第11話 両親からの便り

 ルーシーが持田家にやってきてあっという間に一週間が過ぎた。

 この家はあまりご近所付き合いがないようで、訪問してくる人はいない。たまに郵便屋さんが速達か宅配を持ってくる程度だ。

 しかし、この日珍しく来客があった。政府の使いでタナカがやってきたのだった。

 彼女は自動運転の政府専用車に乗り、一人でやってきた。

 相変わらず折り目がきれいに入った制服を着用し、髪の乱れもない。

 黒い縁眼鏡をかけ、何を考えているのかはその表情からはうかがえない。

 整った顔をしているせいか冷たい印象を受ける。


 田中は畳の敷いた居間に通された。

 捺江がテーブルの前に座布団を敷き、その上に座るよう促すと彼女は遠慮がちにそこに座った。

 昴は人数分のお茶とお茶請けの煎餅をキッチンから持ってきてテーブルの上に置いた。

 彼女の反対側に昴と捺江が座る。

 ルーシーは車いすにすわったまま皆を見下ろすような位置で席に着いた。

 田中はお茶を一口すすると彼女を見上げた。


「こんにちは、ミス・マシソン。お元気そうで何よりです。ここでの生活には慣れましたか?」

「ええ、問題ありません。ただ、納豆と卵かけご飯には慣れませんが」

「正直に言ってくださって結構です。虐待などはありませんか。昴君があなたに失礼なことをしてないでしょうか」

「ありませんね、そういうことは」

「そうですか、それならいいんです。若い男女が一つ屋根の下に暮らしているんですから間違いがあろうかと思います。基本的に恋愛は自由ですが立場を考えてくださいね。特に年上であるあなたの方でご配慮願います」


 歯に衣着せぬ言い方に彼女はあっけにとられ、昴は苦笑いした。


「怪我の具合のほうはどうですか?」

「問題ありません、明日病院で腕のギプスをとってもらう予定です」


 昴が答えた。


「それは良かったです、安心しました。他に不自由な事があった遠慮無く言ってください。ところで、今日来たのはあなたの様子を見るためですが、実はもう一つ用事があります。ミス・マシソンにこれを持ってきました」


 彼女は傍らに置いてあった黒いビジネスバックを膝の上に乗せ開けると、中から二通の封筒を取り出した。

 エアーメール特有の青と赤の枠線が縁取っている封筒だ。

 宛先は英語で書かれていて封はすでに開いていた。


「あなたの両親からの手紙です。失礼ですが中は検閲させていただきました」


 彼女は立ち上がり、それをルーシーに差し出した。

 それを両手で受け取った彼女はしばらく表を眺めたあと、胸に抱き深く息をした。

 一旦目を閉じた彼女の頬は紅潮し息は荒い。再び目を開けた彼女は潤んだ瞳を田中に向けた。 


「今、読んでもいいですか?」

「ええ、どうぞ時間ならあります」

「モチダ、ごめんなさい私を一人にして」


 彼は無言でうなずき、立ち上がって車いすごと彼女を部屋へ運んだ。

 車椅子に座ったままの彼女を部屋の中央に残し、何も言わずふすまを閉め、部屋を後にした。

 一人部屋に取り残された彼女は、封筒から便せんを出し、読み始めた。


 肩をふるわせて耐えていたが、ついに耐えきれず嗚咽が漏れた。

 一旦漏れた嗚咽は止めることはできず、やがてそれは号泣へと変わった。

 彼女は一人きりの部屋で手紙を胸に抱え、赤ん坊のように泣いた。


 昴が居間に戻り座ったその直後、彼女の部屋から泣き声が聞こえた。

 彼女の泣き声を聞いた捺江は、そっと目頭を押さえた。昴も泣いている。

 田中だけは無表情にお茶をすすっていた。


 やがて泣き声が止むとしばらくしてルーシーの部屋から呼び出しの電子ベルの音が聞こえた。昴が立ち上がり、ルーシーの部屋に向かった。

 部屋に入るとルーシーの目は充血し真っ赤になっていた。そのことには昴は触れず、ルーシーを乗せた車いすを居間に運んだ。


 目の周りを真っ赤に腫らし、手紙を胸に抱えたまま居間に戻ってきた彼女は鼻声で田中に尋ねた。


「ミス・タナカ。この手紙の返事を書いたら両親のところに届くのでしょうか?」

「もちろん。ちゃんとあなたの両親に届けます、但し中身は検閲させていただきます。時間ならあるので、今すぐ書いても良いですよ。帰りが少しぐらい遅くなっても大丈夫です」


 ルーシーは少し考えた。


「では今書きます。少し時間を頂きます」

「はい、どうぞ。ごゆっくり」


 再び昴が彼女を部屋へと運び、一度出て自分の部屋から折りたたみ式の机とノートパソコンを持ってきた。

 折りたたみの机を展開し、その上にノートパソコンを置きこの部屋のコンセントに繋いだ。


「ありがとうモチダ」


 彼女は彼に礼を言った。


「どういたしまして。書けたら呼んで、プリンターで印刷してあげるから」


 彼が部屋から出て行くと彼女は唯一自由な右手人差し指だけを使い、キーをぽつぽつと打った。


 昴は居間に戻ると捺江はお茶を入れ直しに行っているらしく部屋にはいなかった。

 彼は座布団に座り直すと田中に尋ねた。


「田中さん、彼女はこれからどうなるんですか?」

「ご両親のところに返してあげたいわねぇ」


 ちょうどキッチンから新しいお茶を持ってきた捺江が言った。


「さぁ、どうなるかわかりません。それはジュリコが決めることですから。そういえば昴君の休暇の期間ですが、ミス・マシソンを預かってもらっている間と決まりました」

「ずいぶん長いですね。それだと彼女の足のギプスが取れる、来年正月過ぎまでということになりますね」

「昴君が長い間休暇をとらずにいたせいですよ。それと君がまだ十五歳ということも関係しています」

「そうすると16歳の誕生日もうちで祝えるわね」


 捺江がうれしそうに言った。

 ルーシーの部屋から呼び鈴の音がしたのは、彼女の部屋にノートパソコンを持ち込んでから一時間後だった。

 昴がすぐに部屋に向かい、ノックをせずにふすまを開けた。


「できた? ルーシー」

「ええ、ごめんなさい遅くなって」

「謝んなくていいって。このページを印刷すれば良いんだね」

 昴はノートパソコンのモニターをのぞき込み、キーボードを操作した。すぐに自分の部屋に行き、しばらくして数枚のプリンター用紙と封筒を二枚持って戻ってきた。ノートパソコンと昴の部屋のプリンターは無線でつながっていた。


「これでいい?」

「良いわ、ありがとう」


 印刷した紙をルーシーに渡し、確認してもらった。

 もう一度自分の書いた手紙を読み終えると昴に渡した。

 昴は手紙を持ってルーシーを居間に運んだ。


「おまたせ~」

「遅くなりました、ミス・タナカ」

「これがルーシーが書いた手紙です」


 昴は手紙を田中に渡した。受け取った田中はすぐにその場で読み始めた。


「このくらいなら修正されないで両親にそのまま手紙がわたるでしょう。もちろん、それを決めるのは私ではありませんが」


 田中は昴から封筒を受け取り、その中に手紙をしまった。


「では一ヶ月後また様子を見に来ます。もしまた手紙が届いているようでしたらそのとき持ってきます」


 田中は立ち上がり、昴だけを外に連れ出した。

 彼と少しだけ二人っきりで何らかの会話をした後、待たせていた政府専用車で帰った。

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