第73話 関西私鉄と野球談議

 「いやあ、今、安中さんが、上本君のことを「ケンちゃん」って呼んでいたでしょ。「ケンちゃん」っていえば、阪神ファンの米河さんには天敵ともいうべき人でしょうな、南海ホークスにいた一塁手で左のスラッガーに、ケント・ハドリっていたでしょう。ほら、1964年の、大阪球場での日本シリーズ第4戦で村山からサヨナラ本塁打を打った外国人選手ですよ。そのハドリと同じ頃に、スタンカいたでしょ、ジョー・スタンカね。私、子どもの頃、よく西宮球場で、「スカタン」なんてやじっていました」


 上田さんが、上手く話をそらしてくれた。その話に、マニア氏も乗ってくる。

ぼくも喜んで参戦したいところだが、横の美熟女さんが、少しばかりむくれかけているので、大人しくしている。


 「ハドリさんですか、確か、池井優さんが元助っ人外国人を取材して、本にされていましたね。1980年代後半で、私が高校生の頃でしたっけ。ハドリさんも出ておられましたよ。鶴岡親分には「ケンちゃん」って呼ばれて親しまれていたそうで。池井先生の本では、かなり物静かで良識的な紳士だったようです。元巨人のクライド・ライト氏が池井先生に取材料を請求して、ご丁寧に領収書を切った話をしたら、呆れておられたって」

 「ああ、あの本ね、私も読んだことあります。スタンカはたびたび日本に来て、元選手と結構交流があったようですが、もう80代半ばでしょう。お元気なのかな・・・」

 「スタンカさんは、確か、奥さんが高校の同級生で、18歳で結婚されたって、奥さんのジーンさんが書かれた本にありましたね。今時、そんな年齢で結婚する人は、そういないようにも思うけど、それにしてもこのご夫婦、ずっと一緒に暮らされているようですね」

 「阪神に、バッキーがいたでしょう。彼も、ドリスさんという奥さんとずっと連れ添っていたけど、数年前に奥さん亡くされたそうやね。彼も、日本に来た時には、すでにその奥さんと一緒だったはずだよ。日本語も、よく覚えておられるしね」

 「ええ、そうですね。あのバッキーさん、先日、スポーツ新聞に出ていましたよ」


 「鉄道の旅」はついに、プロ野球の外国人選手の話となってしまった。一見何の脈絡もない話の流れに見えるけれど、ある意味これ、今回の対談の象徴のような流れだな、とも思える。マニア氏と上田さんの話に、カメラマンの沖原さんも乗る。彼は大阪のしがらみから逃れるがごとく東京に出たとおっしゃるが、何のことはない。彼は、子どもの頃はなんと、南海ホークスのファンクラブに入っていたというではないか。


 「南海ファンだった父がね、よく、南海電車で大阪球場まで連れて行ってくれまして。懐かしいですな。私が物心ついた頃には、鶴岡監督はとっくに辞任されていて、ノムさんが兼任監督の時代でした。門田と野村の新旧ホームランバッターを、生で見られたのは良かったですね。ノムさんが解任されてから、大阪球場にはあまり行かなくなっちゃいました。弱くなったから、と言うよりも、何だかね、よくわからないけど、南海ホークスというチームの影が、少しずつ薄れていくのを、あの頃からうすうす感じていましてね。結局、昭和の最後に福岡に移転でしょ、「身売り」はしゃあないけどなあ、何でよりにもよって、ライバルの西鉄ライオンズがいてた、福岡やねん、って・・・あれは辛かったけど、しょうがないよね。もうその頃はカメラマンの仕事をしていて、結婚もして、って頃で、野球どころじゃなかったけど、ふと思い出すたびに、撮影地に行くクルマの中で、人知れず、涙したこともありましたっけ。でもね、福岡に行ってあれだけ強くて人気のあるチームになってくれたから、それはそれで、よかったなと思う気持ち半分、もう半分は・・・まとめようがないですから、言わないでおきましょう」


 「それは、阪急ファンの私たちも一緒です。幸いこちらは、遠くに移転というわけではないけど、チームはすでに人手に渡って、しかも、別球団の流れまで入って、いくら「阪急」ユニフォームを復活と言ってもね、西京極で試合を、って言ってもね、素直に、はいありがとさ~ん、おおきに、またどんどんやったってや~、なんて気持ちにはなれないものです。西宮から神戸はいいとしても、近鉄と合併して、何でまた、大阪なのか、とね」


 「その点、阪神は球団創設以来親会社も基本的に変わっていないし、本拠地もまったく一緒。巨人のように本拠地球場を近くで建替、ということさえありません。甲子園球場というところは、高校球児やアメフトの大学生たちだけでなく、プロ野球関係者にとっても、それは選手であれ指導者であれ、スタッフであれ、我々ファンでさえも、特別中の特別の「聖地」なんですな。幸い、ずっと同じ体制で来られましたが、まあ、一時の村上の欽ちゃんファンドの事件さえなければ、もっと良かったでしょうけど」

 上田さんは阪急ファン、沖原さんは南海ファン、マニア氏は阪神ファンとして、関西私鉄の球団のことを語る。これもう、「旅」じゃなかろう、とは思うが、もう、好きなだけしゃべってもらおう。


