鉄道少年マニア君がゆく OB編
第17話 大学祭会場のプロ野球ドラフト中継・1992秋
大宮たまきのエッセイ 御経のリクエスト
1992年12月某日 函館市の梅小路病院にて
函館に里帰りして、小太郎こと夫・太郎君の叔父(大太郎先生)が院長を務める梅小路病院で、久しぶりに私たちの放送をすることになった。中学生の太郎君がDJデビューした記念すべき場所。そして同時に、私たち夫婦の出会えた場所。すでに楽隠居されている梅小路大先生も、子育てが一段落して、看護師として職場復帰した叔母の梅小路はなさんも、この「番組」を楽しみにしていた。
私の壁新聞「うみの新聞(私が不定期で作ってあちこちに配っているミニコミ新聞です)」の効果もあってか、リクエストもいくらか来ていた。
その中に、かなり異質なシロモノがあった。
「先日、太郎君とたまきさん御夫妻より送っていただいた音源の中に、今年のドラフト会議の中継の光景がありましたね。そうそう、「うみの新聞」で紹介された記事、面白かったです。O大学の某サークル展示会場で起きた「御経事件」のてん末をぜひ、皆さんにお聞かせください。年忘れのいい爆笑ネタではないかと思われます。」
誰だぁ? こんなリクエストをよこしたのは・・・。
よくよく見ると、大太郎さんこと梅小路太郎先生のリクエストだそうで。しっかし、太郎君の周りには、どうして、こうも変なシロモノをありがたがる男性ばかり集まるのかしら。
ともあれ、久しぶりの函館での放送開始。
「皆さんこんにちは。お久しぶりです。岡山市の××ラジオから故郷函館に戻ってまいりました、大宮たまきと・・・大宮太郎です」
と、私たちが挨拶。
実は、結婚後に大宮姓で「仕事」したのは、これが初めてだった。待合室は、地元マスコミと、私と太郎君の家族や友人たちも何人か集まっていて、この時点で、すでに拍手が沸き起こる。中には、口笛を吹いて冷やかす「視聴者」も。
「さて、本当にお久しぶりの、こちら梅小路病院での放送ですけど、今日はまた、色々なリクエストを頂けて、本当に、ありがたいです。ぼくが中学生の時、大先生と作ったリクエスト箱も復活して、うれしい限りです。皆さん、ホンマ、おおきに」
「太郎君、今日は面白いリクエストが届いていますよ」
「どんなんや?」
「御経のリクエストです。こんなの、この仕事についてから一度もなかったですね」
「あるわけないやないか、んなもん。誰や、こんなリクエスト寄越したんは」
「あなたの親戚じゃないの」
「畏れ多くも、梅小路病院の院長であらせられる、大太郎先生こと梅小路太郎大先生かいな。はあ、せやった、えらい、スンマヘン」
太郎君、今日はどういうわけか関西弁が交じる。
「これはですね、その、何と申しましょうか、たまきちゃんとぼくが仕事でO大学の大学祭に行って、その時たまたま取材できた光景です」
実際は、マニア氏から情報を得ていたのだけど、そういうことに。
「どういう光景でしたっけね?」
「今年のプロ野球のドラフト会議、あったでしょ。この夏の甲子園で5打席連続敬遠された、星稜高校の松井秀喜選手の交渉権をどの球団が獲得するかが、今年の目玉でしたね。4球団が指名して、くじ引きをして、結局巨人が松井選手の交渉権を獲得しました。そのくじ引きのときに、何と申しましょうか、O大学第二体育館の、鉄道研究会が展示していた会場で起こった「事件」ですのや。この日は巨人ファンの会員と阪神ファンの会員の二人が、それぞれ贔屓球団の帽子をかぶってドラフトを見ようという話になっとりまして、巨人ファンの高橋君と阪神ファンの米河君、1969年生まれの同級生2人が、何と申しましょうか、それぞれ帽子をかぶって会場に設置されたテレビに陣取っていました。ドラフト中継ということで、それを見に来ていた人もいてはりました」
お決まりの小西徳郎氏のセリフを乗せて解説してくれる太郎君。
