第46話 色仕掛け

 仲間が捕らえられてから数日経った。

 レティリエは、逃げ口を探す為に毎日屋敷の中を歩き回っていた。マダムに報告する為に仲間の様子をうかがうフリをしていれば、地下をうろついていても怪しまれない。

 先日の一件以来、檻がある部屋では常に香が焚かれるようになっていた。どの植物が狼に効くかがわからない為、マダムは片っ端から様々な薬を調合させて投薬することにしたようだ。檻の周辺からは常にむわっとした甘ったる匂いが漂い、鼻の良い狼達は匂いにあてられてぐったりしていた。

 一刻も早く彼らをここから逃がさなければ。レティリエは必死になって屋敷を歩き回った。


 逃げ口はアッサリと見つかった。

 ある晩、レティリエが地下を歩いていると、メイドの一人とすれ違った。最近ずっと地下をうろついている狼の存在に慣れたのか、メイドはレティリエを気にもとめず素通りをしていく。何とはなしにメイドが行く先を見ていると、彼女がある地点で忽然と消えた。


(……!!)


 慌ててメイドが消えた辺りに駆け寄り、周囲を調べる。暗がりの中を目を凝らして見ると、使用人の部屋と部屋の隙間に通路があるのが見てとれた。

 人ひとりくらいが通れる程の狭い通路だ。

 レティリエは臆せず通路の奥へと歩を進める。灯りは無かったが、メイドが持つランプの灯りが遥か先でチラチラと揺れ動くのが見えた。気づかれない様にそっと後をつける。

 ある地点まで進むと、カンテラの灯りがゆらゆらと動きながら上にあがっていき、フッと消えた。灯りが消えたあたりまで近づいてみると、薄暗い通路の先に階段があった。足音を立てないように階段を登り、突き当たりの扉を開く。


(ここは……!!)


 扉の先に広がるのは月明かりに照らされた屋敷の庭園だった。遠くの方で、カンテラの灯りがチラチラと動いているのも見える。

 今しがたレティリエが通ってきた通路は、使用人の為のものだったのだ。来客がある時や、夜遅くに動くときに主人を起こすことの無いよう、地下から地上にあがる為の通路が設けてあるのだ。

 レティリエは扉を閉めると、そっと踵を返した。

 檻から出てしまえば、外に出るのは簡単だ。屋敷を守る鋼鉄の柵や門も、内側なら容易く開けられる。問題は、どうやってマダムに気付かれずに仲間を檻から逃がすかだ。

 マダムの動きを止めるには……外部の力を借りるしかない。レティリエは部屋に戻ると、策を練り始めた。



 季節が冬に変わり、冷たい風が吹きすさぶある日のこと。レティリエはマダムに呼ばれ、コーマックに会う為の準備をするように言いつけられた。


「支援を正式に申し出てくださったとは言え、下手を打てばいつ支援を断られてもおかしくないわ。失礼の無いように支度なさい」

「はい、奥様」


 頭を下げながらも、内心ではチャンスだと思った。コーマックはレティリエを気に入っている。これを利用しない手は無い。

 レティリエは部屋に戻ると、メイドに頼んで一番派手なドレスを用意してもらった。フリルたっぷりで華やかだが、ネックラインが深く、肩までたっぷりと肌を露出させることができる。少し恥ずかしいが、胸元も大きく開いているのも好都合だ。化粧もいつもよりしっかりしてもらい、唇には真っ赤な紅をひいた。


 約束の刻限が近づくと、レティリエは屋敷の外に出た。いつもは屋敷の中で客人を出迎えるのだが、今日に限っては別だ。門の所でコーマックを待っていると、やがてカラカラと音がして、立派な意匠を凝らした馬車が現れた。


「旦那様、ようこそお越しくださいました」


 コーマックが馬車から降り、門の中へ入ると同時に駆け寄って挨拶をする。

 コーマックは顔を綻ばせながらレティリエの頭を撫でた。


「ほう、今日はここまで出迎えてくれたのか」

「ええ、私、旦那様に早くお会いしたかったのです」

「私に会いたいだと? お前は可愛いやつだな」


 レティリエがにっこりと笑顔を作ると、コーマックは相好を崩した。彼を懐柔する為には、二人きりで話をする時間が必要だ。レティリエはコーマックに近づき、その手を取った。


