喰違

 現在は19時。

 すっかりぬくまった身体を扇風機の弱い風で冷やしつつ、しっかりとトリートメントを掛けた長い髪を、ドライヤーで雑に乾かしている。渇き終えた後に、本棚へ向かい一冊、文庫本を手に取ろうとするとき、紙で指の腹を切ってしまった。

 しばらくの間、血を見ていなかったので、自傷の感覚を忘れてしまっていた。じっと、食い入るように見ていた。


「ただいま。……お母さん? どうしたの」


 帰宅した我が子の声で正気に取り返すと、何事もなかったように振る舞った。


「……ああ、ちょっと手を切っちゃったみたい。でもどうってことないから。

 先にお風呂入ってらっしゃい」


「はーい。もうカバンまで濡れてんじゃん……。サイアク」


 びしょ濡れになった全身よりも、私は娘が手にしているボストンバッグが視界に入った。夕飯の準備をしながら、チラチラとそれに視線を注いでいる。その中には、案の定、思い当たるものが詰められていた。


「……ねえ、夕夏ユカ……」


「ん? なーに?」


「そのボストンバッグ、もしかして……」


「え? 入ってるもの? 死体だけど」


 嬉しそうにこの子は物語っている。バッグの中身を散らすと、綺麗な切り口の腕や、血みどろのくり抜かれた眼球を弄んでいた。


「今日も放課後、


 私は反射的に娘の頬を叩いた。


「お母さん……?」


「なにやってるの!? あれほど快楽主義でっちゃダメって言ったじゃない! また楽しんで」


「なに勘違いしてんの?」


 叱責する私の声を遮って、考えをすかさず否定した我が子は、罪の意識を全く感じていない気配だった。


「その子、お父さんを撲殺したんだって。貴女お母さんみたいに」


 最後、娘が発した言葉は、聞くたびに封じ込めた忌々しい記憶を蘇らせてしまう。


「お母さんは浮気して家を出ちゃって、お父さんから暴力を受けてたんだって。家の中にずっと閉じ込められてて、3日以上放置されてたこともあったらしいよ……。それで、今日、逃げようと思って殺したんだって、話してくれた。だけど、話聞いてる時に幸せそうな顔してたから、逝かせてあげた」


「そんな理由で……」


? じゃあ誰が私のお父さんを殺したの? 誰が私に殺すことを教えたの?」


 質問に対して、答えは知っている。だけど、答えてしまったら、私はもうお払い箱。この子に支配されてしまうことはもう目の当たりにしている。


「じゃ、勉強するから。邪魔しないでね」


 冷淡な声を私に浴びせ、何事もなかったように振る舞い、部屋を出て行った。

 私はその場から、消え失せることは不可能と見据え、身体が崩れ落ちた。

 散乱していた死体は、既に蝿がたかっていて、肉片がこびりついていた。

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