第20話 1983大学祭 マニア君の大活躍?!
鉄研が最も重視する「行事」が、「学祭」こと、大学祭。
O大では例年11月の初旬か下旬のどちらかで行われている。
1980年代は、下旬の連休前後の時期に行われていた。
私が鉄研に出入りしていることを知っている新聞部の先輩から、それなら、同じ体育館で展示している電算研や天文部なんかも取材してほしいと言われたので、まとめて取材して記事を書いた。
1983年の岡大では、大学祭をやるべきかどうか、学遊会で大いに紛糾したけど、結局やることになった。
よくわからないけど、いろいろ議論が交錯していたみたい。
でも結局、翌1984年、どういうわけか大学祭が中止となった。もっとも、医学部の鹿田キャンパスでは、こちらに関係なく大学祭が開催された。
11月末ともなると、いくら温暖な岡山でも結構底冷えするもの。
シートを敷いて土足で行けるようになっているとはいえ、体育館の下側の窓から入る隙間風が、「シバレル」っていうほどじゃないけど、やっぱり、寒い。
鉄研は当時、HOゲージという16.5ミリの線路の模型を走らせていた。よくわからないけど、見たことあるようなないような、いろいろな列車が走っている。
受付では、1年生の大道君や浅野君が来た人に会誌を配る係。
お客さんはというと、親子連れもいくらか来ている。他にはOBと地元の人たち。
マニア君は、模型の番をしながらも、度々話に加わるだけでなく、他のOBの方が来られようものなら、すっ飛んでいっては、ぺこぺこと御挨拶。
やっぱり、滑稽な風景。
OBになったばかりの国江さんをマニア君から紹介された太郎君はというと、「鉄研の物差し」とやらをしっかり使って、函館と岡山を行き来しているルートと列車の話を、国江さん相手に一席ぶっている。
農機具会社に勤め始めたOBの国江さんは、
「いやあ、大宮君は、あの米河よりセンスあるのう。「鉄研の物差し」を、実に的確に使えとるがな」
そんな物差しの使い方より、もっと大事なこと、あるでしょうが。
一方のマニア君、ヒマを見つけては、先輩の模型をいじくって、行き過ぎたら怒られるということの繰り返し。模型好きの香西さんが、にこにこ、しかし、はらはらしながら、少年の動きを見ている。
私を見つけた香西さんが、こんなことをおっしゃる。
「海野さん、鉄研いうところはねえ、静かなイベントのようで、そうでもない。鉄道模型なんて、ガキンチョども、皆喜ぶからなぁ。まあでも、親子連れでくるガキンチョは、まだええ。単独でくるガキンチョが、一番、怖い。何より、騒がしいしなぁ・・・」。
それ、ずばり彼のことじゃない。
でも、それは指摘しなかった。
さてさて、模型の脱線直しに従事するマニア君、模型に触ろうとする少年たちに一言注意。それはいいのだけど、まったくガキどもは・・・などと言ったものだから、さあ大変。
それを聞いていた三田さんという、これまた今年卒業されたOBの方が、153系とかいう東海道本線の急行だった電車のビュフェ車(寿司コーナーもありました。最盛期は2両つないでいて、両方の寿司コーナーの寿司を食べ比べて鉄道ピクトリアル誌にルポを書いた人がいるそうです)の台車を調整しつつ、
「何言っている、君の方がよっぽどひどかったじゃないか・・・」
と、究極のガキンチョ? マニア君をたしなめる。
「いやあ、彼はともかく、学祭ともなると私の模型をおもちゃにしてくれよるからね、いつ壊されるか、はらはらものよ・・・」
寄って来た太郎君と私の前で、香西さんが、にこにこと、しかし辛らつな口調で大いにこぼされる。
マニア君は後年、鉄研の同級生の高橋君の奥さんとなった女性の前でも、香西さんにこのネタを出されて大恥をかいたとか。まあ、自業自得かしらね。
模型の運転席には、OBの三石さんという中学校の国語の先生が来ている。
この人はなんでも、伯備線電化前の特急「やくも」のファンで、わざわざその列車、181系という気動車なのだけど、その「エンジン音」を録音するために、カセットデッキをもって岡山と玉造温泉を往復した人。
