第37話 レティリエを探しに

 グレイルは色とりどりの建物が立ち並ぶ街へ足を踏み入れ、立ち止まった。

 人間達が住む都市へは初めて来たが、狼の足で走れば数時間で着く程の距離だ。朝の狩りが終わってからすぐに走ってきたので、日はまだ高く、大勢の人が通りを行ったり来たりしていた。

 グレイルは狼の姿のまま、人目を避けるようにして細い通りを進んだ。ここでは人狼は珍しいだろうから、人の姿で歩けば狼の耳と尻尾の存在はかなり目立つ。それに、情報収集をするには狼の姿でいる方が都合が良かった。

 人間達が住む領域は、他種族と比べてもかなり広い。闇雲に探そうとすれば、何年かかっても無理だろう。グレイルはそう思い、大体の当たりをつけていた。


 銀色の狼の噂を流したのは、まず間違いなく馬車でレティリエを拐った者達だろう。自分達が囚われていた山小屋は、ここから遥か遠い場所だが、自分が馬車を襲った地点は、狼の村からさほど離れていない場所だっだ。

 あの場所から一番近い街はここだ。恐らくこの地でレティリエの噂が広まり、噂を聞き付けた人間達が森に押し寄せたのだろう。もしかすると、レティリエは山小屋よりも、遥か遠いところに送られてしまったかもしれないが、次の行き先はここで情報を拾ってからだ。

 人が集まる広場や酒場を見つけると、ひっそりと影に隠れて周囲の会話を拾う。一日中歩きまわったが、結局その日は有益な情報は得られなかった。

 そうやってグレイルは何日も村と街を行ったり来たりしていた。本当はずっとここにいてレティリエを探していたかったが、彼女の分まで狩りの成果を出すと遥か昔に約束した以上、自分の責務を放棄するわけにはいかない。

 昼や夕方の狩りがある日はさすがに街へ行くことは断念したが、時間が取れる日は毎日の様に出掛け、レティリエの痕跡をくまなく探した。


 有益な情報はなかなか得られない。だが、グレイルは諦めるつもりはなかった。そんな彼の想いが天に伝わったのだろうか。

 ある日の夕暮れ、グレイルは街の中でもひときわ大きい建物の影に隠れながら、往来を見つめていた。今日もまた手がかりになるような情報は拾えなかった。もう少し範囲を広げて探してみるべきだろうか……どちらにせよ、今日はそろそろ村に帰らねば、そう思いながら重い腰をあげた時だった。


 建物の扉が開き、中から一斉に人が出てきた。「今日の劇は素晴らしかったわね」などと楽しげに話す声がそこかしこで聞こえる。その中で、微かに「狼」という言葉が聞こえたような気がした。

 グレイルは耳をピンと立てながら注意深く会話を拾う。上等な衣服を着た身なりの良い二人の男性が目に留まった。


「……それがさ、うちのがねだるんだよ。私も狼が欲しいわって。でも、あんなに大人しい狼なんてなかなか手に入らないだろ? マダムの家に行く度にしつこくねだってくるから、困ってるんだ」

「へえ、でもたかが狼だろ? 人魚やエルフはよく話題にあがるけど、狼じゃなぁ」

「まだお前は招待されてないのか。いや、確かにあれは皆欲しくなる程の狼だよ。毛並みは珍しい銀色だし、それに何より見目が良いんだ。マダムが至るところに連れまわして自慢したくなる気持ちもわかるよ」


 銀色の狼。やっと欲しい単語を拾えた。

 グレイルは二人の男の後をそっとつけていった。


「へえ、それはぜひ一度見てみたいもんだな。実は今度、マダムの家のパーティーに呼ばれてるんだ。うちのは連れていかない方がいいかな」

「ああ。お前ももれなくおねだり攻撃に合う羽目になるぞ」

「まぁもう婦人達のお茶会かなんかで散々話題になってるだろうから、どちらにしろ同じだろうけどな」


 帽子を被った男が苦笑いをする。今度マダムの家に呼ばれていると言っていた方の人間だ。そのまま二人は別れ、それぞれの馬車に乗り込む。グレイルは迷わず帽子を被った男が乗った馬車の後をこっそりとつけていった。


 そのまま数日間、男の屋敷に通い詰めた。

 朝の狩りが終わったと同時にすぐに街に向かっていたのが効を奏したのか、ある日の昼時に、例の帽子を被った男が屋敷から出ていく姿を捉えることができた。よそ行きの格好をした女性と共に馬車に乗り込もうとしている。「マダムの狼を早く見たいわ」と女性が嬉しそうに言い、男の方は苦笑いをしていた。

 馬車がゆっくりと動きだし、グレイルは後を追った。数刻ほど走り続け、馬車は他の家よりひときわ大きい屋敷の前で歩を止めた。二人の男女が降りて屋敷の中へ入っていく。

 彼らの話が本当であれば、この屋敷にレティリエがいるはずなのだ。中を見たかったが、樹木程の高さの柵に阻まれて中に入ることができなかった。

 居場所は突き止めたのだから、また毎日ここに通い詰めていればいつかは会えるだろう……だが、グレイルは何としてでもレティリエを一目見たいと思った。彼女の姿を見るまでは安心できない。幸い、冬のこの時期は獲物が少なくなる為、狩りは朝だけだ。今日の夜にここを発てば明日の狩りには十分に間に合う。

 グレイルは屋敷から少し離れた場所にある木の影に身を潜めながら待ち続けた。


 数時間が経ち、マダムの家に招待された客が続々と帰っていく。だが、レティリエが建物から出てくる気配が無い。

 なかなか外に出られる機会が無いのか、そもそも居場所が間違っているのだろうか……日は大きく傾き始め、そろそろ夜になろうと言う頃合いだ。今日は村に帰るしかないのかと思い始めた時だった。

 屋敷の扉が開き、中から桃色の華やかな衣装をまとった女性が出てきた。銀色の髪の中から覗いているのは狼の耳だ。


(レティリエ……!)


