第6話 連休前の例会
昭和58年こと1983年のゴールデンウイークは、「飛び石連休」と言われた。4月29日の天皇誕生日(金)から5月5日(木)のこどもの日まで、平日もしくは土曜が間に入って、休みと平日が交互に来るというわけ。これじゃあ、なかなかまとまった休みも取れないというわけで、その後、この時期に休日を増やす方向で世の中が進んでいくきっかけになった年。
太郎君が、この連休前から岡山に来ることに。小学3年の夏、1974年以来。まだ新幹線が岡山までで、山陽本線の特急が活躍した最後の夏。このことを聞いたマニア君の羨ましがって愚痴ることと言ったらなかった。彼の愚痴は、鉄道を趣味にしている人たちの共通した思考回路からくるらしく、自分が経験できなかった過去の時代を経験できていたら~、っていう、一種「倒錯」した感情のたまものだとか。そんなこと鉄研の例会で先輩相手に言いなさいと言ったら、また鼻柱をへし折られるのがオチだとか。
都合のいいときだけおねえさんに甘えやがって。
このところ彼、新幹線の博多開業で廃止となった在来線の特急や急行に興味を持っていて、ことあるごとに「局」に行っては国鉄の人に資料をもらったり、当時の雑誌や時刻表を探しては読みふけったりしている。何かを知ろうと動いている時の苦しい表情と、何かがわかった時の嬉しそうな顔。彼の心情は、顔にストレートに現れていた。
いくら大学の鉄研に来ているとか言っても、一般的な男子中学生特有のかわいらしさにあふれていた。
太郎君は、4月26日(火)の夜、22時前に来た。連休前に鉄研の例会にぜひ行きいというので、来岡を少し早め、この際2週間ほど休暇を取った彼の両親と一緒にやって来た。太郎君のおじいさんの家で3人と、大学から戻ってきた私は合流した。
「お母さん、お父さん、お久しぶりです」
太郎君と出会った頃からずっとこう言い続けている。けど、誰も違和感はない。
「やあたまきちゃんお久しぶり。今回はしかし、こいつの趣味につき合わされて、かなわなかった。もっとも大きな移動は連休前後だから、いくらかましだけどね」
「ということは、飛行機はなしで、全部鉄道ですか?」
「そのとおり。昨日の夜に家を出て青函連絡船で本州にわたって、青森からはつかり号で盛岡、盛岡から大宮まで新幹線、そこから長野まであさま号、長野から名古屋までしなの号、名古屋からは新幹線でやっと岡山に21時過ぎに到着ってわけ。ご存知の通り太郎は時刻表の読み方を覚えて、かなり詳しくなってね。どうせ行くのなら、って、こんな日程につき合わされたのよ。お父さんが、もうそこらで勘弁してくれって言って、ようやくこれ」
「今回は、碓氷峠を通ってみたかったって。峠の釜めしを食べたよ。証拠の釜はちゃんと3つ、太郎がせしめてやがる」
お母さんとお父さんが、呆れながら解説してくれた。マニア君や彼の先輩たちなら、こんな程度じゃすまないとは思うけど、海千山千はいいや。太郎君が回復していることが、私には何よりうれしい。今度は太郎君が、嬉々として語り始めた。
「たまきちゃん、これでも控えめにした方だよ。どうせ少々距離が伸びても、運賃は完全に比例して伸びるわけでもないことはわかっていた。そんなに差がないなら、いろいろ乗らなきゃ損ってことだよ。ほら、送ってくれた会誌「やくも」の田沢さんの国鉄運賃についての記事を読んでね、自分なりに勉強した」
「田沢さん、明日の夕方の例会に来られるから、案内するわよ。マニア君も4時頃には学校終わるから、それから来ると思うし」
「マニア君? ああ、あの少年ね。ぜひ会いたいな」
「太郎君、岡山までの経路、例会で話してごらん。皆さん絶対、食いつくわよ」 「食いつく? まさかぼくまで、噂の千本ノックを受けさせられるとか?」
「千本ノックは大丈夫。だけど、そういう話は、すごく歓迎されるところよ」
皆さん食事は新幹線の食堂車でしてきたみたい。軽く太郎君の荷物整理を手伝って、早めに休むことに。太郎君は、私の隣の部屋に入った。彼はしばらく、ここで過ごすことになる。というか、大学に入ればここに来ることがもう決まっている。起きだしてそっと彼の部屋を覗いてみた。ヘッドホンをつけてラジオを聴きながら、鉄研の会誌を時刻表片手に読んでいた。この頃から彼は、ニッポン放送の亀淵さんのような眼鏡をかけ始めたが、その眼鏡を広げたまま、机の上に置いて、裸眼で呼んでいる。忍び込んでも、気付く気配がない。標的、よし。そっと近づき、彼の眼を、私は両手でふさいだ。
「たまき・・・何しやがる」
生意気に、呼び捨てなんかしやがったな、こいつ・・・
しかも、ぎゅっとつかんでひねった腕を離そうとしない。
「離して・・・痛い!」
太郎君は、さっと離した。
「そうそう、鉄研の会誌、なんか難しいこと書いている記事もあるけど、旅行記が結構あって、そっちが楽しいかな。それにしても、いろんな人がいる」
それはいいけど、何であっさり手を離すのよ? 離しておわり?
