第43話 村の襲撃
「……やっとできたな! グレイル」
「ああ、なかなか骨の折れる仕事だったな」
グレイルとテオは泥だらけの顔を腕でぬぐいながら目の前に建つ真新しい家を見上げた。
狼の森にひっそりと佇む小さな木造の家は、陽の光を存分に浴びてキラキラと輝いていた。レティリエを早急に救いだす為にも、グレイルも慣れないながら作業に携わっていた。ドワーフの集落で炭鉱の手伝いをしていたことも効を奏して、なんとか完成にこぎつけたのだ。
「テオ、ありがとう。これでやっとレティを迎えに行けるよ」
「これくらいなんともないさ。まぁ、俺はお前の考え方に賛同しかねる部分はあるけどな。こうやって村から離れた場所に二人で住むとしても、根本的解決にはならないわけだし」
「……それは十分承知してるさ」
テオの意見は最もだ。今さら帰ってきた所で、レティリエが村人に受け入れられずはずもない。むしろ、仲間の為にその身を引き換えにしたはずなのに、のこのこと帰ってきたと後ろ指をさされる可能性すらある。
だが、グレイルは一刻も早くあそこからレティリエを連れ出してやりたかった。
ヤマモモの木の下で孤独に泣く彼女の姿が目に焼き付いて離れない。それに、自己主張をしない彼女が思わず口をついて出た、一緒に行きたいという本音を聞いてしまったからにはもう後戻りはできなかった。
本当は村を出て二人だけで生きていくことも考えてはいるのだが、自分が故郷を捨てることはかえって彼女を悲しませることになる。最低限の責務を果たすことは、グレイルにとっても最大限の譲歩だった。
グレイルはぐっと口を結ぶと、固く拳を握った。自分は今夜、何としてでも彼女を連れ出し、この家に迎えるのだ。自分を鼓舞しようと思って目の前の建物を見つめるが……なんとなくその装飾に目が吸い寄せられた。
テオが作ってくれた木造の家は、外壁が白く塗られ、屋根は赤で彩られている。一見派手だが、扉と窓枠が深緑で装飾されている為、落ち着いた雰囲気になるように計算されていた。家の周囲には色とりどりの花が植えられていて、小さな家を華やかに飾っている。
「テオ、なんだか随分外観にこだわりを持って作ったんだな。うまく言えないが……なんとなく可愛らしいというか……」
「おっ気付いたか? あの子が好きそうな感じだろ?」
テオが得意気に胸を叩いた。グレイルの胸中に温かいものが溢れる。なんだかんだ言いながらも、テオは自分とレティリエのことを応援してくれているのだ。
グレイルの視線に気づき、テオが恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。
「お前がそんだけ一途に想ってるのを見ちゃ、こっちもほだされちまうさ。お前らは多分……その、皆からあんまり良い目で見られないだろ? せめて家くらいは楽しく過ごせる空間になればいいと思ってさ」
「ありがとう、テオ。恩に着るよ」
グレイルが頭を下げると、テオは嬉しそうに微笑んだ。
だが、温かな光に包まれた和やかな空間は、一匹の狼が飛び込んできたことで一変した。
「グレイル! 大変だ! 早く来てくれ!」
血相をかえてやってきたのは、ローウェンだった。狼の姿のままで走ってくるとは、よほどのことに違いない。
「どうした?! 何があった?」
「人間だ! 人間がやってきて、仲間が数人捕まった!」
人間、と聞きグレイルとテオの顔が青ざめる。
「わかった。すぐに行く」
テオに増援を頼むよう伝えると、グレイルも狼の姿になってローウェンの後を追った。
ローウェンについて走り続けていくと、村から少し離れた狩り場に着いた。
