第十六章~風亜竜~
「はぁ、はぁ、はぁ」
螺旋状の階段に吐いた息が木霊する。
焦燥感はあれど、思ったように脚が動かない。
階段の石壁に手をつきながらも登る。
喉から水分が消え、声を出すにも擦れるのがわかる。
「お父様、どうかご無事で」
口から出る言葉は気休めにしかならない。
父が無事である保証はない。
最後の一段を踏み出し、崩れ倒れるように頂上の部屋へ入った。
父から授かったペンダントを握りしめ、這うように部屋の中央へと進む。
「どうか、神よ。我らを救いたまえ。どうか、勇者よ
祈った。
どうにもならない状況で、祈る事しか出来なかった。
しかし、その祈りは通じ、部屋全体が光出した。
「あれ?ここは?」
地面に膝を着き、無様に汚れたまま祈りの形をしている目の前に少年がどこからともなく現れた。
何にでも
「勇者様」
フラフラと少年に近づいた所で目の前が暗転した。
「俺が……勇者?」
そう、最後に聞こえた気がした。
◆
今更ながら「魔力とは」という疑問に差し掛かる。
魔素と呼ばれる物質の集まりで、魔法や魔術に使用するもの。
それは生命体には必ず巡っており、ヒトだけでなく草木にも通っている。
魔法や魔術により使用するものだから「エネルギー」として考えていたが、どうやら違うようだ。
私は魔力を「変換するもの、変化をもたらすもの」として考えた。
魔法を使用する場合だが、魔法使用中のエネルギーは勿論、発動のきっかけや収束をも魔力で補っていると考えている。
また、錬金術でも「変換する」というエネルギーは全て魔力だ。
魔物の超的変異も魔力量に準ずるとされている。
ならば魔力は「変換するもの」と考えてもおかしくはないはずだ。
魔力は火・水・風・土・光・闇のどれかに染まる。
それはヒトや動物などによって違うらしい。
そこで疑問に思ったのだ。
私が使う【初級氷魔法】は水なのかと。
シルキーさんによると、『正確には氷と闇の混合です。少しでも魔力に水と闇があれば氷の魔法が会得出来ます』とのこと。
また、『光の領分は火と風、闇の領分は土と水です。領分違い――例えば光と水の魔力が混ざる事は珍しいことなんです』と言っていた。
シルキーさんは風の魔力を持っていて、光を得たのだから「まだ納得できる」という事だ。
それよりも私の魔力は混沌と化していて、本来なら反する組み合わせさえも混じっている「本来は有り得ない事」らしい。
私は「魔力がある」という事が有り得ていなかったので、「ホムンクルスだから」としか言いようがなかった。
まぁ、そんなこんなな前置きだが、魔力が「変換するもの、変化をもたらすもの」という事を言いたかっただけである。
それは何故か。
今はポーション作りの講習会真っ只中である。
ポーションは材料と魔力を練り込んだ水である。
殺菌消毒、抗生物質、組織修復、局所止血などが薬草と混じり、且つ魔力がiPS細胞のようなものに変化する。
iPS細胞は簡単に言えば様々な臓器になる細胞の素である。
それに似て、且つ培養が一瞬であるものがポーションに含まれている。
傷にかければ傷が治る。飲んでも効果は出る。
飲んだ場合は治りが遅いが負担が小さい。傷に直接だと治りが速いが痛みが伴うようだ。
飲んでも外傷が治るだけで内臓には影響されない。
これは何故なのかは、わかっていない。
因みにだが、私の身体はポーション要らずなのでポーションの実験は
シルキーさんはその齧歯目君を捕まえて来てくれている。
「では、水に魔力を流してみましょう」
私は目の前にある
普通のヒトは魔力が見えない。
その為、甕には魔力の道筋が掘ってある。その道筋には魔力が通ると光る
釉薬が光り、水へと入ると水が青く光った。
「おぉ!」
目の前で私の講習を受けている人々が思わず声を上げた。
「このように、水が光ったら火にかけ、材料を入れていきます」
甕を火かけ、水が沸騰しないぐらいで材料を入れていく。
「この時、混ぜながらやらないと魔力のダマが出来てしまいますので注意して下さい」
魔力のダマは見えないからわかりにくいが、出来るとランクや効力が落ちる。
製作者様談だが、のどごしが変わるとも言われている。
「水の光が緑色へ変わり、水の粘度が上がったら火からおろして、混ぜ続けて下さい」
甕のクビレを
段々と水にトロみがついてくる。
「これを
講習生は各自、作業に取り掛かった。
『お嬢様、お待たせいたしました』
シルキーさんが無事に齧歯目君を捕獲してきてくれた。
捕獲するには素早いから大変だったろうが、怪我をさせても良いとは言ってあった。
どうせ治すための実験だ。
各作業台に怪我をさせた齧歯目君を配置する。
「出来たらその齧歯目――ネズミにポーションをかけて回復するか確認して下さい」
回復すれば成功。回復しない――事は無いはずだが、しなければ失敗。
失敗でも傷薬なので回復はするはずだ。ただ極端に効力が弱く、治りが遅い。
「クルスちゃん先生!魔力が流せません!」
講習会に来ている冒険者
予想通り、普通のヒトは魔力を操る事に長けていない。
もしかしたら自分の魔力にすら気付いていない場合もある。
「貴族様じゃないんだ。魔力なんて――」
一人の男性がつぶやいた。
「魔物は魔力を持っているのですよ?なら、貴族様とやらは魔物ですか?」
私の言葉で辺りは静まり返った。
一般人は甕に魔力を通す事すら出来ない。
それは想定内だ。
「魔力は皆持っていますよ。やり方がわからないだけです。では一緒にやりましょう」
私は台に乗って受付嬢の背中に手を当てる。
受付嬢の魔力に私の魔力が干渉し、循環する。
「これが貴女の魔力です」
「あっ、こ、これはぁ、あっ、あっ」
なんだかイケナイことをしているような気分だが、無視して魔力を受付嬢の手から放つ。
「あっ、甕がぁっ、光ましたぁっ」
私からは光が見えないが、魔力が見えているのでなんとなく現状はわかる。
「この感じを忘れず、維持して下さい」
受付嬢の背中から手を離し、台から降りる。
『お嬢様、受付嬢の背中は如何でしたでしょうか』
私の後ろからシルキーさんが声をかけてきたのでビクッと身体が跳ね上がった。
「い、いや、講習会ですからね。如何も何もありませんよ」
何故だかシルキーさんが一歩近寄ると一歩後退ってしまう。
「すみませーん」
「ほ、ほら、呼ばれてますから……行きますね」
何だろうか。
私は決してやましい事をしているわけではないのに。
おかしい。
呼んでいる講習生の元へと向かった。
◆
講習会も終え、金が手に入り、その他の報酬も手に入れた。
今日で豊穣祭は終わり、明日でこの街から出る予定だ。
小麦粉は多分強力粉で、穀物は様々な種類があった。
その中で米みたいなものはあったが、明らかにジャポニカ米では無い。
米すらどうかも怪しい。
インディカ米より長細く、麦のような縦線がある。
この線は黒条線と呼ばれ、種子が形成されるときの水分や養分の通り道である。
麦に多くあるが、米には無い。
「イネ科だろうけども」
異世界の植物だろう。
植えたら育てられるだろうか。
育てても精米するには苦労するのが目に見える。
だったらパンでどうにか生き延びた方が効率的かもしれない。
そんな事を考えていたら何やら近くで騒がしい声が聞こえた。
「ポーションを!魔力回復ポーションはありませんか?」
喧騒の中そんな声が聞こえた。
ポーション講習会では一般的な傷に効くポーションしか教えていない。
魔力回復ポーションなんて一般人には需要が無い。
それに、その作り方は努力して見つけて欲しいからだ。
私だって私の魔力が入った魔力鉱石で偶然作れてしまったエリクサーしか知らない。
製作者様の魔力は底なしだったようで、そんなポーションの作り方は書き記されていなかった。
それに私も底なしなので作る必要もない。
なにやら騒ぎが近づいて来たようだ。
「お嬢さんが噂のポーション売りか!すまない、魔力回復ポーションを売って欲しい」
目の前に現れたのは何とも珍妙な恰好の少年だった。
学生服の上から防具一式を付け、腰には剣を
何とも似合わない。――というより、この世界に似つかわしくないとも言える。
「魔力回復ポーションですか……」
無いと言えば無いし、あると言えばある。
正直言ってしまえば面倒事のようで関わり合いたくない。
『お嬢様、これをどうなさいますか』
シルキーさんが物騒な言い方をしている。
処分方法を聞いているように感じるが、気のせいであって欲しい。
「魔力を回復するポーションはあるけど、高いですよ」
私は人差し指と親指をくっつけて輪をつくる。
「女の子がそういう仕草をするんじゃない」
叱られた。
いや、ごもっともなのだけれど。
「じゃあ払ってくれるのですかね。ポーション一つ金貨四枚です」
私はエリクサーもどきを手持って軽く振る。
これだけ吹っ掛ければ諦めてもらえるだろう。
そもそも魔王の城直前まで取っておくようなアイテムだ。
それを普通のポーションと同じ値段で売るわけにはいかない。
「すまない。お金は後でちゃんと払う!」
少年は私の手からエリクサーもどきを奪って胃の中へ流しこんだ。
私の口からは「あっ!」っと零れるぐらいしか出来なかった。
シルキーさんが取り敢えず殴ろうとしていたので、それを止めた。
「ごめん!ちゃんと後で払うから」
少年はそう口にすると何やら呪文めいた言葉を呟いた。
目の前に謎の白い光の輪が現れ、少年がその輪をくぐると姿が見えなくなった。
「転移?ワープ?いや、そんな事はどうでもいい」
消えようとした光の輪に私が干渉し、この場に留めた。
「オーピスさんいますか~?」
どうせパーディンの事だろうから私達の事を見張っているはず。
姿が見えないので、魔力の反応で蛸の魚人オーピスがいる場所を見つける。
「パーディンさんにこれから出掛けると言っておいて下さい」
「何でアタクシが……」
『これを差し上げますので』
シルキーさんが持っていた食材をオーピスに手渡した。
「……精霊様に言われたのでは仕方がありません」
オーピスがこの場から消え去るのを見てから、シルキーさんと目を合わせた。
「では、借金取り立てに行きましょう」
シルキーさんが頷き、光の輪へと消えていった。
◆
光の輪をくぐると何やら悲惨な状況だった。
「フハハハハハ。仲間を連れて帰って来たと思えば、小娘二人だと!?」
少年の前にいる少女が偉そうな口調で喋っている。
「二人!?君たち何でここに!?早くここから離れるんだ!!」
少年は私達を庇うように、目の前に立ちふさがる。
「いや、借金の取り立てに来ました~。えーと、悪役と勇者、それにあれが
悪役少女の横には姫のような姿の女性が囚われている。
どちらも中学から高校生あたりの年齢だろうか。
悪役少女やその他をよく見ると腕や脚に鱗が生え、頭には角が巻いている。
「爬虫類?」
「たわけ!我等はそこらのトカゲなどとは違う!
私の呟きに対し、丁寧に返してくれたようだ。
『竜人は
シルキーさんの言葉を聞いて「やっぱり竜はいるんだ」と間抜けな感想しか出てこない。
幻想物語な世界なのだから竜ぐらいいるのだろう。
「まぁ、良いか。そこの囚われの姫様!ここにいる少年が金貨十枚もするポーションを飲んだので取り立てに来ましたぁ!」
囚われの姫様は意識があるのだろうが、声が出せないようだ。
声による応答は無い。
「何だ?仲間じゃないのか?勇者よ。貴様の人望は無いのだな」
竜人少女は鼻で笑って勇者と呼ばれた少年を見下している。
勇者――勇者?