私としては期待大外れ。どうして「据え膳」を食べないの?
太郎君までマニアがかってきたかしら。
「太郎君は、どの記事読んでいたの?」
「平田さんが、九州に行った時の旅行記。福岡の炭鉱線を散々乗り潰して、最後、夜行急行で移動するとき、小倉からわざわざ門司港まで戻って、何とか座れたって・・・。あ、九州ワイド周遊券使っているから、不正乗車にならないんだよね」
「へえ、私にも読ませて」
「いいよ。この人の記事、これなら、たまきちゃんにも理解できると思う・・・」
あ、いつもの「たまきちゃん」に戻したな。でも、ちょっと小馬鹿にした言い方しやがって、こいつ。
「『これなら』理解できると思う」だと。
私は平田さんの旅行記を、太郎君のベッドに座って読んだ。何だか、列車に乗ることに必死になっているのはわかる。確かに「理解」はできました。でも、何だか「乗りつぶし」っていうのは、きつそう。もっとも、それが楽しさだと言われたらそれまでだろうけど。積極的にやってみたいって気持ちにはなれない。太郎君の表現、確かに言い得て妙。正直、理解できないところもある。太郎君は、時刻表をひたすら読んでいる。彼とこうして夜を過ごすのは、二人が出会った中学生の頃以来かしら。
「こんなふうに夜を過ごすの、久しぶりだね」
「そうね。あの病院以来かな」
「あの頃親にばれたら、ちょっと、ね・・・」
「だけど今だって・・・。お父さんもお母さんも、下で寝ているじゃないの」
「何と申しましょうか~、そのうち、その気になれば毎日でも、こうして夜を過ごせる日が来るってことですよ。その点につきましては、海野たまきさんに御賢察いただければ、非常に幸甚であると思料する所でございます」
こういう時になると、太郎君は中学時代に覚えた小西得郎さんの真似をしてごまかす。「読む野球」が効き過ぎよ。告白する前の太郎君が、異常にパワーアップして戻ってきたみたい。
「そうそう、最新の「やくも15号」を読んでみて。横沢さんの旅行記が面白い。これ、三江線だよ。ほとんど直通がないローカル線。芸備線の三次から山陰本線の江津までだから、三江線。岡山からなら、うまく組めば日帰りでいける。青春18きっぷが1日分あればいい。横沢さんの記事読んだら、すぐ計画立てられる。階段を散々上らされる宇津井駅が、面白そうだな」
「そうなの。今度、一緒に行こうよ」
数年前、青春18きっぷで一緒に日帰りで行ってきました。ちょうど春先で、桜がきれいだった。
でも、今年の春で廃止されたんだってね・・・
翌日私は新聞部の部室に寄った後、頃を見計らって太郎君との待合せ場所に行った。街中の本屋で「風雲の軌跡」(元西鉄ライオンズ監督・三原脩氏の自伝で、現日本ハム栗山英樹監督の愛読書)という本を買ってきていた。その本は今も、太郎君の書斎にある。私たちは学生会館に向かった。掲示板には、今日の例会はA集会室で行うと書かれていたので、二人でA集会室まで行き、ノックしてドアを開けた。
「どうぞ。あ、海野さんと、そちらは、大宮君ね」
出て来たのは、会長の河東さんだった。
「はいそうです。私の幼馴染の大宮太郎君が函館から来たので、御紹介します」
会員の皆さんが私と太郎君に目を注ぐ。
学生服のマニア君も来ている。
「お二人ともそこかけてや。じゃあ、一人一人、自己紹介簡単にお願いします。まずは、大宮君から」
河東さんが太郎君に話を振った。太郎君が、再び立ち上がった。
「はい。北海道函館市から来ました、大宮太郎です。現在17歳です。病気で高校に行けなかったので、大検を受検して昨年合格しました。今、受験勉強中です。鉄研は、幼馴染の海野先輩と米河君に紹介していただきました。来年にはO大に来る予定です。どうぞよろしくお願い致します」
こいつ、何が「海野先輩」よ。
「じゃあ、海野さん、うちとは関係ないかもしれないけど、よろしく」
河東さんに声をかけられて我に返った私は、立ち上がって、あいさつした。次にマニア君、そして、来ていた会員の皆さんが一人一人、簡単にあいさつした。
「ところで大宮君、いつ岡山に来たん?」