木の影に身を隠しながら二人でそっと近づく。ローウェンが鼻先でしめす方を見ると、大きな鉄の檻が備え付けられた荷馬車が停まっていた。檻の中にはぐったりして動かない仲間の狼が捕らえられており、馬車の周囲を一人の人間が守っていた。
「なんだ?! これは一体どういうことだ?!」
グレイルが怒りで毛を逆立てながら唸る。ローウェンも憤怒の目で馬車を睨み付けていた。
「俺も呼ばれた側だから詳細は把握してないんだが……西側の群れがここで狩りをしていたら、突然地面に大穴があいて数人が落ちたらしい。助け出そうとしたら、人間が大勢出てきて吹き矢で穴の中の狼を次々仕留めていったんだ。奴等の目的はわからない」
ローウェンの話をまとめると、西側の群れの狼達が狩りの最中に仕掛けられた罠にかかり、増援にきたローウェン達の群れも事態がわからず困惑しているということだった。
じっと様子を伺っていると、別の人間が黒い狼を引きずってやってきた。そのまま荷馬車の檻を開け、中に放り込む。ぐったりとして動かない狼を見て、グレイルの背中が冷たくなる。
「おい、あれはナタリアか?!」
「ああ。くそっ一体何がどうなってやがる」
ローウェンが牙を剥き出しにして歯を食いしばる。
すると、一匹の灰色の狼が木の影から飛び出してきた。クルスだ。クルスはナタリアの名前を叫びながら馬車に向かって跳躍する。強行突破をするつもりなのか、ナタリアを連れてきた人間に躍りかかろうとした瞬間、馬車の側に控えていた人間がクルスに向かって矢を放った。
グレイルとローウェンがヒュッと息をのむ。クルスは間一髪で矢を交わしたが、それ以上馬車に近づくことはできない様子だった。馬車から距離をとったクルスが矢をつがえる人間と激しく睨み合う。
張りつめた時間が過ぎ……クルスが地面にどさりと倒れた。
「!!!」
グレイルが思わず立ち上がり、ローウェンが慌ててその尻尾を咥えて制止する。
「待て。もう一人いる」
見ると、森の奥からまた別の人間が吹き矢を持って現れた。
「大丈夫だったか? もう少しで狼に襲われる所だったな」
「ああ、助かったよ。やっぱりこの睡眠薬は性能が良いな。こんな高価な薬を好き放題使っていいとは、ドミエール夫人の財力恐るべし、だな」
人間達が話す声が風に乗って聞こえる。睡眠薬と言うからには、クルスも、檻に捕まっている狼も眠らされているだけで死んではいないのだろう。
だが、生きたまま狼を捕まえる理由がグレイル達にはわからなかった。今すぐにでも仲間を助けたい所だが、闇雲に出ていってもクルスの二の舞になるだけだ。二人はじっと隠れながら様子を伺う。
「おっこいつは雄か。そういやさっき捕まえた黒いのは雌だったな。繁殖目的なら雌は逃がすか?」
「あー……そうだな。ギャスパー様はなんて言ってたかな」
一人が思案顔で呟く。その時、木の枝を踏む音がして何者かが近づいてくる気配がした。
「雌も捕らえろ、そう伝えたはずだが」
「ギャスパー様! も、申し訳ございません!」
森の奥から現れた中年の男性を見て、グレイルは息を飲んだ。奴は以前、レティリエがいる屋敷の門の前で彼女と一緒にいた男だ。彼女のショールを無理やり剥ぎ取って、心無い言葉を浴びせたことをグレイルは忘れていなかった。と言うことは、この事態にレティリエが関係している可能性がある。
「美しい獣を繁殖させるには何世代かに渡って交配を行う必要がある。血を濃くさせすぎない為にも、あの雌狼以外にも子を生ませなければならん」
ギャスパーが不敵に笑う。グレイルが怒りに駆られて飛び出そうとしたその時だった。
木の影から数匹の狼が飛び出してきた。先頭を切る赤い狼はレベッカだ。隣にいるローウェンが愕然としているのが伝わってくる。だが、突然現れた狼達に驚きもせず、ギャスパーは彼らを一瞥しただけだった。