嗚呼、学生服か。
今更ながら違和感に気が付いた。
勇者は前世で見慣れた学生服を着ている。
改めて見ると高校生ぐらいだろうか。
見たところ私のような転生ではない。異世界転移というものだろうか。
勇者と呼ばれ、あからさまに主人公ポジションだ。
私とは違って。
「勇者様?とやら、ここで囚われの姫様を助けたら借金は支払われるだろうか」
目の前にいる少年に声をかける。
「なッ!あの子は強い。僕は一度殺されかけたんだ。ギリギリの所で姫が俺を空間転移で逃がしたばっかりに……」
それで囚われたわけか。
という事は、勇者様とやらも姫様も転移が使えるわけだ。
私は損得を考える。
ここで恩を売れば、最悪転移の魔法でどこにでも行ける
しかし、それなら勇者様とやらより姫様の方が良い。
そんな事を考えていたらシルキーさんの目線が痛い。
何故だ。別に私は口に出していなかったはずだ。
シルキーさんの目線が恐いので、どちらが良いとかは抜きに、助ける事を考えることにした。
だが、その前に――
「竜人のお嬢さんは何故、姫を捕らえているのです?」
童女姿の私が「お嬢さん」と呼ぶのはおかしな感じだが、仕方がない。
実は竜人が勇者の被害にあって迷惑しているという場合、場をリセットするだけならまだしも、それ以上は何も出来ない。
「フハハハハハ。私は戦争が好きだ!略奪し、強奪し、侵略出来る!戦争だよ。戦争のために――勝利のために捕らえているにすぎん」
竜人少女の答えに私は「そうですか」とひとりごちた。
「あー、勇者様、あれは侵略者ですか?」
双方の言い分を聞かねばなるまい。
戦争という危険なワードならば余計に。
「姫様は彼女等は突如この国を襲って来たらしい。そこで国王も討たれ、神に祈っていたら僕が召喚されたと聞いた」
神に祈れば異世界から召喚が出来るのだろうか。
私の起源――というより、私の魂は製作者様が神に祈ったから来たのだろうか。
いや、製作者様はそんな事をしないはずだ。
そもそも、私の魂が異世界へ来る理由というべき事が「魂を作成する事は不可能だから異世界から魂だけ持って来れば良い」という動機なのだと思う。
そこで運良く……運悪く身体と魂が分かれた私がというわけだ。
製作者様は運悪く私が転生する前に亡くなったようだが。
ならば、神に祈るという儀式――術式にてトリガーとなった可能性は高い。
まぁ良いか。問題はそこではないのだ。
双方の証言は一致。
竜人の娘が侵略――戦争を起こし、姫は神に祈って勇者が召喚されたと。
「姫を救出し、戦争とやらを終わらせる代わりに、代金もしくは差し押さえさせていただきますよ」
私は【精霊魔法】を通してシルキーさんの【初級光魔法】を発動させ、スタングレネード並みの光を放った。
この【精霊魔法】は便利で、シルキーさんの使用できる魔法を私が使えるようになる。
デメリットとしては、シルキーさんの消費する以上に魔力を使う。
私は魔力が膨大なのでデメリットは感じない。
シルキーさんが魔法を覚えるたびに私も使用できる魔法が増えるのだが、そう簡単には魔法を習得する事は出来ないという。
辺りが眩い光に包まれたところで私は囚われの姫様の裾を思いっきり引っ張る。
その後にシルキーさんを布でくるんで抱き上げる。
「いつまでそんな布の塊を抱いているのです?姫は救出しましたよ」
勿論嘘である。そんな抱えられた人間を一瞬で手元におく事など不可能。
ならば、相手が手放すのを待てば良かろうなのだ。
布にくるまれたシルキーさんを姫様だと錯覚させる。
引っ張られた感覚があるので、すり替えられたと勘違いさせる。
「くっ!」
「ラグ様いけません!」
竜人の兵士に止められたが、既に時は遅し。囚われの姫様はただの布の塊だと思われ、床に投げ捨てられた。
その時に小さく悲鳴をあげたが、既にシルキーさんが風によってキャッチしていた。ナイスゥ。
「クソがぁっ!」
騙された事に気付いて竜人少女の口が悪くなった。
へへっ。騙されてやーんの。
「今撤退すれば貴女の命だけは助けましょう」
ラグとか呼ばれていた竜人の少女はきっと地位的に上なのだろう。
見逃す価値はある。
戦争となると殲滅するか、地位が上の者が撤退すれば侵攻は多少収まる。
殲滅しても良いが、自ら撤退し、侵攻不可と認めた方が時間は稼げる。
もし殲滅してしまった場合、何も知らない無能上官が再度兵を送る可能性がある。
「もう一度言います。今なら貴女だけ見逃しましょう」
「ほざけッ!人質がいなくなった所で、我らが優位には変わりない!」
ラグは笛を吹くと、窓から竜が入って来た。
「おぉ!シルキーさん竜ですよ」
異世界っぽさにテンションが上がり、抱えていたシルキーさんを揺さぶる。
『あれは
「プテラノドンみたいですね」
プテラノドン。中生代白亜紀に生息した翼竜の一種である。
後頭部にある骨性の長大なトサカがあり、体高二メートルを超えると言われる。
童女の私からしたら亜竜はもっと大きく見える。四メートルはありそうだ。
脚は鳥類というより、猛禽類や爬虫類に近い。
オオトカゲ科のようなしっかりとした脚だ。
オオトカゲ科は地上性の種もいれば木に登ることを好む種もいる。
風亜竜は後者だろう。木を掴むような構造をしている上に、地上でのバランスが悪い。
あんな巨体で宙を舞うのは難しい。プテラノドンだと滑空が主だ。風亜竜はあんな巨体で空を飛ぶのか。
『風亜竜は風を操ります。それで空を飛ぶのでしょう』
宙を舞う姿をジッと観察していると、シルキーさんから答えが出てきた。
「随分と効率が悪いように思えますが」
魔法を使うなら魔力が必要だ。滑空だけなら筋力でどうにかなる。
それを筋力と魔力を使うとなるとすぐに疲弊するだろう。
『亜竜と
「だとしても巨体を浮かせるには相当なエネルギーが必要でしょう」
『かかる食費は莫大でしょう』
プテラノドンの主食は魚類だと言われているが、オオトカゲ科の主食は食性は主に肉食で口に入る生物なら別け隔てなく大半を食べる。
風亜竜もやはり肉食だろう。空中から地上、または海中の魚類をハントする類だ。
――という事はだ。彼女等が侵攻するのは風亜竜の餌が足らないのか。
どこに住んでいるのかは知らないが、風亜竜を維持する事が困難になっている可能性がある。
それが侵攻の原因だろうか。
「風亜竜よ。ヤツ等を滅せよ!」
ラグは風亜竜に命令を下した。
――が、相性が悪かった。
シルキーさんは元々風の精霊だ。
風と魔力の塊であった、風の精霊に風亜竜が適うはずもなく、亜竜は地へ落ちた。
「流石は風の精霊ですね」
風を使って浮いていた所をシルキーさんは干渉し、風のコントロールを奪った。
そして滑空すらさせるはずもなく落としたのだ。
『風に関しては負けませんから』
シルキーさんはスカートの端を摘まんでお辞儀をした。
◆
「何が……起こっている」
僕は只々驚愕するしかなかった。
可愛らしい童女達が僕の後をついて来たと思ったら、姫を救出してワイバーンまで倒した。
それはあっという間の出来事だった。
竜人相手に僕が何もしなかったわけじゃない。
戦ったさ。
日本で剣道をしていた僕だ。
だから剣を握る事は出来た。それで守る為に戦った。
けれど駄目だった。
竜人の女の子は僕よりも強く、ワイバーンや竜人兵との戦いで疲弊していた僕は姫を守れなかった。
逆に姫が【瞬間転移】を僕に発動させて守られてしまった。
情けない。そして、童女達に助けられたことも。
「さて、解剖の時間は後回しにして……ラグさんとやらは撤退いたしますか?刃向かいますか?」
童女達は実に余裕がある表情だ。――というよりも、危機感が感じられない。
それが不気味にさえ思う。
「クソがぁっ!クソがぁっ!クソがぁぁっ!」
「ラグ様、一度撤退しましょう。そして立て直すのです」
地団駄を踏む竜人の女の子。それに冷静な判断をする兵。
兵の方は声からして女性だ。
兜をしているから男だとばかり思っていた。
そしてここにいる女性兵にすら刃が立たなかった。
ラグは苛立ちながらも笛を吹くとワイバーンを呼んだ。
逃げる気だ!
