第10話 「局」に行く ~ 1985年秋
1985年、私・海野たまきが3年生の10月中旬の土曜日のこと。
O大学新聞部の用事で、局こと日本国有鉄道の岡山鉄道管理局に、初めて行きました。私が日頃鉄研に出入りしていることを知っている同級生や先輩たちが、あのマニア君に案内してもらったらどうだというので、結局、高校生のマニア君と、それから、太郎君も引き連れて行くことに。私の方の用事は割に簡単に終わったのだけど、問題は、常連である「鉄道ムラ」の住人・マニア君。当時国鉄の「局」には、彼だけではなく何人かの「マニア」な人たちが、岡山に限らず出入りしていたようです。
ある評論家のネット上の記事によると、当時は国鉄や他の鉄道会社にも、「マニア」とされて出入りする「その筋の人」が結構いて、一種の「鉄道ムラ」的な状態であったというけれど、マニア君を通して局に行ってみると、確かに、そのことが私にも肌身で理解できました。
ただ、その少し前に起こっていた過激派による国鉄線へのゲリラ活動により、その「鉄道ムラ」も、少し様子が変わってきていたみたい。
まずは私の用事で、営業部に行った。マニア君がよくお会いしているという大野さんと小盛さん、それに、女性の広報担当の三村さんという人が応対してくださった。当時の国鉄にも、女性の職員がいないわけではなかったが、本当に、少なかった。マニア君に連れてきてもらったはずなのに、大野さんがおっしゃるには、
「あんたら、このマニア君の保護者かな?」
だって。まあ、そんなものですと私が答えて、一同苦笑。
私たちには、こんな大きな息子はおりませんけど・・・。
さすがのマニア君も、バツが悪そう。
さてさて、「保護者」同伴で初めて局内に入った「鉄道ムラ」のマニア君に、大野さんが言うには、
「そうそう、この前、過激派が東京のほうで、ゲリラをやっただろう」
大道君の話では、マニア君は学館内に落ちていた過激派の国鉄分割民営化反対闘争のビラを面白がって読んで、一種のギャグにしていたとか。鉄道趣味の世界は比較的ノンポリが多いという話をこの春卒業された河東さんからお聞きしたことがあったけれど、マニア君はそうでもなく、右でも左でも、面白がってギャグにさえするようになって、今に至っているようです。まあ、こういう「政治参加」もありなのでしょうね。
さてさて、かの大野さんが言うには、こう。
「そういうわけでな、マニア君、運転部で結構ダイヤやらなんやらもらっているけど、これからは、そういう内部情報をあんまり外へ流すな、って話でな、悪いけどあげられんようになった。あんたが過激派などに流したり、入れ知恵したりするとは思えんけど、まあ、そういうことで了承してくれるか」
大野さんは、ここぞとばかりに話を続ける。
「それから、君の周りでサボ(行先表示板)や方向幕を盗んだりする奴、いるか?」
「いえ、そんな人はいません」
後にマニア君の話では、
「レイルウェイライター氏でもあるまいし・・・」
と思っていたみたいだけど、流石にそれは言わなかったとか。
「それならいい。君らはよう知っているからわけないことだろうが、サボを見て乗るお客さんもいるんだ。周りにそういうことをする者がいたら、注意してあげなさい。それから、何だ、無人駅にある集札箱。あれをあさって、切符やら運賃を盗んでいる奴も何人かいるみたいだけどな、そういうことは、君の周りだけでも、絶対にしないように、している者がいたら、マニア君、やめさせろよ」
マニア君、はい、と答えているけど、何かやましいことでもしていたのかな?
おねえさんは、ちょっと心配だぞ・・・
「あ、保護者のみなさんも、よろしくお願いしますね」
もう私たち、「保護者」で通すしかない。
そのうち今度は小盛さんが、
「あまりおおっぴらに使われても困るが、「車掌長」の腕章をやるで。大学祭なんかで服につけて披露したり、ましてや展示したりは、やめといてくれ」
と言って、特急列車の車掌さんが使う腕章をマニア君に渡した。
ありがとうございますと言って、マニア君はちゃっかり頂いていましたね。聞くと彼は、中学2年の頃にも大野さんから「乗客専務」の腕章をもらっていたみたい。太郎君が、まるで檀上莞爾さんのエッセイを現実に見ているようだ、とか何とか。祖父母の実家の広島から東京に帰る鉄道少年が、「あさかぜ」号の車掌さんから乗客専務の腕章をもらう話が出ていたそうで、まさかそんな光景を目前で見るとはね・・・と言って、感心していた。これが「鉄道ムラ」なのねぇ・・・。
その後私たちは、運転部にも顔を出した。最近知り合いになったという若い職員さんたちとご挨拶した。そのうちの一人の竹橋さんという職員さんに、マニア君、思いっきり説教を食らった。何でも、昨年廃止になったある私鉄の標識をもらって帰って、それから電話で「事後了承」を得たって話になって、それを聞きとがめられたことでの説教だった、ってこと。
そうしているうちに、年配の土井垣さんという職員さんが声をかけてきて、
「おお、マニア君、O大の鉄研には、江本というのがおろうが」
と尋ねてきた。片上鉄道で会った、あの江本さんだわ。
「医学部の江本さんですね。お世話になっております」
「近く会うようなら、江本君に、この資料、渡してくれるか?」
「わかりました。今日の例会か、明日にでも医学部のボックスに持っていきます」
「じゃあ、頼むで」
その資料というのは、翌年の鉄研10周年記念列車に関わるものだったみたい。鉄研の会員である太郎君もマニア君も乗車していましたが、私も、その列車に乗って「取材」しました。マニア君はもちろん、ここでも大活躍でした。
それにしても、「鉄道ムラ」というところは、一体どういう論理で動いていて、どんな行動原理があったのか。
今に至るまで、よくわからないところだらけです。
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