「なるべく捕らえろ。だが、歯向かう狼は容赦なく殺せ」
ギャスパーの言葉に、人間達が頷いて矢を構える。レベッカの時の声と共に、狼達が一斉に人間達に飛びかかった。
だが、その奇襲は失敗に終わった。
レベッカ達が一歩を踏み出した瞬間に地面が崩れ、狼達がみるみるうちに地中に吸い込まれていく。狼達がいた所には巨大な穴がぽっかりと口を開けていた。
「ふん、やはりな。仲間意識の強いお前達が真っ向から挑んでくるのはわかっていた。ならば檻の前に罠を仕掛けておくのは当然だろう」
「ギャスパー様、さすがでございます!」
「すぐに睡眠薬で眠らせろ。狼の数はこれくらいで十分だろう。こいつらを捕らえたらすぐに奥様の元へ戻るぞ」
ギャスパーの言葉に、人間達が穴の側に座り、吹き矢で次々と狼達に睡眠薬を打ち込んでいく。
これ以上は無理だ。それに自分達の堪忍袋の緒も限界を迎えていた。仲間が連れ去られる危機を察知したグレイルとローウェンは木の影から飛び出し、人間達の前に躍り出た。ギャスパーが振り向き、二人を鋭い眼光で捉える。
今目の前にいる人間は、ギャスパーを合わせて四人だ。この人数ならばローウェンと二人でなんとか交戦できるとグレイルが思った矢先だった。
「ギャスパー様、あちらの穴に落ちた狼は全て運び終わりました」
カラカラと音がして、檻が備え付けられた荷馬車がもう一台現れた。その後を、ぞろぞろと大勢の人間がついてくる。その数は思っていたよりも多く、数十人程だ。人間達の口ぶりから、仕掛けられた罠は他にもあるのだろう。
これだけの大穴を掘るには人手が必要だとは思っていたが、その人数は二人の予想を遥かに越えていた。さすがにこれだけの人数を相手にするのは不可能だ。グレイルの背中に冷たいものが流れた。
「おや、お前は、あの時の狼か?」
ギャスパーがグレイルを見て眉をひそめる。
「ギャスパー様、この狼を見たことがあるのですか?」
「ああ。以前、奥様の狼が拐かされそうになった時に、門の前でうろついていた狼だ。腹に傷がある。ほう、なるほどな……」
ギャスパーが薄く笑った。
「そこの黒い狼よ。我々に大人しくついてくるなら命は生かしてやろう。だが、歯向かうなら今ここで二匹とも殺す。さぁどうする?」
グレイルがギリッと歯噛みする。膠着状態が続く中、大勢の人間が穴の中に落ちた狼を次々と引き上げていく。くったりと動かない赤い狼が檻の中に入れられ、隣のローウェンの毛が逆立つのを感じた。
「グレイル! こんなやつの言うことなんか聞くな! 俺達ならやれる!」
ローウェンが吠えた。だが、この状況はどう考えても多勢に無勢だ。あっという間に矢で射殺されて終わりだろう。彼は珍しく冷静さを欠いているようだった。
グレイルは目の前の人間達を睨み付けた。奴等に屈するのは屈辱だが、今の自分達にはどうすることもできないこともわかっていた。
「……わかった。言うことに従う」
「グレイル!」
ローウェンが怒りを伴った目でグレイルを睨み付けた。だが、一度あの鉄壁の守りを誇る屋敷に仲間が連れ去られてしまえば、外から助けに行くのはほぼ不可能だ。
グレイルは、内側に潜り込んで脱出の糸口を見つける可能性に賭けた。俺を信じろ、そう目で告げるとローウェンは苦々しい顔をしながらも頷いた。
降参の印にその場に伏せて目を閉じる。目を閉じる瞬間に、人間の一人が吹き矢をこちらに構えるのが見えた。
微かな痛みを感じると共に、世界がひっくり返るような感覚が生じ、そのまま無になった。
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