第18話 大和撫子
「楓はもう先に着いて待ってるってさ」
モチダがいつものように私を乗せた車椅子を押しながら言った。
おっかなびっくり朝食を済ませた後、私達は初詣に出かけた。そこは持田家からほど近い、秋祭りのときに行った神社だった。
外国の神様を祀る気は私には一切無い。なのに、一緒に出かけることに同意したのは、前に来たときに食べた露天のジャンクフードの味を忘れられないからだ。
そして射的が出店していたら是非あのときのリベンジがしたい。
今朝、マダムに臨時のお小遣いをもらったので、軍資金には余裕がある。
「あれ、おかしいな。待ち合わせの場所はここで良いはずなんだけど」
モチダは神社の入り口で止まると辺りを見回し始めた。
神社は盛況で着物を着ている男女もちらほら見かけ、秋祭りのときとは違った活気を見せている。
迷う程大きい神社では無い。
そもそもモチダとカエデはここが地元で土地勘はあり、行き違いになる可能性は低い。
私達は二人で周りを見たが、それらしい人は見当たらない。
「いないわね」
「一人で中に入っちゃったかな。ちょっと電話してみよう」
彼が上着のポケットから携帯電話を取り出し操作すると、その後ろにそっと着物を着た女性が立った。
彼女は、うつむき加減に彼のジャンパーの裾をそっと指でつまむ。
「なんか用ですか?」
モチダは振り返り訝しげに尋ねた。
「昴ちゃん・・・・・・」
名前を呼ばれたモチダはその女性の顔をのぞき込んだ。
「え? ひょっとして楓!」
まさかと思ったが、そこには立っていたのはカエデだった。
彼女は純白主体の生地の上に控えめに金銀の刺繍で花をあしらった振り袖を身にまとい、顔には化粧を施し口には紅を差していた。美しく結いあげたそ黒髪の頂きには、彼がクリスマスにプレゼントした髪飾りが光っている。
まるで別人だ。これがヤマトナデシコというものなんだろうか。
「ソービューティフル、カエデ! お人形さんみたい! ほら、モチダも呆けた顔をしてないでなにか言ってあげなさいよ」
「・・・・・・きれいだよ楓。ごめん、すぐに気がつかなくて」
化粧でよくわからないが、楓の頬が染まったように見えた。
二人は言葉もなく見つめ合っている。
私はそんな二人を見てクスリと笑い、車椅子から立ち上がり、その背もたれに付いている収納袋から松葉杖を取り出した。
「モチダ、私一人で回ってくる」
「え、一人で? 大丈夫?」
「たまには私だって一人になりたいのよ」
私は松葉杖を突き、二人と車椅子を残し一人で神社の鳥居をくぐった。
鳥居をくぐったあとに真ん中を歩いてはいけないと、彼に言われた事を思い出した。ほかにも手水での手の洗い方や、お参りの時の礼や手の叩く回数などを神社での作法を教えてもらった記憶がある。でも今の私にはどうでも良かった。
私がここにきたのは日本の神様をお参りするためではなく、暇つぶしをして、モチダとカエデに二人っきりの時間を作ってあげたかったからだ。
できるだけ時間をかけてゆっくりと見て回る。残念ながら射的は出店していないようだ。
そんなに大きな神社ではないので松葉杖使う、足が不自由な私でも、十分も歩けば一周できる。
暇が潰せない。
お金はあるので、なんか買い食いしようかと露天を見て回っていた私に話しかけてくる人物がいた。
「持田さんとこの外人さんも甘酒いかが?」
私は赤ら顔の四十代の男性に呼び止められた。
日本語がわからないのでいつもなら聞き流してしまうところだったが、モチダという言葉に耳が反応し足を止めた。
私にはこの男性の顔に見覚えがないが、彼は自分のことを知っているらしい。
彼は中には白い液状の物が入っている紙コップを通り過ぎる人々に配っていた。
それをただ通りすぎようとしていた私にも差し出す。
「プリーズドリンク、ノンアルコールスイートリカー、フリーフリー」
差し出された紙コップを訝しげに眺める私に、彼はつたない英語で勧めてくる。
