第35話 マニア大戦15 寝台車談義1
食堂車に続き、今度は、ブルートレインも含めて寝台車と夜行列車全般についての話題。このテーマは、「睡眠」へと通じるものだ。
誰だって眠ることでその日の疲れをいやし、次の日を生きる。その舞台となるもののひとつが「寝台車」。
これまで乗った列車について、いろいろと、話が弾んでいくはず。
でも実際は、いささか大きなテーマになり過ぎたかもしれない。
「では次は、お二人に、夜行列車全般についてお話いただければと思いますが、戦前や戦後でも旧型客車の夜行列車などの「うんちく」は置いといて、まずは、誰もが知っている、あのブルートレインを中心に、いろいろお話しいただきたいと思います。ブルートレインの未来は、どうでしょうか?」
ぼくは、彼らに問いかけた。
先攻は、アウェイ側の瀬野氏から。
ブルートレインどころか、夜行列車自体に、もはや未来はありません。そんなものは、聞くだけ野暮なぐらいで、まじめに答えるのも、輪をかけて野暮だとは思いますが、ひとつ、野暮の上塗りで、私見を述べさせていただきましょう。
これまで鉄道が陸上の王者として君臨していた時期、最高痩躯度がそれよりはるかに速い航空機は登場していなかった。だから、どうしても陸路を安全かつ最速で移動するには鉄道しかない。そこに、食堂車や寝台車が登場する余地があったわけです。しかし、移動時間が減り、また、夜も移動し続ける必然性がほとんどなくなってきた今日日において、これらの設備を持つ車両や、その車両を連結した列車を走らせる必然性自体が、もはや風前の灯火となっておるのですよ。
電車や気動車はまだしも、客車列車に至っては、昼夜を問わず、未来はまったくないですね。夜行列車はまだ存続できる余地がないわけでもないですが、客車列車は、列車ダイヤを組む上で、今や、相当の障害物となっているのです。皆さんの想像以上にね。
JRの本州各社、特に東海あたりは、ブルートレインなぞ、一刻も早くつぶしたくてしょうがないでしょうよ。
数年前に新聞でも取り上げられましたが、食堂車の営業廃止も、それに先立つ一連の流れです。そのうち臨時快速同様、車内販売さえもなくされていくでしょう。かくして、客はますます減って、最後は、廃止ですな。
長距離を「寝る」ことを通して見かけの移動時間を限りなく「ゼロ」に近づけられるという点に、夜行列車、とりわけ寝台車や寝台列車の存在意義はある。寝台車とするかどうかは別として、今でもその気になれば、夜行列車の存在価値のある区間はいくつかありますよ。昨年登場したサンライズエクスプレスの走る区間などは、まさにその典型例だと思います。特に、東京―岡山間あたりはね。
しかしですな、首都圏のとりわけ通勤時間帯の過密ダイヤは、もはや限界です。
そこに毎日、遅れて入ってくる可能性のある列車があるだけで、他の列車へも影響しかねない。長距離列車の30秒の遅れは、少なくとも十数本の列車に影響を与えます。遅れても周りの列車と同じ速度で走ってくれればいいが、それより遅い列車が入ると、目も当てられない。それこそ、ブルートレインというのは、機関車のけん引する客車列車でしょう。客車列車は電車に比べ、加減速に著しく劣る。
交通機関がこれしかないならともかく、今時、新幹線も、飛行機も、夜行バスもある。それぞれ、速達性でも運賃の差でも、ブルートレインに勝てる要素を、確実に持ち得ておりますからね。何もわざわざ、高い金を払ってブルートレインで寝ていく必然性もありゃしません。
そうそう、米河さんに読ませていただいた、旅と鉄道の通算51号、1984年春の号には、鉄道ジャーナルの竹島紀元編集長が中国自動車道の開通とともに設定された夜行バスの「ムーンライト」号のルポを書かれていましたね。座席の夜行急行が数年前に廃止されて、近畿圏から九州に行くには、新幹線かブルートレインの寝台車しかない期間がありましたよね。