岡山から出雲市まで行ってしまえば、営業キロが200キロを超えて、運賃と特急料金がぐんと上がるから、200キロ手前の玉造温泉で折り返されたそうです。しかも、玉造温泉駅では、通過していく特急列車のこれまた「エンジンの音」を、シッカリと録音されたとか。
そして、レイアウトの上には、三石さんの持ち込んだ181系特急「やくも」の11両編成が、我が物顔に走っている。しかもご丁寧に、カセットデッキで、くだんのエンジン音を流しながら走らせるという手の込んだこともされている。
三石さんはマニア君に、これから出発させるから、岡山発車後の車内放送、31デコ(D)でやってみるかとおっしゃる。
マニア君、喜んでこのリクエストにこたえ、即席案内放送を始める。
この列車の着発時刻、マニア君は、三石さんの会誌の記事で覚えて、しっかりそらんじている模様。
本日も国鉄をご利用いただきましてありがとうございます。この列車は、特別急行やくも1号、出雲市行きでございます。
本日は、定刻で岡山を発車いたしております。
それでは、途中の停車駅と予定到着時刻をご案内いたします。
倉敷・9時36分、備中高梁・10時8分、新見・10時43分、米子、12時15分、松江・12時43分、玉造温泉・12時57分、終点出雲市には、13時20分の到着予定です。
クルマは、前より1号車から3号車まで普通車自由席、4号車グリーン車指定席、5号車食堂車、6号車から8号車まで普通車指定席、
なお、本日、その後ろに9号車から11号車まで、普通車指定席を増結いたしております。9号車から11号車までは、途中の米子で切り離します。
この列車は特急列車ですので、乗車券のほかに、特急券等が必要です。
後程車掌が車内に参りますので、お時間の都合などで切符をお求めでないお客様、車掌までお申し出ください。
次は、倉敷、9時36分の到着予定です。
ここで、「オルゴールはどうした!」と、OBのどなたかがヤジを飛ばしたり、拍手をしたり。
鉄研の人たちは、彼がこんなことをやっていても、何一つ驚かない。
この「やくも1号」、本来は9号車から11号車まではない列車だけど、そこを、増結として機転を利かせたところもまた、マニア君の面目躍如。
そのうちに、鉄研OBの石居晶さんが来られた。現在は岡山市内の小学校の先生をされている。なんでも、小5の時に3日間通い詰めたマニア君を「スカウト」した人。4年生の平田さんと合流して、マニア君はご挨拶。
これまさに、プロ球団に入って頑張っている若手選手が、お世話になったスカウトの人たちが試合を観に来られたのを見てあいさつしているような光景。
医学部でも、当時は別枠で鉄研があって、そちらに出入りしている人たちは、石本さんを筆頭に、どなたも、マニア君顔負けの筋金入りの人たちだった。その人たちの編集した別枠の開始も出されている。
こちらの記事は、私はもちろん、太郎君にもよくわからないことばかり。
マニア君にも、相当の歯ごたえがあるみたい。
当時流行っていたサントリーのペンギンビールのCM。
あれは、ヨーロッパのどこかの駅をモデルにしているみたいで、じゃあ、それがどの駅であるかを、医学部の人たちと工学部の香西さんが医学部のサークル棟にあった鉄研のボックスに籠って、かれこれ分析したとか。トマスクックの時刻表を読んでその舞台となった場所と列車を特定するとか、何とか。他にも、片上鉄道でお会いした江本さんの記事が掲載されていて、それは、閉塞の基礎から丁寧に論じられたもの。
この日江本さんは昼過ぎに来られた。そこでたまたま来ていた太郎君をつかまえて、その閉塞の種類とか何とか、説明されていた。
マニア君は、脱線した列車を線路に復帰させるべく、先輩方から「脱線直し」に走らされていた。彼は西に東に、南に北に、レイアウト上の脱線した列車の復旧や警備にあたっていた。まさに、東奔西走の鉄道少年マニア君の面目躍如、ってことで。そして少しでも暇になると、香西さんの模型をいじってはお叱りを食らう。その繰り返し。
「海野さん、あんたの弟、頼むで」
と、香西さんからも言われておりましたけど・・・、
到底、手に負えませんでした(苦笑)。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます