(その程度で済んだ、ともいえる)。屋外でのマイク使用は公職選挙法上20時までだが、演説会場での演説はそれ以降に開かれていても構わないから、そこは問題ない。要は、屋外でマイクを使ってやらなければいいだけのこと。

 そこに目をつけて、最近では「夜ペコ」と言って、選挙戦最終日の23時59分まで人通りの多い駅前などでマイクを使わずに挨拶しまくる候補者もいる。まあご苦労なことだとは思うが、あいにく常木市議の選挙区にはそういう場所はなく、南西区自体に通りの多い駅はないので、それはしなかった。しかも常木氏はもう70代の高齢で無理できないから、夜ペコしましょうなんて提案、さすがに、できないよ。

 さて、個人演説会も無事終わり、事務所に帰りついたのが、21時少し前。

 といっても、会場の公民館から事務所まで、自転車で数分の距離なのだが。

 かくして、この日の選挙活動は、終了した。

 事務所に帰り着くと、いつものように、候補者及び一部運動員のために炊き出しが用意されていた。以前はものすごい活気があったのだが、今回は自宅で食べる人も多いため、候補者とそのご家族、あとは私のような独身者と何人かぐらいが食べるだけ。

 それでも、この炊き出し、本当に選挙の楽しみの一つ、なんだよね。


 かくして、常木さんたちと一緒に炊き出しを食べ始めたのが、ちょうど21時前後。この日の炊き出しは、カレーと、近所にお住まいでいつもお手伝いに来てくださる森本さんという年配の女性が作ってくださったパスタサラダだった。

 カレーは、甘すぎず、かといって辛すぎることもなく、中辛の少し手前で、コクもうま味もしっかりあった。

 ふと事務所の大机の上に目をやると、事務所のテーブルの上に卵が1パック置かれていた。卵のことはよくわからないが、どうも、かなり品質のいい卵らしい。

 常木夫人が、折角卵があるのだから、卵カレーにしてみたらどうかとおっしゃる。

 私はカレーならどちらかというと辛いほうが好きなので、その辛さが飛んでしまう「卵カレー」はちょっと・・・ということで、卵を入れたりはしなかった。

 隣にいた中藤明代さんという70歳前後の女性(この人も選挙になるとよく出てこられる方で、ご自宅で保険の仕事をしておられる)が、折角ならやってみようということで、卵を割ってかき混ぜ、常木夫人とともにカレーに入れて食べてみたところ、

 「これ、カレーという感じがしなくなったね」

 との仰せ。

 やっぱり、ね。

 なぜか、卵カレーにすべく卵を味噌汁茶碗に落としてかき混ぜていた中藤さんの姿と、一口食べた後の言葉が、妙に印象に残った。あの時の事務所の雰囲気、いつもと少し違って、何か、微妙な空気が流れていたように思えているのは、私だけかも知れないけどね。

 結局、カレーをしっかり2杯いただき、腹八分とは言うものの満足感十分でした。

 それから3日後の夜。

 卵カレーになれなかった? 生卵たちは、その日の炊き出しとして出された親子丼の材料となった。実に濃厚な味わいの卵(=親子丼)でした。


 私は、卵アレルギーがあるわけでもないし、卵料理は大好きだ。

 大学の近くのカレー店にある「ふわとろ卵カレー」という、柔らかいオムレツを崩した感じのスクランブルエッグがカレーのルーとライスの間にトッピングされたものは、たまにだけど、食べる。そのスクランブルエッグの下にさらにチキンカツなどを添えることもないわけじゃない。

 だが、カレーに生卵を添えて、ましてやルーのほうに入れて食べるのは、ちょっと・・・。

 そのわけはすでにお示ししたが、まったく食べたことがないわけではない。

 それどころか、実はこの数か月来、とある牛丼チェーン店のカレーを食べるときは、大盛にすると同時に生卵を頼んで、カレーのルーにではなく、ご飯のほうに入れて、そこに醤油を軽くまぶして、卵かけご飯のようにして食べつつ、その周囲をカレーライスとして食べ、そのうちにどちらも混ぜて食べるようなことをしはじめた。

 おい、塩分の取りすぎだぞ、と思われるかもしれないが、まあ、時々サウナに行って汗を流しておりますので、それで、塩分をしっかり外に出しております、ってことでは・・・だめかな?

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