第41話 唯一の武器
翌日からマダムは狼の捕獲に向けて準備を始めた。
あちらこちらで騒々しく人が動き回っている気配がするが、部屋の中からでは状況を把握することができない。レティリエの胸は不安と焦燥感でいっぱいだった。
おそらくマダムは本気で狼の繁殖を行う気だ。潤沢な資金を持つ彼女の実行力を考えれば、狼達が捕まるのは時間の問題だろう。
ならば自分にできることはただひとつ。仲間がこちらに連れてこられる前に、彼らを逃がす為の布石をうっておくことだ。
レティリエは必死に考えた。少しでも使用人達の会話から情報を得ようと扉の側で聞き耳を立てるも、声がくぐもっていて聞こえない。
(まずはこの部屋から出られるようにならないといけないわね……)
そもそも、彼女は自分の意思で部屋の外に出ることは許されていない。マダム達の動きを知る為には、自由に屋敷の中を歩き回れるようになることが必要だ。
レティリエは部屋の扉を睨み付けながら瞳に決意を宿した。
夕方頃、メイドが仕度の為に入ってきた。今晩もまた夜会だ。いつもなら憂鬱な気分になる時間だが、今日のレティリエは違った。
「あの……この腰を締めるものは何の意味があるのでしょうか?」
例のごとく、メイドにコルセットで腰を締め上げられ、窮屈さを感じながらレティリエが問う。突然口を開いた狼に驚いたのか、メイドは眉をひそめながらレティリエを見上げた。
「こちらは腰を細く見せ、胸元を華やかに見せる為につけるものです」
「髪を結うのは何か意味があるのですか?」
「うなじや背中を美しく見せる為です」
「顔にお化粧をするのはなぜですか?」
「お召し物に合わせて顔の雰囲気を変えたり、よりお顔を艶やかに見せる為です」
次から次へと質問をぶつけることに戸惑いの表情を見せながらも、メイドは丁寧に答えてくれた。以前、マダムがメイドを解雇した一件で、使用人達はレティリエを無碍に扱えなくなったようだ。そのことに対して申し訳なさを感じつつも、今は好都合だ。
レティリエは今のやり取りを頭の中でまとめる。人間の女性がこうやってドレスや化粧で自身の体を装飾するのは、要するに女性として魅力的であることを周囲にアピールする為なのだ。
もちろん、狼の世界にも美醜の価値観はある。レティリエ自身もグレイルに会う時はいつも以上に身なりに気を使うし、彼の男らしい顔立ちや逞しい体つきに何度も胸をときめかせてきたのだから、異性の魅力というものは理解しているつもりだ。だが、狼が相手の容姿に異性として魅力を感じるのは、大抵相手に好ましい感情を抱いた後になる。狼はまず始めに心身に宿る強さに惹かれるからだ。
だからこそ、不特定多数の前で体を着飾る意味がレティリエにはわからなかった。
「あの……こうやって綺麗な格好をするのは、一体誰の為なのでしょうか……」
「誰の為ともうしますと……誰か一個人の為というより、あなたの場合は奥様のお客様を喜ばせる意味合いが大きいかと」
レティリエの質問の意図がわからず、メイドは完全に困惑していた。
「綺麗な格好をすると喜んでもらえるのですか?」
「そうですね……やはり女性は幼い頃に人形遊びを好むものですし、美しいものを見るのは好きだと思います。殿方は、その、なんと申しますか、やはり艶やかな女性を見るのはお好きでしょうね」
「人間の女性はこうやって男の方に喜んでもらうのが好きなのですか?」
「ええ……そうですね。特に女性は例え地位やお金を持たなくとも、美人というだけで素敵な殿方に見初められ、幸せになることもあります。だからこそ、皆こうやって自身の美しさを磨く努力をするのでしょうね」
「わかりました。教えてくださってありがとうございます」
ペコリと頭を下げてお礼を言うと、メイドは首を傾げながらも仕度を終えると部屋を出ていった。
レティリエはメイドを通して人間の価値観を学ぼうとしていた。どうやら、人間は狼と違って、容姿の美しさだけでも相手を魅了するらしい。言葉を選ばずに言うと、中身がどうあれその身が華やかであるということだけでも相手を惚れさせることができるというわけだ。
レティリエは鏡に写った自身の体をじっと見つめる。
これまでの人間達との関り合いの中で、自分が人間の世界において大きな価値があるということはよくわかった。女性は自分の理想や願望をレティリエに投影し、男性は欲望の捌け口として見ているわけだ。
