第4話 国鉄公認?「マニア君」

 1983年4月10日・日曜日。入学式後、初めての休日。外は、雨。私は米河君と約束して、昼過ぎにうちに来てもらった。彼は、昨日学館に持ってきた資料やら何やら持ってきた。それは私が頼んだから、というのもあるけど。雨の中、岡山駅前でまた数年前の鉄道雑誌を買ってきていた。私は、彼を応接間に招いた。自分の部屋に入られて困るわけではないけど、資料を広げて話すにはこっちのほうがいいと思ったから。電話もかかってくるし。

 「今日の2時半ごろに、太郎君から電話がかかってくるから、ね、せいちゃん、あなたもあいさつして。それから、昨日みたいな知識をひけらかすようなマネはしないでね、くれぐれも」

 一言だけ注意した後、素顔の彼と、鉄道とは関係ない話をした。

 「私、太郎君に最初、どんなあだ名付けられたと思う?」

 彼に分かるはずはないけど。

「「ミイラ人間」よ。太郎君に、事故で入院していたとき、初対面でつけられちゃってね。それがどういうわけか、結構このあだ名、気に入っちゃってね。ペンネームは今も「ミイラ美少女」」

 私のからだじゅうの血液の流れが少し早くなったことなど、この少年は、どうも気づいてさえないようだ。

 頭にあるのは、買ってきた鉄道雑誌の内容のことだけ? 

 「ミイラ取りがミイラ」

 彼は突然、慣用句を持ち出してきた。

 「ひょっとしてそれ、将来のせいちゃんかもしれないわよ」

 私はこの日、彼を「せいちゃん」と初めて呼んだ。以来ずっとそう呼んでいる。彼は、そういうことに変な意識もないみたい。

 「え? ミイラ取りからミイラ?」

 「ええ。それも「特大」ミイラ」

 「ミイラに大小がありますか?」

 「あるとすれば、特大ね」

 「特大ミイラ? ぼくが、ですか?」

 「そうよ。今のあなたは鉄道にのめり込んでいるけど、そのうち間違いなく、それ以外にも道が広がる。その時間違いなく、ミイラ取りから特大ミイラになるわよ」

 実際、そののち、と言っても、それから10年ぐらい後の話だけど、せいちゃん、あるアニメにはまってしまった。アニメを観ていたある先輩(匿名希望です)に悪態ばかりついて批判していたのに、いつからか、マニア君本人がはまり込んでしまった。まさに、「ミイラ取りがミイラ」、それも「特大級」の。そのアニメというのが、「セーラームーン」で、その後は「プリキュア」。

 彼は、小6になった年から養護施設から引き取って育ててくれた叔父の経営する学習塾で仕事していたが、そこでセーラームーンのポーズを披露していて、女子中高生から呆れられていた。彼曰く、覚えるのは苦労したそうで、レーザーディスクの「ポーズ」を押して「ポーズ」を確認しながら、動きを作ったとか何とか。

 他にすることあるでしょうが。

 でも、彼のえらいところは、鉄道という趣味を通じて培った知識の得方、使い方を、あらゆる面に応用しようとしてきたこと。これは、認めてあげたい。


 2時半ごろ。太郎君から電話がかかってきた。最初に出たのは、お母さんだった。「たまきちゃん、入学式はどうだった?」

「ええ、無事終わりました。サークルは、新聞部に入りました。あ、それから、岡大にも鉄道研究会、ありました。赤本には医学部にしかないような書かれ方でしたけど、医学部以外にも、あります。ボックスは、確かに医学部にあるそうですけど。それで、お話も聞いてきました。太郎君にもこの後お話しますね」

「じゃあ頼むわね。ところで鉄道研究会って、マニアばっかりじゃあ大変だって、太郎は心配しているけど、それはどうなの?」

「マニアって人も何人かいますけど、そんな人ばかりじゃありませんよ。そうそう、中学生の男の子が、一人通って来ています。その子、米河君っていうんですが、今来てもらっています」

「へえ、中学生の子が? なぜまた?」

 全く予想してなかった情報に接して、びっくりしている模様。

「小学5年の時に大学祭の会場で先輩に『スカウト』されて、それから3年間ずっと鉄研に来ているそうです」

「小学生が『スカウト』?」

「ええ。彼は、国鉄の人からも「マニア君」と呼ばれているそうです」

「あらら。それじゃあ、国鉄公認の「マニア君」なのねぇ・・・。ところでその子、まさか、大学の入学式にも来ていたの?」

「はい。学生服で先輩と一緒にビラ撒いていました。でも、彼のおかげで、鉄道研究会があることがわかりましたから」

 「じゃあ、太郎に代わるからね」太郎君が電話口に出てきた。

 「太郎君、お久しぶり。体調はどう?」

 「すこぶるいいよ。たまきちゃん、入学式、どうだった」

 彼はずっと、私のことを「たまきちゃん」。素直にうれしい。

 「あのさあ、鉄研に行って話聞いて来たわよ。明日そっちに送る小包にいろいろ資料を入れています。それ読んでみて」

 「ありがとう。ところで、さっき母から聞いた話では、鉄研って、マニアばかりじゃないけど、マニアックな人もいて、そのうちの一人が中学生?」

「そう。今、その中学生の子に来てもらっているから、挨拶してもらうね」 彼に、電話に出てもらった。

 「大宮さん、はじめまして。米河清治です。今中2で、小5の年から鉄研にスカウトされて来ています」

 「初めまして、大宮太郎です。よろしく。ところで君、鉄道に詳しいそうだね」

 「とんでもない。知らないことだらけです。鉄道の「テ」の字もまだまだわかりませんから、いつも先輩に鼻柱をへし折られながら、何とか頑張っています。昨日も、こってり絞られました。でも、鉄研は、いろんな人がいますし、ぼくにとってはとても楽しいところです」