「はい。太郎君が今述べた通りですけど、問題は、阪神ファンの青年のほうでして、彼、松井選手の阪神入団を祈願して、御丁寧に数珠まで会場に持ち込んでいて、数珠を片手に「南無妙法蓮華経」と、法華経をしきりに唱えておりましたね・・・」
「いやあ、彼の両親がどの宗派かわかりませんけど(後で、両親とも「真言宗」と判明。彼の幼少期に離婚されてその後一度も会っていないとのことだが、なぜか、どちらの実家も同じお寺の檀家だそうです)、そもそも彼、法華経とかそれに関わる宗教とは、何の縁もない人のはずやけどなぁ・・・」
「あんな変な青年が現れた責任の一端は、太郎君、あなたですよ。大毎オリオンズの永田雅一オーナーが、球場で「南無妙法蓮華経」を唱えていたとか何とか、そういう知識をさんざん彼に披露するから、こんなことになるんでしょうが・・・」
「わいな、そんなことをするためにヤッコさんにプロ野球の知識を教えたん、ちゃうで。せやけど、どっかの撮影地とか廃線前のローカル線の鉄道マニアの罵声より、この方がよっぽど、害もなくて、ええ思うけど・・・」
「こういうのをね、普通は、「みっともない」というんです、太郎君。岡山あたりでいう「ふうがわるい」という言葉なんかがまさに、ピッタリでしょ、どう?」
「まあ確かに、たまきちゃんのおっしゃるとおり、「ふうがわるい」のは確かやけど、オモロかったさかい、まあ、ええやないか」
「じゃあ、その光景を、函館の皆さんにもお聞きいただきましょう」
と、私。大太郎先生のリクエストの文を私が読んで、まずはご紹介。
「では、どうぞ。時は1992年11月21日土曜日、午前12時過ぎの、岡山市内のO大学祭会場、第二体育館内、鉄道研究会の展示会場です」
少し間を置いて、リクエストの音源放送をスタート。
「××ラジオのレポーター、海野たまきです。私は今、O大学の大学祭会場に来ています。こちらは第二体育館の、鉄研こと、鉄道研究会の展示が行われています。どういうわけか、テレビの前には、人だかりができていますが、こちらではなんと、プロ野球のドラフト会議を中継しているようです。ちょっと、様子を見に行ってみましょう」
(模型が走る音とテレビの声。それとともに、御経の声が少しずつ大きくなる)
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・・・
「それでは、これから、御集りの皆さんにインタビューしてみたいと思います」
「こんにちは!(私の声。続いて、高橋君が答える)」
「こんにちは。**ラジオの海野たまきさんですね。鉄研元会長の高橋由浩です。今日は、同級生で阪神ファンの米河清治君と、松井秀喜選手の行方を、それぞれ、ひいき球団の帽子を被って見届けようということで、こういう企画を考えました」
「高橋君は、松井選手はどこに行くと思いますか」
「そりゃあもちろん、うちに決まっていますよ。巨人ですって。数年後には松井四番で、巨人は史上最強打線になりますよ!」
「・・・南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」
「おい米ちゃん、もうあきらめえや。松井はうちや。往生際、悪すぎやで」
「何を言うか高橋君。わしゃまだまだあきらめへんで。南無妙法蓮華経・・・」
「阪神ファンの米河君は・・・」
数珠をますます強く握りしめ、御経をひたすら唱えるマニア氏。
私が声をかけるや否や、右手に数珠を握り、マイクに向けて話し始めてくれる。
南無妙法蓮華経・・ア、海野さん、もとい、大宮夫人、こんにちは。
そりゃあ、もちろん阪神、我らが大阪タイガースです。
松井入団で、わが大阪タイガースのダイナマイト打線の復活です! 一番センター呉昌征、二番レフト金田正泰、三番ライト別当薫、四番サード藤村富美男、五番キャッチャー土井垣武以来の、真の黄金時代の到来でっせ!
