第42話 コーマック氏

 そうやってレティリエはパーティーや夜会の度に積極的に客人の相手をした。相手の話を聞き、場合によっては「奥様はこのような品物も取り扱っています」とマダムの商売に繋がるような話もする。

 ご主人様の為に甲斐甲斐しく売り込みをする姿にほだされたのか、気前良く話に乗ってくれる客人も数人いた。ペットを存分に自慢できる上に、商売の利益にもなるとマダムは大喜びだった。

 レティリエ自身も、魅力的に見える仕草や化粧のコツなどを積極的に女性客に聞いていた。好きな人がいると言うと、大抵女性は同情しながらも親切に教えてくれる。レティリエはそうやって人間の価値観を学んでいった。


 ある日のことだ。今夜の夜会はジャック・ハーバーの屋敷で行われていた。ジャックの屋敷へは、初めて夜会に行った時以来だ。久しぶりに会うジャックは、相変わらずの爽やかな笑顔で出迎えてくれた。


「やあマリー、レティリエ、こんばんは。よく来てくれたね」

「こんばんは旦那様。お招き頂きありがとうございます」


 ドレスの裾を持ち上げて優雅にお辞儀をする。顔をあげてにっこりと笑顔を作ると、ジャックは一瞬戸惑った顔をした。


「この前とは随分印象が違うね。なんというか……すごく色っぽくなったよ。君を手にする人物が本気で羨ましくなるなぁ。マダムさえ許してくれるなら、僕は今すぐにでも君をさらって行きたいんだが」

「まぁご冗談を」


 ジャックの口説きにも余裕の笑みで交わす。数々の夜会のおかげで、だいぶあしらい方がわかってきた。マダムも満足そうに笑うと、持っていた扇子でジャックの肩を軽く叩いた。


「口説くのは勝手だけど不用意に触らないでちょうだいね。それで、今日は何かもうけ話はあるのかしら?」

「あ、あぁ、そうだ。君に話があるんだ。この前紹介したミスターコーマックの件なんだが、彼はあなたの商売の支援を検討しているらしい。だが、正式に支援をするかどうかは、まずあなたと一度話をしてからということだ。受けてくれるかい?」


 ジャックの話を聞き、マダムが顔をほころばせる。


「まぁ、それはありがたい話ね! うちでぜひともおもてなしをさせて頂くわ。ジャック、都合をつけてくれる?」

「もちろんさ。コーマック氏には僕から話をしておくよ」


 そう言うと、ジャックは手を振りながら去っていった。マダムは早速ギャスパーを呼びつけ、今の話を伝える。

 レティリエも側に控えながら、耳をピンと立てて会話を拾った。どうやら、コーマックという人物がマダムを気に入れば、商売の為に多額の支援をしてくれるらしい。マダムにとっては絶対に逃したくない大きな好機だ。同時に、レティリエにとってはマダムの信頼を確実に勝ち取るチャンスでもあった。


「奥様、そちらの件ですが、私にもお手伝いさせて頂けないでしょうか」


 頭を下げながら控えめに申し出る。ギャスパーと話をしていたマダムは、いぶかしげにこちらを見た。


「悪いけど、これはあなたに任せるには荷が重いわ。たかが獣にできることではないのよ、下がっていなさい」

「ですが奥様、私も最近はだいぶお客様との接し方がわかってまいりました。お世話になっている奥様の為に力になりたいのです。どうかお願いします」

「そうは言ってもねぇ……」


 マダムは考えるように頬に手をあてた。確かに最近、レティリエの活躍のおかげでマダムの評価はあがっている。自分だけしか持たないこの美しい獣を使いたいという気持ちもあった。

