五

 お父さんがいなくなったのは私が大学進学を決めて、高校の時よりもいくらか盛大にお祝いをしてもらってすぐのこと。

 長い旅に出ます。たぶん、もう、帰ってきません。

 こんな冗談みたいな言の葉ではじまる手紙を残して、お父さんは消息を絶った。

 私はといえば、高校三年間があまりにも滞りなく過ぎていったのもあいまって、これからもずっと似たような日々が続くのだと疑いなく思い込んでいた。したがって、今回の失踪は寝耳に水といえた。とはいえ、時間が経っていくにつれて、この行動自体に意外さはないなと思いいたり、やがて、今の状態が自然であるような心地すらしはじめる。お父さんは家にずっといられるようなたちではなかったし、ならばどこかへと行ってしまうというのはおさまるところにおさまったといえる。

 その予測を裏付けるみたいに、手紙の続きには旅に出る衝動を抑えられないこと、家族に悪いことをしてしまったという謝罪、そして私がお父さんとともに旅をするのを望むのであればいつか一緒に行こう、という文面で締めくくられていた。

 一通り手紙を読み終わったあと、私は穏やかな気持ちのまま目を閉じる。置いていかれたことに対する怒りは湧いてこない。むしろ、お父さんは解放されたのだな、という清々しさすらあった。残念なことはといえば、もう玄関から見送れないんだなというくらい。さしあたっての心の整理はついていた。

 もっとも、それは私だけで。

 居間の真ん中に置かれたテーブルに左腕で頬杖をつくお母さんは、ただただ静かに涙を流し続けていた。生活感が色濃い荒れた右掌には、お父さんが残したとおぼしき手紙が強く握られている。いったい、あそこにはどんな文面が綴られているのだろうと気になりはしたものの、それ以上にお母さんをこのまま放っておくというわけにも行かず、傍へ行った。そして、あともう少しで触れられるという距離まで近付いたところで、どう言葉をかけていいのかわかなくなる。小さく震える背中を見つめながら、どう慰めればいいのか、と自問した。少なくともこの場ですぐにお母さんを楽にする魔法の言葉なんてものはないし、どうすればいいのか、と自らに問いかけるものの頭の中で空回りし続ける。結局、うんうんと悩んでからしたのは、お母さんに後ろから抱きつくことだった。お母さんは何の反応も示さず、それでいて今も尚、一人で泣いているらしく、私の腕に生温かな雫が間を置いて落ちてくる。生きてはいるけど、私の声や行動は届きそうにないし、この場にいたってもどうしていいかわからない。

 私がお母さんに抱きついている間、トイレの方で何度も何度も鈍い音が響いた。手紙を読むなり、そちらへと走り去っていった音也だろう。このままだとお隣さんが乗りこんできそうだな、なんてぼんやりと思いつつも、叱りに行く気なれない。私の中には怒りは薄かったけど、弟の方はそうではなかったんだろう。それにしても、音也がこれだけ感情を露にするのは何年ぶりか。少なくとも、うちの中では、大人しいという評価が定着して随分と経つから、下手をすると幼稚園くらいまで遡るかもしれない。なんにしても、工事現場じみた音はいつまでも鳴り響き、時折、クソ、だとか、死ねよ、だとかいう罵声らしきものも耳に飛びこんでくる。弟にはどのような手紙が残されたんだろうか。母に対してと同様の疑問。けれど、少なくとも今すぐに確かめる気にはなれなかった。そもそも、音也の怒り自体は正当だろうと判断しつつも、その原因がこの場の惨状を見てのものなのか、手紙を読んだゆえなのか、あるいはその両方のかは判然としない。

 かくいう私も、ぼんやりとしていたい、と思っていた。たぶん怒りはないけど、疲れてはいた。とりあえず、このまま時が止まってしまえばいいのに、なんて漠然と感じつつも、実際に時間が止まるわけない、などと頭の中でつまらない反論をしている。壁に拳を叩きつける音とようやく聞こえはじめた泣き声に挟まれながら、胸の中に膨らんできた後悔は、旅に出る前のお父さんを見送れなかったことに対してだった。


 /


 その後、怒り心頭でやってきたお隣さんと大家さんに対して、頭を下げ、拳から血を流しながらも手を動かすのをやめない音也を止めるなどして、どうにかマンションを出ていくことは回避した。

