第8話 ホームステイ1日目

「散歩に行こうよ、ルーシー」

「気が進まない」

「これからしばらく過ごすところなのだから、どんなとこか知っておいても損はないよ。それに適度な運動や、日光を浴びた方が怪我の治りも早いし」


 昼食のあと、モチダは私を外に連れだした。


「今日は良い天気だ。やっぱりアラスカと違ってあたたかい」


 彼は私を乗せた車いすを、住宅地を抜け細い道へとのんびり進めた。


「いいところだろう、ルーシー」

「地面がむき出しの畑以外、何も無いところね」


 無理矢理外に連れ出された私の機嫌は悪い。


「それは田んぼという米専用の畑だよ。もう稲刈りが終わって水も抜いてあるから、何もないように見えるのさ。一ヶ月も前なら一面黄金色の絨毯が見られただろう」


 青い空にわずかの雲、風がそよそよと吹き、風景の中に緑は多い。あまり人はいない、その田んぼとやらで作業する人間をわずかに見るだけだ。この国が戦争中と思えない程、のんびりとした風景が続く。


「静かね。この国が世界の戦争の中心となっているなんてとても思えない」

「戦争は限定的な地域でしか行われていないからね。特に北のアラスカと南のシナ海が激しい。だけど戦っているのはほとんどドローン達、無人兵器だから人的被害は出ていない。戦場に出ている人間は、僕たちトリガーと呼ばれている人たちがわずかにいるだけ。戦争を身近に感じている人はほとんどいない」

「トリガーってなに? あなたたちは何のために存在するの?」

「僕達の仕事はドローン達に指示をすること。「攻撃」「撤退」「待機」命令はそれだけ。具体的な攻撃と防御のプラン自体はジュリコがたててくれる。トリガーメンバーは文字通り銃の引き金、相手を撃つか撃たないかの選択だけをまかされている」

「私、思うんだけど、ひょっとしたらトリガーメンバーなんて必要ないんじゃないの?」

「そうだね、戦争をするだけなら僕たちは必要ないよ。でも、ジュリコは他の国の人たちとの対話を求めている。相手を対等な立場に立たせるには、こちらもそれ相応の犠牲を払う必要がある。相手にとっても戦争をする相手が人間の方が戦いやすいからね」


 私達が再び住宅地に入ると、モチダの母より少し年上に見える女性が声をかけてきた。


「昴ちゃん、帰ってきていたのね、おかえりなさい。しばらく見ないうちに大きくなったわねぇ」

「こんにちは山田さん、今日こちらに帰ってきたばかりなんです」

「戦場に行ったあなたのこと、お母さんがすごく心配していたわよ。まだ若いんだし守備隊なんて辞めた方が良いんじゃない?」

「いいえ、辞めません。休暇が終わったら守備隊に戻ります」

「ええ、そんな。捺江さん、かわいそう」


 二人の会話は日本語で行われているため、その内容は私にはわからない。

 しかし、彼女は話している間、私の方にちらちらと視線を送る。それは決して友好的には見えない。

 そのあとしばらく話をして女性は彼を解放し、私達は再び散歩に戻った。


「あの人、私に敵意を向けていたわ」

「狭い地域だからね。きっともう、うちが敵の軍人を預かるという話が知れ渡ってるんじゃないかな。その証拠に山田さん、ルーシーのこと何も聞かなかった」

「私、きっとそのうちここの住民に殺されるんだわ」


 私は唯一自由な右手で自分の首を絞め、舌を出した。


「それは言いすぎだよ。戦争をしているといっても、誰か家族を失った人がいるわけじゃないから、そこまで敵意を持っている人はいないはず。それにルーシー一人どうかしたって戦争が終わるわけでもない。それくらいみんな判ってるさ」


