第12話 ちょっとだけ自由
「さぁ良いですよ」
タナカが持田家に来た次の日、彼女に伝えたとおり私は病院で腕のギプスをはずした。
医者が持ってきたカッターは、腕ごと切り落とすのでは無いかと思えるようなごつい見た目だった。
「すぐ終わるからね」
と、看護師やモチダが大仰に私の体を動かないように支え、てっきり「終わるって私の人生?」と覚悟したが、医師は私の皮膚を一ミリも傷つけることなく、左手を覆うギプスだけをタマネギの皮のように切り開いた。
皮を剥かれ、久しぶりに見る自分の左腕は、お湯に浸したタオルを持ってきてくれた女性看護師がきれいに拭いてくれた。
自由になった左腕を皆の前でぐるぐると回してみせる。
長い間固定されていたせいだろうか、肘を曲げ伸ばしする動きが少しぎこちない。
「どうです、おかしいところはありませんか」
左手を解放され、ちょっぴり自由を手に入れた私はそのときうれしそうな顔をしていたのかもしれない、女性看護師がつられて満面の笑顔で尋ねた。
「腕の太さが左右が違う、左腕がふにゃふにゃ、あとちょっと臭い」
「太さが違うのは長い間固定されていたから筋力が衰えたんです。最初は軽い運動から始めてください、くれぐれも無理はしないように。これからも週に一回は診察に来てください」
医師から軽く注意事項を聞いた後、私達はまた次回診察の予約を取り、病院をあとにした。
「モチダ、ダンベルとかない?」
「ダンベル? そんなのうちにあったかなー」
家に帰り、体を鍛えたいと言う私のために、モチダはごそごそと物置をあさった。見つけてきたゴムボールを私に手渡す。
「まずはこれを握って握力をつけるといいよ。あと、ダンベルじゃ無くてこんなのがあった」
小さな鉄アレイを二つ見せた。
それを受け取った私は両手に持って上下させた。
「これは軽すぎるわ、モチダ」
「無理するとせっかくくっついた骨がまた折れちゃうよ。もっとも怪我したら一緒にいられる時間が延びるけど」
「じゃあ、無理はやめておきましょ」
もう一つ受け取ったゴムゴールを握ると、それは弱った私の左手でも簡単に形を変えた。
『それじゃ行ってきます、マシソンさん。昴、ちゃんとマシソンさんのお世話をするのよ』
次の日の朝、玄関で見送る私達にそう言ってからマダムは出かけた。彼女はずっと休んでいた仕事に行ったのだ。
私の腕のギプスが取れ、一人でだいたいのことはできるようになり、つきっきりの介護が必要なくなった。
松葉杖を使い、トイレも一人で入れるようになった。
マダムが出勤してこれから平日の昼間はモチダと家で二人きりになる。
私は改めて彼の存在を強く意識した。
といっても今まで彼は、食事の時間以外、午後の少しの時間一緒に散歩に行くだけで、いつもは部屋に閉じこもりでいる。
何をしているのか私は知らなかった。
松葉杖を使い自分の部屋を出て、となりの彼の部屋に立った。
右手を挙げた体制のまましばらく廊下で固まっていたが、意を決してドアをノックした。
すぐに返事があり、ばたばたと走る音がしてドアが開きモチダが顔を出した。
「どうしたのルーシー、トイレ?」
「トイレなら一人で大丈夫。いや別に用があるというわけではないんだけど」
「そう? まぁいいや、はいる?」
モチダは体をずらして、私が部屋に入りやすいように入り口を空けた。
彼が体をどかしたので私から部屋の中が見えた。
私は廊下に立ったまま、敷居をまたぐのを躊躇した。
考えてみたら特に用件など持っていなかったからだ。
入り口に立っているだけの私を彼は不思議な顔で見つめた。
私は逡巡したあげくとりあえず入ることにした。入ると彼がドアを閉める。
モチダの部屋は私のと同じくらいの広さでやはり畳みが敷いてある。
ベッドがあるのは同じで違うのはこの部屋には学習机があることだ。
その机の上には参考書とノートらしきものが開いたまま置いてある。
たった今まで使っていたようだ。
「勉強していたの? モチダ」
「そうだよ。本当なら高校に行かなければいけない年齢だからね」
「邪魔をしたかしら、ごめんなさい」
「あやまることはないよ、ちょうど休憩を取ろうとしてたとこだから。ちょっと待ってて」
彼は私をベッドに座らせると部屋を出た。しばらくしてマグカップを二つ持って戻ってきた。
「熱いから気をつけて。確かブラックで良かったんだよね」
私は彼からマグカップを一つ受け取った。中には黒々として湯気を出している液体が収まっている。