「あ、これは失敬。両手が松葉杖で塞がってるね」
すぐそばにテントがあり、その中に椅子とテーブルが設置されている。
そこには座って露天の商品を食べている人が見受けられる。
それは参拝者専用の休憩所のようだ。
彼はその空いているテーブルの上に甘酒の入った紙コップを置いて、私を手招きする。
「どうぞ、プリーズ」
他にすることもないもないので、彼の好意に甘えることにした。
私は一言お礼を言ってから席に座った。
ノンアルコールの甘いお酒とは一体何なのだろうか。男性にもらった紙コップに入った物を一口飲んでみると、とろりという感触が、口とのどを通り過ぎる。
確かにほんのりと甘い、そして体が温まる。
私は甘酒をちびちび飲みながら、先ほどの二人のことを思い出す。
「モチダとカエデ、お似合いだったな・・・・・・」
カエデがモチダに気があるのは見ていてわかる。
彼の態度ははっきりしないが、それでも彼女のことを大事にしていると思う。
二人とも同い年で多くの思い出を共有する幼なじみ、そして何より同じ日本人である。
自分は年上で知り合ってまだ五ヶ月程度、外国人でしかも彼とは敵対している組織にいる。彼と付き合える立場にいない。
「なぜ、自分とカエデを比べてるんだろう」
暖をとるように紙コップを両手の平で包むように持っていたが、飲むことを忘れてぼんやりと考えているうちに、甘酒からは暖かさが失われていった。
そろそろ良い頃合いだろうか、間が持てなくなった私は二人と合流することにした。
道はわかるが一人で帰るわけにはいかない。そんなことをしたら二人が自分を捜し回ることになるだろう。
すっかり冷めてしまった甘酒を全てのどに流し込むと立ち上がった。その拍子に脇に置いてあった松葉杖を倒してしまう。拾おうと屈んだ瞬間、何者かとぶつかり、床にうつ伏せに倒れてしまった。
「痛っ!」
上半身だけひねり見上げると男の人が眉間に皺を寄せ、私を見下ろしていた。
「邪魔なんだよ、アメ公!」
彼は悪意があって自分を突き飛ばした。かれのはなった日本語の意味は解らないが、その憎しみを込もった彼の表情で理解した。
「何するの!」
私は地面に尻餅をついた体制で男性に抗議の声を上げた。
「何言ってんのかわかんねぇよ! ここは日本なんだから日本語を話せ!」
この騒ぎを聞きつけ人々が集まってきた。
しかしほとんどが近くには寄らず、遠巻きに見ている。
このまま地に伏せていると危険だと判断した私は、地面に落ちている松葉杖をたぐり寄せ、それを使い立ち上がった。
しかし立ち上がると彼に再び突き飛ばされた。
「ざまあねえな」
上から見下ろして笑う彼に、下からにらみつけた。
「なんだよ、このアメ公やろうっていうのか」
「止めなさいよ、あんた、正月早々。それにここは神様がいるところなんだよ」
先ほど甘酒を勧めてくれた赤ら顔の男性が、私達の間に割って入った。彼の背中に隠れるように立ち上がり態勢を整えた。
「このくそアメリカ人をかばおうって言うのか、じじい! 今日本がこんな状態になっているのは誰のせいだと思っている! 物はくそみたいに高くなり、ろくな物がありゃしねぇ。毎日毎日合成肉ばっかりくっている。本物の牛肉なんかいつ喰ったか忘れてしまったぜ」
男は私を指さし熱弁をふるう。
「だからってこの人に八つ当たりすれば、牛肉が食えるようになるわけじゃないよ」
赤ら顔の男性は優しく諭した。
男は群衆に向き直り、声を上げた。
「みんなもわかっているだろう! 日本がどんな悪いことをしたというんだ! 宇宙人と仲良くなっただけじゃないか! それが気にくわないばかりに、ジュリコの事を侵略者と勝手に決めつけて日本をその仲間だと言う。挙げ句の果てに経済封鎖までして干上がらて、俺たちを餓死させようとしてる」
群衆から、そうだそうだ、日本は悪くないと声があがる。言葉はわからないが敵意を向けられていることはわかる。
