はぐれ堂

小暮の報告

「はぐれ堂に到着したのは25日の22時過ぎ、昔集落に続いていた道は荒れ果て立ち入りることはできずに、海崖沿いに谷間に近づき崖を降りていきました」


「道なき道を降り崖の下を目指して進みました、海風が時折強く吹きつける度に死を予感する程で、途中何度か朝になってから出直すことも考えましたが榎本や日下の任務に対する責任感の強さに押されて、今夜中に元集落の所在だけは確認しようと任務を続行しました」


「はぐれ堂に近づく途中で、日下は今までに感じたことのない邪気を知覚したそうです、なので我々ははぐれ堂に入らず可能な限り近づいて観察することにしました」


「集落は廃墟も残っていないほど風化して、辛うじて建物の基礎部分の点在が確認できるだけ、草木も伸び放題、どの道準備もなく集落跡地に立ち入ることはできませんでした」


「取り敢えず場所は確認できたので来た道を戻ろうとした時、日下が目を見開き身体を強張らせて、はぐれ堂の中の一点を凝視していました、そしてゆっくりと徐々に視線をずらしていく、視線の先の草木は音を立てて薙倒れて、日下の視線に合わせてこちらに向かって草木は更に薙倒れていきました」

「見えない何かがこちらに進んできている、見鬼の日下に見えている何かが、恐ろしく長い時間に感じましたが2、3分の出来事だったのでしょう、何かが近づくごとに甘ったるい匂いが強くなり意識がクラクラし始めました、はぐれ堂付近では初めからこの甘い匂いが立ち込めていたのでしょう、しかし磯や塩の海の匂いに紛れて気づけなかった、今思えば俺たちはこの匂いをだいぶ吸い込んでいて意識を鈍らせる成分を吸収してしまったのではと推測しています」


「日下は仕舞いには並んでいる俺の方を見ていました、俺というよりは俺の頭2つ分上を見ていました、その時何かが俺の左腹部を刺しました、激痛が走りましたが恐怖で声が出ません、痛みに耐えられず倒れ踞る、死を想像する余裕もなく意識を失いました、後で確認しましたが榎本は甘い匂いに立ち眩み、さらに近づく見えない何かの気配に恐怖して震え竦み動けなかったそうです」


「気づくと横たわった俺の腹部を押さえて、日下が止血の処置をしていました、榎本は日下に縋り付いていました、情報のないクリーチャーの存在との遭遇が致命的であることを身を以って知りました」


「宿に戻ったのは23時過ぎ、上杉さんが連絡をしていた時刻だと思いますが恥ずかしながら、はぐれ堂でのクリーチャー遭遇に動転していて携帯を車に置き忘れていました、留守電に気づいたのが朝の6時、そこで折り返ししました」


「俺の傷口は3センチ程の刺し傷で然程深くありません、赤く腫れましたが痛みは大分治まっています、傷口の深さから考えてあの痛みは異様です、何か毒素のようなものが注入された可能性が高いと考えます、この後ラボで精密検査を受けたいと思います」


「宿に戻って日下から何が見えていたのか聞きました」


「大きさは2メートル以上あって俺より頭2つ大きかったそうです、プラネテスより一回り大きいという話です、手足はなく、ボーリングのピンのような姿態、底からは無数の触手が生えて移動に使っていたそうです、草木を薙ぎ倒したのはこの触手です」

「首から下は滑り照かっている青い鱗に覆われて、首から上の頭部と思われる箇所には目鼻はなく、縦長の口と思われる裂け目だけがある、裂け目の中には乱杭歯が犇いていたそうです」

「おそらく頭部であろう部分から首にかけては白い肌となっていて、妙に人らしい部位が混じっているのが不気味だったそうで、その頭部には長い黒髪が生えていたが、よく見ればそれは毛ではなく黒い粘液の塊、黒いスライムのようだったと」


小暮は報告をまとめる

「はぐれ堂には今だクリーチャーが、それもプラネテスとは違い、我がチームで対処できる範疇を超えた神話的な存在が確かにいます」


「恐らくあれが妃陀羅であり、母なるヒュドラでしょう」


「俺は自分の失態を誤魔化す訳でも、言い訳がしたいのでもなく、アレは俺が遭遇したどのクリーチャーよりも異質で圧倒的でした、神と呼ばれる存在と接触して生き残っている幸運は何に感謝すべきか、普段自暴自棄な生活を送る俺でも敬虔な気持ちになります」


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つまり小暮が矢鱈とグール主犯説に傾くのは、妃陀羅ことヒュドラが今でもはぐれ堂に存在している事実を前にして、何でもヒュドラを中心に据えて考察しなければ自分の恐怖を整理し切れないのだ。


私は話題を変えてみる。

「北条の件は、どう思う?」


小暮は怪訝な顔をして、私の意図を測り兼ねている。少し間を置いて「帰国していないのなら、こちらに打つ手はないのでは?」


「私もそう思う」短く同意した。


「どんなに思慮を重ねても推測の域は出ないか」小暮が独り言のように呟く、勘の良い小暮にこちらの意図は伝わったようだ。


気持ちが少し切り替わったのだろう。

「協会が指示してきた『山村邸を維持して待機』については、日下を今迄のように住まわせ俺と榎本が交代で待機する対応で充分でしょう」

何時もの小暮に戻ったようにも見えた。


小暮は我がチームが誕生する前から、協会の調査員として北条とコンビを組み活動していた。

協会は特定のチームには所属させず、多くの事情を知らせない『使い捨てにできる調査員』通称『飼犬』を多数抱えていた。

小暮と北条には、そんな捨て駒の飼犬だった時期がある。

私がチームを設立した時に2人は、協会の指示で合流した。というより吸収されたのだ。

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