第44話 敵を欺くには味方から

 胸騒ぎがして目が覚めた。ベッドから身を起こすと、汗をびっしょりかいていた。レティリエは着替えをしようと、ベッドからそっと起き上がる。なんとなく外が気になり……部屋を微かに照らす月光に誘われる様に窓際に近付いて行った。

 外を覗くと、屋敷の門の所に馬車が停まっているのが見えた。幌がかかった大きな荷物を大勢の男達が運び込んでいる。その荷を見た瞬間、レティリエの胸にゾワッと恐怖が生じた。自分はこの荷の中身を知らないはずなのだが、同時に確信めいたものを感じていた。

 その時、コンコンと部屋をノックする音がして、レティリエはビクッと肩を震わせる。そっと扉を開けると、そこにはいかめしい顔をしたメイドが立っていた。


「奥様がお呼びです。至急来るようにと」

「わかりました。あの……一体何のご用でしょうか……」

「狼達が来たようです。あなたの協力も必要とのことです」


 やはりそうか。レティリエは背筋が冷たくなるのを感じた。慌てて着替えを済まし、メイドに連れられて部屋を出る。


 メイドに案内されたのは地下通路だった。地下は使用人達の住まいになっているようで、通路に沿って沢山の部屋が連なっており、大勢の使用人が行ったり来たりしていた。

 前を行くメイドが足をとめた。目の前には重厚な扉がそびえ立っている。レティリエは震えながら中に入った。

 まず最初に飛び込んできたのは、恨めしく唸る狼たちの声だ。苦痛と怒りに染まったその声がレティリエの耳に響く。元は倉庫か何かだったであろうその部屋は、最低限の明かりしかなく、薄暗い場所だった。奥に近づくにつれ、うなり声は大きくなり、その先でレティリエは恐ろしい光景を目の当たりにした。


 部屋の奥には、堅牢な檻があった。天井から伸びる鉄格子が端から端まで連なっており、二十匹ほどの狼がまとめて放り込まれていた。皆瞳に怒りと嫌悪の光を灯しながら闇を睨み付けている。

 レティリエは愕然としながら檻に近づいていった。恨めしい声をあげていた狼達が、レティリエの姿を見てハッとする。


「レティリエ! お前……無事だったのか!」


 誰かの声が響いた。その声を皮切りに、皆一様に口を開き始める。


「教えてくれ! ここはどこなんだ? 俺達、急に連れてこられたんだ!」

「あんたはなんでここにいるの?! 一体何が起こってるのよ?!」

「俺達殺されるのか?! まだ死にたくないよ!」


 狼達の声が響き渡る。レティリエはよろよろと檻へ近づき、鉄格子を両手で掴んだ。仲間の狼を慰めようと口を開いた時だった。


「レティリエ」


 懐かしい声がした。聞きなれた低く優しい声。振り向かなくとも誰なのかわかった。

 見ると、レティリエが立っている場所のすぐ近くに、グレイルがあぐらをかいて座っていた。奥の方には、ローウェンやレベッカもいる。もちろん仲間が苦しんでいる姿を見るのは辛い。だが、それが顔見知りであったことにレティリエはショックを受けていた。


「皆……そんな、こんなことって……」


 絞り出すようにして声を出す。家畜の様に一所に詰め込まれている仲間の辛さを思うと胸が締め付けられるようだった。

 グレイルは手を伸ばすと、鉄格子を掴むレティリエの手にそっと触れた。


「レティリエ、俺達は無事だ。だが、このままではどうなるかわからない。逃げるにはお前の協力が必要だ……協力してくれるか?」


 当然そのつもりよ。心の中で呟きながらグレイルの言葉に力強くうなずく。それを見て、グレイルが微かに微笑んだ。


「……もちろん、お前も一緒にな」


 グレイルの言葉にレティリエの耳がピクッと動いた。目の前のグレイルを見つめるレティリエの瞳に不安の色が宿る。

 一緒に行こうと言ってくれたことはとても嬉しい。だが、自分は一度村を去った身だ。

 逡巡するようにうつむくと、グレイルが触れていた手をぎゅっと握ってくれた。彼の大きな手を通じて温かい気持ちが流れ込んでくる。


(ああ、あなたはいつも私のことを大切に想ってくれるのね……)


