第9話 ホームステイ2日目
持田家にきて二日目の朝、私は誰にも起こされることなく目が覚めた。
病院では夜も定期的に廊下を巡回する看守の足音がして、そのたびに私は目を覚ました。
病院ではだまっていても決まった時間に食事が運ばれてくる。
他にも医師や看護師の巡回があり、人の出入りが割とある。
この持田家では住人が二人しかいないせいか静かだ。
田中が言ったようにこの家にはカメラ等の監視はないように見える。
枕元には電子式の呼び鈴があり、これを押せば音を聞いたモチダかマダムがやってくる。
まだ私一人では移動も着替えもできない。
一瞬私は押すのを躊躇して呼び鈴のボタンの上で指を止めたが、夕べ風呂でマダムに遠慮の必要が無いと諭されたのを思い出し、思いっきり押した。
呼び鈴は押している間だけチリリンと軽い音を出した。
ぱたぱたと音がしてマダムがふすまを開き顔を出した。
「グッドモーニング、ミス・マシソン」
「グッドモーニング、マダム」
普段翻訳機を使わないと会話もできないマダムも挨拶ぐらいは知っているようだ。対して私はグッドモーニングにあたる日本語を知らなかったため、やはり英語で挨拶を返すしかなかった。
マダムは私をベッドから起こし、着替えを手伝い、トイレに連れて行き、洗面台で顔を洗いキッチンのテーブルの前に車いすのまま連れて行った。
『昴がまだ帰ってきていないけど、朝食にしちゃいましょう』
「彼はこんな朝早くどこかへ行っているんですか?」
『ジョギングにいってるのよ』
玄関を開ける音がして「ただいまー」と声がした。
何らかの日本語の挨拶らしいので言葉の意味が分からなかったが、彼が帰ってきたのはわかった。
『ちょうど帰ってきたみたいね。せっかくだから昴を待ちましょう』
タオルで汗を拭きながら、昴がキッチンに顔を出した。
「あれ、ご飯まだだったの? 先に食べてても良かったのに」
「マシソンさん、お腹を空かしていたのに待っててくださったのよ。早く手を洗ってきなさい」
彼は一度洗面所に行き、手と顔を洗ってから席に着いた。
「それではいただきましょう」
「「いただきます」」
二人は合掌して声を合わせて言った。これが日本での食事のマナーのようである。食事前のお祈りは日本では大分簡素化されているなと思った。
朝食はハムエッグ、二人にはご飯、私には焼いたトーストにマダムがマーガリンを塗ってくれる。
バターは入手が難しいらしい。ハムは合成肉を加工したもの。
そして、ネチョネチョと不快な音が聞こえる。
モチダはお椀のなかのものを箸でかき混ぜていた。
時々糸をひく茶色い粒々状のものがちらりと見える。
「それが噂に聞く納豆なのね」
私はその様子をしげしげと眺めた。私の分の納豆は用意されていない。
「食べてみる?」
彼がお椀を私の鼻先に近づけた。
そのにおいを嗅いだとたん私は咳き込んだ。
「ま、日本人でも食べられない人がいるからね」
そう言って彼は納豆をご飯の上にかけると、おいしそうにほおばった。
朝食後、モチダはタクシーを呼び出した。
呼び出し方は簡単だ。いつも彼らが所持しているスマートフォン型端末に口頭で「朝九時に車いすが積める車一台、持田昴の家の前に」と言うだけだ。マダムはこれを自動翻訳機としても使っている。
朝九時五分前に車はやってきた。
昨日持田家にやってきたときと同じような白いワンボックスタイプで、やはり無人だった。
そして昨日と同じようにバックドアを開き、彼が車いすごと私をそこに入れた。 昨日と違うのはマダムも車に乗ってついてきたことだ。
病院に着き、車を降りると、再び車は無人のままどこかへと走り去った。
昨日田中から受け取った私の治療記録の資料を受付の女性に渡し、診察の順番を待った。
病院の待合室は空いている、私達以外は数名しか患者はいないようだ。
