第3話 千本ノック
1983年4月9日(土) O大学学生会館1階ホールにて
入学式の翌日、4月9日土曜日の昼過ぎ。新入生のオリエンテーションを終えた私は、学生会館に向かった。新聞部の集まりは夕方からなので、少し、鉄研の例会に寄ってみよう。
あの鉄道少年・マニア君も、来ているかしらね。
「キロポスト」の前には、昨日会っていない人が何人か来ていた。あのマニア君、まだ来ていないみたい。
「あの、米河君は、まだ来ていませんか?」
「昨日の帰りに、今日は局に行ってから来るとか言っていたから、もう少しすれば来るでしょう。まあ、良かったらどうぞ。あ、私は、農学部3回生の中森です」
この人は、昨日私がのぞいたときは来ていなかったが、今日はいつもの例会だからということで、早くから来ていたのだとか。なんだか朴訥で、真面目そうな人。あんまりマニアっぽくはないかな。後で聞くと、この人、貨物列車とか貨車に詳しい人だった。今は、農政関連の公務員をされている。
「昨日、うちに女性の新入生が来られたってことじゃけど? あなたかな?」
「はい。文学部1年の海野たまきと申します。来年受験予定の幼馴染がO大の鉄研のことを聞きたいと言っておりまして・・・」
「ああ、そりゃ聞いとる。米河君と連絡を取り合えってことになったらしいね」
「はい。ところで、「局」って、何ですか?」
「局ね、O駅前にある国鉄のO鉄道管理局です。彼は去年あたりからよく出入りし始めていてね、あっという間に国鉄の人たちと仲良くなって、まあ、一種の「コネ」じゃな。いろいろ、彼なりに勉強しとるのよ。あ、こちらが、教育学部1回生の大道君です。ちょっとなんか、喫茶で買ってきてくれんかな、これで」
昨日マニア君の後をつけて見かけた新入生らしき人のようだ(実際そうだった)。その大道君、落ち着いた足取りで喫茶に向かい、コーヒーを人数分注文してきた。
「あの、大道君は、どちらの出身ですか?」
「広島県の福山です。海野さんは、函館ですよね」
「ええ。ここには、米河君という中学生が来ているのは・・・」
「もちろん、知っとるよ。昨日はじめて会った。マニアっぽいところはあっても、あれで結構、素直でええ子じゃ。根性もあるしな」
「根性? なんか、すぐにはイメージわかないけど・・・」
「彼はね、とにかく、鉄道という対象に対しては、実に真摯に向き合っとるんじゃ。先輩方も、そこはすごく買っていてね。もちろん、私も買っているよ。でも、あの年齢で鉄道馬鹿っていうかな、偏った「マニア」になってもいけんからなあ、そこは見守ろうということでやっとるんじゃ」
「あの子、やっぱり、そういうとがったところがあるのね・・・」
「うん、大ありじゃ。でも、あんまり心配はしとらん。ところで海野さん、初対面で失礼じゃけど、好きな人は?」
「ええ、いるけど」
鉄研関係者で「付き合っている彼がいる」と表明したのは、これが初めて。
「どこの誰かまで聞かんけど、その彼氏が、米河君みたいだったら・・・」
「うーん、ちょっとねぇ・・・」
苦笑するしかない。
「ただねえ海野さん、彼はこういう団体に関わっているからこそ、行き過ぎないで済んでいる面もあるんじゃ。なまじ以上の行動力があるから手は焼くけどね」
中森さんがフォローしていると、マニア君がやってきた。
「こんにちは。あれ? 海野さん?」
昨日の帰りがけ「たまきさん」と呼んでもいいとは言ったけれども、ここではさすがに、そうは言えない模様。
「コーヒーカップ、片づけてくれるかな。あと、これで君も何か飲んだらええ」
「はい、ありがとうございます」
今日も学生服のマニア君は、そそくさと中森さんの依頼を処理し、自分の飲み物を手にして戻ってきた。素直でかわいいところ、あるじゃない。
「局に行ってきたんかな?」
「はい。「間合い運用」で、気動車区にも寄ってきました。今日は、運転部の人に、ゴーナナジューイチ(昭和57年11月改正。東北新幹線大宮―盛岡間及び上越新幹線開業の日)の岡鉄局管内の2分目ダイヤと、岡山開業前の山陽特急の運用表のコピーをいただいてきました。ムコーマチ(向日町運転所。京都のやや大阪寄りにある)のヨンパイチ・ヨンパゴ(481・485系特急型電車)と、門ミフ(南福岡電車区)のゴッパイチ・ゴッパサン(581・583系寝台座席兼用特急型電車~世界初の寝台電車でもある)、両方あります。それから、ゴーゴートー(昭和55年10月)改正の気動車運用表を、気動車区でもらってきています。もう一つ、「臨時停車」して、駅前の古本で4年前の鉄道ジャーナルを250円で買ってきました。あ、今日、河東さんは教習所に行くから「ウヤ」だそうです」
「間合い運用」とか、「臨時停車」とか、「門ミフ」とか・・・。
しまいには、「ウヤ」!