ダトーナガシマ、フレーフレーナカムラ・・・南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・
「公知の事実とはいえ、誰が「大宮夫人」だ、コラッ」
と、音源を流しつつ、ここで私が言葉を乗せる。
あとで聞くと、「大宮夫人」のところで、待合室には盛大な拍手が鳴り響いたとか。
私のツッコミにも、また、笑いと拍手が。
「・・・南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・・」
御経青年をこちらから遠ざけ、近くにいた年配男性にインタビューする。
「どちらから来られたんですか」
「近所の笹が瀬町です。鉄研の展示、楽しみにしています」
「今年の鉄道研究会の展示はどうですか?」
「いつもですけど、今年も、なかなかいい研究されていますね」
「なぜドラフト会議をここで?」
「ついでですわ」
「松井選手はどこに行くと思われますか?」
「阪神に来てほしいけどねぇ・・・」
「ありがとうございます」(と言って、私は近所のおじさんから離れた。)
「もっとしっかり祈れよ! そんなことじゃ、松井を巨人に取られてしまうで!」
・・・・・・南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・・・
「今、長嶋監督が手を上げました!」(テレビ)
「よっしゃー!」(高橋君がガッツポーズ)
「ほら見てみ、米ちゃん、おれの言うたとおりやろ!」
「・・・南無妙法・・・・ああぁぁぁあぁ・・・世もオシマイダー・・・・・」
「高橋君、どうですか?」
「いやあ、めちゃくちゃうれしいですね。これで巨人にまた黄金時代が来ますよ」
「米河君、どうですか?」
「祈りが、届きまへんでしたわぁ・・・」
「松井選手の交渉権は、巨人こと読売が獲得しました。こちら、鉄研の会場では、阪神ファンと巨人ファンの青年たちが、悲喜こもごものドラマを演じています。以上、O大学祭の第二体育館会場より、私、海野たまきが中継いたしました」
ここで、リクエストの音源をストップ。
「いやあ、面白かったですね。彼らの表情、この放送でお見せできないのが、本当に残念です。特に米河君の表情がねぇ・・・」
「あのねえ・・・太郎君まで何考えているのよ」
「でも、たまきちゃんの久々の「うみの新聞」の写真、彼らの同級生の坂上君が撮影したものですけど、あれは傑作でしたね」
「確かにね。あ、そうそう、このあと少し、彼と私のやり取りを、密かに録音していたんです。そちらも、お聞かせいたしましょう」
「海野さん、おつかれさまです」
「高橋君、ありがとうね」
「いえいえ」
「ところでねえ、せいちゃん」
「なんですか、大宮夫人」
「誰が大宮夫人ですって?」
「唯物論的事実を述べたまでです」
「何が『唯物論的事実』ですか。ワケの分からないこと言わないの! それより、何なの、あの御経・・・。こんなところで恥ずかしいこと、やめなさいよ! 誰の真似か知らないけど、『ふうが悪い』そのものじゃない。おねえさんはねえ、呆れているんだぞ! 水でもかぶって、反省しなさい!」
「何おっしゃいますねん、たまきさん。こういうときこそ、神頼みですわ、この際ですね、何教でもええんですよ。とにかく、松井阪神入団で暗黒時代から脱出という目論見が、夢と消えましたわ・・・・あ、そうそう、今日はセーラームーンを見なきゃ、月にかわってお仕置きされてしまうんで、このへんで・・・」
・・・・・
「セーラームーン」という単語で一瞬静まった病院内、「月に代わってお仕置き」が出た時点で、待合室も病室もナースセンターも、大爆笑の渦だったそうです。
「太郎君、この「南無妙法蓮華経」の背景を、皆さんに説明してあげてください。どう見てもこれは、知識を渡した本家本元の太郎君に説明責任があるわね」
えらい、スンマヘン。
これはですね、大毎オリオンズから東京オリオンズにかけてのオーナーだったラッパこと永田雅一さんが、1960年の大洋ホエールズとの日本シリーズで、大洋漁業の中部オーナーと並んでそれぞれ自球団の野球帽をかぶって観戦していましたが、永田さんが大毎のピンチのたびに数珠を持って「南無妙法蓮華経」を唱えていたことにヒントを得て、米河君が「やらかした」次第です。
永田ラッパさんはしばしば東京球場なんかでも南無妙法蓮華経を唱えていたみたいですが、何と申しましょうか・・・、そういうときほど、あまり効果なかったのではないかと思われます。
大体、1960年の大洋との日本シリーズは全4試合1点差でストレート負けだし、捕手谷本のスクイズは失敗するし、西本幸雄監督と「バカヤロウ」でヒトモメするし、でしたね。まあでも、オリオンズとタイガースは選手の行き来が数十年来多い関係ですから、こんな阪神ファンの出現も、ある意味、必然でしょうね。
そういう問題じゃ、ないと思うけど・・・
中年以上の患者さんの中には、今年のドラフト会議よりむしろ、1960年の大洋ホエールズ対大毎オリオンズの日本シリーズを懐かしがっている人もいた。
「大宮夫人、改めて、ご結婚おめでとう!」
放送を終えて太郎君と二人で待合室に行ったら、私の同級生や先輩、後輩たちの祝福。でもこれは、素直に嬉しかった。
待合室で聞いていた私の両親も、喜んでくれた。
(追記)
あとでこの時の放送を太郎君の御両親に聞かせたら、二人とも、大爆笑でした。
別に「唯物論的事実」という言葉に感動したわけではありませんが、翌年の初仕事より、私は「海野たまき」を「大宮たまき」に改めて仕事をしていくことにしました。
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