「この病院ずいぶん空いているのね」
私は辺りを見回して言った。
「ここに限らず病院は完全予約制なんだよ。病気の診察はまずジュリコが問診をして、許可がもらえた患者のみ医師の診察を受けることができる」
「え、それで大丈夫なの?」
「病気と言ってもだいたいは「お薬出しておきますねー」で済むレベルなので問題が起きたとは聞いたことがないよ。それにジュリコの診察はそこらへんの医師より正確だからね。薬の処方もしてくれるから医療費がすごく安く済むようになった」
「そういえば私の診察費っていくらくらいかかるのかしら?」
アメリカでは医者の診療費で破産した、という話もよく聞く。
「その心配はいらないよ、ルーシーの診療費、薬代は国から出ているから。あと、毎日の生活費もきちんともらっている。実はルーシーのお小遣いもでてるんだ。あとで渡すね」
女性看護師が名前を呼んだので診察室へ三人で入った。
診察室には白衣を着た若い男の医師がいた。彼は、受け取った資料とレントゲン写真に一通り目を通す。
「このまま様子を見て問題が無ければ、来週には左腕のギプスが取れますよ。足の方も来年の正月明けにはとれますね。折れた骨を固定するためのボルトが足に入っていますが、今は骨に同化する素材でできているのでそのままで大丈夫です。昔は金属製で、一年後にそれをとる手術が必要だったんですよ」
医師の診察はそれだけの説明を聞いただけで終わった。
次回診察の予約を取りその日は病院を後にした。彼の言うとおり診察のお金は払っていない。帰りも自動運転のワンボックスカーに乗って帰った。
「せっかくだから昨日とは違う道をいこう」
今日も昼食後、私は散歩に誘われた。彼は恒例にしたいようだが私はあまり乗り気ではない。
しかし彼に療養には安静が必要だからといって家に閉じこもりきりでは逆に体に良くない、といって押し切られてしまった。
あまり人の通らない道を、彼は私を乗せた車いすをのんびりと押す。
私は昨日と景色があまり変わらないな、とぼんやり考えながら車いすで揺られていた。
ふと道ばたにある粗末な小屋が私の目をひいた。
それはむき出しの木の柱に壁は板を打ち付けただけ、屋根は塩ビ製で中には棚がある。その上には野菜の入ったビニール袋が並んでいた。
「あれは何? 野菜の展示場?」
「ああ、あれね」
彼は車いすを小屋に近づけた。
「これは野菜の無人販売所だよ」
棚の上にはジャガイモ、にんじん、チンゲンサイなどが数個ずつ袋に詰められて並んでいる。
「もうジャガイモがでてるんだ早いな」
彼はそのうちの一つをとって私に見せた。
「だれかが野菜を善意で配給してくれるのね。この国は物資不足という割には結構残ってるけど」
「いや、無料じゃないよ。野菜が欲しい人はこの箱の中に百円を入れてくれって書いてある。百円というのはドル換算で、え~と今は経済封鎖で1ドル三千円くらいになっているから約三セント? まあ缶ジュースが一本買える値段だよ」
「え、有料なの? こんな事をして誰かが盗んでいかないの?」
「誰が盗むのさ、実際この通り野菜は残っているよ、もっともこの小屋の持ち主は、これで儲けるつもりはないんだろうけど」
彼は手に取った袋入りのジャガイモを再び棚に戻した。
小屋を後にして散歩に戻った。
「ねぇ、モチダ。お金のために軍人をしているの?」
私はマダムとの夕べの風呂での会話を思い出した。
「軍人じゃなくて守備隊員。そうだね、半分はお金のためかな」
「あと、半分は?」
「自分が必要とされているから、かな。三年前の僕には居場所がなかったからね。でもジュリコに君にしかできないことがある、と言われたときはうれしかった」
「あなたの家の生活が困窮しているのを見透かされて、無理矢理軍人をやらされているんじゃないの」