国鉄の関係者は鉄道ジャーナル誌上でも「お客様に寝て移動していただけるように」とかなんとか書かれていましたけど、わざわざ高い金を払って移動する客ばかりじゃない。
そこに、安く移動できる夜行バスが登場した。
それまで夜行バスと言えば東京首都圏対関西圏の国鉄バスの「ドリーム号」位しかなかったところに、あちこちでこのようなバスが、それからこの十数年来、まさに、雨後の筍のように登場しましたね。
安くていいなら、バスもある。それなら、そちらを利用しますって。しかも、列車と違ってさほど多くの需要のない行先にも、比較的容易に設定できますからね。走らせるための固定費も、列車に比べれば、バスのほうがはるかに安いでしょうが。
瀬野氏がさっそく、まくし立ててくれた。
お次は、ホーム側のマニア氏が、それを受けて立つ。
瀬野さんが「動」のほうをおっしゃったので、私は、「静」のほうから申し上げていきたいと思います。
私がここで申し上げる「静」というのは、夜に移動するのではなく、昼に移動して、夜に「宿泊」するパターンであると、ご理解いただきたい。
その宿泊の場所となる宿泊施設ですが、これらの多様化と低料金化も、馬鹿にはできません。
以前なら1泊2食付の駅前旅館が定番でした。正月時期なんて、地方都市では店も開いておらず、まして食べることのできる場所さえないところが少なからずありました。しかし今時、旅館なんかなくても、正月時期でさえ、食事の場所には事欠かないし、最悪なにがしかの食べ物を確保できる場所はいくらでもあります。ファストフードに居酒屋、24時間営業のコンビニにスーパー、何でもありです。
ですから、何も食事を宿泊先の場所でとる必然性も、もはやありません。
宿泊のみのビジネスホテルなんて、いくらでもある。これなら、プライヴァシーも保てます。そこらをあまり言わないなら、カプセルホテルだってあります。こちらは、サウナ付きの風呂はもとより、ロッカーまでご丁寧に充実しております。ビジネスホテルもそうですが、素泊まりにして外で飲み食いしても構わない。
逆もまたありで、たいていのカプセルホテルには、それなりのものを飲食できるレストランさえ入っています。正月だろうが何だろうが、食で困ることはまずない。
しかも、宿泊費もホテルの半分ほど。無料でアダルトビデオを見ることのできるカプセルもありますわ。
神戸サウナなんか行ってごらんなさい。カプセルホテルにしてはいささか高いが、それでも、寝台料金よりは安い。しかもサウナも風呂も充実しているし、寿司バーもあって、握り寿司さえ楽しめます。近隣の寿司屋よりよほどうまいですよ。
ま、カプセルホテルは男性向けがほとんどですけどね。
大都市には、女性向けのカプセル、ないわけでもないですよ。
いずれにせよ、高い金払わされる割にはカーテン一つで仕切られた無防備性抜群の場末のキャバレーにも劣るうらぶれた場所で一晩、スリの心配しながら横になって移動する必然性など、もはやありません。
まして車内販売さえ怪しくなった昨今のブルートレインなど、末期オリエント急行と一緒で、もはや「移民列車」ですな。
ちょっと話を変えますけど、太郎さんとたまきさんが出会ったのは、病院の同じ病室でしたよね。太郎さんが中1で、たまきさんが中2でしたっけ。
入院患者の過ごすところは、個室でない限り、病室ではカーテンだけの仕切りで、同じ部屋に何人もの人がいるわけじゃないですか。まして、思春期を迎えた中学生の男女がカーテン越しで隣同士なんてことになれば、良かれ悪しかれ、何かが生まれてもおかしくはないでしょう。あ、別に変な意味で申し上げているわけじゃ、ありませんので、そこは一つご理解を。
ともあれ、寝台車と入院病棟はまったく違うだろうと言われれば、それまでかもしれません。一夜かそこらか、何日とかあるいは何か月にもわたってかの違いはあるかもしれませんけど、人が誰かと共に夜を過ごすというのは、やはり、なにがしかのドラマを生み出すもととなり得ます。