 心の中でグレイルに感謝をする。もう一度皆と一緒に暮らすことは無理かもしれない。だが、例えたった一人で生きていくことになったとしても、ここでマダムの人形として自分自身を殺しながら朽ち果てるよりかはよっぽどいい。レティリエは顔をあげると、まっすぐにグレイルを見た。

 ええ、わかったわ。そう言おうとした時だった。


「レティリエ、旧知の仲間との再会は済んだかしら?」


 カツカツというヒールの音と共にマダムが現れた。後ろにはギャスパーもいる。この辛気くさい空間には不釣り合いな程きらびやかなドレスを纏ったマダムの姿が、レティリエの目には不気味に映った。


「は、はい、奥様……」

「奥様?」


 震えながら返事をすると、檻の中から鋭い声が飛んだ。立ち上がった黒髪の女性が目を吊り上げながらレティリエを見ている。ナタリアだ。


「レティ、奥様ってどういうことなの? この人達はあなたの何なの?」

「あら、レティリエ、知り合いがいたのね?」


 間髪入れずにマダムの声が飛ぶ。その目は冷ややかにレティリエを見ていた。後ろに控えていたギャスパーがマダムの側に近寄る。


「恐れながら奥様。今しがた彼女と話していたあの黒い雄の狼も、以前屋敷の前で見たものです。彼女と相当仲が良いようで」

「あら、そうなの。一体何を話していたのかしらね」


 マダムが鋭い視線を寄越す。彼女は、レティリエが狼の方に味方をするのではないかと疑っているのだ。コーマックの件でマダムの信頼を勝ち取ったとは言え、まだ完全には信用されていないということだ。レティリエの背中に冷たいものが流れる。

 皆を逃がす為には、今ここでマダムに疑われることは禁物だ。レティリエはきゅっと口を結ぶと、覚悟を決めた。


(皆……ごめんね……)


 心の中で呟くと、レティリエはドレスの裾を翻しながら檻から離れ、マダムの側に立った。


「あら、見てわからない? 奥様は私の今のご主人様なの」


 檻の中を見下ろしながら優雅に微笑む。くすくすと笑うレティリエを見て、ナタリアの顔がさっと青ざめた。


「どうして?! レティ、私達友達だよね? あなたは私達よりも、人間の方に味方するっていうの?!」

「だって、あなた方は私のことを仲間だと思っていないでしょう? 今さら助けてだなんて虫のいい話よ」


 ナタリアの顔が強ばる。自分のことを慕ってくれるナタリアの心を踏みにじるのは物凄く辛い。つと視線をそらすと、口元に笑みを浮かべているマダムの顔が目に入った。

 もう一押しだ。ここで完璧にマダムに信用してもらうしかない。レティリエはぐっと右手を握りしめ、檻の前でドレスの裾を持ち上げた。


「見て。このお洋服、とっても素敵でしょう? 私はね、ここではとても大事に扱ってもらえるのよ。皆ね、可愛いね、素敵だねって言ってくれるの。狼の村にいた時とは大違いなのよ」


 言いながら心が締め付けられていくのを感じる。涙がこぼれおちそうになるのを、手を強く握りしめることでなんとか堪えた。


「皆、私が村にいた時になんて言ってたか覚えてる? 役立たず、出来損ない。そんなことを言われていたのに、どうして皆に協力しなくちゃいけないの? 私はね、可愛がってくださる奥様に協力するわ」

「よく言ったわ! さすが私の可愛い狼ね!」


 一息に言い切ると、マダムがパチパチと大きく拍手をした。レティリエに近づき、その頭を優しく撫でる。うつむきながらも、檻の中の狼の視線がどんどん冷たくなっていくのがわかった。


「あんた、見損なったわ」


 ナタリアが無機質な声で言った。その言葉に、レティリエの心が激しく痛む。


「私は……私は、あんたのその、どんなに辛くても自分をしっかりと持ってる所が好きだったのに。人間に飼われて、狼としての矜持を失ったのね」


 ナタリアがくるりと背を向ける。他の狼達も鋭い眼光でレティリエを睨み付けていた。


「お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか?! この恥さらしめ!」

「仲間を見捨てるとは、お前はやっぱり狼として出来損ないだったんだな!」

「お前なんかもう俺達の仲間じゃない!」


 狼達が口々にレティリエを罵る。自分から仕掛けたこととは言え、仲間の辛辣な言葉は深く心を傷つける。言葉が紡がれていくにつれ、心が死んでいくのを感じた。うつむきながら、歯を喰いしばって耐える。


