第47話 昭和の葬式鉄青年
海野たまきの日記 1984(昭和59)年1月30日
太郎君は、共通一次でほぼ十分な点数がとれたみたいで、少しは心に余裕ができたみたい。彼は法学部を受験予定で、二次で必要なのは国語と外国語(英語)のみ。まあ、何とかなるでしょ。でも、できるだけ彼の邪魔はしないようにしている。
家で会っても、声を掛け合ったり、一緒にご飯を食べて話したりするぐらい。
今月最後の日曜日、29日。
後期試験のレポートを夜遅くまでかけて仕上げた。朝起きたら9時。ひょっと、と思って太郎君の部屋をのぞいたら、もぬけの殻。しかも、あのカセットデッキまで外出中。机の上には、1月号の時刻表が広げられたままになっていた。
ダイニングルームに下りてみると、B5の紙が1枚置かれている。
「今日は葬式と通夜に行ってきます。帰りは21時頃です」
朝早くから葬儀? 誰か死んだの?
おじいさんもおばあさんも、伯父さん夫婦も、昨日から出かけていていない。しょうがない。思い切って、函館の太郎君宅に電話かけてみるか。
そう思いながらコーヒーを飲んでいると、電話が鳴った。出たその先はなんと、太郎君のお母さんだった。
「もしもし、たまきちゃん、おはよう。太郎、今日、うちにいないでしょう」
「おはようございます。そのことだけど、太郎君、「葬式」に行ってくる、帰りは夜9時だって、書き置きしているのよ。葬式だけじゃなくて、「通夜」もあるんだって。私の家族で誰か死にそうって話も今のところないし、太郎君の家族も、誰も死んだ人、いないでしょ? 誰かお世話になった人や友達がなくなったって話もないし」
「いないわよ。あなたの方にもね。そうそう、おとといだっけ、太郎が電話かけてきて、何事かなと思ったら、日曜日に姫路と加古川に日帰りで出かけてくる、って言っていたわよ。うちは姫路にも加古川にも親戚なんていないけど・・・」
「あ、そうそう、太郎君の机の上に、今月号の時刻表が開いたままになっていて、確か、関西の私鉄の時刻が出ているページが開いたままだったわ」
「ちょっと待って。お父さんにも聞いてみるから」
答えは、案外早くわかった。
「この2月で、国鉄のダイヤ改正があるでしょう。ひょっと、加古川の近くで、廃止になる路線があるんじゃないかしら。あの近辺は、廃止対象の路線が結構あるみたいだし。太郎が、たまきちゃんに、どこか行きたいとか言ってなかった?」
「そういえば、先週せいちゃんが来て、1月の半ばに高砂線と別府鉄道と、三木線と、それから、播但線の姫路から飾磨港まで乗って来たとか、言っていました。太郎君、やたら焦って、時刻表を調べていましたけど、まさか・・・」
「やっぱりそうなの。でも、これであの子の行き先がおおむね見えたわね。とりあえず、帰って来るまでほっといてあげなさい。何かあったら、連絡ちょうだい」
「わかりました。彼が帰ってきたら私が電話します」
彼の病気はおおむね回復しているから大丈夫と思うけど、あまりにも人騒がせだ。
後期試験の準備とレポート作成に明け暮れ、少し休もうと思った矢先、夕方7時ごろ。
電話がかかってきたので、私が出た。
「今姫路駅のホームの公衆電話。まねき食品の駅そばを食べて、これから帰るところ。大阪からの113(系電車の普通列車)に乗って帰るよ。予定通り9時過ぎには着くから。みんなによろしく」
「葬式? 通夜? 誰か死んだの? まねき食品の駅そば? オーサカからのイチイチサン? わけのわからないことばかり言わないでよ。何していたの?」
「いや、人は誰も死んでないけど、一種の「葬式」。高砂線と別府鉄道に乗って、ついでに飾磨港まで行って来た。別府鉄道がこの改正で廃止になるから、乗って、写真撮って、録音した。詳しくは、後で」
「もうわかったから、気をつけて帰ってらっしゃい。じゃあね」
太郎君は、予定通り21時を過ぎたころに帰って来た。家の人には、私に心配かけないように、行き先は言わないでくれと頼んでいたみたい。
戦時中の軍隊の移動じゃあるまいし、まったく・・・。
食事を済ませて来たらしく、彼はさっさとお風呂に入っていった。この際お風呂まで押しかけて行ってもいいけど、色々な意味で興奮されても困るから、ここは、後でしっかり、様子を聞くことにしよう。
お風呂上がりの太郎君を、迎撃。
「太郎君、どこへ行っていたのよ? 私に言えないようなところ? 加古川とか言いながら、神戸あたりのいかがわしいお店に行ってきたなんてこと、ないわよね」
「あるわけないだろ。証拠なら、ここに一式そろっている。ほら見ろ、たまき!」
「ほら見ろ、じゃないでしょう。しかも呼び捨てまでしやがって・・・おねえさんは、怒っているんだぞ!」
「はいごめんなさい、たまき姫様。こちらをご覧くださいませ。これが、今日の日程表、別府鉄道の切符一式、飾磨駅と飾磨港駅の硬券入場券であります。おいかがでございましょうか。録音もしておりますので、只今よりお聞かせいたします」
