-7-

 目の前で起こっていることを理解しきれないのだろう。隊に残された兵たちは皆、うろたえるばかりでなす術を知らない。

 この世のものとは思えない出来事に、さすがの隊を統べる兵も錯乱し耳障りな叫び声を上げる。

 ため息を1つつき、レイトは煩そうに片耳を押さえながら無様な声を上げる兵に近づく。


「お、お前っ 何もんだ!」


 怯える兵に楽しげな笑みを向け、レイトは首をかしげた。


「『何モンだ』って……」


 左頬の刻印が、笑みの形に歪む。





「ただの悪魔ですがそれが何か?」





 振り上げた右手の先は、鋭利に尖っていた。


*****


「……血生臭い」



 家に帰ってきたレイトに対して真っ先に言われたのはそんな言葉だった。

 予想していたが、否、予想していたのとまるっきり同じセリフであったが故余計に、レイトは疲れたように肩を落とす。


「あのねェ……面倒くさがりな君の代わりに面倒事片付けてきた私に対して、第1声がそれってどうよ?」

「知るか」


 ばっさりと短く切って捨て、リックは水で濡らしたタオルをレイトに投げた。

 空中でキャッチし訝しげな視線を向けると、リックは眉間に数本皺を寄せ、至極不機嫌そうにレイトの両腕を指す。


「そんなもんで取れるとは思わないが、両手ぐらい拭いて来い」


 吐き捨てるように言い去っていくリックの背を、レイトは呆然と見送る。ついで、堪えきれないように彼は腹を抱えて笑い出した。

 本当に、あの青年は素直じゃない。


「アリガト」


 もう見えなくなってしまった背にそう零し、レイトはタオルで手を拭う。爪の隙間にまで入り込んでいた血を拭いながらリビングに向かうと、ダークブラウンのテーブルの前でルマが所在なさげに佇んでいた。


「どーしたの? ルマ。ポケーっと突っ立って」


 タオルをゴミ箱に捨てレイトがルマに近づき頭を撫でながらにっこり笑って問うと、彼はレイトの顔を見た瞬間安心したように顔を綻ばせた。胸の前で組んでいた手を解きレイトに抱きついてきたルマを軽く抱き返しながら、彼は呆れたようにシンク前で包丁を動かしているリックを見た。

 リックが無口無表情無愛想無愛嬌なのはいつものことだが、昔からの付き合いであるレイト相手ならいざ知らず、昨日知りあったばかりのルマにはいささか気まずい対応ではないだろうか。

 ルマは、レイトのコートの裾を軽く握りながらうろたえるようにリックを見ている。別にリックは怒っているわけでもなんでもないのだが、無言の空間というのがよほど重かったらしい。


「リック~……」

「ん?」


 レイトの困ったような口調を聞き取ったリックは、コンロの火を調節していた手を止め訝しげに振り返った。


「何だ? レイト」


 呼びかければちゃんと返事をするくせに、何故この青年は自分から話しかけるということをしないのだろうか。

 額に手を当て緩く首を振るレイトに、リックは無表情のまま不思議そうに首をかしげた。何故首を振られているのかに気付いていないのは、その目を見ればすぐに分かる。普段は鈍感なわけではないはずなのに、どうしてこういう場面では鈍いのだろう。


「何だよ」


 何も言わないレイトに遂に不機嫌そうな表情を作るリックを見、いまだ自分のコートを掴んでいるルマを見、先ほど屈強な男たちをいとも容易く伸したその悪魔は弱り果てた様子で項垂れた。

 昨日今日と見ていて感じたことは、いくら慣れてきたとはいえ、ルマはおそらく天性の気遣い屋だ。ここで下手に「話しかけてあげなよ」などと言ったら気に病む可能性がある。だが、リックにはそれとなく気付かせなければいけない。

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