私は忘れていた、敵国の中で生活していたことを。
持田家やその周りの人は優しかったので、それをすっかり忘れていた。
優しいのはごく一部の人間で、決して皆が自分の存在を許してくれてるのではないことを思い知った。
「ルーシー! 大丈夫かい!」
「モチダ!」
群衆の輪の中からモチダが飛び出してきてこちらに走り寄る。カエデはいない。このトラブルに巻き込まないように群衆の中に置いてきたのだろう。
私は彼の姿を見てほっとした。
「ルーシーになにをするんだ!」
「なんだよ坊主、このアメ公の知り合いか!」
「およしよ、この子はこう見えてトリガーなんだよ」
目の前に立ちはだかったモチダを男は威嚇する。
必死に男をなだめていた赤ら顔の男性が、彼の素性を説明した。
「こいつトリガーなのかよ! だったら、俺たちの国を歩き回っているこいつを殺せ! なぜ生かしている!」
「僕たちトリガーは日本を守るために戦っているんだ。殺し合いをするために存在しているんじゃない。戦わずに済むならそうしている、彼女たちだってそうだ」
「無理だね、人間は絶対にわかり合えない。何とか他人を出し抜いて良い思いをすることばかり考えている欲深い生き物なんだよ。国が違えば、肌の色が違えば、言葉が違えば、宗教が違えば、もうそれを同じ人間だとは思っていない。殺すことも今の日本のように餓死させることも平気なんだよ」
群衆の中からも賛同するヤジが飛んだ。
「そんなことはないよ、おじさん。肌の色が違っても、国境で線を引こうともか必ずわかり合える日が来る、同じ人間だもの」
彼は私を正面から抱きしめた。
「アイ ラブ ユー ルーシー」
そっと私の唇に自分の唇を重ねた。私はされるがままになっていた。
男はそれをみてあっけにとられている。
「僕たちは愛し合ってるんだ。同じ人間なんだからそれができる」
唇を離すと男にやさしく言った。
「ふん、色ボケしやがって。こんなやつがトリガーをやってるようじゃ日本の将来は暗いな。くそっ! 酔いが冷めちまったぜ。家に帰って飲み直すとするか」
男は悪態をつき背を向けて群衆の中に消えた。昴はその後ろ姿が、見えなくなるまで私を抱きしめていた。
見物人の輪も、騒動の主がいなくなったことでその形を崩し、彼も抱きしめていた私を解放した。
「ごめんね外人さん、彼ちょっと酔っぱらっちゃってて。ヒーイズベリーベリードランキング、ソーリー」
赤ら顔のおじさんは自分が悪いわけでもないのに、ペコペコしながら私に謝罪した。
「いいえ、大丈夫です。気にしていません」
「彼女、気にしてませんだって。野口さん」
私の言葉を彼は通訳した。赤ら顔おじさんは周辺の人たちにもさかんに頭を下げている。
「やはり憎まれているのね私」
「そんなことないよ、あの人はたまたま虫の居所が悪かっただけさ。ごめんね、ルーシー」
「モチダが謝ることじゃないわ」
「いやごめん、無理矢理キスして」
「ああ、その事。平気よ、子供じゃないんだし。それであの場を納めることができた事はわかったわ」
「あまり平気な顔をされるのも複雑なんだけど・・・・・・さあ、帰ろうか。もう初詣を楽しむ空気でもなくなったし」
「そうね、そうしましょう」
人の壁が無くなり、若干見通しが辺りをモチダは見回した。
「あれ、楓がいない。さっきまでそこに一緒にいたのに」
私ははっとした。
「今のキス、彼女に見られたのね」
「先に帰ったのかな」
モチダはカエデの携帯電話に電話をかけた。
「駄目だ、留守録に切り替わっちゃったよ」
しばらく耳に当てていたが諦めたようだ。
「モチダ、すぐにカエデのところへ行きなさい」
「え? なんで」
「急いで!」
私は松葉杖で彼の足をつついた。
「わかった、わかったよ。ルーシーをうちに届けてからね」
彼はどこかから車椅子を持ってきて。それに私を乗せた。
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