第71話 なんと申しましょうか・・・
この後、上本君が、話を戻してくれた。
「例えば、少年の「冒険」には「アドベンチャー」で英語なのに、男女の恋愛がらみの「冒険」は、フランス語で「アバンチュール」という使い分けって、英語とフランス語のイメージの差からくるものでしょうかね」
「まあ、そうやね」
と、マニア氏。
「その言葉、何週間か前のプリキュアの予告で聞きました。意味は分かりますけど、実感は、湧きません。でも、そういう恋愛、今時している人、いるんでしょうかね?」
「いるんじゃないかしらね、ひょっとして、この参加者の中にも。あなたたち、現在進行形って、覚えてて?」
はーちゃんの質問に、たまきちゃんが、見え透いた感丸見えのことを言う。
その後適度に話が続いた後、ぼくが、思うところを述べさせていただいた。
いやあ、何と申しましょうか、男女の「くっついた」だの「離れた」の、そういった話は、古今東西、会話ネタの定番の一つでして、まあ、人類普遍のテーマですからね。
じゃあ、旅の話にでも、戻りましょうか。
まあ、人生そのものが「旅」と言っても過言ではありませんでしょうがね。色気話に艶話、いいですねえ・・・。そして時にはスキャンダル、当事者は大変でしょうが、周囲からしてみれば、絶好の会話のネタじゃないですか。人間の本質なんて、昔も今も、そうそう変わるものではありませんね。それを進歩というか退歩というか、何と申しましょうか、まあ、それが「人間」ってものですから。
マニア氏、昭和30年代のNHKの野球中継の小西得郎さんの解説みたいですね、と。
「実況は、志村正順アナウンサーかい」
と尋ねるのは、阪急ファンの上田さん。
「ですね、あの時代の名コンビですな」
阪神ファンのマニア氏が答える。ここでぼくは、マニア氏のあのエピソードを紹介させてもらった。
マニア氏は、松井秀喜選手のドラフトのとき、阪神入団を願って、O大の大学祭の会場に持ち込まれていたテレビ中継を前にして、数珠をもって「南無妙法蓮華経」を唱えた。ちょうど、ぼくらが結婚した年だったっけ。
O大の大学祭の取材にそろって出かけていたら、マニア氏は鉄研の展示会場に設置されたテレビの前で(これは鉄道ビデオを放映するためで、別にドラフト中継を目当てに置いていたわけではないけど、せっかくなので、放映しただけのこと)、同級生になる高橋君とそれぞれ、阪神と巨人の帽子をかぶってドラフト会議を見ていて、なんと、マニア氏は、数珠をもって「南無妙法蓮華経」をしきりに唱えていたのだ。
1960年の日本シリーズ・大洋対大毎戦で、大洋の中部謙吉オーナーと大毎の永田雅一オーナーが、それぞれ自分のチームの帽子をかぶって並んで観戦されていたのと同じ構図なのだが、松井選手の巨人入団を確信していた高橋君がもうあきらめろと茶化す中、彼はひたすら、永田ラッパさんのように「南無妙法蓮華経」を唱えていた。
たまきちゃんが二人にインタビューしたのはいいのだが、結婚直後でまだ旧姓を使っていた彼女に向かって、「大宮夫人」などといってぼくらを呆れさせつつも、彼は、ひたすら、にわか法華経信者となって、「法華経」を唱えていた。
結果はご存知の通り、松井選手は巨人が交渉権を得たのだが、マニア氏いわく、祈りが通じませんでした、とのことだった。話によると、永田雅一氏はご自身が造った東京球場でも、法華経を唱えることがあったそうな。その話を知っていたマニア氏が、今度こそ、と思って、両親が真言宗にもかかわらず、突如法華経を唱えだしたというわけだ。
ドラフトのくじ引きが終わった後、たまきちゃんが「誰が大宮夫人ですか」と怒ったら、彼が言うには、「唯物論的に正しいことを述べたまでです」とか何とか。変なところでそういう知識を得ているから、正直、面白いような性質が悪いような。
