将来なんて 2
体育の時間は、ずっと校庭の影からみんながサッカーをしているのを見ていた。
先人を切ってドリブルする者、やる気を全く見せずにダラダラと歩く者、何となくちゃんとやっているように見せかけて絶対にパスがこない位置をキープしている者など三者三様だ。ボールに群がった集団から西村が飛び出し、そのままドリブルで何人も交わしてシュート決めた。湧き上がる歓声が小さい音となって聞こえてくる。あいつ、バスケ部なのに何でサッカーもあんなに上手いのだろうか。
西村とか本橋に比べて、僕はそんなに明るくないし運動神経も平均よりちょっと良いくらいで、あんなに活躍したことは一度もない。かっこよくもないし。今までは自分の見た目なんて気にしたことなかったけど、最近ちょっと心配になってきた。低い鼻とか、小さい目とか、どのパーツをとってもかっこよくなくて、悪目立ちはしないけど、目立つこともない。
それに、みんなは先生たちをよく呼び捨てにするけど、僕はなんだか先生をつけちゃうんだよなぁ。どうしても『僕』っていうのがしっくりくるし。それなのに成績は平均くらいで、趣味も誇れる特技もちょっと手先が器用でゲームが上手いぐらいで何もないし、本当、なんだかなぁ。
授業の五十分間、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
果てし無く長い授業はやっと終わった。部活のランニングも終わり、家に帰ると玄関に大きな革靴が綺麗に揃えられているのを見つけた。父さんが帰ってきたのだ。
「康太、おかえり」
父さんはシャツのまま椅子に座っている。片手には焼き物の杯を持っている。焼酎でも飲んでいるようだ。
「ただいま。どこに出張していたの?」
「今治だ。ほら、お土産のタオルあるぞ」
「タオル?」
「今治タオルって言ってな、タオルが有名なんだよ」
「へぇ」
紙袋の中には真っ白のフェイスタオルと同じく真っ白のタオルハンカチが入っていた。全く汚れていない完璧な白。
「こんなの、勿体無くて使えないよ」
「はは、確かにそうか。柄の付いたやつが良かったかな」
僕がタオルの上品な白色を見ていると、玄関が開く音がした。
「あれ、パパも康太も帰っているの、おかえりなさい」
僕と父さんは「今帰ったところ」と口を合わせて言う。
「どっちか、お風呂入ってきたら」
僕と父さんは「後でいい」と言った。結局、僕が後に入ることになった。
夕飯はすき焼きだった。カセットコンロに乗った鍋を三人で囲む。
「すき焼きって珍しいね」
「パパがリクエストしたのよ」
「へぇ」
「疲れた時はすき焼きが一番だからな」
父さんは僕よりも勢いよく鍋をつついている。
「康太、そういえば進路希望調査の紙って提出した?」
「あ」
昨日だっけ、一昨日だっけ、そういえば配られていた。適当に記入した後ファイルに入れっぱなしにしている。
「まだ提出してない」
「そう。志望校決めたの?」
「いや」
「そういや、康太って成績どうなんだ?」
父さんは熱心に鍋をつつきながら話に割り込む。父さんは僕のことをあまりちゃんと把握していない。
「あんまり良くない」
「ほう、そうか。まぁ、まだ時間はあるしな」
親というのは、多くの子供がこういう言葉を一番嫌うということを知らない。僕は別に嫌な気分にはならないけど。いや、少しなっているかもしれない。
「まぁ、そうだね」
「やりたいことは決まってるのか?」
「いや」
「そうか」
父さんはもぐもぐとすき焼きを食べる。母さんは「今日のお肉は良いのだから美味しいでしょ」と言う。話題を変えようとしてくれているのだろう。でも、その必要はない。
「父さんはやりたいことをいつ見つけたの?」
父さんはゼネコンの会社で働いているらしい。ゼネコンが何の略か分からないし、何をしているのかも分からない。
「まだ見つけてないぞ」
「え? 仕事は?」
「受かったところから良さそうなところを選んだ。まぁ、仕事も楽しいが」
「へぇ」
「あれだな、父さんはやりたいことってのがないんだよな。でも、何とか職に就けているし、良い友人も家族もいて毎日幸せだぞ。強いて言うなら、今この瞬間がやりたい事だ」
「ちょっと、もうちょっとなんか言えることないの?」
母さんはそう言う。母さんは適当だが、それ以上に父さんはもっと適当で、僕はなんだか不安になってしまう。でも、そんな父さんのいる会社は実は結構大きいところで、その中で父さんは割と良い役職であるらしい。全くそんな感じしないんだけどなぁ。
「そうだな、無いな」
そんな父さんを母さんはほっぽいて置いて言う。
「康太はやっぱり不安なの?」
不安だ。正体不明の不安が漠然とある。何が不安なのかもわからなくて、それが不安に拍車をかけている。でも、今はその不安があまり気にならない。不安は不安のまま膨れるけど、確かに色を変えている。
「まぁ、不安だよ。でも、取り敢えず今すべきことをしようと思う」
僕がこう言うと、父さんは顔を上げてこっちを見て「ほう」と言った。
