甘噛み

 午後5時を告げる時報が鳴り渡る。

 付近はあらかた暗くなっており、西側が淡い橙色に染まっている。

 忙しなくすれ違う乗用車が通る大通りに別れを告げ、カラスが密集してとまっている林の奥へ入っていく。そこには見慣れた漆喰塗りの小屋があり、私は慣れた素振りを見せてドアを開けると、先輩が白い壁にもたれかかって待っていた。


「早かったな。お友達も連れて来るかと思ったが」

「先輩以外誰も入れたくないんですよ、ここには。まあ座って下さい」


 すぐそこにある椅子を指し座るよう促すと、自然と表情を緩めて、


「で、今日は何の用で?」

「言っただろ。俺は殺しをやめる。だから金輪際関わらないでくれ」


 勿論そのことは理解していた。前々から言われて保留にしておいたが、流石にしつこくなって知らんぷりをするのが厳しくなり、とうとう正面から向き合わざるを得なくなった。


「………」


 神聖な殺戮を野蛮な殺しと捉えるなど私にとっては屈辱。一番の理解者だと思っていたのに、こちとら裏切られた気分だ。


 ……殺してしまおうか。やつとは利害が一致していただけで協力関係を築いただけのこと。向こうからおさらばしてくれるんだったら、むしろ好都合。


「……わかりました。そこまで言うなら」


 スイッチを押すと同時に金属が擦れる音が響き、肘掛けに置かれた彼の両手首を固定した。

 案の定驚いた様子で、固定された腕を必死に動かして逃げようとしてる。笑える。


「おいっ、何なんだよこれっ! 外せよっ!!」

「まだ分かりませんか? 私、先輩あなたを最ッッッ高な作品にしたいんですよ……」


 先輩は訳が分からないと整った眉を逆立てて、


「はぁ!? ふっざけんな!! 誰がお前の言いなりになるかよッ!」


 と罵った。


「え? この前、約束したじゃないですか。『体のことなら私に任せてゆだねてください』って。もしかして勘違いしてました? 馬鹿みたい(笑)」


 十分に嘲笑した後、私はナイフや鋸、鋏諸々を手に取って、まず彼の服を切り裂き裸体にしたら、部屋の隅に寄せられていた照明用のライトで存分に素材先輩を照らす。


『どうしよっかなァ……、骨だけにして椅子とかテーブルにするのもアリだし…いやでも、どうせならもっと豪華なモノに……』


 考えれば考えるほど思考が脳を侵していく。ただの自己満足で始めた芸術が、こんなにも奥ゆかしいものだったなんて!! 感情が昂ったせいか頬は紅潮し、瞳はうっとりして素材を映していた。


「おいッ! 何なんだよその目はッ!! いい加減に――― ッ!?!?」


 あまりにも耳障りだったから黙らせたが、ちと乱雑すぎただろうか。何せ、左目を潰したのだから。


「いッ…があああああぁぁぁぁぁ!!! おまッ……ぜってぇ許さねえ!! 殺してやるぅッ!?!?」


「ギャアギャア五月蝿いんですよ……材料のくせに」


 静まるどころか余計に騒がしくなったので舌を切り落とした。別に後で肉付けからまだいいが、血液は抜いて使いたかったがしょうがない。血で染められていない右目に鋏を向け、冷淡な視線で


「これ以上騒いだらも潰しますから」


 と発破をかけておいた。

 やっと意図が伝わったのか、惨めに泣くのを止め、ただひたすらに命乞いをした。


「なあっ……頼むよ……、助けてくれ……」


 汗と涙と血液が混じり、ヒーヒー泣いて助けを乞う無様な姿は、肉塊にされる寸前の家畜と重なった。尤も、人間殺す側の意図を知らずにのうのうと生きている豚や牛のほうが幸せかもしれないが。

 さっきのような大声を出されてはたまったものじゃない。人が寄ってくる可能性がある。早々に息の根を止めておこうと首に手を添えようとすると、馴染みのある声が耳に入った。


「あ、やっぱりここにいたんだぁ。捜したよー?」


「美欧……」


「あっ、矢野先輩じゃん! 流華ぁ、独り占めなんてズルいじゃん!! 私も混ぜてよぉ!!」


 そう言い放つと、いきなり先輩素材と唇を寄せ、淫らなディープキス……ではなく、相手の下唇を勢いよく噛み千切った。もちろん、相手は激痛の極みで暴れだし、美欧は流暢に千切ったほうの肉片を口の中で転がすと、


「あ、結構イケるかも! そんなに臭くないし、脂っこくないし!! ねえねえ、殺したあと、お肉もらってもいい?」


「別にいいけど、肉付け、手伝ってもらうからね?」


 と、会話を中断させると、再び素材の首に手を添え、言葉にした。


「さよなら」



 ◆ ◆ ◆



「流華ー、お肉全部削いだよー」


「ん、ありがと」


「ちなみに、左目って使わないよね? 潰れてるし。もらって大丈夫?」


「ああ、それ? いいよ、持ってって」


 美欧が来てくれたおかげで、作業がテンポよく進み、予定の時間よりも早く終わってしまった。あとは紙粘土で部分的に肉付けをして、左目があった眼窩に猫の目を入れれば大体は完成する。

 既に時計は19時近くを指していて、そこらの学生ならば雷を落とされるのが常だろうが、下手に腐って使い物にならないなんてアクシデントが起こるのは避けたい。刻一刻と時間が過ぎていく中、なんとか3時間後に完成させた。


「出来た~~!!!」


「あぁ……疲れたよぉ……。流華ぁ、明日パンケーキ奢ってよぉ……、これだけやったんだからぁ……」


「はいはい、わかってるよ。お疲れ」


 汗水垂らしたその先には、全身の骨が殆ど露出し、人造の皮膚が右目周辺と背中の上半分を覆い、左の眼窩には猫の目が詰め込まれ、残った右目は虚ろに周囲を映し、背には鴉の翼が繋ぎ合わされ、その姿は歪んだ、哀れな天使を示していた。


に褒めてもらえるなァ……」

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約諾の弦 朝陽うさぎ @NAKAHARATYUYA

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