第6話 エレン夫人

 小説の中でのエレン夫人は、子爵家から男爵家に嫁に行ったものの、娘が生まれて暫くして、夫の男爵が事故で亡くなり、娘を連れて実家に身を寄せていた。


 セントレナでは、爵位の継承は男子しか認められていない。だから夫の弟が男爵位を継いだのは仕方のない事だった。


 弟が未婚であれば、エレン夫人と一緒になるという事もあったのだろうが、すでに結婚して、子供もいたのだ。



 エレン夫人の実家は弟が継ぐ予定だが、両親が健在で、裕福な子爵家だったため、肩身の狭い思いをしなくてもよかった。


 亡くなった従姉妹の、主人にあたるジャノイ・ヴィエルジュ伯爵に請われて再婚する事になった時、自分一人であれば再婚を考えていなかった様だ。娘の将来を考えて再婚に踏み切ったと小説にあった。


 敬虔な神徒で、生き物を痛めつける事を嫌う人である。


 伯爵夫人になってからは、奉仕活動に積極的に参加し、貧しい人や病の人にも寄り添う活動をしていたとあった。


 つまりは、メリーがシタンにしている様な事は、許せないと思う人物の筈だった。


 

 だから、私は流血しながらエレン夫人の庭まで走った。


 メリーが追って来たが、私が庭木の抜け道を駆けて行くのについて来れず、必死になって大声を上げて追いかけてきた。


 自分のこれまでの所業がバレたらまずいので必死で追いかけて来る。


 わざと姿を見せては、右往左往させて誘導していく。


 そして、丁度いい頃合いの頃に、エレン夫人のプライベート・ガーデンに滑り込んだ。


 スライディングだ。


 丁度、その頃合いはお茶の時間で、エレン夫人は庭で侍女や娘と外で準備中だった。


「きゃああああっ。お母様、怪我をしている子がいるわ!」


 娘のマリーンが叫んでいる。


「まあ!その髪の色は旦那様と同じ・・・」


 あわてて、エレン夫人はシタンの方に走って来る。


 エレン夫人付きの侍女やメイドも驚いて寄ってくる。


「あなた、その怪我はどうしたの?」


 助け起こして、綺麗なテーブルナプキンで頭の血をそっと抑えてくれる。


 ダラダラと頭から血を流す子供が突然現れたのに、慌てずに手当しようとしてくれている。


 よし、大丈夫そうだ。きたない、あっちに行けと言われたら、どうしようかと思った。



 その時、あわててメリーが庭にやって来た。


「あっ、こんな所に!もっ、申し訳ございません、奥様。連れて帰ります!」


 ものすごく慌てている。先程の、マリーンの悲鳴でここにいるのが分かったのだろう。


 腕を掴んで引き起こし、無理やり連れて行こうとするメリーに、私は叫んだ。


「やだー!ころされる、こわいよ!」


 私の叫び声に、エレン夫人はメリーを突き飛ばした。


「貴女、何をするの!誰か!早く、人を呼んで頂戴!」


 すると、他の侍女達が、エレン夫人とメリーの間に割って入り、メリーを近づけまいとする。


「ち、違うんです、大袈裟なんです!」


「んまあ、何なの、恐ろしい人!この子を何だと思っているの!早く、早く人を呼びなさい!ハリスを呼んで来て頂戴!この人を捕まえて!」


 そこへ、家令のハリスが従僕を二人連れてやって来た。


「これは、奥様どうなさいましたか?」


「ハリス、この子は、私の義娘(むすめ)にあたるシタンちゃんでしょう!?」


 私を見て肩眉を上げたハリスは一瞬驚いた表情をした。


「はっ、はい・・・シタンお嬢様です」


 目が泳いでいる。そう、あんたが放置しているシタンなの。


「貴方も旦那様も、この子は身体が弱いのでとか、理由を付けて会わせてくれないし、こそこそしておかしいと思っていたのよ・・・どういう事なの?この子、傷だらけよ」


 この日の為に、サイズの合わない、めちゃくちゃ汚れてボタンがあちこち取れた、特に見栄えの悪い服をチョイスしておいた。


 スカートから覗く足も、短い袖から覗く手も、ガリガリの上、傷だらけだ。


 どう見ても、普通では付かない傷で、満身創痍だ。


 ハリスは、青い顔をしている。連れて居た従僕に、メリーをとりあえず別室に連れて行かせ。逃がさないようにと指示を出している。


 メリーは「違うんです!違うんです!」と叫んでいたが、多くの使用人に見られているので言い逃れ出来ない。



「この子が一体どういう生活をさせられていたのか、後で報告を聞きます。先に手当の用意をして頂戴。傷が残らない様に神殿から神官様も呼んで頂戴。ああ、可哀そうに、何て事なの!人がする事ではないわ!」


「で、ですが奥様・・・旦那様に・・・」


「これは、虐待です!神に背く行為です!先程の侍女は、役人に引き渡しなさい」


「は、いや、でも・・・は、はい。分かりました」


 ハリスは何とかどうにかしたかった様子だけど、諦めたようだ。


 これは、大ごとになって来た。グッ・ジョブ!


 私はと言うと、流血しながら動き回りすぎたせいで、死にそうになっていた。


「お母様、この子死にそう!早く助けてあげて!」


 マリーンは泣きながら訴えている。


 とりあえず、『メリーざまあ作戦』は上手くいったようだった。


 このエレン夫人ならば、次の問題になる父親と兄との障壁になってくれるだろう。



「はやく、この子を客間に運んで手当をしてちょうだい。それと、この子のいた離れを確認するのよ。ちゃんと見た事は嘘偽りなく報告してくださいね」


 家令のハリスはエレン夫人に釘を刺されている。よほど不審感を持たれたようだ。


 よし、ちょっと休憩・・・。


「お母様!この子、ねちゃったわ大丈夫かしら?」


「まあ、可哀そうに、そっと連れて行って頂戴」


 体力切れだ。目が閉じていく・・・。


 でも、私の、今日の計画はとても上手く進んだのだった。


 


 


 

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