尋ねてきたのは、1年生の大道君。
「昨晩です」
「いつまでいるの?」
「とりあえず、7月半ばまで岡山で勉強して、それからしばらく函館に戻ります。10月頃を目途に岡山に来て、共通一次は岡山で受験する予定です。雪などのリスクを考えると、温暖地の岡山で受験したほうがよいかと」
「ほお、よう考えとるなあ。で、今回はどんなルートで岡山に来たんかな?」
太郎君は、昨日私に言ったとおりの経路を説明している。
「東京経由や日本海周りと、運賃や料金、そう極端に変わらなかっただろう」
横から尋ねてきたのが、田沢さんだった。大柄で黒縁眼鏡の人。兵庫県西部の医師の息子で、医学部生。太郎君の叔父の大太郎先生よりも、かなりクセがある雰囲気。姫路の名門進学校の出身だとか。国鉄の運賃体系に詳しい人だ。
「はい。本当はもう少し凝った経路で来たかったんですけど、両親も一緒でして、ほどほどにしろと言われたので、どうしても通りたかった碓氷峠にポイントを置いて、旅程を組み立てました」
「いやあ、上等だね。この春卒業した国江さんなんか、「鉄研の物差し」がようわかっているとか言うでえ・・・」
「そりゃあ、素質があるとか何とか、大いにお喜びでしょう」
田沢さんに反応したマニア君。中学生らしからぬ論評をよこす。
「さすがじゃなあマニア君。あの人の特徴、ようわかっとる」
国江さんの高校の後輩でもある中森さんが、合の手を入れる。なんだか優しい雰囲気を醸し出す岡山弁で話される人。
香西さんが、太郎君に尋ねるともなく話す。
「北海道かな。うん、今年の冬、三石さんと北海道ワイド使って183系乗りに行ってなあ、読んだか、あの183に乗った話」
「はい、あの流線形もどきの気動車特急ですね、食堂車がない・・・」
「まあ、仕方ないけどな、それも今時・・・」
「食堂車、子どものころ乗りました。確か「北海」です。朝3時ごろに起きて5時前に乗って、札幌まで行った覚えがあります」
「山線周りの「北海」ね。石本さんなんか、C62の引く「ニセコ」の撮影で結構あのあたりに行ったみたいでな。私はねえ、小学生の夏休みに親と北海道に行った時「エルム」乗ったで。食堂車にも行った。大宮君、あんた、「エルム」知っとるか」
香西さんは、にこにこしながら、辛辣さを秘めたようなことを言う人。
「あったことは、知っています」
「見た覚えは?」
「ないです。その頃は小さかったし、函館にいませんでした」
「そりゃ、残念だったな。おいマニア君、「エルム」はどっち周りやったか」
結局、マニア君に抜き打ちノックのお鉢が回る。
「海線回りでした。旭川まで行く「北斗」と区別するための列車ですね。「うずしお」に対する「ゆうなぎ」みたいなものです」
「例えが若干ずれとる気もするがのう・・・」
と、香西さん。
マニア君が標的になったのを見計らって、河東さんが太郎君に話をつなぐ。
「おれもこの夏、北海道に行く。白糠線廃止になるからな。じゃあ、これから米河君に飲物買ってきてもらうから」
学生服の少年は、では行ってきますといい残し、受け取ったメモとお金を持って1階の自動販売機売場に駆けていった。
彼がA会議室を出たのを見計らって、私は、太郎君の耳元でささやいた。
「何が「海野先輩」よ。心にもないこと言って・・・」
「一度人前で言ってみたかっただけだよ」
「「たまきちゃん」で、いいのに」
「ここじゃ恥ずかしいよ・・・」
「いつも言っているくせに。もういいから「たまきちゃんごめんなさい」って、ここで言いなさい。私の言葉通り!はい!」
「たまきちゃんごめんなさい」
「はい、よくできました。マル!」
こっそり言っていたつもりだったけど、この他愛ない「痴話話」が聞こえたのかどうか、河東さんが太郎君に話しかけてきた。
