第33話 マニア大戦13 暫時休憩

 沈黙を破ったのは、内山下商事勤務でO大学美少女アニメ研究会元会長のX氏だった。


 「諸君の間で問題となっている「低次」という言葉が「不当語」であるか否かは、ここでこれから論じても、不毛でしかありません。この話題は直ちに打ち切られたい」

 両者のある意味「親分」格に当たる石本氏も、X氏と同意見だ。

 「あんたらそれ以上はやめんか、人の趣味を低次か高次か云々するのも問題じゃが、言葉の定義レベルの論争はやめたほうがええ。大体のぅ、生産性がなさすぎやせんかな」

 本来ならここで罵倒合戦とでもなるか、そうでなくてもお互いムッとした表情でにらみ合うのが相場だが、瀬野氏もマニア氏も、まったくのポーカーフェイス。

 両者とも、冷静さを全くと言っていいほど失っていない。

 とはいうものの、このままでは本当に不毛な論争に終始しかねないところまで来た。


 そのとき、しばらくの間黙って聞いていた唯一の女性が、言葉を発した。

 中学生の時に出会って以来、これまでぼくにさえ見せたことのないほどの、毅然とした口調だった。自慢のセミロングの髪をかき分け、チャームポイントの一つとなっている丸型の金属フレームのメガネを上に押し上げ、会場の男性全員に向かい、彼女は「提案」した。

 

 瀬野さん、それから、せいちゃん、じゃない、米河さんも。お二人とも、ちょっといいですか?

 先ほどの「不当語」もそうだけど、今話している問題自体が、いくら論じても結論出なさそうだから、別の話題にしてもらえないかしら?

 この調子なら、どこまで行っても平行線どころか、ねじれの議論にしかならないわよ。それに、時間もかなり経過していますし、ここで「暫時休憩」にしましょう。

 太郎君、どうかしら?


 「じゃあ、たまきちゃんの案によって、これから10分、休憩します。皆さん、どうぞごゆっくり」

 ぼくが「暫時休憩」を宣言し、「論争」は、しばし水入りに。

 

 「戦闘中」の2人を止めるのは、たまきちゃんには相当な勇気がいったようだ。

 まるで、地方議会の本会議が大紛糾して、とりあえず議長が「暫時休憩」を宣言して何とか収拾を図るのとよく似た形になった。


 正直、前半だけで、どっと疲れた。気付けばすでに2時間以上経っている。時計の針は15時過ぎ。外は明るいが、少しずつ黄昏へと向かう。


 晩秋のけだるき午後の昼下がり


 もっともこの会場は、そんな空気とは一切無縁。「暫時休憩」で少しは緊張の糸がほぐれたが、依然として室内にはピリピリした空気が漂っている。


 瀬野氏はコーヒーがお好きではない。彼は英国紳士よろしく、残りを飲み干し、紅茶のポットのお代わりをした。

 一方のマニア氏は、銀製ポットに入れてもらっているコーヒーをカップに入れ、ただでさえ苦い上に冷めたコーヒーを、立ったまま右手でカップを持ち、ブラックで一気飲み。彼の丸眼鏡はすでにトレードマークとなっているが、こちらは黒のセルロイドフレーム。彼は金属アレルギーがあるようで、金属物のフレームを身につけられない。ただし、カフスボタンだけは、肌身からいささか離れた位置になるから、問題ないとのこと。二つ掛けのダブルスーツのボタンをはずし、サイドベンツの左側に腕を通して、左手をポケットに入れている。鼈甲風の黄色のカフスがちらつく。

 マニア氏いわく「激戦の後の一杯」だそうな。氏はさらに、トイレに行くついでと称して、後半に備えて水とコーヒーのポットを頼む。

 帰ってくると同時に暖かいコーヒーが来たので、今度はなぜか、砂糖とミルクを入れ、腰かけて、優雅そうに「一服」。

 マニア氏、煙草は吸わないが、酒だけでなく、コーヒーなどの飲み物にも目がない。紅茶も飲む。コーヒーの場合、通常はブラックで飲むそうだが、時々、砂糖やミルクを入れて飲むこともある。今日はどちらも、少し多めに入れた模様。

 瀬野氏も紅茶を飲む際は、普段砂糖を入れないそうだが、今日は多めに砂糖を入れる。彼も煙草は吸わない。

 

 対談では双方ヒートアップしていたが、「暫時休憩」でお互い我に返ったのか、マニア氏も瀬野氏も、休憩中は、トイレに行く他は、石本氏とX氏を交え、淡々と鉄道の話をしていた。

 なぜかここでは主として「ブルートレイン」が話題となっていた。

 先程のヒートアップ気味の対話が嘘のようである。ぼくとたまきちゃんと土井君は、先ほどのように話を振られたりしない限りは、仕事の打合せをしていた。


 「そりゃあそうとあんたら、20系には乗ったか?」

 石本氏の問いに、マニア氏も瀬野氏も、ありませんと答える。

 「確か1990年頃でしたか、学生の頃、ムーンライト九州で岡山から京都に出るとき、20系の臨時「雲仙」がその前にホームに入って参りまして、車内を覗いておりましたら、車掌さんが、「お客さん、乗られますか?」と聞いてきました。結局乗りませんでしたがね。窓越しに車内を見ると、あの52センチの蚕棚寝台に、使われていない浴衣がきれいにたたまれて置いてありましたね。全盛期には、ハネにはそんなサービスはなかったはずですよ。ロネはともかくね。今思えば、数千円出してでも、乗っておいた方がよかったかな、という思いが半分、輝かしい歴史を持つ客車として、夢のままにしておいてよかった、という思いも半分、ですな。瀬野さんは、どうですかな?」

 「私も、20系の乗車経験はありません。そりゃあ、もっと早く生まれていれば乗れたかもしれませんがね。米河さんのケースなら、私も、乗りませんね」

 先程までのバトル感は、会話の端々のどこにももはやうかがえないほど穏やかだ。


 だが、先ほどまで不倶戴天の敵とばかりにやりあっていた彼ら、今度は、ぼくに向けて何やら仕掛けをしてきた。

 こいつらに組まれると、破壊力、ありすぎるからねぇ・・・。

 「太郎さんの御自宅には、OBの山嵐さんこと堀田氏が卒業時に太郎さんに譲ったという52センチ寝台のマットがありますよ。時々そちらで寝ることがあるそうです」

 「おい米河、それで寝るのは、大宮君がたまきさんと夫婦喧嘩でもしたときじゃろう」

 「いや、そればかりでもないそうですよ、監督」

 「ナハネの「カイコダナ」が、恐妻シェルターで第二の活躍、ですか」

 瀬野氏の弁に、マニア氏と石本氏が、つられて笑う。何とか答えておかねば。

 「まあ、ぼくもいろいろありますから、忙しいときは、書斎備え付けの52センチの寝台で寝ることもありましてね、一応、敷毛布と掛毛布と枕は常備していますよ。さすがに、三等寝台由来のベッドですから、浴衣は常備していませんけどね」


 たまきちゃんは、ぼくの肘を思い切り叩き、少しばかりむくれた顔を向けてきた。 彼女のメガネのレンズと縁が、微妙に光を反射してぼくの目に飛び込んでくる。

 鉄道一直線の「猛者」たちから、一斉にさらなる笑いが起こる。

 X氏も土井君も、思わずつられて笑っている。

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