「あら、あなた本当に仲間から嫌われてたのね」


 マダムが意外そうな顔で呟いた。やはりレティリエの言葉を半信半疑で聞いていたようだ。だが、今の狼達とのやり取りで、少なくともレティリエが仲間達からあまり良い印象を持たれていないということは信じたようだ。

 マダムは満足そうに微笑むと、レティリエの両肩にそっと手を置いた。


「可哀想なレティリエ。でも私がずっと側にいてあげるわ。さ、今からこの中の誰かと子供を作るのよ。そうしたらもう一人ぼっちにはならないわ」

「い、今から……でしょうか……もう夜も遅いですし、彼らも長旅で疲れているかと……」

「あら、あなたはこの子達が夜会にでも来たと思ってるの? 家畜にそんな気遣いなんていらないわよ。さあ、どの子にする?」


 マダムが嬉々として檻を指差す。檻の中の狼達の顔がみるみるうちに怒りで染まっていった。


「子供を生ませる?! 家畜?! 俺達を何だと思ってる!」

「侮辱するのも大概にしろ!」

「お前らの企みになんか屈しないからな!」


 狼達が一斉に怒声を発する。皆の嫌悪の視線に耐えきれず、思わず視線を下に向けると、レティリエを見つめるグレイルと視線が合った。

 彼は先程から一言も声を発していない。ただ黙ってずっとレティリエのことを見ていた。その瞳はいつもと同じように力強く、自分を信じていることが伝わった。

 皆を逃がそうとしていることを伝えるには、きっと彼が最適だ。


「私、この人がいいです……」


 震えながらグレイルを指す。マダムの側に控えているギャスパーが、ピクリと眉を持ち上げてレティリエを見た。

 ほう、やっぱりそいつを選ぶのか、ギャスパーの疑いの眼差しがそう言っている。


「あの……私の好きな人……なんです……」


 疑いの目を反らそうとか細い声で呟いた。皆の前で言ってしまったことに羞恥で泣きそうになる。

 誰にも選ばれないような弱い雌が、よりにもよって将来を期待されているグレイルに懸想しているなんて、身の程知らずと笑われても仕方がない。だからこそ、ずっと誰にもバレないように胸のうちにしまってきたはずなのに。

 案の定、今の発言で狼達の視線に軽蔑の色が加わった。端から見れば、本来なら結ばれることのない男を立場を利用して選んでいるも同然だ。レティリエの言葉を聞いて、マダムが目を輝かせた。


「まぁまぁまぁ! やっぱり最初の相手は好きな人とじゃないとね。いいわ、そいつを連れ出して」


 マダムの言葉に、控えていた使用人達が動き出す。マダムから鍵束を手渡された使用人が檻へ近づき、檻の鍵を選び始める。束になった複数の鍵がじゃらじゃらと耳障りな音を立てるのを聞き、レティリエはハッとした。


「あの、ちょっと待ってください」


 使用人が鍵穴に差し込もうとした瞬間に引き留めると、彼は怪訝そうに振り返った。


「あの……鍵は私が開けても良いでしょうか? もしかすると激昂した彼が襲いかかってくるかもしれませんが、私なら大丈夫でしょう」


 レティリエの言葉を聞き、使用人がチラと視線を檻へ投げる。だが、檻の中から自分を睨み付ける鋭い金色の目に恐怖を感じたのか、使用人があわてて鍵をレティリエに渡した。

 レティリエはその鍵をじっと見つめる。おそらく、マダムからそれほど信用されていない自分が檻の鍵を間近で見るのはこれが最初で最後だろう。

 レティリエはつぶさに観察して鍵の形状を記憶すると、鍵穴に差し込んだ。鈍い音と共に扉が開き、グレイルが檻から出される。万が一狼が暴れた時の為に、矢や短刀を持っている者もいた。

 檻から出されたグレイルが、使用人達に囲まれながら連れていかれ、レティリエもマダムに背中を押されながらあとに続いた。

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