だが、多くの人間が自分を手にいれようと思う限り、自分の身は交渉材料に使えるというわけだ。
現状、自分の武器は自分自身の体しかない。
ならば、存分に活用させてもらおうではないか。
レティリエはつばの広い飾り帽子の紐をあごの下でキュッと結び直すと、静かに部屋を出ていった。
今夜の夜会はマダムの家で開かれるものだ。広間の大扉を開くと、既に大勢の客人達が集まって談笑していた。マダムもにこやかに招待客と会話をしている。
レティリエは自分にあてがわれた丸いソファの上ではなく、男女の招待客が座っているソファの下に跪いた。
「旦那様、奥様、今宵はようこそお越しくださいました」
豪奢なドレスをふんわりと広げながら頭を下げる。礼儀正しく挨拶をするレティリエを見て、女性の客人が顔を綻ばせた。
「まぁあなた見てくださいな! なんてお利口さんなんでしょう。貴女が噂の狼さんね。聞いていた通り綺麗な子ねぇ」
「ほう、よく躾られているな。確かに耳と尻尾を除けば人間の女と比べても遜色ないな」
二人は恐らく夫婦なのだろう。ニコニコと話しかける二人に、レティリエも微笑みを返す。
「奥様のお召し物はとても素敵ですね。特にそちらのお帽子がよくお似合いでいらっしゃいます」
「まぁ、ありがとう。これはね、主人が結婚記念のお祝いに買ってくれたものなのよ。君は年をとっても赤がよく似合うねって言ってくれて……うふふ」
「こらこら、そんな恥ずかしい話をするもんじゃない」
女性が嬉しそうに帽子のつばに手をかける。男性の方も、妻に注意しつつも満更ではなさそうな顔をしていた。なかむつまじい夫婦のやり取りに、レティリエも自然と顔が綻ぶ。
「仲の良いご夫婦でいらっしゃるのですね。とても羨ましいです」
「あら、あなたももしかして好きな人がいるの?」
「え、ええ、その……故郷の方に」
レティリエの言葉に、女性が目を輝かせながら食い付く。女性は得てして恋の話が大好きだ。問われるままに狼の村での生活を話すと、男性も興味深そうに聞いていた。
ひとしきり話終えると、前のめりで聞いていた男性が、あごを撫でながらソファの背もたれに寄りかかった。
「なるほど、人狼の生活はそういうものなのか。いやぁ知らなかったなぁ、君の話は面白いよ」
「ええ、好いた人と離ればなれになってしまったなんて可哀想だわ。私、あなたのこと応援してるわね」
女性も瞳を潤ませながらレティリエの両手をぎゅっと握る。二人からの印象は悪くないようだ。そろそろ次の客人のもとへ行く頃合いだろう。
レティリエはにっこりと笑うと、丁重に挨拶をして次の客のもとへ行く。そうやって次々に招待客をもてなしていった。
愛想良く話をし、世辞を言い、合間に給仕を行うと、客人は皆満足そうな顔をしてレティリエを誉めちぎった。
夜会がお開きになり、レティリエはマダムと共に玄関先でお見送りを行う。最後の一人が出ていったのを見届けると、マダムがこちらへ向き直った。
「まぁレティリエ、今夜のあなたはどうしてしまったの? あなたが積極的にお話をしてくれるから皆大喜びだったわ。ヘインズ夫妻なんて、今度ご自宅に招待してくださった上に新しい仕立て衣装を一式注文してくれたわ」
「皆様に喜んで頂けたのならば、ようございました。奥様に恩返しをさせて頂く為にも、これからは私もお客様のお相手をさせていただきます」
頭を下げながらしれっとのたまう。部屋の外を自由に出られるようにする為には、マダムからの信頼を勝ち取ることが必要だ。自分はマダムの味方であるということを印象づけなければならない。
「先日の一件では大変失礼いたしました。その……私は狼の村では皆から爪弾きにされていたんです。昔を思い出してしまうのが怖くてつい反対をしてしまいましたが、これからは私もお手伝いをさせて頂きますね」
「まぁ、そうだったの。それは辛かったわね。ええ、狼の繁殖にはあなたの協力が不可欠だわ。存分に手伝ってちょうだいね」
にっこりと笑うマダムにレティリエも笑みを返す。だが、その胸のうちは酷く渇いていた。
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