いやあ、うちはな、会員間で、敬称付けたりあだ名で呼んだりはもちろんあるけどな、先輩やからって、相手に「何とか先輩」とかいういい方は、一切してない。まあこれは、暗黙のルールみたいなものや。第一な、呼びかけで「先輩」とかやられても、正直、困んねや。上級生や年上やからって、誰にでも「先輩」言いよってみ、それこそ、米河君なんぞみんな先輩や。1回生の大道君や浅野君や児島君なんか、そんな呼ばれ方例会の度にされたら、かなわんやないか。しかも、誰に対して声かけとるかも、曖昧になりかねん。結局入会しなかったけどな、ある女子大の学生が去年二人ほどうちに来て、「何とかセンパイ」などとやられたあかつきには、正直「ジャミング」が入ったみたいで、特にあの香西君や石本さんらが辟易しとった。せやから、普通に「今田さん」とか、あるいは「SGさん」みたいな感じでええんや、うちでは。
意外とマニア君の存在は、このサークルにとって貴重なものなのかもしれない。太郎君と私のちょっとした痴話が、こんな大げさな話になるなんてね。ジュースを買ってきて、少年は河東さんにおつりと一緒に渡した。みんなに配ってくれと言われた彼は、手際よく、先輩たちに配っていった。この後は、いくつかのかたまりで雑談のような形になった。
マニア君は、中森さんと香西さんのところに行って、何やら見せている。
「これが宇野線と宇高航路の「ニフンメ」ね。ちょっと読ませてもらうでぇ」
「はい、どうぞ」
「おうマニア君、貨物時刻表持って来とるか。局の人にもらったやつ。ちょっと貸してくれるか」
「はい、これです」
ようやく、彼は私たちのところにきた。忙しい人ねぇ・・・。
「あ、大宮さん、申しおくれました。米河清治です。中高一貫校の津島中の2年です。どうぞよろしくお願いいたします」
「大宮太郎です。よろしく。君が有名な国鉄公認マニア君か。今日もまた、先輩方にかれこれ絞られているみたいだね」
「小学生で来始めた頃は、もっと鼻柱をへし折られていました」
「そりゃあすごいな。ぼくは正直申し上げておくけど、君みたいな「マニア」にはなる気ない。でもまあ、いろいろ、教えてください。ところで、君はプロ野球好きだったね?」
野球マニアが、何言ってやがる。「灯台下暗し」だな。
「はい。特に好きな球団はありませんが、小学生の頃は王さんのファンでした」 「ぼくもだ。証人はたまきちゃん」
「それ、海野さんのことですよね」
「その通り。何か変?」
「いえ、別に」
この少年も、私たちの関係に気付きかけていると見た。
「でさ、もしよかったら、プロ野球のことを君に教えるから、おれに鉄道のこと、教えてくれるかな」
「はい、喜んで」
「じゃあ、歴史から一通り教えてあげるよ。別に特定の球団の応援とか、そういう事じゃなくて」
「ぜひお願いします!」
太郎君は、大病から奇跡的に回復しているころ梅小路病院の大太郎先生のアドバイスを受け、「読む野球」からってことで、プロ野球の本を本気で読み始めた。確かに彼は、それでプロ野球にとどまらず、歴史をしっかり学べたし、国語力もつけてきたからね。彼はもともと函館の中高一貫校の生徒だったから、やっぱり、賢い。同じ問題を説いても、1歳上の私でさえ負けることが多かったぐらい。
マニア君は、太郎君とおおむね同じことを、鉄道を通してやっている。しかも、彼の行動力は折り紙付き。知的好奇心も半端じゃない。特にスポーツもしていないし、運動部でもない。でも、その行動力は下手なスポーツ少年の比じゃない。この子は、こういう団体で手綱を締めていく必要があるのも、わかる気がする。
18時過ぎに解散の後、学館の外で、これから自転車で旭川の向こうの下宿まで戻るという河東さんから、声をかけられた。
「もしよかったら、今度29日の昼でも、うちの下宿に大宮君と一緒にきてみるかな? せっかくやさかい、いろいろお話聞かせていただけたらありがたいけど、どやろか。あ、米河君も呼ぶけど、ええけ?」
マニア君とはすでに話ができている模様。
太郎君に、どうする? と尋ねたら、じゃあ、ぜひ伺いますというので、私もいっしょに行くことにした。
なぜマニア君を?
というと、自転車で道案内その他を兼ねて呼ぶとのこと。
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