「はいはい、わかりました。じゃあ、たまき姫にも、お聞かせあそばせ」
太郎君が録音したのは、別府鉄道の気動車と客車列車の音。それから、姫路から飾磨港までの列車。飾磨駅に到着した時、乗り合わせた何人かで駅の人に入場券を頼んで、お金を渡して、帰りに枚数分渡してもらう様子もわかる。姫路駅では機関車の音も録音していて、これを例会で今田さんのおられるときに聞かせれば最高に面白いだろうとか何とか。マニア君の話では、この列車はEF58なる機関車の牽引する荷物列車で、蒸気の音っぽいのが、SGこと蒸気暖房、なんだそうです。
それはまあ、いいけど、別府鉄道の列車が終点の別府港駅に着いた時がすごい。
罵声以外の何ものでもない大声が、ちらほら入っている。
「そこのあんた! さっきからゆうとるけど、危ないからやめてや!」
「みんなやっとるやないか!」
「大人がしたら、子どもが真似するやろ!」
・・・・・・
「モーエーガナ、エーカゲンやめーや!」
これは、別のファンがたしなめている様子。
その向こうでは・・・
「おいそこのクソガキ! どけや、こらぁ! 邪魔や!」
太郎君が変な店に行ってないことはわかったけど、これはこれで、ひどすぎる。
「何なの、この罵声大会。太郎君の声じゃないのはわかるけど、どういうこと?」
「ああこれ、この世界の名物でね、いつものことだよ」
「そういう問題じゃなくてね、この罵声を浴びせている人たち、誰?」
「職員と、一部のファン。こういうことをするから、鉄道ファンの印象が・・・」
「廃止になるからって、わざわざ「葬式」と称して行く太郎君だって、人のこと言えた立場かしらね・・・。そういえば「あの少年」も、先日行ってきたんだっけ?」
「うん、彼なんか、高砂駅で停車中の気動車で、車掌さんの「リクエスト」を真に受けて、車掌室のマイクを借りて案内放送をしたそうだよ。彼のテープをダビングしたのがこれ。まだぼくも聞いてないから、聞いてみようよ」
どうやらあの少年、ダビングして太郎君にこのテープを渡したみたい。
罵声大会の次は、ニセの案内放送・・・懲りない人たちですこと・・・。
ご乗車ありがとうございます。この列車は、高砂**時@@分発、加古川行きの普通列車で御座います。途中、高砂北口**時@@分、オノエ**時**分、カクリンジ**時・・分、野口**時==分、終点加古川には**時~~分の到着となります。なお途中の野口では、別府鉄道別府港行き列車に接続いたします。別府港行きは**時--分発、*~分間の待ち合わせで、この列車の到着する向かい側のホームとなります。
まさしく、あの鉄道少年の声。
「しっかし、特急列車じゃあるまいし、10キロも走らないローカル線で、全駅の到着時刻案内なんかするかな・・・」
それにしても、鉄道が絡んでいるときの「マニア君」のやることなすことは、素人が見るとそれなりに見えてしまうところが、才能というのか何というのか。よく思い出してみると、彼の撮影した写真もそう。というか、もっとはっきりとそういう傾向を示している。好きこそものの上手なれとは、彼のためにある言葉なのかも。
何といっても、放送の最後が、世にも傑作。
国鉄の本年2月白紙ダイヤ改正に伴い、別府鉄道は、今月1月31日を持ちまして、廃止となります。マニアの皆さん、ぜひ、乗りましょう。
車掌さんが拍手しているところで、終わり。
「こりゃ、ケッサクだ・・・マニアの皆さん、ぜひ乗りましょう、って・・・」
太郎君が、部屋の床にひざまずいて床をこぶしでたたきつつ、ゲラゲラ笑っている。私も、笑うしかない。もちろん、「マニア君」の「案内放送」に。
しまった! もう11時前! 私は太郎君を連れて、電話に急いだ。
受話器の向こうは、太郎君のお父さんだった。
「もしもし、太郎君、無事帰ってきました。あと、葬式の意味、わかりました。加古川の近くの別府鉄道があと3日でなくなるからっていうんで、行ってきたそうです。それから、「通夜」の意味も分かりました。高砂線と、姫路から飾磨港までの播但線は、廃止対象か、いつ廃止になってもおかしくない路線だから、今から「通夜」にいっておくんだ、って・・・」
「葬式に通夜の連ちゃんか・・・人騒がせな奴だな、まったく・・・」
「それから、せいちゃんもね、先日加古川まで行って来て、おもしろい録音してきています。ニセ車内放送です。今度お聞かせしますね」
「そっちが、どうやら真打ちっぽいな。米河君のことだ、どうせまた、とんでもない録音、しでかしているんだろう。まあ、夜も遅いから、このへんでね。太郎には代わらなくていい。とにかく、人騒がせなことだけはしてくれるな、とだけ言っといてくれるかな。じゃあたまきちゃん、お休み。後期試験、頑張りなさいよ」
「はいわかりました。おやすみなさい」
今日は疲れたけど、最後に、しっかり笑えた。ま、いいか。
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