鉄道少年マニア君がゆく 大学入学前編

第1話 新歓ビラを撒いていた男子中学生

* ××ラジオアナウンサー 大宮(旧姓:海野)たまき氏の手記より


1983(昭和58)年4月8日(金) O大学正門前の並木道にて

 

 1983年4月8日(金)。岡山市内・晴れ。私はO大学の入学式に出席した。

 大学図書館へと向かう南北道路は銀杏並木。ここはいかにも、学問をする場所である、という落ち着きを与えてくれる。


 私より年下の人はいないはずの大学の入学式。その会場付近で、彼はなんと、学生服を着て、団体名の刻印されたバッジをつけ、勧誘ビラを撒いていた。

 そのビラには、「鉄道研究会」と書かれていた。鉄道研究会・・・。

 通例、略称は「鉄研」。

 ここもその例に漏れないことは、ビラを見るだけでも明らか。


 私は、その学生服の学生に尋ねた。

 「あの、鉄道研究会の方ですか?」

 「はい、そうです!」

 「私、文学部国文学科の新入生で、北海道函館市出身の海野たまきと申します。私の幼馴染が、O大に鉄道研究会があるようなら、どんなところか教えて欲しいと言っているので、お話、聞かせていただけませんでしょうか?」

 「海野たまきさんですね。はじめまして。私は米河清治です。私ども鉄道研究会の会長の河東さんが近くにおられますから、今から御紹介します」


 大学生にしては違和感のある声。でもバッジには、「O大学鉄道研究会」とある。2年生らしい学生服の彼、しばらく周りを見まわしたけど、「会長」は見当たらない模様。

 「河東さんがちょっと見当たりませんので、これから、学館(学生会館)にご案内します。会の先輩方がおられますから」

 「ところで先輩、何故学生服着ていらっしゃるのですか?」

 私は、女子中高生がよく使う「先輩」という「敬称」を使って、彼に聞いた。

 「ある意味私は、海野さんより先輩かもしれませんが、今年中学2年です。鉄道研究会には、小学5年の時大学祭でスカウトされて、それから3年近く通っています」

 2年は2年でも、大学じゃなく、中学の2年! なぜ中学生が、こんなところに?

中学生と言われれば、私がやっぱり中2のときに入院先の病院で出会ったときの大宮太郎君と、確かによく似てはいる。

 けれどこの少年、太郎君とは決定的に違う何かを持っているのも感じられる。

 「そう。鉄道研究会には、他の中学生や高校生はいないの?」

 「ええ、いません。私だけです」

 「ちゃんと勉強しているの? というか、今日は学校ないの?」

 気が付くと、太郎君以外の後輩の男子生徒に対する話し方に。

 私が出会ったとき、彼はまだ中1だった。

 「勉強なら、ちゃんとしていますよ。今日は中学も入学式で休みですから、今日1日と明日の昼からは、こうして鉄研の新歓のお手伝いです。2年は2年でも、昨年は新入生がいませんでしたから。今年の2年生は、ある意味、ぼくだけです。あ、部活は、鉄研だけです。中学校の部活は、一切していません」

 そうこうしているうちに、河東さんらしき、三つボタンの柔らかい生地のジャケットを着た、今度は明らかに大学生の人が近づいてきた。どないしたんや? と、京都あたりの人のような言葉をしゃべる、セルロイドのメガネをかけた、品のいい男性が河東さん。経済学部の3年生で、彼が特に慕っている先輩とのこと。

 「河東さん、こちらの海野たまきさんという文学部の新入生の方が、鉄研についてお聞きしたいとおっしゃっていますが」

 「さよか、ほな、先、学館に案内したげたって。SGとケーサキがおる。海野さん、彼に案内させますので、また後程学館で」


 学生服の鉄道少年に学生会館に案内されると、ある一角に、「鉄道研究会」と書かれた線路脇にある標識のような物体を囲んで集まっている人たちがいた。「キロポスト」という、路線の起点から1キロごとに設置されている標識をモデルにしたもの。

 少年は「SGさん」らしき人に向かって、報告している。

 「SGさん、新入生で、鉄研についてお聞きしたいという方をお連れいたしました」

 この先輩は、スーパーグランドという店でアルバイトをしていたから、略してSGさんなのだ、とか。

 「河東さんはもう少しビラ撒かれるそうです。私も戻りましょうか?」

 「いや、ここで話に付き合ってくれ。あいつは構わんでもええ」

 SGさんと思しき人が、米河君とやりあった後、軽く挨拶。

 「あ、どうぞ。私は経済学部3回生の今田です。こちらが工学部3回生の川崎で、あちらが教育学部4回生の平田さん、彼は・・・」

 これでやっと、この「SGさん」が、「今田さん」という方なのだと分かった。

 「米河君ですね、中学生の。私、文学部1年の海野たまきです。よろしくお願いします」

 「喫茶で、コーヒー5人前頼む」

 米河君は、今田さんの指示を聞いてお金を受取るや否や、喫茶のカウンターにそそくさと駆けていき、喫茶で借りたお盆にコーヒーと領収書と釣銭を積んで、キロポストに戻ってきた。彼が戻って少し間をおいて、川崎さんが、私に尋ねた。

 「海野さんは、何故、鉄研に?」

 他の先輩方も、それを不思議がっている様子がありあり。

 「あの、私じゃあなくて、幼馴染で1歳下の彼がいまして、彼も来年O大に来ると言っていまして、それで、私に、鉄道研究会がO大にあるのか、あるのならどんなところか、教えて欲しいと頼むので、それで、どんなところか伺いに来ました」

