第28話 マニア大戦 8 よみがえる「千本ノック」
「おい米河、あんたが、ここまで鉄道趣味の世界でやってこれたのは、わしの千本ノックのおかげじゃろうが」
石本氏が、突然話を振ってきた。
それに対するマニア氏の返事は、こう。
「もちろんです、監督!」
「いったいなんですかな、その「千本ノック」とやらは・・・? 」
瀬野氏が千本ノックとは何かと尋ねるので、石本氏が説明した。
「何なら瀬野君、米河相手にわしが久々に実演してお見せしようかな?」
「鉄道趣味は、知識の多寡や、クイズよろしく即答で答えを出しあってレベルを決めるような性質のものでは、ありませんけどねぇ・・・。しかし、こんなことやっておられたんですなぁ。まあ、米河さんにはいい勉強になったとは思いますけど、こんなクイズもどきで即答できるかどうかで、趣味の実力が付くとかつかないとか、この世界でやっていけるとかどうとか、そういう問題でもないとは思いますがねぇ。でも、折角ですから、拝見いたしましょうか」
石本氏への対応というか、会話内容や呼び方を見ていると、確かに、マニア氏と瀬野氏の違いというか、温度差というか、そういうものが、よくわかるなあ。
もちろんそれは、しつこいが、どちらがいい悪いというものではないのだけれど。
「まあのう、瀬野クン、海野さんの日記を読んだだけでは分かりにくいかもしれんけど、こりゃあ、あんたが想像しとるような、テレビのクイズ番組みたいなものとは違うんじゃ。ちょっと米河、久々にやってみよう。昔は10分と言わず20分でも30分でもやっておったが、今日は5分ぐらいでやってみるかのう」
「では、受けます。それでは監督、よろしくお願いします!」
瀬野氏、いささか「呆れて」いる。
たまきちゃんも「呆れて」いる。
もっとも、瀬野氏の「呆れる」のと、たまきちゃんの「呆れる」のは、言うまでもなく「似て非なるもの」。
アシスタントで来ている土井君は、なぜか興味津々だ。
かくして、久々の「千本ノック」が始まった。
「東海道本線全線電化に伴うダイヤ改正日を和暦で述べよ」
「昭和31年11月19日です」
「よし、その日の東京大阪間の1列車と2列車の牽引機は」
「1・2列車が「はと」でしたっけね?」
マニア氏、わざと「誤答」を言ってみせる。
「アホ、1・2は「つばめ」に決まっとるじゃろう。冗談言わずにちゃんと答えい」
ぼくが大学生の頃に例会で見せられた「千本ノック」と違い、お互い、淡々と質問し、答えていく。
「打つ」側も「捕る」側も、力はそう入っているようでもない。
あの頃の「千本ノック」を例えるなら、2軍キャンプの強化指定選手に指定された若手選手へのノックみたいなものだったと言えるかな。それに対して今度は、プロ野球の一軍チームのビジター側の試合前の守備練習みたいな感じだ。
しかし、その「淡々とした感」が、はたで見るぼくらにも一種の「すごみ」を感じさせる。そういえば、中学生の頃の「マニア君」はしばしば「千本ノック」の最中に、わざと間違いを言って「監督」を呆れさせていたこともあったな。今回彼らは、それを見事に「再現」してくれる。そういえばこのやり取りは、たまきちゃんが学生服の少年からビラを受け取った翌日に鉄研の例会をしていた学生会館で見たときの対話と、ほとんど一緒だ。
「当日の東京口の1列車と大阪口の2列車の牽引機は、何なら?」
「東京口1列車がゴハチの57、大阪口2列車が同じく89」
「じゃあ、それらの機関車の塗装」
「ともに青大将です」
「愛称じゃねえ。ベースとなる色の国鉄規定の色名称は何じゃい」
「淡緑4号」
「よし、次。20系の青色は?」
「青15号」
「14系、24系、および新幹線0系の青は?」
「青20号です」
「戦後の一等展望車の帯」
「クリーム1号です。白ではありません」
「ちょっとお二人、よろしいか」
ここで瀬野氏が、タイムをかけた。
「米河さんの先ほどの御回答の「白ではない」は、いささか蛇足気味のようですが、間違いではありませんね。確かに戦後の一等展望車の帯はクリーム1号で、これは連合軍専用列車にあてがわれた白帯と区別するために、そういう色合いになったという経緯があります。では、お続きを」
彼は、ここぞというところで「ウンチク」を投入してくる。
たまきちゃん、すっかり呆れかえっている。
新入生の時に見た「千本ノック」では、周りの先輩たちが解説してくれていたそうだが、今回は、マニア君よりも若い瀬野氏がマニア氏と石本氏に向かって言葉を発している。
見ている者がいようがいまいが、そんなことはお構いなしと言いたげに。
X氏と土井君は、平静を装ってか、この光景を不思議なものを見るかのような目で見ている。
ノック(?)は、再開された。