なんじゃそれ?
初対面の昨日から、符丁のような言葉ばかりしゃべって、どういう了見かしら。
「そりゃええけど、忙しかったのう。まあご苦労さん。ちょっと見せてみ」
中森さんは、マニア君に渡された「ダイヤ」を広げて、おもむろに見始めた。
「「ウヤ」って、なんですか?」
「ああ、運転休み、つまり列車が運休、って意味の国鉄の電報略語、言うなら、「伝略情報」や。要するにここでは、河東君は、今日は自動車教習所に行かなければいけないから、鉄研の例会には来られません、って意味ね。ただ、彼がそう言って米河君に伝えさせるとは思えん。おそらく、この「マニア君」が今年卒業された先輩方から教わったのを、そのまま使って置き換えただけだろうな」
私の質問には、昨日もおられた川崎さんが説明してくれた。
「ウヤ」については、結局、マニア君の「伝略情報」と化していただけの話でした。やっぱり、ね。
しばらくすると、少し背の低い、何だか研究室から飛び出してきたような、いささか年上っぽい、大きめなセルロイドの眼鏡をかけた男性がやってきた。
参加者全体に、ピリッとした緊張感が走りはじめた。
「おお、みんな元気にやっとるか」
一番に返事をしたのは、やっぱりマニア君。どんな人かを説明してくれる。
「医学部2回生の石本秀一さんです。一度O大の理学部を院まで卒業して、去年から医学部に入りなおしたって人です。元全キャン連で、キャンディーズの大ファンだった方です。ぼくが最初にここに来た時から、お世話になっています」
今日は来られていないけど、昨日いた平田さんが1年生の時の秋から来ているマニア君は、すでにある意味ほぼ一番手の古株。彼が私に、シャキシャキと答える。
「今年は、女性の会員さんが来たんかの?」
石本さんは、不思議そうに聞いてきた。
ちょっと偏屈な職人さんみたい。
「あ、初めまして。鉄研に入るわけじゃありませんけど、幼馴染に鉄研のこと聞いて来いって頼まれてきました。文学部1年の海野たまきです」
「あ、そう。私が、医学部医学科の石本秀一です。広島出身じゃ。昨日河東から聞いたけど、この米河と連絡を取るようにと言われたのは、あんたかな」
石本さんからは、マニア君さえも圧倒する「オーラ」が出ている。あとで太郎君に聞くと、戦前の阪神の監督と同姓同名だって。
「うちは確かに、あんたらが想像するような「鉄道マニア」ばっかりでもねえけどな、よう勉強しとるモンもおる。わしがそうじゃとは、いわんけどな。せっかくじゃから、海野さんにもこいつの勉強の成果とやらを見てもらおうかのう」
何だか、嫌なものでも見せられそうな予感。
マニア君は、ちょっとトイレに行ってきますと言って席を外した。
「まさかあの子、石本さんを見て逃げ出したんじゃあ・・・」
私が尋ねたところ、石本さんは、こともなさそうに答えてくれた。
「そんなわけねえ。直ぐ帰ってきよる。これからやるのは、な、千本ノックじゃ」
「千本ノック? この建物の中でノック?」
「そうじゃ。でもな、バットもボールもいらん。わしと、米河が、この机に向かって対峙するだけで、ノックが成立する。まあ、見ときんさい」
石本さんは広島の医師の息子ということだけど、父方の伯父さんが裁判官である地方裁判所の所長までなったものの、定年で退官後は弁護士などにならず、公証人を少しだけ務めた後、鉄道を中心とした「紀行作家」になったとか。その伯父さんに、子供の頃から鉄道趣味を「鍛えられた」んだって。その伯父さんやお父さんのさらに父上もまた裁判官で、戦前のある内閣の書記官長もされたことがある。そんな人だから、20代半ばにして名伯楽のような雰囲気さえ漂わせている。マニア君とは正反対な環境の出身だけあって育ちも品もいいけど、どこかクセがある人。
マニア君が帰って来た。
さっきまでとは、明らかに顔つき変わっている。
