まさか、そんなはずは

麻城すず

まさか、そんなはずは

 まさか、と思う事態に遭遇する事は極めて稀である。稀であるはずである。稀であって欲しい。


「……まさか、そんなはずないよね、お母さん」


「まさかなもんですか。さあ早く準備しちゃって。あ、別にそのままでも良いけどね」


「良くない!」


 昨日まで何にも言われなかったから考えもしなかった。父が経営している工務店が潰れるなんて。


 確かに「市長が代わったせいで公共工事が減って、うちみたいな下請けはきついな」なんて事は言っていた覚えがあるにはあるが、まさか本当になるなんて思うわけないじゃない。


「早くしないとおいてくわよ。夜逃げは迅速な行動が命」


 だからなんでそんなに緊迫感がないのよお母さん! どうしてそんな笑顔なの。


 こっちはいつもどおり晩ご飯は何かななんて鼻歌歌いながら帰ってきたっていうのに、いくらなんでも唐突すぎる。


「借金とかどうなの……?」


 少しでも現状を知りたい私は恐る恐る聞くけれど。


「そうね、捕まったら私達の内臓売られかねない金額ね」


 ケラケラってちょっとお母さん笑ってる場合じゃないでしょうが! 呑気過ぎるわこの母親。


 いまいち緊迫感がない空間に、お父さんの姿を捜すけれど。


 プップー、とその時外から車のクラクションが聞こえて来た。


 まさか借金取りじゃないでしょうねと思ったのも束の間、


「おー、瑞希。帰って来たかぁ」


 滅多に見ない背広姿のお父さん。お母さんと同じようにニコニコ笑っちゃってて、私は目眩に襲われる。一体なんなのこの夫婦。


「ねえ、夜逃げってどういうことなの?」


「おお、それがな。実はうちの工務店、潰れかけてたからいよいよ借金踏み倒して逃げるかって話になってたんだが、元請会社の坊ちゃんの采配で借金帳消しにして頂けることになったんだ」


「交渉成立!?」


「おお!」 


 お母さんは荷造り途中のスーツケースをバタンと閉めて、お父さんに飛び付いた。


 おーおー、状況も弁えず。何年経ってもお熱いことで。


「つまり、とにかく夜逃げはなしってこと……?」


「引っ越しはありだけど」


 突然聞こえて来た若い男の声に、私はギョッとして振り向いた。その視線の先に捕らえたのは。


「え、何? なんで、神山君?」


 学校で一、二を争う美形の神山聡君。成績優秀で生徒会長まで勤める神山君は女の子達の憧れの的。まあレベルが違いすぎて私なんかはぶっちゃけ興味すらわかないレベルの人なんだけど。


 でも、そんな普通に考えたら高嶺の花の神山君がなんで私の家なんかに。


「神山建設の坊ちゃんのこと知ってるのね。だったら話が早いわ」


 父と神山君を交互に見ながら、パニクっている私の肩を叩く母が耳元でこっそり囁いた言葉は。


「玉の輿、狙いなさいよ」


「はあっ!?」


 意味が分からず素頓狂な声を上げる私の手を誰かが掴んで、そこに感じる柔らかい感触。これはいわゆる、俗に言う王子様キスというやつでは。


「ひゃあああっっ!」


 慌てて振り払いつつブンブン腕の上下運動。よく考えてみれば、汚い汁が手についた時と同じ行為でだいぶ失礼な気がするけれど、キスした張本人である神山君は涼しげな笑顔で動じる様子はまるでなし。


 いいのかそれで神山くん!


 それはともかく、


「ななな何なのっ!?」


 大慌てと言うよりは最早半狂乱な私に対して、目の前の男の子は実に涼しげな微笑みでサラリと爆弾を投下した。


「渡瀬瑞希さん。僕は渡瀬工務店の借金一億二千万円を肩代わりする代わりに君の身柄を預かる事になったんだよ」


「はあ!? それって人身御供? 意味分かんないんだけど!!」


 何故に預かる? どんな流れでそんな話に。ってかなんで私が預かられる!?


「丁度身の回りの世話をしてくれる専属のメイドを捜していてね。君なら年も学校も同じだし話も合いそうだと思って」


 それだけで一億二千万ってあり得ないでしょ。絶対何かあるに決まってる。ああ、我が校の王子の、その爽やかな笑顔の影にどす黒いものが見えるのは私の気のせいなんでしょうか。


「いや、メイドやるなら母の方が色々マメに働きますって。だって見て私の部屋。ほらこーんなに汚いでしょ? いわゆるあれです。片付けられない女ってやつでね。あーっはははははっ」