でもそれがきっかけで、たまきちゃんは仕事上も旧姓から今の姓に変えることになったわけで、まあ、そういうきっかけを作らせたところが、いかにも彼らしいところではあると思うけどね。
今日の大宮夫人、もとい、たまきちゃんは、本当に生き生きしている。男女のつながりを作ることが、彼女、とてもうまくて、「キューピット」役を何度もしているが、そこが彼女の、何と申しましょうか、魅力的なところの一つ。思い当たる節では、ぼくの叔母にあたる看護師のはなさんと、ぼくらが入院していた時の主治医の大太郎先生の梅小路一家にはじまり、「キューピットたまき」は、中学生以来、これまで何組かの男女を結びつけてきた。今日も、娘と同じ年の大学生諸君にその矢を打ち込もうとしている。しかも、彼女の矢を受けた者は、どれも、離婚や早期の死別などに追い込まれた例はない。しかも、自分自身とその相手にも、しっかりと矢を打ち込んでくれているからねぇ・・・。
もっとも、彼女のキューピットぶりを完全封印した、というか、稀代のキューピットをして一切、手を付けられなかった人物は、これまで2人。一人は言うまでもなく、このマニア氏。もう一人は、あの御仁。
どちらも、そういう話はどこかで一線を引いて拒絶するようなところがあるからね。そういう点からも、あの「対談」は、彼女には恐怖を感じさせるものだったようです。
それはともあれ、こういう男女のつながりの話、確かに楽しいものではあるのだが、行き過ぎると、嫌味になりかねない。たまきちゃん自体はそういう嫌味のない人間だが、聞いている方が機嫌を損ねたら、せっかくの話が台無しになる。
もっともそれは、男女の関係のどんな面においても、また、男女を問わずどんな人間関係というか、人とのつながりにおいても、通用する話ではある。今日のこの談義、旅の話のはずが、結構な割合で男女の話になっている。確かに、嫌らしさがまったくないとは言わない。しかしながら、思うに、単にどこかに行って楽しんできましたというだけが「旅」なのではなくて、ここにきている皆さん一人一人の人生が、「旅」そのものという要素もあるわけだ。月並みな表現だけど。男女の関係の話がその狭間に出てきても、不思議ではない。
ただ今回は、その「旅」というテーマに、「鉄道」という要素が絡む。もっとも、それらへの絡み方は人それぞれ。「鉄道」という要素が正面切って絡んでいて、「旅」というのはそれに関わるための手段となっているマニア氏のような人物もいれば、上田さんのように「旅」の要素の強い人もいる。「旅」という意識はないにしても、日ごろの仕事を通じて、「旅」をしている沖原さんのような人もいる。上本君のように「鉄道」と「旅」をバランスよく絡めている青年もいれば、はーちゃんみたいにそれほど「鉄道」とか「旅」という言葉と強い縁があるとも思えない女子大生もいる。今日ここに集まってもらった人たちは、それぞれが、「鉄道」と「旅」という2つのキーワードに対して、まったく違うアプローチで接している。そこに接点がないと言えばないが、ないようだけれども、しっかりと「ある」ようにも思える。
いつぞやのマニア氏と瀬野氏の「論争」は、あくまでも「鉄道」という一点においての、「猛者達のバトル」だった。あらかじめ彼らには、共通の土台と接点がある。確かにその接点に対する認識や見解に至る過程は違う場合が多いが、その違いと言っても、はたから見れば同類にしか思えないほどのものだ、と言うと、両者とも怒るかもしれないが、いくら両者が違いを抗弁しても、すればするほど、その共通点が浮き彫りになっていくのがオチ、というレベル。
だが今度は、あらかじめ接点のないところからのスタートである。話していくほどに、意外な接点というのが、出るわ、出るわ、といった感が高まってきた。
でも、こんな調子で、いいんじゃないのかな。
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