第40話 マダムの本性

 レティリエは窓の外から見える白銀の満月を眺めていた。先日のグレイルとのやり取りが何回も頭によぎり、その度にくすぐったい気持ちで顔が熱くなる。

 村を去る時、もう二度と会えないことを覚悟していたはずなのに、もう一度会えた時は胸が震えるほど嬉しかった。


 グレイルと再会してからというものの、連日のパーティーや夜会があまり苦痛に感じなくなっていた。あの夜の一時は、マダムの傀儡から、本来の自分に戻してくれたのだ。

 そして何よりもレティリエを元気付けてくれたのは、別れ際のキスだった。

 レティリエは、ガラス越しに写る自分の顔を見ながら、そっと額に手を当てた。額に感じた温かな柔らかさと、唇を離した時の彼の少し照れた様な表情を思い出すと、自然と顔が綻んでしまう。


(次に会った時も、おでこにキスしてってお願いしても良いかしら……)


 胸をときめかせながら、ふと窓の外を見た時だった。

 門の所に黒い人影がいるのが見えた。帽子を目深にかぶった人影は外から中の様子を伺っているようだったが、暫くすると去っていった。

 レティリエは怪しい人物に眉を潜める。実は、門の前でうろつく不審な人物は、ここ数日で何回も見ていた。マダムが金持ちであることはお屋敷の大きさを見ても一目瞭然だから、泥棒に狙われやすいのかもしれない。だが、マダムはそれを見越して屋敷に防犯を十全に施している。屋敷内に侵入するのはなかなか至難の技だろう。

 少しだけ不安な気持ちになりながらも、自分の力ではどうにもならないことだとレティリエは意識を反らした。

 今夜も別の屋敷で夜会だ。もうすぐメイドが呼びに来るだろう。レティリエは深呼吸すると、窓から離れた。



 門の外に出て、馬車の前でギャスパーと一緒にマダムを待つ。幾度となく繰り返された日常だ。だが、今日は少しだけ様子が違った。


「ギャスパー様、奥様がお呼びです」


 両手を前に揃えてお行儀よく待っていると、屋敷から使用人が出てきた。そのまま馬車の所まで来て、ギャスパーに伝言する。


「私に用だと? 用件は何だ」


 使用人をチラリと見もせずギャスパーが問う。その厳めしい態度に恐縮しているのか、使用人の男は酷く汗をかいていた。


「いや……そこまではわかりません。ただあなた様を呼んでこいとだけ」

「それは私でなければ務まらない件なのか」

「はい……はい! そうです、そうです」


 ギャスパーはわかった、と言うと、使用人にレティリエの番をしておくように言いつけて屋敷へ戻って行った。

 

 レティリエは何とはなしに往来を見ていた。日はすっかり落ちている為か、人の往来が無い。昼間の賑やかな光景とはまた違った装いを見せる夜の街の風景をぼんやりと眺めていた時だった。

 急に布で口を塞がれ、そのまま押し倒されるような形で馬車に押し込まれた。

見ると、隣に立っていた使用人がレティリエを羽交い締めにしている。驚いて逃げ出そうともがくが、馬乗りになられているので身動きが取れない。


「よし、うまくいったな。でかしたぞ」


 反対側の扉を開いて別の男が乗り込んできた。先程門の前で彷徨いていた帽子の男だ。彼の目的はマダムの財産ではなく、自分だったのだ。


「おい、協力したんだから早く謝礼金を渡せ!」


 レティリエを拘束している使用人が怒鳴る。この帽子の男に懐柔されたのか、彼はマダムを裏切ったのだ。あわてふためく使用人とは対照的に、慣れているのか帽子の男は落ち着いた様子だった。


「まぁ待て、それはここをずらかってからだ。おい、早く馬車を出せ!」


 帽子の男が前の方に向かって怒鳴る。御者が出てこない所を見ると彼もグルなのだろう。何とかして逃げ出さないと、とレティリエは必死に頭を働かせるが、頭が真っ白になって何も考えられなかった。

 馬に鞭を振るう音がして車が動き始めた時だった。


「うわっ!!! なんだ?!!! 狼?! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 御者の絶叫が聞こえて突如馬車の歩みが停まった。


「なんだ? 何が起こった?!」


 帽子の男が慌てて馬車の外に飛び出る。だが、すぐに闇をつんざくような悲鳴があがった。


「え……なんだよ、これ……一体何が起こってるんだよ……」


 ガタガタ震えながらも残るは自分しかいないからと使用人の男はレティリエを離し、そうっと馬車の外に出て様子を伺う。途端に目の前を黒い影が横切って使用人の姿が忽然と消えた。

 慌てて馬車の外に出ると、血だまりの中で足や腕を押さえてうめく御者と帽子の男が転がっていた。

 使用人はというと、馬車から離れた場所で黒いものに馬乗りにされている。乱暴に腕を振り回し、慌てて身を起こして逃走をはかるが、黒い影がすぐに飛びかかって再度地面に叩きつけられる。あの黒い影、あれは……黒い狼だ。


「グレイル!!」


 レティリエが叫ぶと、グレイルは噛みついていた使用人の腕を離し、こちら側へ向き直った。そのまま自分も彼の元へ走っていこうと思った瞬間、ガシッと誰かに肩を捕まれた。


「よし、保護したぞ! 奥様! 狼は無事です!」


 見ると別の使用人が数名、自分を守るように囲んでいた。同時に、屋敷の中からマダムが血相を変えて走ってくるのも見えた。


「レティリエ! レティリエ! あぁ無事で良かった! 早く中に入るのよ!」


 マダムが飛び付いてきて、そのままグイグイと屋敷の方へ引っ張られる。レティリエは必死に振り返ってグレイルの方を見ようとするが、あっという間に敷地内へ戻されてしまった。