 それから家まで何人かの住人とすれ違い、そのたびに挨拶に時間をとられた。


「僕が背中を流してあげようか? 左手が使えないと不便だろ」


 夜が更け、夕飯を済ませた後、私がシャワーを浴びたいというと彼は水がかからないよう左手と左足を覆うギプスにラップを巻き付けてくれた。


「ノーセンキュー」


 右手の平を彼に広げて見せて、私は全力で拒否した。

 彼に肩を貸され、私は風呂場の脱衣所へと入った。


「シャワーを浴びなくても、体なら拭いてあげると言っているのに」

「病院では体を拭かれるだけだったから、久しぶりにお湯を浴びたいの」


 彼を脱衣所から追い出し、私は苦労して一人で服を脱ぎ、片足飛びをしながら風呂場に入った。

 風呂場に置いてあるプラスチックの椅子に座り、一息ついた。

 シャワーのコックをひねろうとして手を伸ばしたところで、脱衣所に誰か入ってきた気配に気がついた。しかも衣擦れの音がする、服を脱いでいるようだ。

 まさか彼がここへ入ってこようとしているのか。この家の風呂場には鍵が付いていない。

 日本にはコンヨクといって年頃の男女が一緒に入浴し、肌を見せ合う風習があるという。

 しかし、私はアメリカ人、いくらここが日本だと言ってもそんなクレイジーな週間に付き合う義務は無い。

 私は右手で洗面器を持ち、侵入者を迎え撃つ体制をとった。

 しかしドアを開き、タオルで体を隠しながら入ってきたのは彼の母、捺江だった。私はほっとして持っていた洗面器を下ろした。


『勝手に入ってごめんなさいマシソンさん。でも一人では体が洗えないでしょう、手伝います。大きなお世話なら出て行きますけど』


 マダムの言葉を、彼女が持ち込んだスマートフォンの翻訳機能が英語に直し私にに伝える。


「そんなことはありません、マダム。助かります」


 私も髪をどうやって片手で洗おうかと思案していたところだった。

 私の許可を得ると彼女は後ろに座った。

 蛇口をひねりシャワーヘッドから湯を出すと、浴室内に湯気が充満する。

 彼女は一度自分の体にシャワーヘッドを向け、直接肌で湯の温度に問題が無いことを確認した。


『熱かったら言ってくださいね』


 彼女はシャワーヘッドを私の体に向け、肩から背中に湯を浴びせた。

 ひさしぶりに大量の湯を浴びた私は、水流が肌の表面をつたわるその気持ち良さに思わず「ふぅ」と口から息が漏れた。


『あなたは怪我人なんだから、遠慮無く私たちの世話になって良いのよ』

「すいませんマダム」


 手足が不自由なのに、一人でシャワーを浴びようとした私を彼女は咎めた。

 彼女はラップで覆われた左手と左足のギプスの部分を外して、私の体にまんべんなくお湯を浴びせた。浴びせ終わるとマダムは一度シャワーのコックを閉めた。

 次にマダムはスポンジを湯で濡らし、ボディソープをかけてよく泡立たせ、私のの背中にスポンジを這わせる。

 ふと、彼女の手が止まった。


『女の子が体をこんなに傷だらけにして・・・・・・』


 マダムの指が私の体に付いた傷をなぞる。傷の多くはモチダとの戦闘で受けたものだが、それだけというわけではない。


「くすぐったいわ、マダム」

『あ、ごめんなさいマシソンさん』


 体を揺すると彼女は再び私の体を洗いはじめた。


『ごめんなさい、昴があなたをこんなに傷だらけにしてしまって』

「いいえ、謝る必要はありません。私は別にあなたの息子さんを恨んではいません。逆に私が彼を傷つける可能性もあったのですから。それが戦争なんです。そんなことより、彼は十五歳、まだ幼いのに大事な息子が戦争にいって不安じゃないですか」

『もちろん不安よ、あの子が戦争で死ぬところを夢に見るのは一度や二度ではないわ』

「なぜ止めないんですか?」

『何度も何度も止めました。でも言うことをきいてくれないのです。昴の父はあの子が小さいときになくなってしまった。そのせいで昴にはお金のことで苦労させました。今の暮らしは昴が働いたお金で手に入れたものです。この家もそのお金で手に入れました』

「お母さん思いなんですね」

『私は貧乏でも良いんです、あの子さえそばにいてくれたら他には何もいりません』


 自分も軍隊に所属しているせいで母親にこんなに心配をかけているんだろうか、私は田舎に残した母親を思い出した。

 その後マダムに洗髪とリンスをしてもらい、入浴後は体を拭いてもらった。髪にも丁寧にドライヤーをかけてもらい、パジャマも着せられた。

 私は彼女に対して、お世話をかけて申し訳ないと素直に思った。

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