「輸入蒸気の8850の製造はどの会社製じゃ、国名もな。ついでに同時期で輸入されたテンホイールを全部それなりに述べて見よ」
「8850は、ドイツのボルズィッヒ社製です。同じくドイツのベルリナールの8800、イギリスのノースブリッティッシュロコモティブの8700とともに、飽和式から加熱式へと改造されています。あと、それぞれモデルにした同型国産機がありますね」
「8900はどうした?」
「アメリカンロコモティブ社のパシフィック型です。後の18900以降の国産旅客機の設計・製造のベースとなった蒸機です」
「そこでC51と言わんところが、よろしい。じゃあ、9900は後の何なら」
「D50です。1Dミカドで、箱根のマレーを駆逐した幹線貨物機です」
「じゃあ、日本のパシフィック型蒸気機関車を全部挙げてみよ」
「8900、C51、C52,C53、C54、C55、C57,C59です。そのうち3気筒はC52とC53で、流線形はC5343とC55の20~40です」
「まあ、そのくらいは即答して当然でしょう。しかも、しっかりと、ボルツィッヒを、ボルヅィッヒと、きちんと修正されておりますな」
石本氏の弁に、瀬野氏が合の手を入れる。
「テンホイール」とは、先輪2軸と動輪3軸、合計10個(2Cとも表記する)の車輪がついた蒸気機関車の別称だそうな。この後ろに後輪1軸をつけたものが、「パシフィック」(2C1)、さらに後輪をもう1軸追加したものが、「ハドソン」(2C2)という別称をそれぞれ持っているのだとか。
ぼく自身はその手の話は中学生のマニア氏から散々聞かされた。それまでも鉄道の本は読んでないわけではなかったが、あまり意識していなかったから、そういう知らないこともいくらとあった。
「確か8700は、明治天皇の大葬と大正天皇の即位に絡むお召列車もけん引しておりますな」
瀬野氏は、解説というより「ウンチク」をどんどん投入してくれる。
そんなもの、たまきちゃんはもとより、ぼくでも理解しようがないよ。
「そうじゃったのう瀬野君。あんたは鉄道史料も読んどるけん、そういう資料にはよう縁があるじゃろう。ほな米河、もう少し行こうか」
「押忍!」
「ナロネ21の寝台構造は何式なら?」
「プルマン型です」
「ほかにプルマン式の寝台車の例を述べてみ」
「オロネ10、581・583系電車寝台などです」
「まあよかろう。じゃあ、マロネ29、マロネフ29は?」
「ツーリスト型です」
「この度の新車のサンライズのハネのソロはどうなら。あんたなりの所見を述べてみ」
「ツーリスト型をベースにした個室寝台ですな」
その後、マニア氏がその根拠を石本氏に説明する。
同じツーリスト型ベースと申しましても、マロネ29、マロネフ29は、明治時代以来の1・2等車の長手腰掛、一見見た目はロングシートの座席ですが、これは通勤電車のロングシートのようなベンチではなく、応接間のソファのような位置づけのものと言えましょう。
それから、冷房云々は時代の関係で論評しかねますけど、マロネの座席と寝台のつくりは、当時の基準から言えばやっぱり2等です。3等級中の、ね。
ただ、「あさかぜ」の時代には製造後30年は経っていたので、当時すでに陳腐化していただけのことです。
一方のサンライズですが、こちらは今どきの寝台車のニーズにきちんと応えてはいますけれど、つくりだけでなく、サービス全体をマロネと比べてみても、3等級で言うならば、「しょせん3等」のつくりですね。
もちろん、個室のロネと、いわゆるノビノビ座席、ですか、足を延ばして横になれるあの座席は、話が別です。
「ほうほう。あんたも中学生の頃からは、相当「進化」したようじゃのう、まあ、このへんで終わろう」
「ありがとうございます、監督」
「ノック」は、瀬野氏とのやり取りを含め、全体で5分少々続いた。以前、というか、マニア氏が中学生の頃なら、ここで、たまきちゃんにもわかるように説明して見ろ、などと言われていたものだが、今回は当時の「再現」ってわけで、このくらい。
瀬野氏は、テレビのクイズ番組のように思えたが、どうやらそうでもなさそうですな、まあ、必死で学ぶ少年を鍛える手段としては、悪くはなかったのでしょう、と答える。
たまきちゃんは大学入学後2日目にしてO大の学生会館で目にしたが、何ともシュールな光景だったと語ったことがある。
ぼくはそれを聞いても、さしてびっくりはしなかった。鉄道の知識がなくたって、こういう「対峙」の風景は、見ていて存外面白いところがないではない。
ただ、ぼくが受けるのは、やっぱり、勘弁だ。
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