「そんなことはないよ。今はこの国では母子家庭だからといって生活に困窮することはない。大学まで無料で進学できる、全ての人間が平等に扱われている。と言うより今は平等にみんな貧乏しているんだけどね」
道ばたに女の子が立っていて、こちらを見ていた。
彼と同じくらいの年齢のようだ、紺のジャケットにチェック柄のスカートをはいている。ジャケットのポケットにはエンブレムが刺繍してあり、どこかの学校の制服のようだ。
制服のある学校に通うなんてこの女の子はずいぶんと育ちが良いらしい。
「やあこんにちは楓。今学校の帰り?」
彼が女の子に声をかけた。女の子は声をかけられてほっとして、笑顔を浮かべている。
「こんにちは昴ちゃん。すごく久しぶりね、戦場から帰ってきてたのね」
「ああ、昨日帰ってきたばっかりだよ」
「この人はルーシー・マリア・マシソンさん。しばらくの間うちで預かることになったんだ」
彼女の視線が私に向けられ、彼は私の素性を説明した。
「知ってる、噂になっているもの。皆言ってる、敵の軍人を預かって世話をするなんて、どうかしてるって」
「それがジュリコの命令だからね、それに実はルーシーに戦場で怪我をさせたのは僕なんだ」
「昴ちゃんが罪悪感を持つことはないよ、それが戦争なんだから。それに怪我が治ったら、また敵として向かってくるんじゃないの。今度は昴ちゃんが殺されるかも知れない」
「そういうこと考えるの良くないよ。ジュリコは彼女に、日本という国を知ってもらって日本人と仲良くして欲しいと考えて僕に預けたんだろう。だから楓もルーシーと仲良くして欲しいな」
あらためて彼女は私を見た。二人の視線がぶつかる。私は彼女の目の中に怒りを見た。
「この人、美人ね」
「そうだろう、やっぱり楓もそう思う?」
二人の会話は日本語で行われていたので私には理解できない。だが、昨日会った婦人達もそうだったように、彼女が自分に敵意を抱いているのは判った。
私は最初、彼女の怒りの理由は単純に自分が敵の軍人だからと思っていたが、それだけではないようだ。
「モチダ、ひょっとして彼女はあなたの恋人?」
「いや、ちがうよ、ただの幼なじみさ」
私達が英語で会話を始めた彼女はスマートホンを取りだし、翻訳機能をオンにした。
『初めましてマシソンさん。私は広瀬楓といいます』
「初めましてカエデ。私のことはルーシーと呼んでね。しばらくの間、持田家にお世話になります」
「僕のこともスバルって呼んで欲しいなぁ・・・・・・」
彼が何か言ったが私は無視した。
『ルーシーさん、昴ちゃんはあなたのお世話がきちんとできていますか? けっこうがさつなところがあるので心配です』
「ええ大丈夫よ、ありがとうカエデ」
「そうだよ楓。がさつなんてとんでもない。毎日ちゃんと一緒のお風呂に入って、彼女の背中を流しているし、下の世話もしている。夜は一緒の布団で寝ていて体を温め合っている。見たとおり24時間つきっきりでお世話をしているよ」
カエデの顔が真っ赤になった。顔を伏せ両手に握りこぶしを作り、肩を怒らせて震えている。
私はギプスで固められている左手で彼の脇を小突いた。
「冗談よカエデ、彼には指一本私の体に触れさせていないわ。お風呂には彼のお母さんと入ってるし」
カエデがすがるように私を見た。その目には涙が貯まっている。
『本当?』
「ええ、本当。彼は嘘をついているわ」
カエデはキッと彼をにらみつけた。
「サイテー! 昴ちゃんの馬鹿!」
カエデはそう言うと大股で歩いていってしまった。
二人は何も言わず彼女を見送った。
「やれやれ。あんな冗談を本気にとって顔を真っ赤にさせるなんて、楓は子供だなぁ」
「モチダ、子供はあなたの方よ」
私は肩をすくめため息をついた。
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