第10話 ホームステイ3日目

 持田家にきて三日目の朝。私は信じられないものを見た。

 モチダは生卵に醤油を入れかき混ぜ、それを直接ご飯に入れさらにかき混ぜている。

 まさかと思ったが、想像通り彼はそれを箸を使い、直に口の中に流し込んだ。


「オーマイゴッド」


 私の口はそのまま固まり、ただそれを見ていることしかできない。


「卵かけご飯は庶民の味方だよ。卵は安くて栄養がたっぷりあり優れている。子供の時からよく食べていたよ」


 今日も昼食後に私達は散歩に出かけた。

 運動不足解消のため、と彼は言うが私はただ車椅子に座っているだけである。

 昨日とは違う道を歩いているようだ、彼は散歩のコースを毎日変えている。

 いつもは人が少なく畑仕事をする人をまばらに見るだけだが、その日はめずらしく人の集団に出会った。

 彼はその人達の通行に邪魔にならないように車いすを道路の端に寄せた。

 彼らは歩きながら声をそろえて自分たちの主張を大声で叫んでいた。先頭の人間が拡声器を使い音頭を取っている。

 その集団のうちの一人がすれ違いざまモチダに一枚チラシを手渡し、一言二言話して去っていった。

 集団が通り過ぎると散歩に戻った。


「あの人達は何? なんかのデモ?」

「彼らは「宇宙からやってきたものこそ真の神様の会」通称ジュリコ教と呼ばれている、ジュリコを神様とあがめている人たちだ」

「MAPAが神様ですって? 馬鹿みたい。ただのコンピューターウイルスなのに」

「彼らはすごく真剣だよ。ジュリコはただのコンピューターウイルスかも知れないけど、力を持っている。人間にはかなわない高い計算能力を保有し、最新の科学技術を教えてくれる。あがめ奉るのは仕方ないんじゃないかな」

