第58話 「活字になる」という「名誉」

 またも、マニア氏だ。


 彼には行動力もあるが、文献あさりの能力もある。今でこそ、旅系の雑誌はまずもって読まないし、鉄道雑誌にしても、老舗の鉄道ピクトリアルの気に入った特集のときだけという調子なのだが(「旅」の要素はなく、「鉄道」の要素がひたすら強いことは言うまでもなかろう。大体、鉄道ピクトリアル自体が昔からそういう雑誌なのだから)、若い頃の鉄道の旅には、やはり、いろいろいい思い出があるようだ。もっとも、女性との出会いが皆目みられないというのは不思議ではあるが。

 それはともあれ、あまりねちねちした男女の関係云々の話は、下手するともめ事が起こりかねない。


 先日、久しぶりに、タビテツこと「旅と鉄道」の通算51号で、1984年春の号をネットオークションで落としまして、ほらこれです。今は出版母体が変わってしまいましたが、当時は鉄道ジャーナル社が季刊で出版していました。

 種村直樹さんも竹島紀元編集長もまだ現役バリバリの頃でした。

 ジャーナル社の若い記者さんが、青春18きっぷで東京から本州一周して六日間の旅をするルポが出ておりましてね。これ、読んでいて楽しかったですね。京都駅で、以前北海道で会った友人と再会して、山陰号の前で握手している写真が掲載されておりましたが、これはまだいいとしても、列車の中で出会った少年たちの写真とか、今なら、個人情報がどうとかこうとか、ややこしい話になりそうですけど、どうかなあ。

 あの時代のタビテツもそうですけど、鉄道ジャーナルにしても、ルポ先で出会った人の写真は普通に掲載されていましたね。

 種村さんのルポに至っては、むしろ、雑誌に掲載してもらえることが一種の「名誉」というか、「ありがたくてうれしくてたまらないこと」だったように思います。私はあいにく種村さんにお会いしたことは一度もありませんが、もし旅先でお会いして、写真付きで記事にでもしてもらえていたら、その号を買い込んで、あちこちで吹聴でもしたことでしょうし、何十年もたった今でも、皆さんに自慢しているでしょう。今日のような場には、喜んで持ってきますって。


 当時、活字を使って何かを「書く」なんてことは、ほとんどありませんでしたよね。手書きの文書なんて、いくらもありました。

 「活字になる」ということは余程のことで、一種の「ハレ」の場か、「公式の」場でした。鉄道ジャーナルと鉄道ピクトリアルの間で論争が起こったとき、ピクトリアルの田中隆三編集長が、ピクトリアルの1978年9月号で、問題となった同誌同年6月号の読者意見について、編集部としては、「活字にすべきではなかった」と書かれていました。要するに、「活字にする」=「公開する」という意味ですね。このエピソードは、この時代の「活字」に対する感覚の象徴だと思います。

 でも、今どき、そんな感覚ないですよね。これはワープロが出現して以降ずっと続いている傾向ですけど、

 「活字=公開の、それも正式度の高いもの」

という図式が徐々に崩れて、どんな場面でも、活字が当たり前、手書きはあくまでもメモなどの「補助」ツールに過ぎない、という世界に、わずか数十年で変わってしまったという次第かと。


 そうそう、ひとつ、以前書いた文章をご紹介します。

 それこそ、20年ほど前に、パソコンのワードで「活字」にしていますからね。

 たまきさんの日記の当時、中学生の私が種村さんに出会って、ジャーナルかタビテツの記事に写真入りで掲載されたとします。その原稿を、種村直樹風に書いてみました。


 やっぱりこいつ、この手を使ってきたか。まあいいや。どうやら面白そうだしね。

 マニア氏はA4の紙1枚に、種村直樹氏の文体を真似た文章を作ってきている。

 彼は、その文書を参加者各位に配り、ぜひご一読を、と告げた。


 このシリーズの「マニア君 走る!」をお読みください。

 そのあとの続編は、この後出します。

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