彼は学習机に備え付けられた椅子に、私はベッドに座り二人は無言でコーヒーをすすった。
出会ってからかなり立つが、私は今初めて持田昴と言う人間をよく眺めてみた。
身長は自分とほぼ同じ、中肉中背アジア人特有の黄色の肌と黒目直毛の黒髪を持っている。
肌にはシミ一つ無く、15歳どころかもっと下でも通じるだろう。
あまりに見過ぎたため彼と目が合う。
反射的に私は目をそらしてしまった。
何か言わなくては、そう思っても言葉が出てこない。
「ルーシーはなぜ軍隊に入ったの? 女性に徴兵はないはずだったよね」
彼の方から会話を切り出してきて私はほっとした。
「父が元軍人だったの、その影響かな。モチダの方こそなぜ軍隊に入ったの? 普通の国は15歳の少年を軍人にはしないでしょう」
「軍隊じゃなくて守備隊だよ。だから僕も軍人じゃない」
「それは詭弁ね。やってること持っている装備は軍隊そのもの、いくら自分の国には軍隊はありません守備隊です、といったって周りの国の人はそうは思わないわ」
「日本に限らず詭弁なんて皆使っているじゃないか。正義のための戦い、自由のための戦い、とかね。戦争なんてそんなものだよ」
「モチダが危険な世界にいるということだけは間違ってないわ。他にやりたいことはないの?」
「やりたいこと、といえば将来は医者になりたいんだ。今この国では大学へ行くにはお金がいらないけど、合格するには学力が必要だよ。せっかくなら良い大学に行きたい。今この国では母子家庭でも等しく教育を受けることができる」
「モチダ、戦場へ出るのを止めてこのまま勉強に専念したら?」
「守備隊は当分やめないよ、生活があるからね。母さんに楽させてあげたい。この家もトリガーをやっている給料で買った。ルーシーも兵隊を辞めてこの国に残るなら考えてもいいけど」
「私がこの国にのこる事は無いわ。国に帰ることができたらすぐ復隊したい」
「それじゃ戦争がいつまで経っても終わらないね」
昴はマグカップのコーヒーを一気に飲み干した。
私の乗った車いすをモチダは押す。午後の散歩のルートは毎日違う。
「I am rucyはワタシノナマエルーシーデス。I love youはワタシハ アナタヲ
アイシテイマス。I love subaruはワタシハ スバルヲ アイシテイマス」
「いくら日本語の講習をしてくれても、覚える気は無いわよ」
「せっかく日本にいるんだから日本のことをたくさん知って欲しいな。まず手始めに日本語の勉強だよ。挨拶くらいはできるようにならなきゃ」
「私はあなたのお世話になっているけど、そこまでなれ合うつもりはないわ」
「ぼくは、相互理解をするために英語の勉強をしたよ。中国語だって会話程度ならできるし。戦争を終わらせたいなら、絶対コミュニケーションがとれるようにした方が良いよ」
彼がふと大きな建物の前で立ち止まった。
私もその視線を追って、建物を見上げた。
それはコンクリート製の白い3階建ての建物で、広い敷地の中、他人を拒絶するように高いフェンスに囲まれている中に建っている。
壁は中に光が多く採れるよう大きな窓が並び、箱が立っているようなその姿は、デザインよりも実用性を重んじている。
「これは・・・・・・学校みたいね」
「そう。これは僕が通っていた小学校。もっとも4年生までしか通ってないけど」
「どうして? 日本の小学校は6年制って聞いたことがあるけど」
「4年生で学校に行くのを辞めちゃった」
「なぜ? 英語や中国語ができるんだから学力不振って事は無いわね」
「ぼくは異分子として社会から追放されたんだ。学校という狭い社会を上手く運用するには僕は必要なかったんだ」
「細かいことはわからないけど、学校を追い出されたってこと? それは10歳の子どもにとっては酷なんじゃないの。個人を重んじるアメリカでもそれでも人とのつながりを否定しているわけじゃあないもの」
「そうだよ、あのときの僕は絶望していた。生まれてこなければ良かった。母に僕を何で産んだんだってくってかかったこともある」
「それはひどいわモチダ・・・・・・息子にそんなこと言われてマダムはさぞつらかったでしょう」
「あのときの僕はまだ子供だったからね・・・・・・行こうか、ここには良い思い出がない」
本当に良い思い出がないなら、わざわざここに立ち寄ったりしないのではないだろうか。
私はそう思う。
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