 逡巡するマダムに、レティリエはそっと耳打ちした。


「唯一無二の人狼がおもてなしをするのです。よそでは経験することができませんのよ。このまたとない機会を、先方がお喜びにならないはずがありません」


 その一言でマダムの腹は決まった。


「ええ、そこまで言うのであればわかったわ。ただし、先方に失礼なことをした場合、わかってるわね?」

「はい、お任せください」


 マダムが鋭い視線をよこす。レティリエは真っ向から受け止め、しっかりと頷いた。


 ジャックはすぐにコーマックと話をつけてくれた。

 日は飛ぶように過ぎ、あっという間に約束の期日になった。マダムは朝から大忙しで使用人達をあちこちに走らせ、屋敷中が慌ただしい雰囲気だった。

 レティリエはメイド達の邪魔にならないよう、すき間時間に厨房を貸してもらい、キイチゴのパイを焼く。味見程度で十分だろうと、一口サイズに成型した。採れたてのものではないし、果たして人間の味覚に合うのかという心配はあったが、重要なのは「噂のマダムの狼」を独り占めし、手厚い歓迎を受けたという事実が大事なのだ。金持ちは、お金では買えない物に価値を感じる傾向がある。レティリエはそこをつくつもりだった。

 

 パイを焼き終えると支度に入る。

 メイドが何着かのドレスを持って部屋に入ってくると、レティリエはその中でも、襟ぐりが大きく開いた、鎖骨回りが綺麗に見えるデザインのドレスを選んだ。座って給仕するのだから、上半身が美しく見える方が良い。髪も結ってもらって、全体的に大人っぽい雰囲気にしてもらった。

 最後に鏡の前に立ち、自分自身で紅をきゅっと引くとレティリエは部屋を後にした。


 いつもの広間ではなく、客間に向かう。

 豪奢な造りの部屋で、きらびやかな装飾が施されたソファと机が中央に置いてあった。正面はガラス張りで、美しい庭園が一望できる造りになっていた。部屋の豪華さからもマダムの本気が伝わってくる。レティリエはソファの近くに侍り、じっと待っていた。

 やがて話し声と足音が聞こえ、ギャスパーに連れられて初老の男性が入ってきた。マダムが立ち上がって挨拶をし、ソファに掛けるように伝える。


「旦那様、ようこそお越しくださいました。レティリエと申します」


 床から立ち上がり、優雅にお辞儀をする。アーノルド・コーマックは自身を出迎えてくれた美しい狼を見て目を細めた。


「ほほう、お前が例の狼だな。なるほど、これは確かに噂になるのもわかる美貌だ」

「まあ。お褒めに預かり光栄ですわ」


 コーマックの目を見ながら優雅に微笑む。彼がソファに腰かけるのを見届けると、レティリエも側に座り直した。

 マダムがコーマックと商談をしている間、レティリエは甲斐甲斐しく給仕をしていた。飲み物のおかわりをつぎ、煙草の灰皿を取り替える。男性客に煙草について教わっていて良かったとレティリエは内心で安堵のため息をついた。用が無い時は両手を膝の上に置いたまま静かに侍っていた。


「お前はよく気が利くな。マダムのしつけが良いのだろう」


 ある程度話の目処がついたのか、コーマックがレティリエに目を向けた。

 しゃべり通しだったから、喉が乾いただろうと水の入ったグラスを手渡すと、彼は笑みを浮かべながら受け取った。


「ええ、奥様はとても素敵なご主人様ですわ」


 にっこりと笑ってマダムにおべっかを使う。マダムも自尊心を満たされたのか、満足そうに微笑んでいた。


「はっはっは。これはこれはよくできた狼だ。どれ、その耳は本物かね?」


 コーマックが前屈みになって右手を伸ばす。レティリエがうつむくようにして頭を前に出すと、コーマックが頭を撫で、そのまま手を滑らせて銀色の髪をさらさらと流した。

 ちょうどその時、ノックの音がしてメイドが盆を提げて部屋に入ってきた。調度いいタイミングだ。レティリエはメイドから盆を受けとると、コーマックに向かって頭を下げた。


「旦那様、ご休憩の合間にお菓子はいかがですか? 僭越ながらわたくしがお作りさせていただきましたの」

「ほう、ではひとつ頂こうか」


 ええ、どうぞ。と笑って盆を差し出すと、コーマックは少し考えるような素振りを見せた。


「ふむ。その菓子を食うには手が汚れてしまいそうだな。ここはひとつ、お前さんが私に食べさせてくれないかね」


 穏やかな瞳の中に、ギラリと一瞬欲望の光が宿ったのをレティリエは見逃さなかった。


「ええ、もちろんですわ」


 にっこりと笑顔を作ると、盆から菓子をひとつつまみ、左手で皿を持つ。頭の中では女性客に教わった言葉が響いていた。


(意中の男性を落としたい時は、こうやって下から見上げるようにして相手の顔を見るのよ。大きな目を印象付けるように、じっと見つめるの)