いや、ここは逃げてくれた方が良いのだろうか。
僕は彼女達を倒す術はない。
戦ってもあしらわれ、倒され、地面に伏すしかない。
そう。
僕は見ているだけしか出来ない。
彼女達が撤退し、それから――強くなるしかない。
僕を救ってくれた人のように。
彼女達が後ろにいるワイバーンに向かって歩いていった。
「それではラグさんとやら、戦争を引き起こした人に宜しくお伝え下さい」
童女は呑気にひらひらと手を振っている。
「あっ。忘れ物ですよ」
そう童女が言った瞬間に兵のほとんどが黒い炎に飲まれ、助言をしていた女兵の首を
僕は驚愕と硬直に見舞われた。
「「何故、殺した!」」
竜人ラグと僕の叫びが
反響する叫び声と共に童女の一人が僕を拘束した。
ねじ伏せられ、腕一本動かない。
「何故だぁ!撤退する気があったじゃないか!何故、殺す必要があった!」
僕は拘束を解こうともがきながらもう一人の童女に向かって叫ぶ。
竜人ラグも同じ気持ちだろう。
だが、僕の方が叫んでいた。
「何言っているのです?ちゃんと「今なら貴女だけ見逃しましょう」と言ったじゃありませんか。敵陣に乗り込んで来て主要人物以外は要らないでしょう」
「な……に……を」
いや、言っていた。
記憶にある。
だが、それは――その行為は正しくない。
「ほら、お気に入り兵の首をお持ち帰り下さい」
兵の首が瞬く間に凍り、童女の手から竜人ラグへと手渡された。
「バーン。バーン……」
手にある首を大事そうに抱え、ラグの頬には涙が伝っているのが見えた。
どうやら兵の名前はバーンというらしい。
「戦争が好きなのでしょう?こういう事も込みで戦争ですよ」
童女は「今更何を言っているのです?」と言わんばかりだ。
「……ロス。……コ……ロス!!」
竜人ラグからは怒気が溢れ、童女へと槍を向けた。
◆
「このまま撤退すれば良かったんですが」
仕方ない。
槍先が私を貫こうとしているが、それを避けていく。
技量としては相手が上なのだけれど、怒りで攻撃が単調だ。
「バーンを殺した報い、受けて貰おうか!」
「報い?貴女がここに連れて来たのでしょう?私は悪くありませんよ」
相手の苛つきが上がり、槍の速度が上がる。
「戦争でしょう?ならば殺し、殺されは仕方がないと思いますよ」
槍先が速くなるが、私には届かない。
届かないというよりも、私が攻撃箇所をコントロールしている。
ラグは知らずの内に【魅了】されているのだ。
ただ【魅了】といっても好きになるわけじゃない。
我を忘れた状態で【魅了】し、攻撃箇所を絞らせる。
そうなればホムンクルスである私が避けるのは簡単だ。
私が人間だった場合は避けられなかっただろう。
恐ろしく速い攻撃。昔の
「貴女が戦争をしかけ、貴女が大事な部下を戦場へ連れ出し、貴女が殺したようなものじゃないですか」
「
もう槍は私を狙わず、めちゃくちゃに円を描くよう回しているだけだ。
当たりはしないし、避けるまでもない。
「無駄死にを出したのだから反省した方が良いですよ」
私の煽りによって我を忘れたのか頭から突っ込んで来た。
私はそれを期にラグの腹を蹴り上げ、壁に衝突させた。
「やっと大人しくなりましたね。撤退すれば貴女だけ無事に帰そうとしたのですけれど、危害をくわえようとしましたからペナルティですね」
項垂れるラグの右腕を掴み、【獄炎魔法】を発動させる。
「臭っ。あー、こっちもなくなっちゃいましたか」
ラグの頭にあった角は焼け落ち、顔の右半分は熱気で火傷を負っている。
右腕は消し炭だ。
「やっぱり実物の火より魔法の火の方が使い勝手が良いかもですね」
下級ポーションを取り出し、ラグの火傷にかけると顔の火傷痕だけが残った。
「この顔で戦争が好きと言えてこそ戦争好きですね」
私が微笑みかけると虚ろな左目で「コロス」と呪詛のように唱えた。
「私を殺したいなら、この国に構っている暇はありませんよ。私はこの国に居座るつもりはありませんし」
この国を滅ぼしても私は何も思わないし、何も感じない。
ラグの頭にある左の角を持って無理矢理立たせ、左手にバーンと呼ばれた兵の頭を乗せる。
「お帰りはあちらです。トップによろしく言っておいて下さい」
風亜竜がいる場所を指し、撤退を促す。
ラグはフラフラと歩いて風亜竜へ向かった。身体を亜竜預け、去って行った。
「さてシルキーさん、ありがとうございました。もう良いですよ」
勇者様を拘束していたシルキーさんは私の隣に舞い降りた。
風に守られていたお姫様も動けるようになっている。
「何故、何故あんな事をした!人を殺し、あんなにも残虐な行為を幼い君が……何故……」
怒りや悔しさだろうか、勇者様はグッと拳を握り、歯を食いしばった。
「何故って、相手の提示した
相手方は「戦争」と言った。
ならば戦争というルールに従ったまで。
兵は殺しても問題はないはずだ。
「あそこまでやる必要はなかった!」
勇者様が私に掴みかかろうとした瞬間、勇者と私の間に線が引かれた。
『お嬢様に手を出す事は私が許しません。貴方と私達は他人であり、差し出がましいですが私達は貴方がたの命の恩人です。感謝はあれど、文句を言われる筋合いはありません』
どうやらシルキーさんが牽制したようだ。
「申し訳ございません。勇者様、ここは一度下がっていただけますでしょうか」
囚われの……元囚われの姫様は私達に向かって頭を下げた。
「この度は助けて頂き、ありがとうございました。ヘルモクラテス王国第一王女タチアナ・ヘルモクラテスでございます」
勇者様は少し冷静になったのか、姫の後に頭を下げた。
「僕は
テンカ君ねぇ……まぁ、とりあえず姫様と勇者様で良いかな。
「私はホムンクルスのクルスで、こちらは精霊のシルキーです。良いんですよ。こちらは借金の取り立てに来ただけですので」
私としては借金の取り立てついでなのだから、正直どうでもいい。
「度々のご無礼をお許しください」
どうやら姫様は話が通じるらしい。
――というよりも、勇者様は話が通じなさすぎる。
『ヒトの子よ。私はお嬢様の従者であり、お嬢様の方が立場が上ですので私を見て話すのは辞めなさい』
「し、失礼しました。その……借金との事ですが、私達……この国はこのような状況ですので、すぐにとは……」
しどろもどろとした返答だ。
しかし周りは酷い有様だ。こんな場所に金があるとは思えない。そこから金を巻き上げるのは愚策だろう。
「とりあえず、金額の提示はしましょう。勇者様が飲んだポーションは金貨五枚――」
「金貨五枚はぼったくり過ぎるだろう!それに値上がりしているじゃないか!」
話し終える前に勇者様が吠える。
「事前に申し上げましたよ。“値が張りますよ”と。体力、魔力が共に回復するのですから、高くて当然です。姫様の救出に金貨五十枚。合わせて金貨五十五枚となります」
金貨一枚百万円ぐらいだとしたら、五千五百万円ぐらいだろうか。
「そんなッ!高い!高すぎる!さっきから――」
「五月蠅いですね。【
つい闇魔法の【
何やら口が動いているので声を出したいらしいが、魔法によって封じられている。
「この
風亜竜は全部で五頭。一頭あたり金貨一枚で買い取る形となる。
「残りの金額は、何回払いかでこの国の特産品で払ってもらう形にしようかと思いますが」
私が話し終えると勇者様の行動は静かになった。
いくら【
