隅田天美、『ヨブ記』を語る
隅田 天美
ヨブ記
イエス・キリストが生まれる前のことを書いた「旧約聖書」。
その中でも異彩を放つのが今回紹介する『ヨブ記』だ。
文庫でも売っているが薄い本である。
普通の文庫(と言うのもどうかと思うが)の半分以下だ。
私が『ヨブ記』に出会ったのは最初の就職をしてリストラにあった前後だ。
心が壊れた。
それを見た知り合いの牧師さんが私に『ヨブ記』を読むように勧めた。
あらすじは物凄く簡単に書くと『敬虔なヨブに神は様々な試練を与え、ヨブは神に対して怒りをぶつける』
ヨブは敬虔な信徒であり人間としてはかなり『出来ている』。
そのヨブに対して、神は徹底的に痛めつける。
見方を変えれば、ヨブの心を素っ裸にした。
そして、神は彼の前に立ち逆ギレした。(ここに見る、キリスト教徒ではない人間の不道徳さ)
では、神は人間が嫌いなのか?
違う……と思いたい。
何故なら、ヨブを励まし続けた友人たちに対して神は叱責をする。
『お前たちの中途半端な言葉がどれだけヨブを傷つけたか分かるか?』(実際はこんなこと言っていないけど、私なりの意訳)
聖書は解釈が様々あり、それこそ、「デビルマン(漫画版)」「新世紀エヴァンゲリオン」のような側面もある。(特に最後の「ヨハネの黙示録」が顕著)
人生真っ暗だったら私にとって、実は、ヨブと神とのやりとりは救いだった。
それまで、私は夢以外で誰かに本音を話すことはしてこなかった。
自分の醜い心を見せて人が離れることを恐れたからだ。
対人関係は家族を含め悪循環だった。
だからこそ、逆ギレしてまでヨブと対話する神に私は感動すらした。
私の敬愛する(でいいのか?)時代劇の大家、柴田錬三郎(代表作・「眠狂四郎」シリーズなど)は『いい加減で、破滅して、出直してこい!』と著書で叫んでいる。
彼もまた、『物語』として「聖書」を愛読していた。
もう、神の下に旅立って三十年以上過ぎるから、何とも言えないが、同じような感動をしたのを覚えている。
高見の見物はしていない。
今さらながら思うことは、両人(神を人数に当てはめるのは如何なものか?)とも、深い泥沼の中で泣いている私のところまできて泥まみれになって手を差し伸べてくれたことだ。
新型コロナウィルスになっても、マスコミ(特にテレビ)や一部の権力者、知識人は苦しむ人々をショーの見世物のように扱い視聴率などをあげることに躍起になっている。
そして、インターネットは彼らを言い訳に罵声を浴びせる。
彼らに責任もなければ優しさもない。
優しさとは何なのか?
強さとは何なのか?
『私は生きていていいの?』
『これから生きていけるの?』
そんなことを思うたびに、私はヨブ記を読み返す。
隅田天美、『ヨブ記』を語る 隅田 天美 @sumida-amami
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