 言われた通り、上目使いでコーマックの目を見る。視線がバッチリと合った瞬間に、そっと口に菓子を入れてやった。


「うむ、うまい。人間が作ったものと比べても劣らない味だな」

「お口に合いましたようで嬉しゅうございますわ」


 美味しいものを食べなれている金持ちの男の口に本気で合ったのかはわからない。だが、賛辞を受けたと言うことは、彼がレティリエを好意的に見ているということを意味していた。

 その後、マダムと話を再会した彼は、チラチラとレティリエに視線を送っていた。時折レティリエもコーマックの方を向き、視線が合う度ににっこりと微笑んで自分も好意がある素振りを見せてやった。

 二人は長いこと話し合っていたが、やっと目処がついたのか、コーマックがメイドを呼んで帰り支度をするよう申し付けた。


「ドミエール夫人、あなたの商売については良くわかった。私が支援をするかどうかは今一度よく考えてから返答しよう。今日は馳走になった」

「ええ、色好いお返事を期待していますわ」


 マダムも微笑んでコーマックと握手をする。最後の一押しをするなら今だ。レティリエはコーマックの足元にふわっと座ると、彼の手に自分の手を重ねた。


「旦那様、今日はお会いできて嬉しゅうございました。よろしければまた会いに来てくださいね」


 今日一番の笑顔を作ってコーマックの手を握る。そして彼は屋敷を去っていった。



 数日後、マダムが大慌てでレティリエの部屋に飛び込んできた。


「レティリエ! よくやったわ! コーマック様が正式に支援を申し出てくださったの!!」


 マダムは喜びを隠しきれない様子で、レティリエを抱き締めた。レティリエも顔を綻ばせながらマダムの背中に手をまわす。


「それはようございました。これで奥様の商売は安泰ですね」

「ええ! ええ! あなたのおかげだわ! これからもお付き合いをしていく為にも、定期的に我が家へ来て頂くことになったの。あなたのことも誉めていたわ」

「もったいないお言葉でございます、奥様」


 当然よ。頭を下げながら心の中で呟く。その為に慣れない色目遣いなども行ったのだから。そして交渉をするならマダムが上機嫌である今しかない。


「奥様、あの……わたくしお願い事があるのですが……」

「なにかしら? なんでもおっしゃいなさいな」


 大きく鼓動する心臓を抑えるように両手で胸を握りしめる。


「あの……これからは私も屋敷を自由に歩いてもよろしいでしょうか? その、今後もお客様の相手をするにあたって人間の社会のことを色々と知っておきたいのです……」


 ここで反対されたらまた一から次の手を考え直さなければならない。冷や汗をかきながらマダムを見つめるが、驚いたことにマダムはあっさりと頷いた。


「あら、そんなことでいいの? どうだっていいわよ、好きになさい」

「あ……ありがとうございます!」


 礼儀正しく頭を下げながら、内心では安堵のため息をついた。これで屋敷からの逃げ道を考えられる。いや、そもそもマダムがコーマックからの支援の喜びで狼のことを忘れているといいが……そんな淡い期待はマダムの「ああ、そうだわ」という言葉で容赦なくかきけされた。


「もうすぐ地下牢が完成するわ。でき次第、狼達を捕まえに行くわよ。あなたも協力なさい」


 マダムの言葉に心が凍りつく。地下牢を建設していたことも寝耳に水だ。きっとレティリエの知らない事実もたくさんあるのだろう。

 皆無事に逃げ切れますように……そう祈ることしかできない自分が歯がゆかった。


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