やっと目の端に口を動く様が見えなくなって良かった。
正直、目障りだった。
「それで……よろしくお願いいたします」
また姫様は頭を下げた。
「で、五月蠅い勇者様は何か質問があるようなので聞きます」
勇者様は必死にバタバタと口と手足を動かす。
「え?何です?聞こえませんよ?」
私はわざとらしく耳に手を当てる。
「ハイハイ――」
「――れを解いてくれ!」
指をさしながらパクパクと動いていた口から大声が発せられた。
思わず耳を塞ぎたくなる。
「……ふぅ。それで、何故あんな事をしたか聞きたい。人を殺して何も思わないのか」
深呼吸の後に質問が来た。
「最初のそれは、先ほど答えましたよ。私もヒトを殺して何も思わないわけじゃありませんよ。首を斬るのは大変だなと思いました」
まぁ、同じ質問が来ても同じ答えが返って来るのは当然だろう。
首を斬るのは大変だ。海外ドラマで首を斬ったり、ちぎったりするにはコンクリートブロックを同じ様にするぐらい大変だと言っていた。
切腹の介錯人がどれほど凄いかがわかる。
私がやった後も引きちぎった様なもので、断面が綺麗ではない。
「話が――言葉が通じたはずだ!殺さなくても良かったはずだ!」
思わず私の口から「はい?」と出てしまいそうになったが、抑え込んだ。
「良いですか?“言葉が通じる事”と“話が通じる”はノットイコールです。文字が読めても文章が読めない事と同じです。そもそも、戦争が何故起こるのか考えた事がありますか?」
戦争、略奪、窃盗、色々と込みでだ。
いじめや子どもの虐待死とかも含めても良い。
「戦争が起こる原因は“資源が有限だから”ですよ」
勇者様が何か言う前に私が答えた。
資源は食料や金銭、その他も含めるとする。
資源が有限だと何が起こるか。
それは奪う、殺すなどだ。自身を守る為に。
「どんなに言葉が通じようとも、資源が有限である限り――欲がある限りは争いごとは起きます」
「でも、日本――僕の国では……」
そこで彼は言い淀んだ。
戦争がない。と言おうとしたのだろうか。
だが、そんな事は全く関係が無い。
日本で戦争が無くても、こっちの世界であるなら意味を持たない。
「良いですか?ヒトという生物が誕生し、争い続けて何千、何万年。平和な国をつくっても今から何百年前。遺伝子に資源が有限である事が刻みこまれているんです。そんなにすぐ、“争わない”なんて事は出来ないんですよ。」
いじめは自分のテリトリーから追い出す行動だ。そこで生死は問わない。
自分の資源を守る行動であり、何が悪いかなど意味を持たない。気に食わなければ良いのだ。
虐待死させるのも自分の資源を守る行動だ。
ライオンの雄はハーレムを作るが、雄が交代すれば前リーダーの子どもは殺してゆく。
それは食料不足などの場合、自分の子どもを生かす
動物は資源が有限であると遺伝子に刻まれている。
動物であるヒトも例外ではない。
「資源が有限である世界に、言葉を交わして仲良くなれるようなら国は分かれませんよ」
国が隣り合っているという事は、同じ国では不満があるということだ。
本当に仲が良ければ、自然的に同じ国になるはずだ。
まぁ、支配として同じ国になっている場合は別なのだけれど。
「別に反論、異論は受け付けますよ。けれど、戦場で話し合いでどうにかなるとか思ってはいけませんよ」
「なら……、どうすれば救えたんだ」
『ヒトの子よ。何故、自分で考えないのですか。お嬢様が考えた結果が今の状態です。貴方は何故考えず、否定するのですか』
シルキーさんが割って入った。
私なら「知りませんよ」で終わっていた。
おこがましく救うだなんて考えも私には更々無い。
「僕は……」
勇者様はそのまま考え込んで静かになったので、私はシルキーさんと共に倒れている風亜竜へと向かった。
◆
さて、解剖しますか。
話しているうちに血抜きが出来なさそうなのが二頭いる。
あとは首を切って血抜きにかかろう。
冷やすのは【下級氷魔法】で良いとして、この大きな図体を逆さ釣りにするのは一苦労だ。
ゴブリン騒動の時みたく、錬金術で樹を作って吊り下げるか。
地面に魔法陣を描いて錬金術で石で樹を造り、風亜竜を逆さ吊りにする。
材料は建物の壁だ。既に風亜竜によってボロボロなのだ。少しの間拝借するぐらい良いだろう。
『流石の血液量ですね』
シルキーさんが建物の外へ排出される血液を見ながら呟いた。
建物内を血だらけにするほど礼儀知らずではないので、柱伝いで外へ排出している。
風亜竜の首から柱を錬成して血液が伝うようにしてある。
既に地面は血の海だ。シルキーさんが呟いてしまうのもわかる。
血抜きが出来そうにない二頭は、まず観察だ。
見た目は翼の生えた爬虫類。鱗に覆われている。
名前に「竜」と付くから逆さになった鱗、逆鱗でもあるかと思ったが、無さそうだ。
前足は無く、後ろ足は木の枝などを掴める形。
後ろ脚は筋肉質だ。これなら重いものを持って飛べるだろう。
翼は大きく、上腕骨の部分から鎖骨にかけての筋肉が太い。
これで飛んでいるのか。
しかし、筋肉というものは重い。
飛ぶには色々工夫しなければならない。
まぁ、工夫と言っても生き物が自主的に工夫するわけじゃないのだけれど。
骨を空洞にしたり、脳を小さくしたり、食べたものを極力排出したりして、やっと飛べるようになる。
風亜竜の爪は頑丈そうだが、角も無いので猛禽類のようなものだ。
逆にこの歯で骨ごと食らうのかもしれない。
そうなると、顎の筋肉が必要となり、重くなる。
「やはりシルキーさんの言う通り、風魔法で飛ぶのでしょうね。筋肉が重すぎます」
バランスも悪い。
首の長い鳥はいても頭が軽いので、そこまで負担にはならない。
風亜竜の場合は頭が重く、胸から翼にかけても重い。
「足は木に止まるというより、獲物を捕まえるためでしょうね」
『どうしてですか?』
「身体のバランスが悪いので、木に止まって身体を休める事は不可能に近いからですね。魔力が続く限り飛んでいた方が楽だと思います」
シルキーさんは「ほぅ」と納得している様子だ。
水に浮かべるなら、それが一番楽な姿勢だろう。
実際どうしているかはわからない。
腹を割いてみると重力に従ってドロリと内臓が出て来た。
部屋を汚すのも駄目だと思ったので、錬金術で大きな皿の上でやっている。
知らない臓器は無い。
食道、胃、肝臓、小腸、盲腸、大腸、肛門。
実にシンプル。
鰐は水中に潜るため、気道と食道が分かれている。
風亜竜はそうではなかった。
巨体なので臓器も大きく、分かりやすい。
胃には何も入っていない。消化された後だったのか、余程食糧が無かったかだ。
心臓は……爬虫類なので二心房一心室かと思ったが、違うようだ。
実は心臓というものは魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類で違うつくりになっている。
魚類から哺乳類へと徐々に複雑な形になっている。
二心房一心室の両生類、爬虫類は酸素と二酸化炭素の交換の効率は良くない。
それは動脈血と静脈血が混ざるためである。
しかし風亜竜の場合、二心房二心室の鳥類に近い。
爬虫類の二心房一心室を不完全な二心房二心室と表す人もいるので、より二心房二心室に近くなった心臓とも言える。
二心房二心室では動脈血と静脈血が混ざらないので、効率よく酸素と二酸化炭素の交換を行うことが出来る。
