第72話 季節感
時刻をスマホで確認すると、16時30分を少し過ぎたところ。
確かにこの会議室は冷房が適度に聞いて快適だが、外はまだ暑い。
30度は確実に超えているし、場所によっては体温以上の気温になっているところもあるはずだ。すでに高校野球の決勝戦も終わり、旧暦ならとっくに「秋」になっている。これが「夏休み」というのも、よくよく考えてみれば、不思議な話だ。
大学受験の国語も教えているマニア氏が、いつだったか、しみじみと、酒の席で述べたことがあったな。
現在の暦で見た季節の分かれ目というのは、春が3月から5月、夏が6月から8月、秋が9月から11月、冬が12月から2月。
子どもの頃、おおむねそんな感じで四季が巡っていくものだと、誰からともなく教えられたように思います。
実際それは、今の気候の実情に合った分け方ではあると思います。
だけどね、昔の人が、旧暦1月から12月まで、3か月ごとに春夏秋冬とあてていったのは、一見、気候の実情とずれているように思っていました。
けれど、年を取るにつれてね、旧暦の「季節」の分け方って、あれは正しいのだと、実感をもって感じるようになりましたね、不思議なことに。
昔の人は、その季節の兆候が出始めたときから、ついにその季節の盛りに至るまでのその「過程」を、ひとつの季節と区切ったのでしょう。
そう考えると、昔の人の知恵というのは、実に奥深いものだという結論に至りましてね。それに気づくのに、私、40年以上かかりました。
でも、その結論に至る過程は、無駄ではなかったですね。
今回の「談義」、後半では、小休憩をはさんだ。
隣同士に座っている上本君とはーちゃん、仲良さそうに話し込んでいる。マニア氏は、沖原さんと上田さん相手に、やっぱり、鉄道の話だ。ぼくらは3人で、打合わせ。食事は18時からとしているから、ここでいったん中締めとしてもいいかなと思ったが、まあ、外に出ても暑いだけですし、今から飲んで何ともないのはあの米河さんぐらいでしょうから、もう少し、対談、続けましょうよと、土井氏が提案。
「ケンちゃん・・・」
はーちゃんの声が、一瞬、会場内に響いた。若い女性特有の少し高い声が会場のみんなにはっきりと聞こえたのは、他の参加者の声が途切れた、ほんの一瞬。別に怒鳴ったわけでもなく、むしろ、いつもより小さめの声だった。
「ちょっと待っといてよ、はーちゃん。トイレに行ってくる。あ、船坂君からメールが来たから、あとで紹介するね」
「上本君」から「健太君」、さらには「ケンちゃん」。初対面のはずで、出会ってまだ4時間かそこらしかたっていないのに、彼女の呼び方、ここまで変わったか。
上本君が帰ってきた。対談を再開しよう。ぼくが、先ほどのはーちゃんの呼びかけのことを引き合いに出した。これじゃあもう、鉄道の旅とか何とか、そういう対談の体をなしているやら、いないやら。でも、そんなこと、もういいだろう。
「さっき上本君が席を外すとき、はーちゃん、上本君のこと、「ケンちゃん」って呼んでいたよね。何かあったのかい?」
「上本健太君に、「ケンちゃん」で、何かおかしいでしょうか?」
「いやあ、そういうわけじゃない。人の呼び名って、関係性が変化することによって、いろいろ変わるものだな、と思ってね」
「ところで、はーちゃん、上本君のこと、どこが気に入った?」
たまきちゃんは、こういうときには、結構ずげずげと聞き出すところがある。娘と同級生の青年に対しても、まったく容赦ない。
「話していて楽しいし、優しそうだし、いかにも「鉄道マニアです」って感じでもないし、それから・・・」
「へえ、そうなの。それは良かったわね、いい男の子に出会えて。今日来た甲斐があったってものじゃない。もしさあ、上本君が、米河さん以上の「鉄道マニア」だったら、どうするの? もし付き合ってそれがわかったとしたら・・・」
「いや、それならやめといた方がいいと思うけどな、この米河さんだぞ。彼がこんな「マニア」呼ばわりされるような奴と同類なら、逃げるが勝ちだよ、はーちゃん」
顔を赤らめるはーちゃんをぼくがあおると、これまた少しばかり頬に赤みを帯びている上本君が、改めて口を開いた。
「あの、ぼく、鉄道は好きですけど、鉄道「マニア」じゃありません。今日は、はーちゃんに出会えて良かったです。実は昨日から、どんな人なのか、すごく気になっていました。大宮さんに写真を見せてもらおうと思ったのですけど、さすがに、恥ずかしくて言えませんでした。今日会ってみたら、ぼくが思っていた以上に・・・かわいい、です」
「私、実は昨日、ケンちゃんがどんな人か、たまきさんと太郎さんに根掘り葉掘り、聞いていたの。萌美ちゃん、しまいには呆れかえっていたけどね。写真は、板宿中高に文化祭の取材で太郎さんが行かれていた時のものを見せてもらいました。なんだか、ふわっと、包み込まれるような感覚になってね、今日、何か起きそうな予感がしました。会ってみて、予想通りでした。最初、下のラウンジで会ったときは、米河先生と鉄道の話をし始めたから、あまりここでしゃしゃり出るのもどうかな、と思って、黙っていましたけど、この会議室に来て初めて挨拶して、やっぱり、私の直感、当たっていました・・・」
と、はーちゃん。
事前に写真を見てから会うのがいいのか悪いのか、それは一概に言えないものかもしれない。
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