 警告する第六感に従って必死の弁明。言ってて虚しい気もするが、あとは笑ってごまかしてしまえとばかりに高笑い。自分でももう、なにがなんだか。


「馬鹿ね、いい機会なんだからついでに家事のいろはも教わってきなさい!」


 突き放す母。そしてまた耳元で「狙え玉の輿!」あんたなんだその握り拳。


 十六年間育ててくれた実の母がここまで計算高い女だとは知らなかったよお父さん。


 なんて感傷に浸りつつ父を見れば、鼻歌交じりに人の荷物をスーツケースに詰めている。


「お父さんってば何してんのよ!」


「さ、用意も出来たようだし。行こうか渡瀬さん」


 ポンと肩を叩かれて、勢い振り返ってみればものすごい近距離に煌めく神々しいまでの爽やか王子スマイル炸裂。


 興味がないと言ったって、さすがにこの近さでこの微笑みを食らってしまったら一溜まりもないでしょう。


 そのオーラに腰砕け状態な私は言葉もないまま連れられて、玄関先に停められた大きな車に押し込められる。しかも結構適当に。


 あれ、王子にあるまじき乱暴さじゃないなんて首を捻る私の横に腰掛けた神山君は見送る両親に向かい「お元気で」とだけ告げて、車を出すように指示をした。


「か、みやまくん。あの、これは一体どういう状態……」


 未だ現状を把握出来ていない私の発言に、王子は学校で振りまくキラキラの微笑を浮かべ、一言。


「ご主人様と呼べ」


「はあ?」


「はあ? じゃない。かしこまりました、ご主人様だ」


 あー、なるほど!


「王子って実はイメプレ好きなんだー。はっ! じゃあまさか着いたらコスプレまでさせる気じゃ……」


 続きを言う前に力一杯頭を捕まれギリギリギリ。


「あたたたたっ!」


「品の無い女だな」


 確かに品はないですが、あれ、誰これ。さっきまでの王子スマイルが、あら、なんか悪魔チックに。


「そんな品の無いやつにはお仕置きしてやらないとな」


「すすすすいませんっ! 申し訳ありませんご主人様ぁぁっ」


 するっと手を離した神山君は口だけで笑う。これはあれだ。いわゆる何かを企んだ笑い、含み笑いと言うやつだ。


「あんたの親、借金のかたにあんたを売ったの。あの人達はこれから海外に高飛びするんだよ。人身売買の証拠を消さなきゃならないからね。あんたも書類上は親と一緒に海外移住って形に偽装されるわけ」


「あの、日本語喋ってらっしゃいますでござりまするか」


 理解不能な言葉の羅列にこっちの言語能力も限界を越える。


「日本語喋ってないのはあんたじゃねーか」


 呆れたように言い放つ神山君の話し方、そういえば家にいた時と全然違うような気が……。


「つかぬことを伺いますが、あなた王子神山で間違いないんですよね……?」


「王子神山? ああそうだ。俺が私立常盤松高校二年生徒会長、そして神山建設次期社長の神山聡だ!」


 あなたさっきは自分の事を僕とか言ってたじゃないですか? こいつはあれか? 二重人格隠れS!?


「他に何か質問は?」


「えと、えと。私は一体神山家でどのような処遇になるのでしょうか。まさか内臓を取られて売られてすっからかんに」


「そんな闇販売ルート、残念ながら持ってない」


 一番の気掛かりだった臓器の保障は取れたと、ほっとした時、肩に慣れない重みを感じた。


 ここここれはっ!


 王子神山の腕が何故に私の肩に乗ってるの! しかも引き寄せられている! 何この密着具合は一体全体なんだっていうのーっ!


 頬に神山君の鼻が当たるくらいの大接近。息が掛かる。品が無くても興味が無くても私だって一応女の子の端くれ。こんなシチュエーションにどぎまぎするなと言う方が無理って話で。


「あんたの仕事は、俺を満足させる事」


 神山君の長い指が顎にあたる。加えられる力に従い私の顔はその射程圏内へ。


 簡単に触れ合ってしまった唇の温もりに、一瞬にして放心状態になった私の意識を引き戻すかのようにツルリと侵入してくる未確認物体は、意識を引き戻す代わりに私の理性を飛ばそうと躍起になっているように口内で蠢く。


「やっ……っ! ……んむっ」


 いつまでも終わらない舌の交わり。濡れる感触。知らず漏れる熱い息は、体にともる熱の証拠。


「……はぁ……ん……」


 漏れる声と、ゆっくりと離れて行く温もり。それと同時に冷めていく熱、思考。


 顔だけは爆発しそうに熱くなる。

 何今の! やらしいっ! やらしいっっ! ってかファーストキスっ! 私ファーストキスっっ!!


 え、まさかもしかして、王子の言う満足って、満足ってえぇ!?


「せいぜい尽くしてもらうからな」


 端正な顔に浮かんだ冷笑は、私の第六感の警告が間違いではないことを如実に物語っている。


 おおおお母さーん! 玉の輿に乗る前に、もてあそばれてボロボロにされた挙句捨てられる気がしますー!! へ、ヘルプミー!!


 助けを求める声も空しく、車は神山邸の門を静かに通り抜けて行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まさか、そんなはずは 麻城すず @suzuasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