Act.1『Omnium rerum principia parva sunt』

-1-

 暗い暗い路地裏で、独りの青年が手品をしていた。

 繰り返し、繰り返し、握った手の中から華を出し、青年はその華を宙に消す。

 表情を消した顔の中で煌く瞳は深海のような蒼。月光に酷似した銀髪は、前髪の中央部分だけ紫色に彩られている。

 黙々と黙々と手品を繰り返すその青年の後ろには、常人には見えない男が一人。

 髪から覗く尖った耳が、彼が常人とは違う存在であることを示す。

 まるで人形のように白い肌の、ちょうど左目の下にある刻印が、彼の雰囲気を更に異質なものに変えている。

 彼は、まるで闇を切り取ったかのような格好をしていた。

 くるぶしまで伸びるコート、被っているシルクハット、肩までざんバラに伸びた髪。そのすべてが漆黒だ。

 唯一色が付いているのは、皮肉気に細い双眸。茜色と菖蒲色の瞳を路地の入り口へと向け、闇は静かに口を開いた。


「ひとつ、聞いてもいいかい?」

「何だ?」


 相変わらず感情を殺した顔で、青年は闇のほうを見もせずに問う。闇も、慣れているのかそのことについて言及はしない。

 闇にその身を溶け込ませながら、彼は小さく笑ったようだった。


「アレが、何に見える?」


 アレと言って指差すのは、路地の入り口付近で繰り広げられている乱闘らしきもの。

 というより、アレではリンチに近しいか。


「リンチだな」

「やっぱり君にもそう見えるよねェ?」


 だからなんだと言外に告げ、ようやく青年は背後を振り返った。

 闇は双眸をさらに細め、悪戯っぽく笑う。


「こういった場合、私はどう対処すればいいのかなと思って」


 軽口の延長線にしか聞こえない闇の問いに、青年はニコリともせずに即答する。


「放っておけばいい」


 言われた内容がある程度予測の範疇だったのか呆れたように闇が軽く肩を竦めるのを見て、彼はようやく僅かに表情を緩めた。


「冗談だ。俺が行くからお前はここにいていい。

 何かあったら助けに来い」


 そう言って軽い足取りで乱闘が繰り広げられている場所へ向かう青年の背に、苦笑を浮かべながらも闇は了承の意を唱えた。

 腕を組み壁に寄りかかる闇は、青年はああ言っていたが怪我ひとつしないで帰ってくることを知っている。


(ご愁傷様)


 おそらく足腰が立たないほどにズタボロにされるであろう加害者たちを思う。

 一応名目上は自分の主となっているあの青年は、自分が敵と見なした相手にはそりゃあもう容赦ない。

 全然ない。

 まったくない。

 相手がゴメンナサイと泣いて詫びを入れてもまだ殴り倒す。

 いや、手品が出来なくなるからといって、実際は足技のほうが多いのだが。

 とにかく、相手をこてんぱんにするまであの青年は帰ってこないだろう。それでは、青年が帰ってくるまで自分は何をしていようか。

 闇にとって、今最大の難関はそれだった。

 青年の心配など一切していない。する必要がない。

 ポリポリと後頭部を掻いて、その闇は小さく苦笑した。

 青年の背を見つめながら少しだけ目を細め、彼は困ったように呆れたように小さく笑う。

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