第25話 マニア大戦 5 鉄道趣味観の革命

 「私の場合、鉄道に興味を持ったのは、2歳の頃ですから、おおむね1973年ということになりますか。母方の伯父がおりまして、この人がまた、趣味人の鏡のような人でして、いつぞやは、「つばめ」のパーラーカーで、広島から東京まで乗り通したこともあったようで、その時の話をいろいろしてくれましたね。そういう人が身内にいたあかつきにはどうなるかと言えば、・・・」


 のっけから、アウェイ側・瀬野八紘氏が口火を切って、鉄道にはまり込んだ経緯を熱く語りはじめる。

 彼は2歳の頃から、母方の伯父に、とある新聞社が出していた世界中の鉄道を紹介する雑誌を与えられ、それを食い入るように読んでいた。


 そんな彼、「鉄道ファン」という写真を中心とした鉄道雑誌を「大人の絵本」と評すのだが、それもそのはず、この雑誌の写真を幼少期からこれまた伯父さんに度々与えられて、情緒をはぐくまれた。

 そのうち文字も読めるようになれば、鉄道ファンに連載されていた当代随一の趣味人の方々の文章をじっくり読んで、さらに自らの「鉄道(趣味)観」を高めていったと。

 数年前マニア氏と鉄研の例会でたまたま会ったとき、鉄道ファン誌に掲載されていたある連載記事を見せ、ウンチクを散々語ったところ、さすがのマニア氏が、鉄道(趣味)観がこれでがらりと変わった、と言った後、私もこの人の文章を中学生のころ読んではいたが、まったく「読み切れていなかった」と唸ったという。氏曰く、1990年の日本シリーズで西武に4連敗した後の巨人選手たちが「これで野球観ががらりと変わった」と述べたそうだが、まさに、そんな感じだったとか。


 瀬野氏はその記事の掲載された鉄道ファンの1冊を持ってきていて、それをぼくらに見せた。


 鉄道ファン誌1982年11月号。東北新幹線開業に伴う上越特急の惜別特集号だ。他にも、飯田線の旧型国電などの記事もある。その号の中ほどに、ひっそりと、白黒写真と味のある文章で埋め尽くされた記事があった。それは、当時の鉄道ファンに連載されていたもので、1982年から83年ごろにかけて、それより30年近く前の地方私鉄に走っていた古い蒸気機関車や軽便鉄道や電車たちを描いたもので、サブタイトルも含めて少し長いが、こういう題。


昭和30年代の地方私鉄を訪ねて

古典ロコ・軽便・田舎電車、そして・・・

(以下、引用部分は鉄道ファン1982年11月号の記事より)


 筆者は、慶應義塾大学鉄道研究会OBで鉄道車両の連結器などを製作する会社の役員(のち社長)を務めている高井薫平氏。鉄道趣味界では名の知れた方で、著書もある。

 件の記事の1ページ目の写真に、ぼくらは目を奪われた。その写真は白黒で、小さな蒸気機関車が、これまた小さな貨車を何両も牽引して、というよりも「引っ張って」、雪山を背景に走っている。

 子ども向けのおとぎ話の挿絵にでもなりそうだ。鉄道に特に興味のないはずのたまきちゃんや土井君も、思わず見入っていた。

 

 「日本硫黄沼尻鉄道」という路線の写真なのだが、どこのどんな路線かなんて、ぼくらにはわかりゃしないし、わからないなら調べようなんて気も起らない。

 でも、その写真の美しさは、鉄道マニアじゃなくたって、十分感じ取ることが可能だ。なまじ「うんちく(ウンチク)」がないだけ、その美しさがわかるのではないかとまで言うと、さすがに「趣味人」の皆さんもいい顔されないだろうけど。

 この人の文章はいたって読みやすく、すんなりと読者の「頭」ではなく、「心」に、しんしんとしみこんでくる。

 

 あたかも、その写真中に降りそそぐ雪のごとし。


「ボールドウィン製2号」

「軽快なピッツパーグ210」

「雄別のクィーンとして君臨した英国系紳士(8700型)」

「青銅製の「ハノーバー」の銘版だけが健在であった」

「北海道で古典ロコと言えば、アメリカ製のモーガル(車輪が計8個、先輪1軸と動輪3軸の機関車の呼称のひとつ。ハチロクこと8620型などがこれに当たるそうです)やコンソリ(同じく計10個、先輪1軸と動輪4軸の機関車の呼称のひとつで、キューロクこと9600型などがその典型)の活躍で知られ、もうそれだけで大陸的であった。」

 

 このような調子で、記事の文章はもとより、写真の解説に至るまで、鉄道のそれも蒸気機関車のことをそれなりに知っていないと分からない単語が連発されていて、素人のぼくらには正直理解不能なところもあるはずなのだが、文章からにじみ出る雰囲気が、何とも言えない味を醸し出していて、それが、素人さえもその雰囲気に浸らせる魅力にあふれている。そして、この記事の極めつけは、記事の最後の文。


 「雪は灰色に近く、撮影途中でますますはげしくなり、墨絵のような黒の濃淡の中にブルックスのモーガルはすっかり溶け込んでいた」


 「ブルックスのモーガル」なんて、いくら「鉄研出身」でも、ぼくらのような「一般人」には何のことか、皆目わからない。

 アメリカの「ブルックス」なる車両メーカーで製造された、「モーガル(1C、または2―6―0)」の軸配置の蒸気機関車、という意味らしい。

 しかし、そんなことがわからない人にも劣等感や疎外感を感じさせないほど、素晴らしい文章である。

 知識はなくても「感性」があれば、高井氏の文章は十分読める。

 SLブームが発生するはるか前、激しい雪の中を、蒸気機関車の写真を撮影に来て、雪の中、一人でカメラを向ける当時の大学生の姿が目に浮かぶようだ。

 一方で、瀬野氏や石本氏、それにマニア氏のような「趣味人」各位におかれては、文章からにじむ「感性」はともかく、そこに出てくる車両の素性などのほうに目が行くのでしょう。もちろん彼らが、その文章の「感性」を理解できない人間という意味では決してありませんので、そこはあえて申しておきますね。


 瀬野氏は、「鉄道ファン」という雑誌を「大人の絵本」であると、かねて力説しておられる。高井氏の記事の白黒写真はまさに、そのことを立証しているように思えてならない。

 指摘されて拝見するにも、確かに、その「絵本」の「絵」も素晴らしいが、「文」もまた負けず劣らず素晴らしい。

 もっとも氏は、最近の「鉄道ファン」誌を必ずしも評価しているわけではない。氏によれば、読者に「迎合」したような紙面づくりが気に入らない、とのこと。

 彼には、女性の参入をあまり快く思っていないような節も見られる(この後の対談で、それはしばしば現れる)。

 男女の性差というのが一般的な傾向としてあるのは事実だが、これまで鉄道趣味に女性がほとんどいなかったのはなぜだろうか。そんな「男社会」へ女性が参入した時に起こる変化を、彼は、好ましいものとは思っていないのかな。

 特に、母親と子どもの「鉄道趣味」というものに、いささか懐疑的な意見を持っている。

 瀬野氏の「知的レベル」は、確かに群を抜いたものが見られる。マニア氏よりも「実力」はありそう。ただ、それゆえマニア氏に必ずしも「勝てる」わけではない「何か」も抱えているようだ。

 もっとも趣味は「実力の上下」や「勝敗」じゃないですがね。


 対談は、バランスよく進みそう。悪くはない出だしだ。

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