 依然として放心状態のお母さんに代わって、私と不機嫌そうな顔で手伝いをする弟とで家事を回す。私が大学生になるのと同時に中学生になる弟と一緒にカレーやチャーハン、パスタや野菜炒めなんかを作ったりしつつ、買い物、洗濯、掃除などは分担してこなした。その間、どちらともたいした言葉もかわさず、ただただ、生きるためだけにやるべきことを淡々と実行していく。

 お母さんは生気のない顔をして、なにも話さなかったけど、だからといって生きることを手放したわけでもなく、私と弟の作った拙い料理を口に運んでは、居間でぼんやりと頬杖をついたり、寝転んだりして、時々、啜り泣いていた。私は今までこんな風なお母さんを見たことがなくて、ただただ混乱し、弟の方は苦虫を噛み潰すみたいな表情で拳をぎりぎりと握りしめていた。


 それから一週間ほどが経ったあと、母方の祖父母が家を訪れた。

「大丈夫だったか」

 祖父の落ち窪んだ眼窩には、心配そうな色合いを宿した目が嵌められている。隣にいるやや太めな祖母も似たような眼差しでこちらを気遣ってくれている。私は、うん大丈夫、と応じ、弟もまた無言で頷いてみせた。話を聞けば、先日、父から手紙が届き、私たち家族が置いていかれたことを知ったらしい。

 食卓に座りこんで頬杖をつくお母さんは、自らの両親を生気のない眼で一瞥したあと、すぐに視線を逸らして、再び内側にこもってしまう。娘の態度に、祖父も祖母も呆然としたあと、すぐさま、栗子大丈夫か、というように母の名を呼びながら気遣ったりするものの、言葉による答えはおろかまともな仕種すら返ってこず、依然として母とのまともな交流は絶たれたままだった。祖母は途方に暮れたまま、自らの娘の隣に座り、よく頑張ったね、とか、もう無理しなくていいからね、と言いながら頭を撫でる。そのかたわらで祖父が、私と音也に、もう心配しないでいいからな、と励まそうとした。その好意自体はありがたかったものの、祖母の必死の声かけにかんばしい反応を示さない母を見ているこの時点では信じにくい。居間には祖父母の口にする、励ましの言の葉が何度も何度も繰り返された。

 もっとも、現実問題として、春休みを過ぎた後の家事をどのように分担するか、という目下現実的な問題が目の前に転がっていたことを鑑みれば、ここで祖父母がやってきてくれたのはまさに渡りに船ともいえた。とりわけ、私としては、このままずっと母が放心しているようであれば、大学への出席を必要最低限に絞ることも考慮していただけに、とてつもなくありがたかった。

 祖父母には祖父母なりの近所付き合いだったり、生活というものがあるはずなのにもかかわらず、二人は嫌な顔一つせず、しばらくこちらにいる、と言ってくれた。私は最初、さすがに悪いから、とやんわりと長期滞在を止めようとしたが、祖父母は、気にするな、の一点張りで、最終的にはこちらが折れたのを気に、ありがたい話だ、という実感を強くし、鍋物やソーメン、餃子などを一緒に作ったりした。

「あの人はなにを考えてるんだろうね」

 ある夜中、母が祖母とともにいち早く寝込み、音也もそれに続いて自室に引っ込んだあと、祖父が小さなビールを掴みながらそんなことを苦々しげに言ってきた。食器洗いをしながら背面で聞きとり父の姿を浮かべつつ、祖父のその疑問をもっともと思う。行動だけみればまさにその通りだし、むしろ、父に対しての負の感情が沸きあがらない私の方がおかしいのだろう。

「なんで、あの人は栗子にこんなひどいことができるんだろう。いや、人は平気でこの手の裏切りをするのかもしれないけど、栗子がこんな風に捨てられるのはあまりにも理不尽だろう」

 ぶつくさと呟かれる言の葉に対する明確な答えを、食器洗いに集中しているふりをしてやり過ごしながら、果たして本当にお母さんは裏切られたのだろうか、という疑問が湧く。大筋において、私たち家族が父に置いていかれたというのはたしかなのだろうし、状況的には母の茫然自失の理由もその点にあるというのはほぼ間違いないだろう。とはいえ、この時点で父から母へ送られた手紙を読んでいなかったのと、母自身の口から父をなじる言の葉を耳にしてなかったのもあり、まだまだ、この件についてはなんとも言えないな、とぼんやりと思っていた。

 祖父の父に対する愚痴は延々と続いている。その口ぶりの端っこには、つい先日まで父に向けられていた信頼のようなものがチラついている気がした。私とはまた違う、信頼のあり方だと思う。それはただ単にお父さん、という一個人をどう見ているか、という話なのかもしれなかったけど。

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