第6話 昴の実家 1
中に入ってきたタナカは私の前のノートパソコンのスイッチを切り、折りたたんだ。
「ミス・マシソン。ジュリコと満足のいく会話はできましたか?」
「いいえ、食い違い過ぎて不満しか残りません」
「ジュリコは人間ではありません。文字通り血も涙もありませんから、少々冷徹な判断を下すことがあります。しかし話がわからないということはありません。選択肢をいくつか掲示してそれを人間に選ばせる度量を持ち合わせています。彼も自分は必ずしも完璧な存在だとは考えてはいないんです」
「よく日本人はそんなあやふやな存在と付き合えるわね」
私は肩をすくめた。
「日本では欧米とは違い、神様自体を完璧な存在とは考えてはいません。雨は適度な量なら作物を育ててくれる、しかし多すぎれば災害となります。それと同じ事です。受け手の人間の解釈の違いだけです。ではこちらの部屋に来てください」
私は再び軍服の男性に車椅子を押され、別の部屋へと運ばれた。
その部屋は先ほどとは違って明るく開放的で、多くの人間が出入りしていた。
「それでは、ルーシー・マリア・マシソンさん、これから持田家へ行くことになります。あなたの身柄はしばらくの間、昴くんに預けます」
田中からいくつか注意事項の説明があった。
「本当に行かなくてはならないの?」
「もう入院の必要がありませんので。療養するなら一般家庭が最適と、ジュリコが判断したようです。それに戦争はまだ続いています。新しいゲストのために部屋を開けておく必要があります。病室はいくらあっても足りません」
「こんな怪我をしているから逃げられっこないと考えているんでしょうけど、私を甘く見ないでね」
私はギプスで固められた左手を、右手でコンコンと叩く。
「逃げようとするのはおすすめできませんね。他のものに危害を加える心配があるゲスト用の施設もありますが、それは早く言えば牢獄ですよ。どうしてもそこに行きたいというなら止めませんが、我々としてもゲストにそんなことをしたくありません」
「ゲスト、ゲスト・・・・・・ねぇ」
「ゲストと呼ばれることに何かご不満でも?」
「ゲストなんて言わずにはっきり捕虜っていったらいいじゃ無いの。いかにも平和主義ですってかっこつけて、胸がむかむかするわ」
「私としてもゲストでも捕虜でも言い方は別になんでもかまわないとおもっています。現在日本はあらゆる国際条約から脱会しています。捕虜の取り扱いを定めたジュネーヴ条約も効力を発しないということを頭の片隅においてくださいね。あなたの処遇は今後持田昴くんに移管されます。年下の少年に管理されるのは不満でしょうけど、彼に生殺与奪の権限があることをお忘れ無く」
部屋にモチダが入ってきた。
「すいません、田中さん。まだ話の途中でしたか? 車の準備はできてるんです」
「えぇ、大丈夫ですよ、お待たせしました昴君。話は今終わりました。あとはこの書類に彼女のサインがもらえれば楽しい同棲生活が始まります」
彼女は私の目の前のテーブルに一枚の紙とボールペンを置き、サインするよう促した。
紙には、他のものに危害を加えない。破壊活動を行わない。逃げない。それらを遵守します。守られなければ自分の身がどうなってもかまわない。などと書かれていた。
私は不承不承書類にサインした。他に選択肢はないのだ。
「よし、行こう。僕の実家までちょっと時間がかかるよ。トイレは大丈夫、ミス・マシソン?」
私は首を横に振った。
彼は車いすの後ろに回るとそれを押して病院の外に出た。
外には一台の白いワンボックスカーが、エントランスに横付けされ止まっていた。
私達が車に近づくとリアハッチが開き、スロープが出てくる。彼は私を乗せたままの車いすをそのまま車に押し入れ、細いワイヤーで固定した。
彼は何度もワイヤーで固定されてるのを確認すると、後ろのドアをゆっくりと下ろした。
彼は助手席側のシートに座るとドアを閉め、シートベルトを締めた。日本では右が運転手側だ。だが車には運転手は乗っていない。彼は窓を開け、見送りに来たタナカと二言三言話をして何度も頭を下げると窓を閉めた。
彼は、出発進行といい、コンソールのボタンを押すと車は静かに走り出した。運転手はいないしエンジン音がしない、自動運転の電気自動車らしい。カーナビには地図と目的地までの時間が表示されている。
彼が前の席から振り返り、話しかけてきた。
「ねぇ、ミス・マシソン、ルーシーって呼んで良いかな? 僕のことは昴って呼んで良いからさ」
「ノー」
私は即座に返答した。
「それでね、ルーシー、これから行くところは僕が生まれ十五年間育ったところなんだ。僕も帰るのは15ヶ月ぶりだよ。母さん、元気にしてるかな」
私はため息をついた。彼は若いが戦場に出ているだけあってメンタルが強い。戦歴だけでいえば私よりベテランだ。
「モチダは戦場に15ヶ月間縛られていたの?」
「つい、ね。気がついたらそれだけ経っちゃった。休暇をとるようにってしつこく催促されていたんだけど、無視していたらとうとう強制的に日本に連れてこられちゃった」
彼は朗らかに笑う。
「あなたには家に帰りたくない理由があったの、それとも本当は母親に会いたくなかったとか」
「そんなことないさ、ぼくの任務は戦場でドローン達を操り、人を殺すこと。こんなつらい任務、他の人にはやらせたくなかったんだよ。それに他のトリガー達には戦争大好きな人もいるからね。そんな人に担当が変わったら大変だ。僕はできるだけ人を傷つけないようにって命令を出してるけど、それでも全く無傷とは行かないからね。ルーシーみたいに傷ついた他の国の兵隊を何度も見たよ。死体を処理したことだってある」
私は目の前の少年がまだ15歳だということを思い出した。
「あなたはいつから戦場に出ているの?」
「最初に戦場へ出たのは12歳の時かな」
「12歳! なんてことを。アメリカではそれは完全に児童虐待よ!」
「トリガーメンバーは全部で約二千人いて、その選別はジュリコがやっている。それは日本人全体の中からどういった基準で選んでいるかは知らない。僕より年下もいるし、最高で65歳という人にも会ったことがある。もちろんその中には女性だっている」
「あなたみたいにひねくれた、普通じゃない人物ばかり選んだんじゃないかしら」
「そうだね。トリガーは皆個性豊かな人ばかりだよ。でもねルーシー、普通って何だろう?」
私は言葉に詰まった。彼も何か深い答えを期待したわけではなく、それ以上何も言わなかった。
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