「じゃあ、勉強して良いところに行くといいな。良い環境で良い人と過ごすと、知見が広くなる」
「勉強しないとなぁ」
「康太は大丈夫だろ。父さんと母さんの息子なんだし」
「それは自信持っていいの?」
僕がそう言うと、父さんと母さんは笑った。
「おっと、トイレトイレ」
父さんは立ち上がり、トイレへと向かう。わざわざ宣言しなくていいのに。
トイレのドアが閉まる音がした。母さんはそれを確認するように扉に目をやり、そして僕の方を見て小声で呟く。
「康太、パパにも聞いてみたら、あんなだけど」
「え?」
「ほら、手のつけられそうにない問題がある時どうするかって話」
「あぁ」
どうやら母さんは僕が深刻な悩み事をしていると思い込んでいるらしい。聞かなくても良いが、折角なので父さんにも聞いてみることにした。
トイレから戻ってきた父さんは「よいしょ」と言って椅子に座った。
「父さん」
「どうした?」
「父さんは手のつけられない問題があった時、まずどうする?」
「手のつけられない問題?」
「うん」
父さんは「ふむ」というジジくさい相槌を打ち、数秒考えてから答えた。
「他の人の力を借りるかな」
「あぁ、私と一緒」
母さんが同調する。
「そうか」
「私も、他人に相談するって答えたわ」
「だそうだ、康太」
「あ、うん」
やっぱり、そうだよなぁ。
「いつでも父さんと母さんに頼るんだぞ」
「うん。あ、深刻な悩み事なんてないから」
「そうか」
「ごちそうさま」
皿を片付けて、僕は部屋に戻った。椅子に腰掛け、明日の部活の準備をする。
僕はさっき『今すべきこと』と言った。今すべきこと、これは勉強だ。何故か今の僕は勉強へのモチベーションが若干高い。ただ、倉木の渡してきた質問がやる気を得た僕の足枷になっている。そのせいか、この質問をやっつけるモチベーションも多少上がっている。
準備が終わり、塾の宿題を一通りやり終えた僕はベッドに転がり、ゴロゴロと転がった。倉木の質問について考える。
倉木の質問について考えながら、ゴロゴロとベッドを何度も往復する。しかし、いくらやる気が出てきたと言っても、考えたところで進捗は生まれない。その代わり、一つの疑念が僕に浮かび上がってきた。
それは、ロクな答えなんて鼻から無いのではないのかということだ。
小島は設問者の意図を読み取れとか言っているけど、倉木のことだから答えなんて適当で、深い意味もなくUSBを渡してきた可能性は十分ある。答えを倉木に聞いたらあっさり教えてくれて、その理由を聞いても「だって、面白いでしょ?」なんて言うのだ。ちょうど海の生き物図鑑を押し付けてきた時みたいに。
早い話、僕はお手上げなのだ。倉木の意図も問題の答えも全く分からないから、意図なんて無いという設問自体を否定する思考に至ってしまったのだ。ただただ、この問題を早く片付けてしまいたいという思いが強くなってきたのだ。
しかし、答えの有無を確認する手段がない。倉木に直接このUSBに込められた意味について聞いても良いのだけど、なんだかそれだけはしたくない。悔しいからというだけじゃなくて、罪悪感というか、誰のためにもならない気がするんだ。
じゃあ、どうしようか。
そう思って、スマートフォンを見ると、SNSの通知が来ていた。小島からだ。
『怜からアカウントを聞きました。必要な時には連絡してください』
小島らしからぬ丁寧語のメッセージに吹き出しながら、僕は「これだ」と思った。
わからないのなら、小島にもう一度相談すれば良いのだ。母さんも父さんも他人を頼れと言っていた。僕が一人でゴロゴロ考えたって何の進捗も生まないということは、僕が一番よく知っている。
『わかった。早速なんだけど、質問して良い?』
『怜のUSBについて?』
『そう』
『直接話しましょう』
『SNS上じゃだめなの?』
『テンポが悪いから。多分、直接会って話した方が楽でしょう』
『なるほど。じゃあ、月曜に学校で聞く』
『明日は?』
小島は、明日話す気なのか。やっぱり、答えを知りたくてうずうずしているんだな。でも、僕は明日、野球部の練習試合がある。
『明日は部活だから、明後日はどう?』
『午前中なら大丈夫』
『じゃあ、明後日の午前中か。九時とかどう?』
よく考えたら九時は早い。メッセージを送った瞬間、僕はそう思った。しかし、小島はすぐに返事を返してくる。
『じゃあ、九時で。場所はどこでも良いです。近くだったら』
『朝潮大橋で良い?』
近くといって、まずここが思い浮かんだ。僕のお気に入りの橋だ。小島がどこに住んでいるのか詳しくは知らないが、学校からも近いし、そう遠くはないはずだ。
『わかりました。じゃあ、朝潮大橋に午前九時で』
小島の返信を確認し、僕は一息ついた。
なんだか、他人に頼りすぎな気もする。それでも、行動しないよりは確実に良いはずだ。
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