先程の食堂車については飲み食い、まあ、酒は誰もが飲むわけでもありませんが、基本的には誰もが「食べる」ことはしますよね。
それと一緒で、寝ることについても、人間の「本質」と言いましょうか、「本能」に基づく行為に直結しておりますから、やはりその点において、単に食べる、寝る、というだけじゃなく、人が絡むことで、いろいろな悲喜こもごものドラマが生まれる余地がある。そこに、人は何かを求めるのではないかと、私は思うのです。
食堂車も寝台車も、そういうドラマを紡ぐには絶好の舞台であると、私は、考えております。
まあ、太郎さんとたまきさんが入院病棟で出会って、夜な夜な愛だか恋だかカープだかを語り合っておられたのと同じ年代の時期、すでにO大の鉄研に来て、先輩方から散々鍛えられていた私には、実にうらやましい話ではありますけどね。
最後のほうで幾分、足付きの蛇をばらまいてくれたが、まあいいか。
悔しかったら美女の一人でもひっかけてみろと言おうと思ったが、そんな雰囲気でもないから、あえて黙っておいた。
たまきちゃんが金属フレームの丸眼鏡の縁をキラキラさせながら、セルロイドフレームの丸眼鏡のマニア氏をにらんでいたが、当のマニア氏、そんなことには一切お構いなく、自説を開陳してくれた。
それはともあれ、今もって寝台車に郷愁を感じる人がいるというのも、人間が本質的には単独ではなく、ある程度の集団で生活する動物であることの証なのではなかろうか。
マニア氏御推薦の映画に、1960年に制作されたブルートレイン「さくら」号の東京から長崎までの旅路が描かれている「大いなる驀進」という映画に出てくる大物政治家氏も、個室寝台(ナロネ22の1人用個室)に乗ればいいだろうと思うし(岸信介元首相は「ルーメット」と称される1人用個室寝台で移動していた)、乗れないこともないのだろうけど、若い男性秘書とともに、開放型のプルマン式(2等級時代の)1等B寝台に乗って長崎に向かっている。
昭和30年代は、今のように自宅に「個室」を持っていた人はそうそういないはずだ。子どもはもとより、大人でさえも。それは確かに、「人肌」が今よりも接近した場所だった。
夜行列車や寝台車は、「人肌」に近い場所。
そんな場所で、人肌に近いことに安心して移動したいという思いが、心の奥底にあってのことではなかろうか。
一方のマニア氏、養護施設の「群れさせる」生活に今もってよほど怒りと恨みを感じているからか、そういう言動が今も時々出る。それは前半でも少し彼が述べていた通りだ。
何人もの相部屋に放り込まれ、短大を出て間もない保母(現在の「保育士」)に群れさせられる生活は辟易したと、吐き捨てるように言っていた。
彼には確かに、昔の列車などを、資料を基に追いかけるという、一種の倒錯した心情もある。
だがその反面、情緒論を徹底排除する、冷たい合理主義者的な一面もある。だからこそ、末期のブルートレインやオリエント急行を「移民列車」と表現するのだ。
彼は一人暮らしを維持していて、ホテルに泊まるときもシングルだが(どっかのきれいなおねえさんとお泊りでもしてみろよとぼくが茶化したら、たまきちゃんが、彼にそんな甲斐性なんてないでしょ、あ、お金もなかったわね、と言って、大笑いになったこともある。本人は、ほっといてください、だってよ)、意外にも、駅前などのカプセルホテルのついたサウナに泊まることも大好きである。岡山市内にいるときでさえも、そういう「宿泊」を伴わせることがあるほど。
彼のこの「趣向」、単に宿泊費を浮かせるとか風呂に入るためとかいうだけでなく、彼自身も、そういう環境自体を全否定しえていないことの表れではないかと、ぼくには思えるけどね。
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