 グレイルの胸が歓喜と安堵で満たされる。だが、グレイルの胸中とは裏腹に、レティリエは浮かない顔をしている。グレイルはいぶかしみながらも成り行きを見守ることにした。



※※※



 冬の冷たい風がむき出しの肩を撫でた。一瞬、懐かしい香りがしたような気がしたが、匂いのきつい香水をかけられている為、鼻がうまく効かない。気のせいだと思い、レティリエは手に持っていたショールをフワッと羽織った。森の中に住む狼にとってこれくらいの寒さはなんともないが、寒いフリをしていれば肌の露出は抑えられる。

 門の前には、月明かりに照らされて厳かに光る立派な馬車が停まっていた。だが、馬車へ向かう足取りは重い。気が乗らないというのも理由のひとつだが、身に付けている装飾品が体を締め付けるのだ。

 コルセットでギリギリと締め上げられた腰と胸元は悲鳴をあげ、ヒールの高い靴と結った髪につけられた大きな髪飾りのせいで頭から足先まで全身が重い。おまけに、今日は昼間のパーティーにも出させられたから、レティリエは疲れきっていた。最近、マダムは自分の家の催し物だけでは飽きたらず、昼も夜も何かしらの社交界に出席するようになっていた。


 やっとのことで門までたどり着くと、門の前にギャスパーが立っており、マダムの仕度が終わるのを待っていた。レティリエも馬車の前へ立ち、マダムを待つ。美しいドレスを着せられ、下にも置かぬ扱いをされているが、自分はあくまでマダムのペットに過ぎない。主人より先に馬車に乗ることは許されないので、大人しくギャスパーの隣に立っていた。

 だが、連日のパーティーや夜会続きで疲労が溜まっていたのだろう。くらっと目眩がして、レティリエは思わずよろめき、地面に手をついた。


「もっ……申し訳ございません。胸が苦しくて……」


 大きく息を吐きながらとぎれとぎれに言う。胸が苦しくて頭がくらくらする。こんな調子では夜会に出られない。


「ご主人様、私、気分が優れません。申し訳ございませんが、今夜の夜会は控えさせて頂けないでしょうか」


 ギャスパーを見上げながら懇願する。連日の無茶なパーティーに付き合わされているのだから、一度くらい大目に見てほしいと言う甘えもあった。

 だが、ギャスパーは不敵に笑うとレティリエの腕を掴み、そのまま乱暴に立たせた。


「ダメだ。お前に拒否する権利は無い。そもそも、奥様にこんなに良くして頂いているのに、お前は人に媚びることしかできないじゃないか。ならば、せいぜい奥様の商売の糧になるよう、身を粉にして恩返しをするんだな」


 恩返しですって? 望んでもいないことなのに?

 ギャスパーの身勝手な言い分に、レティリエの胸に怒りが宿る。思わず、キッと目の前の従者を睨み付けると、ギャスパーが薄く笑った。


「ほう、やけに反抗的だな。だが、そんな態度をとっていられるのも、奥様のお気に入りである今だけだ。もし奥様のご機嫌を損ねれば、お前はたちまち娼婦と同じ扱いになる。それが嫌ならば」


 ギャスパーがレティリエの肩に手をのせ、ショールを剥ぎ取る。彼女の白い両肩と胸元が月光に晒された。


「せいぜいその身を使って男を悦ばせるんだな」


 レティリエが目を怒らせながら睨み付ける。こんなに屈辱的な扱いを受けて、悔しさで頭が爆発しそうだった。だが、今の自分にはどうすることもできない。レティリエはマダムの到着と共に、暗い顔で馬車に乗り込んだ。



 グレイルは今のやり取りを激しい怒りと共に見ていた。美しい衣装を着せられているが、意思や尊厳を奪われ、主人のいいなりになるしかないこの扱いは家畜と同等だ。これではまだ狼の村にいた方がマシだとさえ思える。

 グレイルは物陰に隠れながら、馬車の側で控える男の顔を胸に刻んだ。


 馬車が走りだし、グレイルはそっと後をつけていく。先程の屋敷と同じくらい豪華な建物に着くと、レティリエが馬車から降りる姿が見えた。顔は暗く、瞳は潤んでいて今にも泣きそうに見えた。


 グレイルはレティリエの姿が見えなくなるまでじっと見つめ、くるりと踵を返した。

 彼女が幸せそうに生きているのであれば、自分は遠くから見守るだけで良いと思っていた。だが、今の彼女は到底幸せそうには見えない。ここから無理やり連れ出そうとも思ったが、今の現状を知らない以上、下手に動いてレティリエの扱いが悪くなるのは避けたい。

 

 彼女と話をしなくては……グレイルは決意と共に、闇にその身を同化させた。


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