確かに、監督自らの「ノック」を受ける若手プロ野球選手のような目つき。
「よし、米河、今日も、恒例の千本ノック、いくで」
「はい、お願いします!」
キロポストの周りの人たちも、若干、呆れてはいるが、誰も何も言わない。もっとも、このキロポストの「威光」の及ばないところは、相変わらず、瀬戸内の春の陽気に包まれて、新歓時期の大学の週末特有の華やかさに満ち溢れている。
このギャップ、何なのかしらね。早速、「ノック」が始まる。
「東海道本線全線電化に伴うダイヤ改正の日」
「昭和31年11月19日です」
「よし、その日の東京大阪間の1列車と2列車の牽引機を述べてみ」
「1・2列車が「はと」でしたっけ?」
マニア君、まだまだ余裕しゃくしゃくで、わざと「誤答」を言ってみせているのは、素人の私にもわかる。
「アホ、1・2は「つばめ」に決まっとるじゃろうが!冗談ゆうとらずに答えい」
「東京口1列車がゴハチの57、大阪口2列車が同じく89です」
「よろしい。じゃあ、それらの機関車の塗装は」
「ともに青大将です」
「国鉄規定の色名称!」
「淡緑4号」
川崎さんが、持ってきていた機関車の写真集か何かを取り出して、
「これがこの日の東京口で、こっちが大阪口。ヘッドマーク、それぞれ違うでしょう。東京と大阪で、それぞれ準備したのよ。まあ、東京と大阪は、今に至るまで国鉄内部でもずっと張り合っているからねぇ。あ、今の、機関車の番号の話ね」
青大将というのは、ライトブルーというより、緑色かかった薄い色。蒸気機関車の煙に悩まされなくていいよというメッセージを込められた色で、この開業日まで、この色は秘密にされていて、この日が初のお披露目だったそうです。
そんなきれいな色の客車も、この2年後には新型電車特急「こだま」の登場でたちまち陳腐化し、よく1959年夏には、食堂車と展望車以外冷房のない「つばめ」「はと」の乗車率は、特に今のグリーン車に当たる車両(マニア氏の弁では、当時の「特別二等車」、略して「特ロ」なのだそうです)が、かなり落ちたとか。
そういえばかのマニア氏は数年前、当時の特急「つばめ」をモデルにした列車に食堂車の従業員として乗り組む人たちを描いた「七時間半(獅子文六著)」という小説を先輩から聞いて通販サイトで仕入れて読んで、それと復刻された古い時刻表をもとに、うちに来て太郎君に大熱弁をふるってくれました。太郎君は例によって、面白がって聞き耳を立てていました。
その偉大なる?マニア氏が修行中の頃のお話に戻ります。
川崎さんの話を聞いているうちにも、マニア君、こってり絞られている。
「よし、次! 20系は?」
「青15号」
「14系、24系、および新幹線0系の青は?」
「青20号です!」
「戦後の一等展望車の帯。先日ゆうたじゃろ」
「はい、クリーム1号です」
中森さんが、国鉄の列車の塗装の色の話じゃ、と、私にフォローしてくださる。一等展望車の帯はもともと白だったが、戦後、進駐軍専用列車の帯に城が使われたので、それと区別するため、一等展望車はクリームがかった帯にされたのだとか。
「では、ナロネ21の寝台構造は何式なら?」
「プルマン式です」
「海野さんにもわかるレベルで、わしに構造を説明してみ」
と言われ、マニア君、一般的なA寝台車の構造を石本さん相手に説明している。
彼なりに勉強しているみたいね。
このA寝台車を普通車扱いにした急行列車に乗って、元の構造を知っている人たちが座席を引きずり出して「即席お座敷列車」にしていたら、車掌さんに怒られたって、ある会員さんから後日聞かされた。マニア君は小学生で来始めてすぐに、ある先輩にその話を聞き、いつかやってやろうと目論んでいたみたい。結局彼、成人式をさぼって北陸に行き、同じ構造の寝台電車でそれをやって仮眠して、福井駅で飛び起きて座席をそのまま列車から逃げ出したと言っていた。その話をしたら、太郎君のほうも私のほうも、両親そろって、彼らしいなあと言って大笑いしていた。