空を飛ぶには、エネルギーを使うから二心房二心室の方が良いのだけれど、そうなると変温動物であるかわからないな。
爬虫類は変温動物であり外部の温度により体温が変化する動物である。
しかし、逆の恒温動物でもハチドリなどは気温が低いと仮死状態になるので、全ての動物が枠にハマるとは思えない。
そうなると風亜竜は恒温動物である可能性がある。体温を安定させるためには産熱と冷却が必要だ。
身体が大きいとその分、熱を発する。冷却は……翼か。
翼で表面積が増え、熱が放出しやすい。
また、風の魔法と翼で飛ぶことで冷却しているのか。
しかし、動けば発熱だろうに。
まぁ、そこらはスキル取得で【耐熱】でもあるのだろうか。
そうでなければ熱中症などになってやっていけない。
『何か分かりましたでしょうか』
シルキーさんは私の隣で亜竜の肉塊を見ている。
「亜竜はバランスの悪い生き物という事がわかりました。自然淘汰されないのが不思議ですね」
巨躯を維持する為にも相当量の食べ物が必要だろう。
「後は、風亜竜の胃を見ても原因は食糧問題だと思います。他の風亜竜の胃も見たら確実性が増すとは思いますが」
それが侵略の理由だと思う。
他には領土を得て鉱山などの資源を欲するとかあるのかもしれないのだけれど、この国の事情がわからないので、定かではない。
住民を食らわなかった分、躾は出来ているし、よく我慢しただろう。
『そうですか……ここの民はどうなるのでしょうか』
「復興するしか無いですね。とりあえず食糧と寝る所があれば何とかなりますよ」
解剖した後の風亜竜の肉は、ここの国民へと寄付しよう。
肉食獣の肉は基本的に美味しくは無い。
そこは既にパーディンが既に証明してくれた。
パーディンが食べた亜竜は必死に戦って倒したというから討つまでに時間を要したのだろう。そうなると肉はどんどん不味くなる。
今回のは短時間で決着が着いたので、パーディンが食べたものよりは美味しいはずだ。
血抜きのしていない個体は不味くて食べられないだろうが、どうしたものか。
畑の肥料にでもなれば良いのだけれど。
「姫様。解体した風亜竜を寄付します。しかし、血抜きのされていない個体はどうしましょうか。多分……不味くて食べられませんよ」
シルキーさんは私の横で『勿体無いですね』と呟いたが、不味い亜竜の味を思い出してか首を横に降った。
「感謝いたします。……私では考えられないので、他の者に聞こうかと思います。皮や鱗もいただけるなら、そこは装備品にします」
装備か。普通にラフな格好しかしていなかったので思いつかなかったが、亜竜でも「竜」と付くので良い装備になるのだろうか。
その分野は全くわからない。
「私ってば剣と魔法の世界なのに、剣の方に注目してませんね」
剣は自作したが、出来は素人のそれ。頑張って研いでやっと刺さるぐらいだ。
防具は……私には【超回復】があるので、正直言ったらプラナリアよりも死なない気がする。
痛みはあるので、それを防ぐ為には防具は必要なのかもしれない。
「何で――何で姫様は普通に話していられるんだ。この子は人を殺したんだぞ」
何やら勇者様は情緒不安定らしい。姫様と私との会話に不満を抱いたと見る。
「まだ言っているのですか」
ここまで来ると呆れるしかない。
「姫様は立場を弁えているんですよ。国重人であり、女性であり、弱者である事を弁えている。実に賢いじゃありませんか。貴方よりずっと」
皮肉を込めたニヒルな笑みというものが浮かべているだろうか。
弁えるという事は賢い事だ。
姫様は自分がわからない事は専門家に訊き、判断出来る事はする。
「貴方は勇者と呼ばれていますが、立場も何も弁えていませんね。嘆かわしい事です」
「なっ!僕は姫様を心配して――」
「心配?自己の保身の為でしょう?“人を殺してはいけない”という自己にある倫理感を否定されたくない。自分は正常である。否定されたくない。それを人の心配と言うのですか?」
思わず口からハッと嘲笑が出てしまう。
「受け入れるべきですよ。そして、弁える事。知らない国の常識、倫理など捨て、今の状況を、現状を、現在を見るべきだと思いますがね」
辺りは瓦礫が散乱し、戦場だったという事が見て分かる。
「僕は、僕は――君がっ嫌いだ。」
何を言うかと思えば、実に幼稚な言葉だった。
高校生ぐらいだとしても実に稚拙。同じ日本からの同郷だとして、やっと話してやれる程度だ。私が元からこの世界の住民であれば斬り伏せていた。
ただ、変な方へと思考がいかないのと、暴力を振るわない点では感心する。
感情論ですらない言葉に、私は只々「そうですか」としか言えなかった。
「本当、シルキーさんが私の所に来てくれて良かったですよ」
もし、この勇者のような人物が私の所にいたらボコボコにしていただろう。
『とても嬉しいお言葉ですが、あのヒトの子は異常です。自分が求めているだけで、自分が何かをしようとは思わないかのようです』
異常。それは実に分かりやすい。
理想が高い。というならまだしも、自分が動かず、相手に求めるだけ。これが駄目だ。
よくネット上で見かけていたが、ああいうタイプなのだろうか。
何がきっかけでああなったのか分からない。ただ、この世界に来て馴染めていないだけなのか、それとも人格としてアレなのか。
実に前者であって欲しい。
「まぁ、勇者様は放っておいて――メインディッシュですよ」
首を斬り落とした竜人を
肌に鱗がある。首の頸動脈を守るためか、そこから肩、腕、手の甲にかけて鱗がある。
内側――上腕二頭筋の部分から手のひらにかけては普通にヒトと変わらない。
脚も外側――外側広筋から足首まで鱗がある。
足首はアキレス腱の部分も鱗で覆われていて、「身体を守る」という役割をしているようだ。
「内骨格で鱗があるという事は、脱皮をするのだろうか」
蛇や蜥蜴など内骨格で鱗で覆われている生物は脱皮する事が多い。
それは身体が大きくなるにつれ、鱗が邪魔になるからだ。
魚でも脱皮する種類がいる。
オニダルマオコゼやハダカハオコゼ、カサゴの仲間には脱皮をする種類も多くいる。
魚の脱皮は、成長というより表皮についた寄生虫などを落とすためのものと考えられている。
竜人はどうか。
そもそも脱皮する必要があるかだ。
全体に鱗がある場合は必要だが、竜人はほぼヒトと同じなのだ。
脱皮するとは思えない。
哺乳類でも鱗がある生物はいる。
アルマジロやセンザンコウなどだ。
これらは脱皮といえるほどの事はしない。
垢が落ちる程度のものだ。
脱皮は外敵から身を守る硬い鱗をリセットし、脱皮時に柔らかくするデメリットがある。
そう思うとこのタイプは優秀だろう。
上層のある部分の鱗が削れれば良い。
積層する方向が違うが、人間でいう爪のようなものだ。
「さて、次は中身か」
引きちぎれた首から腹部まで一直線に切開する。
「な、何をやっているんだ!君は!」
勇者様は私の腕を取り、メスを取り上げた。
「何って、解剖ですよ。刃物を扱っているのですから、危険な事はしないで下さいよ」
製作者様の作ったメスは恐ろしく切れるのだ。
何かあったら止血して縫合しなきゃいけない。私の手が切れるぐらいなら回復するので良いが、それ以外のヒトは面倒くさいだけだ。
「何故、死体を……切って……」
あ、吐くっぽい。
やめろ!吐くなら私の手を離せ!