 ぽかぽかした陽気が、いささか薄暗さを感じさせる学生会館の中まで入ってくる。

 「大宮君とやらは、鉄道が好きなんかな?」

 今田さんが、私に聞いてきた。

 「ええ。子どものころから好きでした。以前から時刻表に興味を持っていましたが、去年あたりから、鉄道雑誌も本格的に読むようになりました。確か、鉄道ファンとか、鉄道ジャーナルとか、旅と鉄道とか。あと、一度鉄道ピクトリアルという雑誌を本屋で見て、「ついていけそうにない」って、私の横で、ぼやいていましたよ」

 「あれはマニアックだから無理もない。もっともこの米河君は、時々読んでいますな」

 川崎さんが、しばらく鉄道雑誌のことを説明してくれた。マニアックな話になりかけたようなので、今田さんが川崎さんの雑誌評を制して言った。

 「鉄道が好きならええ。別に「マニア」ばかりを求めとるわけじゃないからね。大宮君も、O大に合格したあかつきには、ぜひうちに来てほしい。うちは弱小零細サークルじゃから、会員来てくれんと、つぶれる。しかし、こいつが大学に入るまでもつかな」

 「もしなくなったら、一人でも名乗って鉄研をやります」

と、学生服の少年が言う。どう見ても、いままで出会った鉄研の人には、いかにもマニアです、って人はいなさそう。ただし、この学生服の少年は、どうやら別の模様。


 「あ、私が、前会長の平田基男です。海野さん、うちはね、いかにもマニアです、って人は、あまりおりません。ただ、ここだけの話ですけど、いかにも「マニア」な人もおるにはおる。鹿田(医学部と歯学部のあるキャンパスはこの津島町とは別にあるため、地名をつけてそう呼ばれている)の人らとか、工学部の香西君とか、そう見えるかもしれん。この米河君もその傾向がいささか見られるね。うちに来るだけでなく、管理局や気動車区にも出入りしては、国鉄の人にかわいがってもらっとって、局の人には「マニア君」で通っていて、うちでも一部ではそれで通っています。でもまあ、どうであれ鉄道が好きで、ここへきて話をして、時にはみんなで何かしようってことで集まってできたのが、この鉄研じゃ。職人に弟子入りとか何とか「道」を極めてとかいう世界ではないからね」

 それを聞いて、少し安心。問題は、どうやらこの少年だけみたいね。

 「女性の会員さんは・・・?」

 「以前いたけど、今はいません。そりゃ、海野さんに来ていただければ嬉しいけどね。あなたの幼馴染の大宮君でしたっけ、彼に話をするなら、米河君にやってもらおう」

 「この子に、ですか?」

 「先輩」は、あっという間に「この子」扱い。でも、子ども扱いされてムッとする様子でもない。変なプライドはないみたい。やっと彼の定位置・指定席に戻った感じ。

 「ええ。大宮君がうちに来たとして、一番長くつき合う可能性のあるのは彼でしょう。私らは来年か再来年で卒業ですけど、彼はこれからの人ですから」

 「はい。じゃあ、何かありましたら、米河君と話すようにします。それから、新聞部で取材するときは、よろしくお願いします」

 あとで太郎君のお父さんにこの話をすると、平田君らの処置は実に正しいと言われた。


 河東さんが戻ってきた。平田さんが、先ほどの話を報告されている。

「海野さんは、米河君に任そうと思うが」

「ほう、そらええ。彼の将来のためにもなる」

 平田さんと河東さんは本来同級生だが、河東さんが1年浪人しているそうで、しゃべり方も、他の現役で来た今田さんや川崎さんとは、ちょっと違うかな。平田さんが続けた。

 「それじゃあね海野さん、うちがどんなところか、とか、鉄道の話とか、そういうことを、幼馴染、で良かったかな?」

 頷いた私の顔が少しほてっていることに、自分自身も、他の会員の皆さんも、感づいていた。ただし、学生服君は、そうでもないようだった。

 「大宮君に、鉄道の話や、うちの会が何しているかを伝えるのは、米河君に任せます。彼は、この近くの中高一貫の津島中学の2年生ですから、何かあれば動いてくれるでしょう。ところで海野さんは、どこに下宿を?」

 「大学から自転車で10分ほどの、大宮君のお父さん方のおじいさんの家に下宿しています。彼も大学に合格すれば、そこで下宿する予定です。あ、別に変な関係では・・・」

 河東さんが、私をおしとどめるように言った。

 「そういうことをぼくらが根掘り葉掘り聞いたり、まして、それを広めて茶化したりはせえへん。それより、米河君に至らんところがあったら、毎週水曜日と土曜日にここで例会しとるさかい、来てや。学館の掲示板にも、連絡事項を書いています。そっちも見てください。ぼくらのほうからも、彼にはきちんと指導します。どうかよろしく」

 「わかりました。じゃあ、この子を、お借りします。少し、別の場所で彼とお話したいのですが、よろしいでしょうか」

 「もちろんかまへん。じゃあ米河君、頼むで」

 「はい、わかりました。ちょっと、お話伺って来ます」

 「おお、頼む。用が済んだら、ここへ戻ってきてな」

 私は、学生会館の外に出て、米河少年と話した。その時は、連絡先を交換して、とりあえず、明日の例会をしているうちに鉄研に行くからと先輩たち伝えるよう、彼に頼んだ。マニア君は、例会の場所に戻っていった。彼のあとを少しつけると、別の新入生が来ていた。もちろん、男子学生だった。

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