あちこち題材が飛びつつ、「ノック」はまだまだ続く。
「今のセノハチの専用補機は?」
「イーエフ59です」
「タネ車は何なら」
「53と56です」
マニア君、「イーエフ」を略してきたぞ。私みたいな素人でも、そこはわかる。横から大道君が、セノハチとは、山陽本線の上り瀬野-八本松間の山陽本線上最大の急こう配で、貨物列車や旅客列車の一部には峠を越える機関車がいる区間だ、ってことを、近くにあった時刻表で、こっそり教えてくれた。その機関車は、広島駅で連結され、峠を登り切ったところで走行中に連結器を外し、機関区に戻るそうです。電化する前は、蒸気機関車の仕事だったそうです。川崎さんに写真集を渡されて、大道君はその中にある大昔の写真を見せて、さらに説明してくれる。そこには、蒸気機関車時代の特急「かもめ」の写真もあって、その写真を撮影した人は、のちにマニア氏が全国組織の鉄道趣味の会播備支部で知り合ったという、倉敷在住で岡山機関区の元機関士さんだったとか。
「53と56の外観上の最大の違いを述べてみよ」
「わかりません!」
「パンタの位置じゃ。西尾克三郎さんの写真が出とる写真集で確認しとけ」
「はい!」
「で、53になくて56にあるモノは何だね?」
「えっと・・・」
「SG(蒸気暖房)じゃろうが!」
と、石本さん。
途中から来た工学部3回生の香西さんが、絶妙のタイミングで檄を飛ばす。
「おい、それぐらい写真集見て覚えとけ。相も変わらず情けないのう・・・」
香西さんは、近くにあった少し古めの写真集を私に見せて、このことや、と、私に説明してくれる。EF53という機関車の後ろには、少し短めのボイラーのような車両がついていて、白い煙を吐いている。もっと後ろのほうの客車からも煙が出ているのがわかる。ボイラーから出ているのは暖房用の煙で、石炭をくべて客車の暖房を供給していたのだとか。後ろの客車からの煙は、食堂車で、石炭をくべてレンジを使っていたから、煙が出ているのだとか。北陸トンネルの事故で問題にされたものの一つが、この「石炭レンジ」だったそうで。マニア君が年配の人たちに聞いた話を総合すれば、石炭レンジで調理された料理は、今よりもおいしかったみたいだとか。そういうことを聞き出す能力は、確かにマニア君、この頃から優れたものを持っていたから、そうなのでしょう。
石本さんは構わず、「よし、じゃあ、次」・・・・・・
それにしても、私にはさっぱりわからないことばかりだし、別に、わかりたくもない。でも、マニア君が必死で答えている表情と様子を観察するのは、なんだか楽しささえ感じる。ただし、太郎君がやるのもやられるのも、嫌だな、正直。
こんな調子で続くこと約10分。少年は、石本さんの「猛ノック」のほとんどを受けている、というか、きちんと解答しているのだが、時々エラーやファンブル(太郎君の解釈)、つまり、間違えたり説明が不十分だったりすると、石本さんの容赦ない指摘が飛んでくる。時に、香西さんの嫌味を込めたような野次も飛ぶ。聞いている方は、話の内容よりも、そのやり取り全体がなぜか面白い。
「よし、最後じゃ!SGやEGのないディーゼル機関車や電気機関車の牽引する旅客列車に冬期中連結された車種とその車両記号は何じゃ」
「暖房車、記号は『ヌ』です」
香西さんが、また写真集を開けて、「これのこっちゃ」と、私に示す。電気機関車の後ろの、ボイラーみたいな短い車両のことね。この「暖房車」が連結された列車で「蒸気」を浴びた酔っぱらいのおじさんが、近くにいた車掌に食って掛かったなんて話もあったそうです。マニア氏の弁では、電化して蒸気の煙から解放されたというが、冬に関しては、それは看板倒れだったようなものです、とか何とか。そんなことをいう割には、彼は今も、「タイムマシンがあるならば、石炭レンジのある食堂車に乗って、ステーキを食べつつビールを飲みながら、山陽本線を旅してみたい」とか何とか述べているけど、なんか、矛盾しているわよ。