「MAPAが信頼できるとは思わないわ。彼らはただ単に強いものにすがっているだけ」

「不安が彼らをすがらせているんだろう。ここ数年ジュリコ教の活動が目立つようになってきた。その原因は長引く外国との戦争と不況だろう」

「そのジュリコとやらが戦争の原因なのがわかってないのかしら」

「強い力が世界のバランスを崩し、それによって恩恵を受ける人がいて逆に損を被る人がいる。それがこの戦争の正体だよ。外国では日本はどうおもわれているの?」

「自ら宇宙人に尻尾を振るかわいそうな人たち」

「ただ無条件に尻尾を振っているつもりはないんだけどなぁ。きちんと対話はなされているけど。ルーシーだってお話ししたじゃないか」

「話はできたけど意思の疎通ができたとは言いがたいわ」

「そこら辺はわかり合えるまで何度でも何時間でも話合うしかないんじゃないかな。人間同士でも同じだね」


 私が持田家にお世話になって数日が過ぎた。

 今日は雨が降っているため、恒例の午後の散歩も中止となった。

 彼はずっと部屋に閉じこもったままでいる。

 ここに来る前は同居している年頃の少年に、猛アプローチされたらどう断ろうかと心配していたがその必要は無かった。けっこう彼はドライである。

 最もカエデというガールフレンドがいるから、年上の外国人である私には興味がないのかも知れない。


 私は持て余した時間をただ家の居間から外を眺める事に費やした。

 雨の滴が空から降り注ぎ、地面にできた水たまりに落ちては作る波紋を眺め、そのとき奏でる単調な音楽に耳を傾けていた。

 私は時間があるといつも同じ事を考える。

 捕虜であるはずの自分に対する監視は甘い。むしろ自由ですらある。

 食事は和食中心で私には物足りないが、同居人である二人も同じ物を食べている以上文句が言えない。

 専用の部屋も一つ与えられていて、プライバシーも守られている。

 お小遣いも受け取っていて買い物もしようと思えばできる。

 もっとも今は体が不自由で、一人では外に出ることはできないが。


 体が不自由なのでここを一人では脱出することができない。

 脱出するには移動する手段が必要だが鉄道の利用はこの体では難しく、この国では個人で車を持てないため入手が不可能。

 その辺を走っている自動運転の車では全て運行は管理されているので、逃走には使うことができない。

 そして海に囲まれたこの国では船か飛行機も必要となる。

 個人での脱走は不可能。最初から結論は出ていることに、何度も考えを巡らしてしまう。

 ならば助けは来ないのだろうか。

 私はどんよりと雲が垂れ下がる空を見上げた。


 どこからか甲高い風を切り裂く音が聞こえる。

 その音は規則正しく一定のリズムを刻んでいる。

 景色を見回しても木立や草の揺れ幅に対して、その音の原因が風だとしたら強すぎるように思える。

 その音は雲の中を移動していた。

 それがこの家の真上に来たとき、雲の中から二機のヘリコプターが現れた。

 その機体は市街地用のグレー中心の迷彩に、大きく星条旗がペイントされている。


 その二機のヘリコプターが急降下してきた。

 先に降りてきた方から何本ものロープが垂れ下がってくる。

 そのロープを伝い黒い戦闘服をまとい、顔はマスクとゴーグルで隠し、アサルトライフルを背負った何人もの男達が持田家の庭に降りてきた。


 男達は声を発せずハンドサインだけでコミュニケーションをとっている。

 その男達は外を眺めていた私と目が合った。

 男達はガラス戸を蹴破って土足で次々と持田家に侵入してくる。

 その中の一人が私に敬礼をした。


「マシソン一等兵殿、よくぞ今まで恥辱に耐えてくださいました。大変遅くなりましたがお迎えにあがりました」

「あなたたち、誰!」


 その声に振り返ると侵入者に驚いているマダムの姿があった。

 黒い戦闘服の男達は彼女にアサルトライフルを向けた。


「その人を撃っちゃだめ!」

 

私の叫び声は銃声にかき消された。全身を自分の血で赤く染めたマダムが音も無く静かにその場に倒れた。


「いやー!」


 私は両手で耳を塞いだ。


「ルーシー!」


 騒ぎを聞きつけて昴が居間に入ってきた。


「排除!」


 黒い戦闘服の男達は昴にも容赦なく銃弾を浴びせた。


「母さん・・・・・・」


 全身を赤く染めた昴は最後の力で数歩進み、捺江に折り重なるように倒れた。


「モチダーーー!」


 私は目の前の惨劇に青ざめた。


「さぁ、マシソン一等兵こちらへ」


 黒い戦闘服の男達は私を抱き上げ外へと出た。庭にはヘリコプターがドアを開き、いつでも飛び立てられるよう緩やかにローターを回転させ待機していた。私は荷物のようにドアから中に押し込められる。

 私が乗るとヘリコプターのドアは閉められ、すぐに飛び立った。

 窓から外を見おろした。持田家から炎が上がっているのが見える。ほんの数日だが我が家同然に過ごしてきた家が燃えている。

 今思えばあそこでの暮らしはそんなに悪くなかった。


「モチダ・・・・・・マダム・・・・・・ 」


 ヘリコプターはやがて雲の中に入り、窓からは何も見えなくなった。


『お茶が入りましたよ。マシソンさん』


 マダムがお茶とお菓子をお盆に載せてやってきた。

 私はそこで妄想を打ち切り、強く頭を振る。

 やはり自分みたいな下っ端に、特殊部隊を出動させるようなことはあり得ないだろう。

 以前田中が言っていたように政府同士の交渉で、解放されるのを待つしかないようだ。


「いただきます、マダム」


 お茶請けはセンベイという米を練って、平べったくしてソイソースを塗って焼いた菓子だった。

 私には煎餅の味がよくわからない。ただパリパリという感触だけを楽しんだ。

 私はマダムに聞いた。


「私を預かってることで不利なことはありませんか。ご近所に悪い噂が流れていると聞きました」


 カエデから敵の軍人を預かることを快く思わない人がいる、と言っていたのを思い出した。


『特にありませんよ。確かにご近所でちょっとは噂になってるけど、ほとんどの人は逆に親切にして、日本人はいい人達だと思って帰ってもらおうと言ってる人ばかりです』

「やはり私がここから逃げたら困りますか?」

『いいえ、あなたを預かる際に、発生する責任は一切ないという約束を取り付けています。仮に逃げられたとしても何のおとがめはないはずです。この家は一般家庭であって軍事施設ではないのですから』


 それを聞いて私はちょっとだけほっとした。


『もしもあなたがここから逃げたら・・・・・・困るというより寂しく感じるでしょうね』


 私は返答に困り、それを誤魔化すために砂糖の入っていない緑茶を飲んだ。

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