「それはよかった。おれも来年にはO大を受験するから、合格したらぜひ、鉄研に入れてもらいたいな。鉄道に、興味あるからさ。あ、君、プロ野球は好きか?」

「今は特に好きなチームはありませんが、子どもの頃は、王さんのファンでした」

「ぼくもだ。実は病気を患って以降、あまり運動はできないけど、プロ野球の本はさんざん読んでいる。それはたまきちゃんも知っている。あとで聞いてみてよ」

「わかりました。じゃあ、たまきさんに代わりますね」

 さすがに電話代が高くつくので、詳しいことはとにかく、もうすぐ届く小包を見てと言って、電話を切った。


「たまきさん、千本ノックの話は?」

「してないわよ。恐ろしい場所だって思われるだけじゃない。でも、手紙には書くからね」

 太郎君は、後にこの話を手紙で読んでも、それほどびっくりした様子でもなかった。

 「なんだ、戦前のタイガースが甲子園でやった打倒沢村特訓みたいだな。先輩の名前がまた、当時のタイガースの監督と一緒だよ。でもさあ、そのくらいしなきゃ、あんな鉄道小僧は鍛え切れないと思うよ」

とか何とか、随分感心していた。

 「じゃあ、それを見ている方はどうなのよ?」

と尋ねたら、

 「それなりに楽しめるんじゃない? 状況がわかっていればの話だけどね。プロ野球のノックなんて、危なすぎて誰でも受けられないでしょ。同じこと。彼には鍛錬になるけど、他の人には、単なる苦痛を受けただけ、になってしまうのがオチだよ」

って。


 電話を切って、今度は可愛げにいささか欠ける少年の相手。

 「ところで大宮さん、プロ野球の本を読んでいるって?」

 「うん、彼が中2の頃からかな? 野球がしたいと言ったら、さすがに大病の病み上がりだから、それは無理だよって。あの子、中学受験の前には少年野球していたからね。奇跡的に助かっただけでもありがたいでしょ、っていうのが半分、でもかわいそうっていうのも半分ね、おねえさんには。だけど、野球ができなくなっても、野球について書かれた本があるだろって、主治医の先生に言われたのが、きっかけ。その先生、看護婦している太郎君のおばさんと結婚された人。でさ、彼のために、私が何度も図書館に通っては、そういう本を借りてきて、読んでもらったの。読み始めて半年か1年経つ頃になると、なんとなく、太郎君自身の考えというか、思考の軸、みたいなものが出来上がってきた。病室での勉強にも、力が入りだしてね、高校に行けなくても、大検に早く合格できて、今は受験勉強だけに集中できる状況よ」

 「野球の本が、大宮さんの人生を支えているんですね」

 「そうね。ちょっと一時期、生意気なこと言う頃もあったけど、落ち着いて来たかしらね。同じような傾向が見て取れるわよ、あなたにも。太郎君より症状が重くなる可能性もあるわね」

 「うーん、確かに、鉄道の好きなのは同級生や年の近い人にも何人かいるけど、話のレベルがちょっと・・・ってのもいる」

 ここは言っておかないと。

 

 「ほら!そこ! 知識を得たことで、偉くなった気になっちゃう。太郎君のお父さんの話じゃ、どの世界にも、そういう傾向のある人は一定の割合でいるってことだけどね。あなたが幸いなのは、石本さんみたいに力をつけてくれる人だけじゃなくて、平田さんや河東さんのように、いい方向に導いてくれる先輩たちがたくさんいるからじゃない。感謝しなきゃ」

 

 「はい、とても、感謝しています」

だって。そう答えるのが精一杯だったみたい。大学に入ってすぐの新入生なのに、もうおねえさんしている私が、なぜか、おかしい。

 

 新聞部の取材という名目で、ちょっと、鉄研に顔を出してみるかな? あるいはこの際、自分でも新聞を立ち上げて、太郎君たちに送ってあげよう。結局私は、大学入学と新聞部に入ることを機に、「うみの新聞」を不定期で発行することにした。読者は、太郎君と私の関係各位。マニア君にも、読ませよう。

 彼はどんな人生を歩んできたのだろう? そんな思いが頭をよぎった。

 よし、おねえさんが、彼からいろいろ、聞き出してみよう。

 そういうわけで、初取材は、マニア君に決定!

 「うみの新聞」創刊号は結局、大学の入学式で新歓のビラを撒いていた学生服の中学生の話となりました。そんな国鉄公認のマニア君は、なんと、鉄研では、来始めた小5の11月末より、「名誉会員」と呼びならわされているのだそうです。

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