そのまま吐いたら私にかかるだろう!
止めっ――
『【エアハンマー】』
勇者様は吐きながらも吹っ飛んだ。
「シルキーさん、助かりました」
あのまま吐瀉物にまみれていたと思うとゾッとする。
『お嬢様を守るのが私の役目ですので』
シルキーさん良い子やぁ。美味しい物沢山食べさせてあげますよ。
「いきなり何をするッ」
『貴方が女性に自分の体液をかける性的嗜好があるのは仕方がありませんが、お嬢様には止めて頂きます』
「それは断じて違うッ!!僕にそんな性癖は無い」
見事なツッコミだ。
いや、速攻拒否だろうか。
「吐くなら私を巻き込まないで欲しいんですが」
「それは、すまなかった。けれど!死体を解剖するなんてッ!」
「じゃあ、生きたままやれば良いんですか?勇者様は鬼畜ですねぇ」
製作者様は本当にやりそうなので冗談にはならないだろうが、私はちゃんと生命が途絶えてからやるよ。
「そうじゃない!そのまま埋葬してあげられないのか。敵だったとしても敬意や慈悲は無いのかッ」
「敬意や慈悲はありますよ。だからラグって子に首を持たせたんじゃないですか」
本当であれば頭蓋骨を見てみたかった。舌や角との境を見てみたかった。
それを我慢して、首を渡した。
あちらで墓を作るのに必要だから。
他の兵を消し炭にしてしまったのはしょうがないとして、敬意は払っている。
「敬意とは別で、身体の方は私の戦利品ですよ。戦利品を扱うのは勝者である私の勝手でしょう。それに、解剖が辱めであるという考えは如何なものかと」
解剖によって医学が進み、生物の寿命が延びたとも言える。
綺麗な身体を保って欲しくて、解剖して欲しいと思わない人もいるだろうが、検死解剖で死因が判明する事もある。
重要な存在である。
ここで得た事が他の街にいる竜人を助けるかもしれない。また、他のヒト属を救える手立てが見つかるかもしれない。
それを分かっていない。
「じゃあ、死因がさっぱりわからないので、検死解剖します。これで良いでしょうか」
「ふざけるな!君が!殺したんじゃないかッ!それを……」
勇者様は憤慨しているようだが、そう言われても「ただ止めろ」じゃあこちらも納得出来ない。
「じゃあ、どうしたら納得して解剖させてくれるのですか?自分がただ「嫌だから」でしょう?只々、自分の倫理観を押し付けているだけじゃないですか」
私が納得すればやめようじゃないか。別に必須な訳でも無いのだ。
しかし、勇者様の言う事は筋が通っていない。
綺麗事でも良いので納得のいく言葉が欲しい。
「解剖しないという考えは無いのか」
「私を説得しない限りはありませんね。もしかしたら、後にこの解剖結果がどこかで役に立つかもしれませんし」
別に役に立たなければそれで良いのだ。
勉強だってそういうものだ。役立つ可能性があるから勉強するわけだ。
またも勇者様は押し黙る。
黙るなら最初から突っかかって来ないで欲しいものだけれど、他人の考えは聞くだけ聞こうと思うので言わない事にした。
「姫様。冒険者は魔物の討伐部位を剥いで報酬を得るのですよね」
いきなり話を振られた姫様が戸惑いながらも「えぇ」と頷いた。
「勇者様、それと同じですよ。ヒトだろうが、魔物だろうが変わりません。討伐者に権利があり、どうするか決める事が可能なんですよ」
言ってしまえば竜人達はこの国からしたら
ゴブリンが二百体いて、それを討伐するのはヒトと魔物の戦争みたいなものだ。
ヒトは我が身を守る為に討伐する。種の保存のためだ。
丁寧に人権を保てなど阿保らしい。
せめて「戦争をする」と両者で宣言をして欲しい。ならば人権を保っても良いと言える。
それなら「侵略」だとか言わないし、双方人権ありきで「捕虜にする」という選択肢もあった。
けれど侵略者相手に慈悲は必要ない。
まぁ、そもそも私が出しゃばる事じゃないのだけれど、この借金勇者を見殺しにして損するのはいただけない。
人道的、倫理的観点ではなく、損得勘定によるものなので仕方がない。
「魔女――やはり、君とは分かりあえない。君は僕からしたら悪い魔女のようだ。敵対したいわけじゃないが、理解出来ないよ」
もし称号が付くような世界なら、私のステータスに「魔女」という称号が付いていただろう。
「わかり合えないという点ではわかり合えますね。正義を語るべからず。態度で示せ。正義は力あってこそ。私としては勇者様にこの言葉を贈りましょう」
まぁ、正義など存在するのか分かりませんがね。
「色々と言いたい事はあるけど、僕はここでは何も見なかった事にするよ」
何も見なかったから竜人の解剖は良いというわけだ。
『お嬢様、これを』
シルキーさんは床に落ちたメスを拾い上げてくれた。
「ありがとうございます」
本来なら消毒滅菌などするのだろうが、取り敢えず拭くだけにしておく。
さて、腹部を切開。
「基本的にはヒト――普人と変わりはないのですね」
筋肉の構造や内臓の位置は同じ。
『頭の方が角があって違ったかもしれませんね』
シルキーさんの言う通りだ。
別に竜人だからといって火を吹くだとか、羽があるわけでもない。鱗と角があるヒトだ。
鱗といっても、正確には体毛が変化した鱗状の堅い板と言うべきだろうか。
アルマジロなどは鱗甲板と呼ばれるそれで覆われている。
中身は特に変わった様子もない。
『何かわかりましたでしょうか』
私が唸っていると、横からシルキーさんが顔を覗き込むようにして隣にしゃがんだ。
「恐竜――
『それは、風亜竜や竜人は種類の元だという解釈であってますでしょうか』
「そうですね。正確には“それっぽい生物”です。鱗が羽毛になるとも言われていますし」
恐竜と鳥ではどちらが頭の良い生物か?と言われたら鳥と答える人の方が多いだろう。