「最後の最後に、なんか質問はあるか?」
「特にありません」
「よし、今日はこれで終了じゃ。御苦労!」
「ありがとうございました!」
終了と同時に、キロポスト周辺の空気もさっと明るくなり、開放感が漂い始めた。 「結界」が破れ、暖かな陽気が一気に入ってくる感じ。
知識を問われ、それに対して即座に解答していく。
確かに、このやり取りは、一種の「ノック」のようなものかしらね。石本さんによれば、これは誰に対してもやっているわけではないし、してもしょうがない。マニア君相手だけだ、とか。彼に関しては、このくらいの刺激を与えたほうが、本人の勉強意欲もわくし、ひたすら無心に目の前の問題に取り組む姿勢を養成できるから、時々こうして「千本ノック」と銘打ってクイズ形式で彼に鉄道知識を問うている。中学入学以降石本さんからこの「ノック」を受けて、マニア君はめきめきと「力をつけている」とか。
一方のマニア君に言わせれば、最初の数問は、さあ来いという感じで、答えていくけれども、そのうち、目の前の問題だけに必死で取り組めるようになってきて、集中力も身につくし、そこで答えられなければ、答えられるように、また必死で勉強するようになる。聞かれてまったく答えられなかった問いがあっても、それを調べようと思えば、必然、本などにあたっていく。おかげで、知識だけでなく、調査能力や表現能力も身についたとも。
マニア君が「ノック」を受けている間に、他の会員の皆さんが何人か来られた。昨日いた先輩も来た。私は、せいちゃん(彼を昨日からそう呼ぶようにしたけど、この雰囲気のこの場所でそんな呼び方できる状況じゃなかったから、この日はしなかった)、いえいえ、マニア君こと米河少年と明日自宅で会う約束をして、鉄研の例会を辞去した。
昨日とはずいぶん、話というか雰囲気が違う感じはした。一人の鉄道少年を通して、まったく違った「鉄研」というサークルを見た気がする。
太郎君がのちに言っていたけど、同じサークルの同じ場所で行う「例会」と言っても、その日の出席者や話の内容などによってずいぶん変わるもので、「例会」も一種の「生き物」のようなものだ、って。例えば、マニア君ともう一人、マニア君みたいな人が来れば、それは周りもピリピリするし、話も必然的にディープなものになるだろうし(実際私たちは後にマニア君より2歳ほど年下である意味正反対な経験をしてきた人物とマニア氏との会話で、嫌というほど思い知らされた)、逆にたまきちゃんが来れば、いくら「部外者」であったとしても、それだけで明るくもなるでしょ、だって。今思い返してみると、よくわかる。でも、たまきが来てどうこうはいいとしても、マニア君の同類が2人も3人も揃うのは、ちょっと、ね・・・。
文科系の部活動というのは、集まってしゃべっているだけのところも多くある。鉄研もその例に漏れないどころか、そうなり得る典型的なサークルだと、後日太郎君も言っていた。米河少年だって、いつもは何やら鉄道の品物を持って来て会話のネタにしているだけと言えば、その通り。しかしその状況は、そこに集う者たちがルーズであることを意味するわけではない。一人一人が、自分はいかなる立ち位置で何をしていくかを自ら決めて、日々それに立ち向かっていく。そこは、「自律性」だけではなく、それこそ「自己表現力」を最大限求められる場所。
本当は、とても厳しい世界なのかもしれない。太郎君には、どっちの「鉄研」を伝えたらいいのだろう。というより、太郎君には、かの少年やノックの主みたいな人たちの世界なんかに入り込んでほしくないなぁ・・・。
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