 グレイルがこちらへ走ってくるのが見えたが、ゴゥゥゥンという音と共に 無情にも鉄の門は目の前で閉められた。




 グレイルは目の前の門を睨み付け、歯噛みした。レティリエをつれだす千載一遇のチャンスをフイにしてしまった。

 実は屋敷の周りを彷徨く不審な人物の存在はグレイルも把握していた。今日こちらに来てみると、門の外から屋敷の中を伺う男がいるのを見つけ、不信感を抱いた。屋敷の周りをぐるりと警戒したり男の挙動を注意深く見張っていた所、男が突如レティリエを馬車に押し込んだのだ。

 グレイルは怒りと共に踵を返し、一目散に村へと向かった。

 グレイルは今の一件で、時間が無いことを悟った。

 こんな危ない場所に彼女を置いておけない。人間の世界は危険すぎる。一刻も早くレティリエをここから連れ出さなければ。

 その為には、彼女を迎える準備を整えなければならない。

 また数日間ここから離れることになるが、次に街へ来る時は彼女を連れ出す時だ。グレイルは決意の眼差しと共に闇の中へ跳躍した。




※※※



 屋敷に戻ったレティリエは、ソファの上に座らせられてマダムに身体中を組まなく調べられていた。レティリエの足を太ももから爪先まで丹念に調べ終わったマダムは、ほうと息を吐いた。


「あぁ良かったわ。かすり傷ひとつないみたい。あなたの身に何かあったら、私はどうして良いかわからなかったわ」


 マダムが微笑みながらレティリエを優しく撫でる。一見自分を心配してくれているようだが、「あなたの身」に自分の心は入っていないことにレティリエは気づいていた。

 マダムは、レティリエの体に傷がつくことには慎重だったが、心が傷ついたことには慮ってくれなかった。

 マダムが愛しているのは、自分の器だけなのだ。レティリエは暗い気持ちでマダムの笑顔を見ていた。


「今日の夜会は中止だわ。先方には断っておいて」


 マダムが言いつけ、ギャスパーが「かしこまりました」と頭を下げる。


「ねぇ、待って」


 レティリエの頭を撫でるマダムの手がピタリととまる。部屋を出ていこうとしたギャスパーが振り返った。


「また今日みたいなことがあったらどうしましょう。護衛をつけるだけで済むのかしら。いいえ、誘拐だけじゃないわ。考えてみれば急な事故や病気で突然死んでしまうこともあるのよね」

「ええ、生き物である以上、死は避けられません」

「そうよね、そうなればいつかこの子とも別れてしまうのね。ねぇギャスパー、この子とずっと一緒にいられる方法は無いのかしら」


 マダムがポツリと呟く。ギャスパーは不敵に笑うと、マダムの側に寄って頭を垂れた。


「恐れながら奥様。生き物である故死は避けられませんが、同時に生をうみ出すことも可能です。同じような狼が欲しければ、彼女に子を生ませれば良いかと」


 ギャスパーの言葉を聞き、マダムがパッと破顔した。


「まぁ! それはとても良い考えね。そうしたら永遠にこの子と一緒にいられるわ。それに、場合によってはもっと美しい狼が生まれるかもしれないわね」

「ええ、繁殖が成功すれば、商売としてやっていくのも良いでしょう」


 ギャスパーの言葉が、マダムの商売魂に火をつけた。

 この美しい狼の繁殖を成功させられれば、自分の商売人としての地位は安泰だ。レティリエを買ったお金も倍以上になって返ってくることに違いない。マダムの頭の中では猛スピードで激しい金勘定がなされていた。


「そうと決まれば、早速準備を始めましょう。人狼は人間とも子供を作れるのかしら?」

「いえ、人狼と子を為したという話は聞いたことがございません」

「では人狼の村から狼達を連れてくるしかないわね。すぐに人を集めなさい」


 マダムの言葉に、レティリエは蒼白になってマダムを見上げた。


「奥様! 私達は森で平和に暮らしている種族です。他の者を巻き込むことはどうかお止めください!」

「うるさいわねえ、ほんの数匹連れてくるだけじゃない。それに、あなたも仲間が来たら嬉しいでしょう?」

「いいえ奥様、お願いです。それはあまりにも酷いことです!」


 人のエゴの為に無理やり繁殖をさせられるなんて、誇り高き狼の尊厳を侮辱するにも程がある。レティリエは必死にマダムの腕にすがりついて懇願した。

 だが、マダムは鬱陶しそうにレティリエを見返すだけだった。


「何も危害を加えるわけではないわ。繁殖期を過ぎた狼はちゃんと村に帰してあげるつもりよ」

「いいえ、いいえ奥様、そういう問題ではございません!」

「うるさいわね!! 少し黙りなさい!!」


 パーンと音がして頬がカッと熱くなる。マダムがレティリエの頬をひっぱたいたのだ。頬を押さえながらマダムを見上げると、彼女は恐ろしい形相でレティリエを睨み付けていた。


「主人に向かってなんという口の聞き方をするの? 獣の分際で私に逆らうとはいい度胸ね」


 やっと本性を表したわね。レティリエは悔しさで歯を食い縛る。だが、力を持たない自分にはどうすることもできない。

 主人に逆らった罰として、レティリエは自分の部屋に戻され、食事を抜かれた。

食事を与えられなかったことについては心底どうでも良い。だが、マダムは本気だ。早くこの情報をグレイルに伝えなければ。

 レティリエは窓の外から見える暗い世界を見つめた。次にグレイルに会った時に、彼を通して村に危機を伝えてもらうつもりだ。



 だが、その日以降彼が姿を見せることはなかった。


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