なので、調教されたであろう風亜竜を見た後では、風亜竜よりもっと知能の低い恐竜や亜竜がいたはずだと思う。
『魔物とは違う枝分かれですか』
「魔物の行う超的変異と呼んでいる、経験値やレベルなどではない、純粋な生物の進化ですね」
この世界でダーウィンいたわけでもないだろうし、進化論があるとは思えないが、そのような可能性がある。
『では、風亜竜や竜人は偉大な存在であるのでしょうか?』
「偉大か偉大であるかは別ですね。派生元であったとしても個人の行いは別でしょう」
シルキーさんの言う事は、ヴァンパイアの始祖は偉大みたいな話だろうか。
精霊も大元となる存在は偉大であるという認識なのかもしれない。
しかし、ホモサピエンスが偉大なわけでも、海の微生物が偉大なわけでもない。
偉大な事を成し遂げた者が偉大なのだ。
「まぁ、あまり成果があったとは言えませんね」
この場合は「なんの成果も得られませんでした」と言うべきだろうか。
しかし、ヒトの中身は大して変わらないという成果はあったか。
「さて、そろそろ風亜竜の血抜きも出来た事でしょう」
完全に血抜き出来ているかは不安だが、元から不味いと分かっているから良しとしよう。
私達は大きな蜥蜴を解体する事にした。
◆
「この度はありがとうございました」
姫様が頭を下げる。
「良いんですよ」
と言っておきながらもキッチリ報酬はいただく。
「ここの特産品とは何でしょう」
特産品を聞かずに了承してしまったが、何かは気になる。
「ここでは甘蕪が取れます。また、芋類も多く取れます」
甘蕪……
それに芋類。糖分が多いな。
「では、そうですね。ティマイオスという街にパーディン様という人魚がいますので、そこに渡してくれたら嬉しいです」
パーディンなら何とかしてくれるだろう。面倒事はブン投げるに限る。
「ティマイオスのパーディン様ですね。分かりました。準備出来次第向かわせます」
私は国の敷地内に結界を張っていく。
風亜竜や竜人対策だ。
無害な竜人が来ようとしても入れないのが難点だが、仕方がないだろう。
この結界は解剖した遺体を使っている。
解剖した中の「竜人」となる部分や「風亜竜」である部分を使って、それを排除するという結界だ。
材料がそこまで多く無いが、侵入を防ぐ事は出来るだろう。
私は優しいから金貨一枚で結界作業を請け負う事にしたのだ。
材料費、施工合わせて十万円ぐらいなら安いものでしょう。
「パーディン様がいなければ、そこの領主様に渡しておいて下さい」
そうすればパーディンが何かしてくれるだろう。
面倒だから甜菜糖の作り方を売ろうか。
それなら街も甘味で溢れる。
そう考えながらも結界を張っていくと、目の前に知っている植物が目に入った。
「あ、ソバだ」
蕎麦の原材料である、タデ科ソバ属の一年草。殻に覆われた実がなっている。
「あの、これは
姫様の認識は雑草扱い。
食べられるとは思っていないようだ。
「確かに花の香りは良くないでしょうが、これは食べられますよ」
花の匂い……臭いは肥溜めやら肥料やら酷い例えはあるが、これはソバが一個体で受粉出来ないため、蜂でも
花粉を運ぶ虫を選ばないからこそ、
「蕎麦?蕎麦だって!?」
横で聞いていたのか勇者様が話に割り込んで来た。
「勇者様、知っているのですか?」
姫様も驚いているようだが、日本人なら知っていよう。
ついでに「ソバ」は植物を指し、「蕎麦」は麺を指す。
「僕は結構食べていたよ。蕎麦があるなら食糧の問題は良くなるね。すぐ粉にしよう」
「粉?食糧難だと言っていたのに粉にするなんて勿体ないですよ。粉にして食べられる地域もあるようですが、効率が悪いですね」
勇者様は蕎麦にしようとしていたのだろうか。
いや、作ってもつゆはどうするんだろうか。蕎麦単体で食べ続けるのは厳しいだろうに。
製粉するには国の強さが必要だ。技術力と民が食っていけるほどの強さが。
粉にすれば少なからずロスが発生する。
その積み重なるロスでどれほどの民が飢えをしのげるか。
そう考えるとティマイオスはパン屋があった。それほどの力があるわけだ。
「この国は……控えめに言って製粉やっている余裕はありません。とりあえずカーシャにして食べるのが良いでしょう」
カーシャはロシアなどで食べられるお粥だ。
ソバ粥……みたいな感じだ。
「では、国民の皆様にソバを収穫してもらいましょう」
もう少し時期が早ければ多くの実を収穫出来たのだろうが仕方がない。無いよりはマシだ。
『お嬢様、私も食べてみたいのですが』
腹ペコ精霊さんが食いついた。
「では、種をいくつか貰って家で育てましょう。ガレットなんかも作れると良いですね」
ソバは湿潤環境に弱いので、それさえ気を付ければ多少なりとも育てられるだろう。
花は臭いので、出来るだけ家より離して育てようか。
ソバの蜂蜜は鉄分補給に良いとも言う。
養蜂か。それは面倒なので、この国に情報を売ろう。
そして蜂蜜だけ手に入れる算段をしようじゃないか。
◆
ソバの実の収穫は勇者様と民に任せ、私は結界を張り終えた。
試しに外から風亜竜の遺体を投げたら障壁に拒まれた。
「心より感謝申し上げます」
姫様が深々と頭を下げた。
しっかりしている子だ。勇者様が足を引っ張る事なければ国を立て直す事が出来るだろう。
「それでは、ゆきます。天翔ける光と共に汝の肉体を異空へと飛ばせ。【転移門】」
目の前に光の輪が出現した。
勇者様がやったものと同じだろう。
行先はティマイオス。
「さて、帰りましょうか」
『はい』
シルキーさんが先行し、光の輪をくぐる。
陽が落ち、暗くなったにもかかわらず、明るく喧騒溢れるティマイオスが目の前にあった。
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