 はーちゃんは、上本君に何か話しかけたそうだが、肝心の上本君がおじさんたちの「野球談議」に聞き耳を立てているので、少しむくれているようだ。


 たまきちゃんが、上本君のそばによって、そっと耳打ちした。

 「おじさんたちの野球談議なんか聞いて、楽しいの?」

 「ええ、ものすごく勉強になります。確かに皆さん、プロ野球のお話をされていますけど、全部、関西の私鉄に関わるお話じゃないですか。こういうお話は、鉄道好きにとっても学ぶべきことがたくさんあると思いますので、しっかり、お聞きしています。ぼくから何か質問できるほどの引き出しはないですけど」

 「そんなものかしらねぇ。よっぽど、はーちゃんとデートの行き先の話でもしたほうが、いいんじゃない? そんなことじゃあ、あの米河さんみたいな独身の鉄道マニアおじさんになってしまうわよ」

 「大丈夫です。ぼくなりに、真摯に、鉄道という世界を学んでいきたいと思っています。あ、はーちゃんとは、明日も会って、しっかりと語り合うつもりです。別に、米河さんのようなマニアックな話はしませんってば。そこまで、鉄道の知識はないですから」

 「ふーん、上本君も、やるねえ。はーちゃんは、どうなの?」

 「彼、今、おじさんたちのプロ野球の話を真剣に聞いているでしょ、はたで見ていて、何だか、かわいいな、って。こんな言い方したら、彼、怒るかな?」


 上本君、女性陣の話も「そこそこ」に、大学ノートを持ち出して、おじさんたちの野球談議というか、関西の私鉄談義のことで必死にメモを取っている。中学生か高校生の頃のマニア氏と似ていなくもないが、あの「鉄道少年・マニア君」のような獲物に飛びついていく肉食獣というか、猛打球に向かって飛び込むようにグラブを差し出す往年のプロ野球選手のような雰囲気ではない。

 淡々と目の前にある話を聞きとり、自分に取り入れていくような感じ。ある意味こういうのが「現代っ子」だと言えば、それで通りそうな話かな。


 「確か2年前、板宿中高の文化祭の後、東大阪の河内商科大学に行って参りましてね、河内商大の先生と大阪国大の先生の講演を聞きまして、テーマがそれこそ、関西私鉄とプロ野球の関係性について、というわけで、興味深いお話でしたよ。話の中心は、南海とあと幾分阪急で、近鉄と阪神については時間の関係上、あまり話題になりませんでしたが」

 マニア氏は、その時の講演の資料のコピーを配り、その時の話をする。


 「いやあ、こういう話になったら、それこそ、鉄道史資料保存会が出している「鉄道史料」か、プレス・アイゼンバーンことエリエイ出版の「レイル」か、ああいう世界を読み込んでいないと、太刀打ちできないところがあるね」

と、上田氏。


 「そうそう、上田さんね、南海は関西私鉄の中でも電車賃での収益が高く、副業にもそれほど手を出していなかったし、デパートも高島屋をテナントに入れたぐらいで、自らは運営していないでしょ。それでも十二分に経営できていたのに、戦争を経て戦後、球団を維持できていたころはまだよかったが、難波の再開発や関空の開港というプロジェクトをしていく中で、しかし、かつてのような輝きが徐々に失われていき、球団も手放しましたね。大阪球場もなくなったし。「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪の盛衰を、南海電鉄は良かれ悪しかれ、象徴しているように思えてなりません」

と、沖原氏。


 「ある意味今は阪急の一人勝ちかもしれませんよ。阪急電鉄は、3回、プロ野球の球団を持ちました。一度目は、芝浦の日本運動協会が関東大震災で移転せざるを得なくなった時の「宝塚運動協会」。二度目は、「阪急ブレーブス」。そして三度目が、かつてのライバルだった阪神電気鉄道を資本傘下に収めた「阪急阪神ホールディングス」のグループ企業の象徴としての「阪神タイガース」です。私はね、ある時期から六甲おろしを、思うところあって、必ず「大阪タイガース」で歌うようにしています。阪神タイガースは、一見、何ら変わることなく存続しているようですが、よくよく見れば、実は、昔ながらの「大阪タイガース」は、とっくに消滅しているのです。だからこそ、「大阪タイガース」で歌うことが、私なりの、阪神ファンとしての「矜持」なんですよ」

と、マニア氏。


 鉄道の旅のはずが、男女の出会いになり、最後は関西プロ野球球団の盛衰。一体全体、今日の対談は、何だったのだろうか? 一見、とりとめない話をしただけのようにも思えるけれども、広い意味での「鉄道の旅」の話だったんじゃないかな、とも思えてきた。

 本当に、これ、「鉄道の旅」の談義だったのだろうか?

 そう言えるかどうかは、読者の皆さんのご判断に委ねたい。

 この対談自体が、ある意味「鉄道」を利用した「旅」の話だったわけだ。そう思うと、まとまりない中に、何か大きなテーマでの「まとまり」が隠れているように思えてくるのは、ぼくだけだろうか。

 

 時計の針は、17時30分。

 外には秋の気配が幾分漂い始めているが、この時期は、まだ暗くなる時間帯じゃない。ぼくはここで、「談義」の終了を宣言した。

 このあとは、30分ほど休憩して、18時から、ホテル内のレストランの一室で会食をすることとなっている。大学生の二人は、どちらからともなく手をつないで、会議室を出ていった。おじさんたちは、1階のロビーのソファで雑談している。

 ぼくとたまきちゃんと土井氏は、打ち合わせのため、レストランに向かった。 

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