「ねえ旦那様、私、あなたにお願いがあるのです」

「お願いだと? なんだ、言ってみろ」

「でも、ここは人目があるわ。どこかに二人だけで話せる場所は無いかしら……」


 わざとらしく困った顔をすると、コーマックは少し考える素振りをした後、ふっと笑った。


「人払いが必要なのだな? わかった。私に任せておけ」

「まぁ! 何か策があるのですか?」

「なに、厳しい社交界を渡り歩くには賢くなる必要があるからな。人を操るなどたやすいことだ」


 コーマックが余裕たっぷりに頷く。そうこうしている間に屋敷に到着し、レティリエはコーマックから離れた。

 

 客間に通されたコーマックは、マダムと談笑を始めた。だが、先程気を持たせておいたのが効を奏したのか、コーマックはレティリエのことが気になる様子で、チラチラと視線を送っていた。その視線に気がつかないふりをしながら両手を膝の上において行儀よく待つ。

 話が盛り上がってきたタイミングで、コーマックが自分の側仕えを呼んだ。


「マダム、あなたの商売はとても順調のようですな。ここはひとつ、追加の融資をさせて頂こう」


 コーマックの言葉にマダムがパッと破顔する。


「まぁ! それは大変ありがたい話ですわ! ご支援に感謝いたします」

「では、書類にサインを」


 側仕えの者が渡す書類を受け取り、コーマックがペンをとる。だが、勢いよくインク壺からペンを引き抜いたが為に、ペン先からインクが飛び散り、書類をおさえていたマダムの服の袖に小さな染みがついた。


「おお、これは大変申し訳ない。ご婦人のお召し物を汚してしまうとは、私も年をとったものだ」

「これくらい大したことありませんわ」


 追加融資に比べれば服の染みなぞ気にもならないわというようにマダムが笑みを返す。だが、やはり客人の前で汚れた服を着るのは気が引けるのか、マダムは辞去の言葉を述べると着替えの為に席をたった。

 マダムが部屋から去ると、コーマックがレティリエに向き直る。


「さぁ、私に三文芝居を打たせてまでお前が望むことはなんだね?」


 鮮やかな人払いに、レティリエは内心で舌をまく。数々の苦難を渡り歩き、財を築いたコーマックにとってこれくらいの工作は造作もないようだ。

 だが、彼のおかげで時間は造ることができた。レティリエはコーマックの隣に座ると、しなだれかかるように身を寄せた。


「実は私、旦那様のことが好きになってしまったの。でも、奥様は私が旦那様のもとに侍ることを許してくださらなくて……」


 瞳をうるうるとさせながらコーマックの顔を見上げる。コーマックがレティリエのことを気に入っているのは一目瞭然だ。だからこそ、レティリエは自分から仕掛けることにしたのだ。


「そうだな……マダムはああ見えてやり手だからな。需要の高いものを使うタイミングを心得ている。私が直接申しても許されはしないだろうな」

「ええ、そうなの。でも、夜会などでは奥様もお疲れになると少しの間ご自分の部屋に下がることもあるわ。その時に奥様が深い眠りについていたら、わたくし、あなたと二人だけの時間を過ごすことができるのに……どこかに人の眠気を誘う薬などは無いのかしら」


 わざとらしくため息をつきながら、チラッとコーマックを見る。以前人間に捕まった時に何度も薬を打たれ、その度に深い眠りについていたことから、強制的に人を眠らせる薬があるということは確信していた。

 案の定、コーマックはレティリエの言葉を聞くと力強く頷いた。


「なるほど、睡眠薬か。それならば私が調達してこよう」

「まぁ! 本当ですか? でしたら私はその薬をいれたお菓子を焼きますわ。今度旦那様が来てくださる時にそれを奥様に食べて頂ければ、私は旦那様と二人きりになれるのね」


 にこやかに笑いながら手を叩くと、コーマックは笑いながらレティリエの肩を抱いた。


「まったく、どこで覚えたのか……いけないことを考えるね」


 ニヤリと笑うコーマックに、レティリエも妖艶な笑みで返した。

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